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今日の筆洗

2020年11月29日 | Weblog
 メキシコにペピタという貧しい少女がいたそうだ。クリスマスイブの夜、イエスさまのお誕生日を祝うため、何か贈り物をと考えたが、あげられるものがない。贈り物を買うお金もない▼泣いているペピタをいとこのペドロが慰めた。「どんなにささやかなものでも心がこもっていれば贈り物をもらった人はきっとうれしいはずさ」。ペドロの言葉に励まされ、少女は道端の草を摘み、ブーケをこしらえた。心をこめてつくった。恥ずかしさをこらえて教会に持っていくと信じられないことが起きた。ブーケの草が美しい「花」に変わった。見たこともない真っ赤な植物に▼原産国のメキシコに伝わるポインセチアの物語だそうだ。クリスマスを彩るポインセチアの出荷が今、最盛期を迎えている▼深く優しい赤の色。寒い季節に心を温め、落ち着かせてくれるようだ。残念ながら、コロナの影響などで今年の出荷数はあまり期待できないと聞く▼和名は「少女」ではなく「猩々(しょうじょう)」と関係がある。お酒が大好きな架空の動物である。酔って真っ赤になった顔の色になぞらえ、「猩々木」という▼芳しくないという出荷を少々助けられたら。この猩々、単なる酔っぱらいの妙な動物ではなく、赤い色の効力によって疱瘡(ほうそう)などの病気から子どもを守ってくれると信じられていた。ありがたい名を頼って、一鉢ほしくなるコロナの冬である。

 


今日の筆洗

2020年11月28日 | Weblog
 誘拐犯が分かった。だが、仲代達矢さんの捜査官は部下に泳がせよと命じる。「最高十五年の刑罰にしかならん」。それでは被害者側の傷に見合わない、別の犯罪の証拠を固めてからだと。身代金を狙う誘拐事件をえがいた黒沢明監督の名作『天国と地獄』(一九六三年公開)の一場面だ▼誘拐を強く憎む黒沢の法の緩さへの不満が筋立てに表れていたともいう。映画の模倣犯が現れ、黒沢は衝撃を受ける一方、後に厳罰化は実現している。自身の作品がきっかけになったのだろうとも語っている。“成功”はまずなく、刑は重い。「割の合わない犯罪」の認識は強くなり、件数は減っていった▼どこか古い響きがあるようにも感じる「身代金」を求める犯罪が現代で流行中という。企業などにサイバー攻撃を仕かけて、盗んだ個人情報、機密情報などを「人質」のように使う犯罪だ▼ゲーム大手カプコンが大金を要求されたと報じられた。米情報セキュリティー会社クラウドストライクの調査によると、日本の大手企業などの約半数が攻撃を受けて、うち三割が支払いに応じた。平均の額は実に一億円以上という▼犯人は外国にいて、難問の「身代金」受け渡しに、ネット上の仮想通貨も使うそうだ。狙われるのは命でないが、防ぐのは難しい、現代の脅威だ▼ネット社会の「地獄」の一面か。割の合わない犯罪にしないといけない。

天国と地獄 予告篇


今日の筆洗

2020年11月26日 | Weblog

 妻が未明に外出している。知らないうちに新聞配達を始めていた。理由を問うとたんすを指す。質に入っていない着物は一枚だけであった。「野球ができるなら、給料などは」と情熱のすべてを指導に傾けるうちに、茨城県立取手二高野球部を率いる木内幸男監督の家計は危機的になっていたという▼月々の手当は当初、四千円だったそうだ。常陽新聞新社編『木内流子供の力の引き出し方』にある挿話だ。大胆で絶妙な選手起用と硬軟自在の作戦、勝負の読み…。奥さまはたいへんだったろうが、「木内マジック」と呼ばれることになる名采配が磨かれたのは、長い野球漬けの日々があってこそだろう▼木内さんが八十九歳で亡くなった。取手二を率いて「桑田・清原」のPL学園を、常総学院を率いて、ダルビッシュ投手の東北を夏の甲子園決勝でくだした。劣勢の評判もはね返しての球史に残る見事な勝利は、茨城なまりの話しぶりや笑顔とともに忘れがたい▼屈指の進学校で主将を務めていた。自らの失策で敗れ、最後の夏を終えている。「母校に借りができた」と、受かった大学に行かず、教員ではない職業監督の道を歩んだ理由という▼セオリーにとらわれない采配は、「ごじゃっぺ」とも言われたそうだ。茨城弁で「めちゃくちゃ」の意味らしい▼生き方にも常識外れを感じてしまう指揮官には、褒め言葉に聞こえる。


