東京新聞寄居専売所

読んで納得!価格で満足!
家計の負担を減らしましょう!
1ヶ月月極2950円です!
アルバイト大募集中です!

今日の筆洗

2017年09月30日 | Weblog

 政府を批判しただけで、厳しく弾圧されたソ連にあっても、憲法では表現や言論の自由は一応、認められていた。だから、米国では、こんな皮肉が語られた。「合衆国憲法とソ連憲法の違いは…ソ連憲法は言論、集会の自由を保障する。米国の憲法は、言論の後の自由も、集会の後の自由も保障する」▼発言した「後」の自由が保障されていなくては、自由など空虚な看板。そして「後」と同じように保障されなくてはならぬのが、言論の「前」の自由だ。世界人権宣言は一九条で、こううたっている▼<すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により…情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む>▼真の言論の自由のためには、前提条件として、情報などを求め、受ける自由がなくてはならぬ。「知る権利」はそれほど重いものなのだが、この国ではどうだろう▼知る権利を害すると懸念された特定秘密保護法は、強行採決された。行政が歪(ゆが)められたのではないかと指摘される森友・加計問題では、真相究明になくてはならぬ公の記録は「ない」「廃棄された」と、官僚らが平然と言い放っていた▼疑惑の追及を封じ込めるかのように、衆院は唐突に、解散された。おととい二十八日は、「世界知る権利デー」だったのだが。


今日の筆洗

2017年09月29日 | Weblog

 米国の政治ジョークを集めた本で、こんな小咄(こばなし)を読んだ。子どもが政治家の父親に、「裏切り者って何?」と尋ねた▼父の答えは、「裏切り者というのはこっちの党からあっちの党に行くやつのことだ」。子どもが「じゃあ、あっちの党からこっちの党に来る人は?」と聞くと、父は答えた。「それは、改心者っていうんだ」▼つい先日、民進党の一部議員が離党し、「小池新党」に加わろうとした時、彼らは「裏切り者」扱いされた。だが、政界の秋空の何と移ろいやすいことか。民進党全体が「こっちからあっちに行く」ことになりそうだというのだから、小咄の子どもならずとも、目を白黒させるしかない▼衆院が解散されたきのう、民進党は新党「希望の党」への「合流」を打ち出した。だが、それで、どういう方向に向かう流れができるのか。政権交代可能な二大政党制を再び目指すというが、たとえば世論を二分してきた改憲や安全保障法制をめぐり、どんな流れをつくるのか▼こんな政治小咄もある。激しい選挙戦の中、ある候補者が「当選したら、まず何をしますか」と尋ねられた。候補者の答えは、「当選したら何をするかは今の私の心配事じゃない。私を今、悩ませているのはもし当選しなかったら何をするかってことです」▼「合流」の向かう先をきちんと示せなければ、この候補者を笑うことはできまい。


今日の筆洗

2017年09月28日 | Weblog

 一八八八年の夏の早朝、ドイツ・マンハイムに住む三十九歳のベルタは、息子二人を連れて家を出た。「実家に行く」との書き置きをして▼彼女の夫カール・ベンツは、さんざん苦労して自動車を発明した。だが、「馬なし馬車」はさっぱり売れない。ならば、それがいかに便利か自ら証明しようと、夫に内緒で旅行に出たのだ▼母親の住む街まで片道百キロ余。燃料パイプが詰まればヘアピンで直し、点火装置が壊れればゴム製の靴下止めで直した。そうしてベルタは「史上初の自動車長距離旅行」を成し遂げた女性となった▼自分の手で、自分の行きたい場所に車を走らせる。そういう当たり前の「自由」を長年にわたり求めてきたのが、サウジアラビアの女性だ。自らハンドルを握ったために「社会の秩序を乱した」と逮捕された人もいる▼それでも、運転解禁を求める動きは絶えなかった。それは「女性が自分の思いで行動すること、自由を獲得する象徴だから」だと、東京大学・特任准教授の辻上奈美江さんは話す。そんな願いがかない、ついに女性の運転が来年、解禁されることになったというから、かの国の女性にとっては、大きな一歩だろう▼ベルタの大胆な自動車旅行は、世間の見る目を変え、車社会へと道を開く一歩となった。サウジの女性が自らハンドルを握るようになった時、どんな変化が起こるだろうか。


今日の筆洗

2017年09月27日 | Weblog

バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンは一度、NBA(全米バスケット協会)を離れて、プロ野球に挑戦している。一九九三年、三十歳前後のときだから、バスケット選手として脂の乗った時期である▼幼い時、プロ野球選手になると父親と約束していたという理由が泣かせるが、やはりバスケットほどには実力を発揮できず、大リーガーには昇格できなかった。スーパースターといえど、天は二物を与えるほどに甘くはないのか▼ジョーダンはバスケットをやめた上で、野球の道を追いかけたが、この人の場合、同時に二つの道を追いかけるというから野心的というべきか、欲が深いというべきか。東京都の小池百合子知事である。都知事を続けながら、新しい国政政党「希望の党」の代表に就任する意向を示した▼国会議員になるわけではないが、東京都政と国政政党トップの二足のわらじとは、「希望」がどうも「多忙」や「無謀」と聞こえてしまう▼小池さんがトップにならなければ総選挙での得票が期待できぬという新党側の「希望」は分からないでもないが、掛け持ちするのは東京五輪・パラリンピック、豊洲市場移転問題など課題山積の都政である▼都政と新党。どちらの仕事にも集中できない人を、果たして国民、都民は「希望」するか。有権者も天と同じで器用な「二物」を許すほど甘くはなかろう。


