旧大名家に生まれて伯爵となり、戦後は横綱審議委員会の初代委員長を務めた酒井忠正氏は相撲の妙味の一つは、「勝つか負けるかの土俵の上で恩を返し返される」ことだと説いていた▼酒井氏がその好例に挙げたのが、大横綱・太刀山の恩返し。関脇だった太刀山が横綱・常陸(ひたち)山を初めて破った時、こう語ったという。「常陸関には旅でよく稽古をつけてもらいましたが、これでどうやら恩返しができました」(『相撲随筆』)▼巡業先で進んで胸を貸してくれた先輩に土をつけることこそ、恩返し。太刀山はその後、綱を張って無双の強さを誇ったが、今度は常陸山門下が打倒横綱に燃え、猛稽古に励んだ。おかげで三人の横綱が生まれたというから、見事な恩返しである▼日馬富士も、相撲界の恩返しの重さを何度も口にしてきた。十六歳、体重七三キロで来日し、食べて太ることに苦しみつつ猛稽古を重ねて、幕内最軽量の一三三キロながら横綱に。「土俵に立つことが恩返し。結果を出すことが恩返し」と精進してきた▼そんな横綱にとって後輩に礼儀を教えるのも、恩返しの一つだろうが、拳をふるっての説教が生むのは「恩返し」のリレーではなく、「暴力」の連鎖だろう▼きのうの引退会見で日馬富士は「これからは、ちゃんとした生き方をして恩返しをしていきたい」と語った。今度は、土俵の外が勝負の場である。
<間もなく新宿行き快速電車がまいります。そのまましらばくれてお待ち下さい><車内では席をゆすり合いましょう>。井上ひさしさんの作品には言葉の病(無論、想像上の)にかかる人がよく描かれる▼「しばらく」を「しらばくれて」と口走るのは「似た音への置換」症状が出る駅員さん(『言語生涯』)▼「しいぞ、おかしい!配列がことばの狂っている!はぐちぐだ」。これは、「言語不当配列症」。「あれどう。したんだろうぼくの喋(しゃべ)り方すこし。ヘンだぞ」。こっちは、句読点の位置がおかしくなる「ベンケイ病」。いずれも戯曲『国語事件殺人辞典』にある▼日本語をめぐる、この「症状」は笑えない。主語と述語の関係など文章の基本構造が理解できていない中高生がかなりの割合でいるという、国立情報学研究所の調査結果である▼「幕府はポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」と「ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」。これを同じ意味と解釈した中学生は全体の約43%、高校生でも約28%とは深刻である。これでは教科書を理解するどころか日常生活にも困るだろう▼特効薬は読書しかあるまい。まず読み、理解できなければ誰かに尋ねる。理解できなかった理由を考える。この習慣で、かなり改善できるはずだ。「別にいいや」としらばくれては治らぬ。
<メトロを降りて階段のぼりゃ 霧にうず巻くまぶしいネオン いかすじゃないか 西銀座駅前>-。いかすじゃないかのフレーズがいかすじゃないか。フランク永井さんの低音がよみがえる「西銀座駅前」▼忘年会シーズンはまだ先とはいえ、その懐かしい「顔」をごらんになれば、つい鼻歌が出る世代もあるだろう。顔といっても地下鉄の車両。東京メトロが修復した丸ノ内線の500形を報道公開した▼赤い車体に白い帯と銀の波。正面から見るととぼけた味わいもある、その「顔」が愛(いと)おしくもある▼「西銀座駅」の駅名はとうの昔に消えているが、現在の丸ノ内線の銀座駅である。あの唄が一九五八(昭和三十三)年。500形の丸ノ内線デビューがその前年の五七年なので「西銀座駅」ともなじみ深い車両だろう。長いキャリアである▼今回、現役当時の姿に補修された経緯が興味深い。九六年の引退後、百三十一両がアルゼンチンの首都のブエノスアイレスの地下鉄に譲渡されて今も活躍している。今回、このうちの四両を買い取って里帰りさせたのは社員の技術向上のため、手動操作で走る旧式車両が必要になったためだそうだ▼壮年期は日本でがむしゃらに働き、老いては海外赴任で現地の役に。再び日本に戻って今度は若い人を教える。堂々たる仕事ぶりである。赤い車体の六十年の物語が<いかすじゃないか>。
博打(ばくち)の借金でどうにもならなくなった左官の長兵衛。見かねた娘のお久が吉原に身を沈め、五十両の金をこしらえる。長兵衛が金を受け取った帰り道。吾妻橋から隅田川に身を投げようとしている男がいる▼聞けば、お店の集金五十両をスリに取られたという。思いとどまるよう説得するが、どうしても聞き入れない。「仕方がねえ、ぢやア己(おれ)が此(こ)の金を遣(や)らう」▼三遊亭円朝作の人情噺(にんじょうばなし)「文七元結(ぶんしちもっとい)」。名作中の名作だろうが、長兵衛が金を渡す場面になると、己の不人情のせいか、どうも理解できない。いくら人命第一でもわが娘が身を売った五十両である▼この噺、伊藤博文に「江戸っ子の見本が出てくるのを」とせがまれ、三日でつくったという言い伝えがある。長州人に江戸っ子の気(き)っ風(ぷ)の良さを教えてやろうと円朝さんがちょっと大げさに描いたのかもしれぬ▼と思いきや、かつての江戸っ子の見本のような人が本当にいたのである。ところかわって米国はフィラデルフィア。車のガソリン切れで立ち往生した女性にホームレスの男性がなけなしの二十ドルでガソリンを買い与えた一件が話題になっている▼その暮らしを想像すれば、命のかかった虎の子の二十ドルだっただろう。恩返しにとこの女性がネットで男性への寄付を呼びかけたところ、約二週間で一万人以上から約三千九百万円が集まったそうだ。いいサゲである。