今日の筆洗

2020年11月25日 | Weblog

 江戸当時の民衆歌謡、端唄の「猫じゃ猫じゃ」の流行は文政というから約二百年前である。歌詞が面白い。<猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが 猫が下駄履(げたは)いて絞りの浴衣でくるものか>▼恋仲の相手と密会でもしていたか。それを誰かに見とがめられ、つい「猫じゃ猫じゃ」と無理な弁解をしたが、もちろん、猫は下駄を履かないし、浴衣も着ない。事情はバレている▼「支払っていない、支払っていない」とおっしゃいますが、通らぬ弁解だったのか。安倍前首相側主催の「桜を見る会」の前夜祭の会費問題である▼都内の高級ホテルでの飲食付きのパーティー。安倍氏側は会費について、すべて参加者の自己負担と説明していたが、安倍氏側が一部を補填(ほてん)していた可能性を示すホテル側の明細書が出てきたと報じられている▼明細書によれば、ホテルへの支払額が会費の総額を上回っているという。合わぬ勘定は数百万円。事実なら、有権者への政治家の寄付行為であり、公選法に触れる▼安倍氏の公設第一秘書らが東京地検特捜部から任意で事情聴取されたと聞く。捜査を待つが、首相当時、国会で「補填したという事実は全くない」と答弁していた。時の首相が国民に平然と、「猫じゃ猫じゃ」を歌ったのだとしたら、こちらも怒声と泣き声で合いの手を入れる。<おっちょこちょいのちょい、おっちょこちょいのちょい>


今日の筆洗

2020年11月24日 | Weblog

 コメディアンの飯尾和樹さんのコントにこんなのがある。男が平日の昼間からごろごろしている。男がつぶやく。「あ〜あ〜 幕末に生まれてりゃなぁ」−▼わずかなせりふにも大笑いさせられるのはこの手の妄想に身に覚えがないわけではないからだろう。めぐり合わせた時代が悪い。もしも動乱の世に生まれていれば、ひょっとして大働きをしたかもしれぬ▼「あ〜あ〜 就活がコロナの年でなけりゃなぁ」。コントを引き合いに出すのがためらわれる深刻でまったく笑えない話である。来春卒業予定で就職を希望する大学生の内定率は前年同期比で7ポイント減の69・8%。コロナの影響で採用を控える傾向が色濃く出ている▼ただでさえ、コロナによって学生最後の年を台無しにされた就活生たちである。厳しさを増す就職戦線に「あ〜あ〜」とうめきたくもなろう▼めぐり合わせた時代と景気にどうしても振り回される新卒採用である。長い就職氷河期があったかと思えば、この間までは売り手市場。コロナによる再びの氷河期はなんとしても避けたい▼政府は経済団体に対して卒業後三年間は新卒者として扱うよう要請している。景気悪化は承知しているが、企業側にはコロナ時代に不運にもめぐり合わせた就活生への格別の配慮と情をたまわりたい。言いたくはないが、あなただって、もし不運な時代に就活していたなら…。