今日の筆洗

2017年09月26日 | Weblog

 五年ほど前、ニューデリーで映画館に入った。インドの観客は熱く、にぎやかである。スクリーンに悪漢が登場すれば、罵声を上げ、正義の味方には声援の口笛を鳴らす▼かつての日本の映画館にもこんな雰囲気があったのをかすかに覚えている。高倉健さんがこんなことを書いている。健さんのお母さんはわが子の主演作品をよく見ていたそうだが、スクリーン上の息子が窮地になると声を出す。健さんに「逃げなさい」と教え、悪辣(あくらつ)な敵には「後ろから斬るとね。そんな卑怯(ひきょう)なことをして」と叱る▼ここ数カ月の政治の流れが一本の映画になるとしたら「後ろから斬るとね」の声はどうしたって上がるだろう。安倍首相が衆院を解散する意向を表明した▼加計学園の獣医学部新設をめぐって支持率を下げた首相が「深く反省している」と語ったのが六月。以降、発言も態度もおとなしくなったと思いきや、民進党の低迷を見て、隠し持ったる解散の刀を…である▼化かし合い、だまし合いの政治の世界に徳を説いてもはじまらないが、胸を張れる戦術ではあるまい▼されど、この映画、終演マークはまだ出ていない。それどころか、シナリオさえもまだ完成していないのである。決まっているのはクライマックスの撮影日は十月二十二日の投票日に行われること。加えてカギを握る主役を演じるのは有権者ということだけである。


今日の筆洗

2017年09月25日 | Weblog

 「日陰の桃の木」「水瓶(みずがめ)に落ちたオマンマ粒」。落語ファンならきっと何のことかお分かりだろう。いずれも落語の「三枚起請(さんまいきしょう)」に出てくる悪口の類いで「日陰の」は背が高くひょろひょろした人、「水瓶に」は白くて太った人をいう▼この手のシャレによる悪口はかつてよく使われていたようだ。「金魚のおかず」は「煮ても焼いても食えない」。「煮すぎたうどん」は「箸にも棒にもかからない」。「坊主(ぼうず)の鉢巻」は「(すべって)しまりがねえ」…。三代目の三遊亭金馬の『昔の言葉と悪口』から引いた▼江戸時代の喧嘩(けんか)は口喧嘩がもっぱらだったと聞く。露骨な表現ではなく、思わず噴き出したくなるシャレ表現ならば、口喧嘩をしていても緊張は和らぎ、仲直りということもあったかもしれない▼それとは、無縁で深刻な米朝の罵(ののし)り合いである。トランプ大統領が金正恩朝鮮労働党委員長を「小さなロケットマン」とからかえば、金氏は大統領を「おびえた犬はさらにほえる」「老いぼれ」とやり返す。品位も愛嬌(あいきょう)もない応酬が緊張を高めている▼「幼稚園児のけんか」。ロシアのラブロフ外相が二人をそうたとえたが、おそろしいことにその幼稚園児が手にしているのは、オモチャのピストルではない▼「谷中の不作」。東京・谷中のかつての名産品にかけたシャレだが、「ショウガ(生姜)ない」では、許されない。

 

古今亭志ん朝 三枚起請



今日の筆洗

2017年09月22日 | Weblog

 ブレヒトの戯曲『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の主人公アンナは、長く果てしなく戦争が続く十七世紀のドイツで、軍隊に付いて回っては、兵士らに酒や服などを売る行商人だ▼軍隊を相手に稼いでいるからこそ、悲惨でまやかしに満ちた現実がよく分かる。だから息子たちを決して軍隊に入れようとはしないのだが、徴兵に来た曹長に、こうたしなめられる。「お前は戦争を飯の種にしてるくせに、自分の身内はそこから遠ざけておこうって了見だろう?」(岩淵達治訳)▼ほそぼそと稼いで糊口(ここう)をしのぐアンナと違い、大々的に軍隊を相手に稼いでいるのは、世界の軍事関連企業だ。米企業七社を含む上位十社の兵器の売上高は、二十兆円を超える▼来年度の防衛費の概算要求が五・二兆円と過去最大になった日本政府もその上得意だが、この国の公的年金の積立金を運用する組織が、これら上位十社の株を漏れなく保有し、時価総額が四千六百億円分にもなると聞けば、私たちも間接的ながら「戦争を飯の種にしてる」のではないか、との疑念がわく▼『肝っ玉おっ母…』のアンナは、「戦争を種に生きてく魂胆ならば、戦争にも見返りを収めるもんだ」と警告されながらも、「戦争は商売そのものさ」と言い、たくましく稼ぎ続ける▼しかし結局、懸命に守ろうとした子どもたちを、戦争に奪われることになるのだ。