文七元結 古今亭志ん朝
科学者は「頭がよくなくてはいけない」。もっともだが、その後に「同時に頭が悪くなくてはいけない」と続けば、うん?となる。そう書いているのは物理学者の寺田寅彦である(『科学者とあたま』)▼この場合の「頭が悪い」とは「効率」や「無駄」を考えないということだろう。頭がよい人は見通しが利く分、無駄で価値のなさそうなことを試みない。頭が悪い人はそれにもがむしゃらに取り組む。結果、無駄でも、その過程で予想もしていなかった重大な宝にぶつかることがあるものだと教える。「科学者はのみ込みの悪い朴念仁(ぼくねんじん)でなければならない」▼科学者の話ではないが、この手のニュースに触れるたび、この国に「頭のよい人」ばかりが増えていないかと心配する。なにかといえば製造業で相次ぐ品質検査をめぐる不正である▼日産自動車、神戸製鋼などに続き、今度は三菱マテリアルグループである▼効率向上、納期厳守、収益拡大。会社にとって「頭のよい」考え方が幅を利かせ、品質第一、厳重検査の愚直さ、バカ正直さが笑われていないか。それは製造業にとって守るべき大切な心意気や魂であるはずだ▼国際競争の厳しさが分からないではない。が、とどのつまりは世間を騒がせる。自社製品のみならず、安心安全という日本製品全体のブランドを台無しにする。決して、頭のよい話ではなかろうに。
「赤い羽根」の共同募金運動が始まったのは、七十年前のきょう十一月二十五日のことだ。もっとも最初の年に募金した人に配られたのは、稲穂をデザインした金属製バッジ。「赤い羽根」が登場したのは翌年からだが、すったもんだのやりとりの末の導入だったという▼米国の募金で使われていたものを参考に「赤い羽根」が提案されたものの、「赤は派手すぎる」「紳士淑女が羽根など着けられるか」「吹けば飛ぶ羽根など縁起でもない」など異論が噴出した(中央共同募金会『みんな一緒に生きていく』)▼だから当時は普及のために、こういう文書までつくられたそうだ。<新生日本の国民の一人一人に、新しい社会観を植えつけてゆくには、この位の意外さが無ければ、効果はうすいものであろう>。あの羽根一つにも時代のきしむ音が刻まれているのだ▼そうして生まれた赤い羽根はこの季節の風物詩となった。最初の年に用意されたのは一千万本だったが、それが五千万本に。しかし最近は募金額は右肩下がりで、赤い羽根を着けて歩く人も少なくなった▼まど・みちおさんは、こんな詩を残している。<あかい はね/あかい はね/こないだ つけた/あかい はね/ぼくの むねの/あかい はね/ようふく きかえたら/ほっぺに さわった>▼そんな羽根のあたたかさは、今でもきっと消えていないはずだ。
その昔、隠岐島には、こんな習わしがあったという。年貢米を京の御所に送るのが島民の務めだったが、海が荒れ続け、舟が一向に出せぬ年がある。そういう時は風が吹く日に岬に集い、年貢米に火をともす。その煙が宮廷の方角にたなびくのを見て拝むことで、「納税」としたそうだ▼戦前、ある税務官僚はこの風習を「実利的に考えると愚かなことだが、精神的に考えれば誠に心持ちのよい話」だと紹介し、わが国には古(いにしえ)から続く「租税道徳心」があるはずだと納税者に説いたという(日本租税理論学会『税金百名言』)▼さてこちらは「実利的に考えても、精神的に考えても、誠に心持ちの悪い話」である。森友学園への国有地売却を調べていた会計検査院が結果を公表した。百二十二ページの報告書で「根拠が確認できない」といった表現が十回以上も出てくる▼なぜ八億円もの値引きをしたのか。それを検証するために必要な書類が「廃棄」されたり、そもそも「失念」して作られていなかったり▼財務相は「会計検査院で必要とするような文書はきちんと残している」と断言していたが、検査院は「検証を十分に行えない状況」だと厳しく指摘した▼国有地売却の責任者だった財務省理財局長は国税庁長官に栄転し、「租税道徳心」を説く立場に。年貢米ならぬ「道徳心」を焼いた煙が、官邸の方角にたなびいていないか。
「幽霊病」にかかると、体が少しずつ消えていく。まず指、両手、両腕。両脚。そして声までも。かろうじて口から母音だけを絞り出すことができる。心配させてしまったか。野田秀樹さんのお芝居『足跡姫』である▼「い、い、あ、い」。その病にかかった母親は最期にそう言って死んだ。娘にはそれが「死、に、た、い」としか聞こえなかった。「でも、姉さん」。弟がいう。「僕の耳には、こんな音になって聞こえる」「『い、い、あ、い』は『生、き、た、い』さ」▼会員制交流サイト(SNS)には「い、い、あ、い」があふれていると昨日の夕刊が伝えていた。残念ながら、「死、に、た、い」の方である▼あるNPO法人によるとツイッター上の「死にたい」などのつぶやきは一日一万件を超えているという。どこまで本心かは分からないが、その絶望の言葉を書き込みたくなるほどの悩みと疲れた孤独がある▼「死にたい」と書き込んでいても本当は「生きたい」なのかもしれぬ。少なくとも「生きたい」のかけらはきっと残っている。書き込んでいるのは生きたいがため、誰かからの救いの手を待っているのだろう▼「い、い、あ、い」に耳を澄ませ、受け止める方法を見つけたい。その母音を「生きたい」や「(どこかに)行きたい」「言いたい」「聞きたい」という生あるがゆえの希望の言葉に変える方法を。
Francesco Galuppo - Debora Pacini | Tango