今日の筆洗

2020年11月22日 | Weblog

 鍋料理の季節となった。ちょっと参加を遠慮したい鍋は谷崎潤一郎と泉鏡花が囲んだ鳥鍋である。衛生に神経質だった鏡花はよく煮えてからでないと箸をつけない。谷崎の方は健たん家で食べるのがとにかく速い▼「従って(略)私が皆食べてしまい、鏡花は食べる暇がない」(谷崎『文壇昔ばなし』)。たびたび、この手を食わされた鏡花は鍋の中に仕切りを置き、これは自分が食べると主張するが、谷崎はうっかり仕切りを越えて平らげてしまう。「あっ、君それは」。鏡花の悲しげな顔が浮かんでくる▼いささかの無理を承知でたとえるのならば、鏡花はコロナ感染を強く警戒し、経済は二の次。谷崎の方は感染の心配ばかりしていては経済が回らないと考えるタイプかもしれない▼コロナ感染が急速に拡大している。感染を抑え込みたいが、経済にこれ以上、悪影響を与えたくない。このジレンマを解決する知恵がなかなか出てこない▼菅首相が「マスクをつけて静かに会食を」と訴えていた。経済のためにお店は利用して、でも警戒はして−。分からぬでもないが、落語の小言幸兵衛のせりふが浮かぶ。「あくびをしながらものを噛(か)もうったって無理なんだよ」▼忘年会シーズンの飲食業界を思えば忍びないが、鏡花の警戒を優先すべきタイミングを見失ってはならぬ。よく煮えてから経済という鍋に手をつけるしかない。


今日の筆洗

2020年11月21日 | Weblog

「失われた世代」「喪失の世代」と訳される「ロストジェネレーション」は、もともと第一次大戦の惨状を経験し、信じていた価値や希望を失ったと感じる世代を指す。近ごろ、米メディアでこの言葉をみるようになった。コロナ禍のためである。職や稼ぎに学校、そして、将来への希望も。思えば、かの国でも、たくさんの大切なものが失われた▼「居場所のない人のために書いている」と作家柳美里さんは言っている。米国の新たな「喪失の世代」にも『JR上野駅公園口』は響いたのだろう。全米図書賞の翻訳文学部門に選ばれる快挙となった▼主人公は、今の福島県南相馬市に生まれ、ホームレスとして東京・上野公園に暮らす男性である。長い出稼ぎと震災で家族との時間をはじめ多くを失ってきた。その視点から時代がえがかれる▼柳美里さんは南相馬で活動してきた。天皇家が美術館などを訪問される際、公園の住民が一時退去するのを「山狩り」というらしいが、三度取材したという。作者の体験が刻まれた作品でもある。米国の人にも響いたことであろう▼関東大震災の夜、西条八十は上野公園で一人の少年のハーモニカを聞いた。つたない演奏が家を失い落胆した人々の心を癒やすのをみて、大衆のために詩を作る決意をしている▼上野公園と南相馬で柳美里さんは、海を越えて響く大きなものを得ているようだ。


今日の筆洗

2020年11月19日 | Weblog
 幸田露伴の『五重塔』は塔の普請をめぐる二人の大工職人の話で当時の職人気質(かたぎ)がうかがえる▼手は抜かぬ。どんなに時間がかかっても丁寧に仕上げる。強いこだわりと自分がこしらえたものに対する意地と誇り。大嵐の晩。出来上がった塔は倒れまいかと寺の方では心配するが、大工は見に行こうとしない。「紙を材(き)にして仕事もせず魔術(てづま)も手抜もして居ぬ十兵衛(略)、暴風雨が怖いものでも無ければ地震が怖うもござりませぬ」▼地道な鍛錬に培われた、職人の技に名誉の日が当たる。大工や左官など、日本の木造建造物を守り伝える技術「伝統建築工匠の技」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録される運びとなった▼建造物木工、茅葺(かやぶき)、漆生産、畳製作など十七件の技術。いずれも職人たちの苦労と辛抱によって現代にまで伝えてきた技である。それが世界から認められた▼悩みも抱える。後継者不足である。封建的なにおいも残る徒弟制度によって育てられるところもある職人の技。しかられることが苦手な今どきの若者たちはその世界に及び腰にもなるのだろう▼登録によって若者が伝統建築の魅力に目を向けてくれればと願う。職人さんといえば、控えめで自慢など野暮(やぼ)と考えるような人たちなのかもしれないが、この登録に大いに胸を張り、若者に自慢したらいい。それも伝統を守る役に立つ。