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今日の筆洗

2018年10月31日 | Weblog

 【なし崩し】のもともとの意味は「借金を少しずつ返済すること」だが、現在、その意味で使う人は少なく、大半が「物事を少しずつ変えていくこと」の意味で使っている▼文化庁の「国語に関する世論調査」によると本来の意味を答えられた人は約二割。が、あまり心配はいらぬか。「小さいところからなし崩しにこわしはじめるのだな」。ゲーテの「ファウスト」に見つけた。訳は森鴎外。明治の文豪もその意味で使っている▼広辞苑の例文に「なし崩しに既成事実ができ上がる」とあったが、これもなし崩しの例として後世からけなされる憂いはないのか。外国人労働者の受け入れを拡大するための入管難民法案である▼限定的だった扉を大きく開き、数十万人単位の外国人労働者を受け入れる。一部は定住まで認めようというのだから日本の歴史の転換点にちがいないが、首相はこれをがんとして「移民」とは認めない▼移民と認めれば、保守派の反対論が強くなるという判断らしいが、鴎外の訳をまねて「入管難民法改正からなし崩しに移民政策をはじめるのだな」と言いたくもなる▼外国人の労働力は必要とはいえ、移民であることを前提にした議論も合意もなく、ごまかしながら既成事実としていく方法では国民の準備も理解も進むまい。それは外国人、日本人双方に災いの種になりはしないか。なし崩しを崩したい。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月30日 | Weblog

 米国ミネソタ州のミネアポリス郊外にアノーカという町がある。人口約二万人の小さな町だが、あることで有名になっている。「世界のハロウィーンの首都」なのである▼その理由は一九二〇年代にさかのぼる。ハロウィーンといえば仮装やいたずらが付きものだが、そのころから、若者のいたずらが急速にエスカレートし、手に負えなくなっていったそうだ。家の門を壊す。電柱を倒す。車をひっくり返す。ハロウィーン禁止論も米国中で持ち上がったそうだ▼アノーカは禁止ではなく、若者にハロウィーンの別の楽しみ方を提供することで破壊行為を食い止めたそうだ。当時はなかったパレード、仮装大会、窓辺のデコレーション・コンテストなどを企画。これが当たっていたずらは沈静化に向かった。その功もあって三七年、米国議会に「首都」と認定されたそうだ▼米国よりも約百年遅れた、東京・渋谷でのハロウィーンの情けない騒ぎか。若者らが軽トラックを横倒しにするわ、痴漢や盗撮が相次ぐわ…。嘆かわしい▼ついはめを外すというよりもこういう手合いはハロウィーンを隠れみのに悪事を働いている印象さえある。ハロウィーンでこわいのはおばけの仮装ではなく、見境を失った人間の本性の方だろう▼毎年の騒ぎをよき方向に導く知恵を見つけたい。このままでは渋谷は「首都」になる。悪いハロウィーンの。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月29日 | Weblog

 米国のスーパーのレジでもめた経験がある。問題は支払いの後で起きた。店員の質問が怪しいのだ。「プラスチック・オア・ペーパー?」(プラスチックなのか、紙なのか)▼クレジットカードをプラスチックと表現することも、あるのか。だとすれば、支払いはカードか紙幣かと尋ねているのだろう。うん? さっきカードで支払った。二重に払わせる新手の詐欺か。さもなくばアジア人への悪質な嫌がらせか。許せぬ。「プラスチック」で既に支払った旨をきっぱりと伝える▼店員はやれやれという顔でビニール製の袋と紙袋を並べる。荷物を詰めるのは「プラスチック(ビニール)の袋ですか、それとも紙の袋ですか」▼八つ当たり気味になるが、赤っ恥の背景と、廃プラスチックによる海洋汚染問題への日本の取り組みの遅れをこじつけられなくもなかろう。日本でレジ袋といえば、プラスチック製しか実質的にはなく土に返りやすい紙などの選択はほぼない▼そのレジ袋。環境省が使い捨てプラスチックの排出量の削減に向け、レジ袋の有料化を義務付ける方向を示した。やっとという感じがしないでもないが、これによってプラスチックのレジ袋をことわり、持参のバッグで持ち帰る習慣が根付けばよい▼有料化に納得できない人には、こう説得するのが効果的か。守るべきは、「プラスチックの袋か、それとも地球?」。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月28日 | Weblog

 映画監督の黒澤明さんの小学生時代のあだ名は、「こんぺと(金平糖(コンペイトー))」。<こんぺとさんはこまります いつも涙をポーロポロ>。当時そんな歌があったそうで黒澤少年はそう囃(はや)されていじめられていた▼ドッジボールでは集中的にぶつけられる。洋服は汚される。坊ちゃん刈りで、背広に半ズボンの黒澤少年の姿は他の子どもから、浮き上がり標的にされたそうだ。助けてくれたのは、四つ上のお兄さんだったそうだ。休み時間にいじめられているとどこからともなく現れて、救い出してくれる▼その悲しい数字にいじめに泣くすべての子どもにそのお兄さんがいてくれたらと詮ない空想をしてしまう。過去最多の四十一万件。全国の国公立私立の小中高校、特別支援学校が二〇一七年度に認知した、いじめの件数である▼四十一万件分の悲しみ、痛みとはどれほどか。まず、いじめられている子どもの分。大切な子へのいじめを知り、心配する親。黒澤さんのお兄さんのような兄弟、姉妹もいる。おじいちゃん、おばあちゃん…。親類やそれぞれの友人まで含めれば、途方もない数の悲しみになるだろう▼教室は閉ざされているので分かりにくい。が、泣いているのは、その子だけではない。その子につながる、たくさんの痛みを想像したい▼そして、いじめている君よ。その事実を知れば、君につながるたくさんの人も泣く。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月27日 | Weblog

 田中正造は「手紙」を手にして、天皇の馬車に向かった。明治三十四年の直訴である。取り押さえられ、目的を果たせず終わった田中に、理解者の新聞社幹部がかけた言葉が日記にある。<一太刀受けるか殺さ(れ)ねばモノニナラヌ>(『通史 足尾鉱毒事件1877-1984』)▼なぜ切られてこなかったのか。非情の言葉の裏にあるのは、命にかえても直訴状を届けたい、そうすれば世の中が変わるという彼らの思いだろう。失敗に終わったが、足尾銅山の鉱毒に苦しむ農民らの惨状を伝えた直訴を新聞が報じて、支援と同情の世論は一時、盛り上がる▼手紙は時として、世の中や政治を動かす武器となってきた。恐怖をこめるなら、悪用であろう。米国が恐怖の手紙に揺れている。封筒入りの爆発物とみられる不審物が、オバマ前大統領ら要人宛てに次々送られていた▼送り主不明だ。闇にかくれ、郵便の仕組みを利用し、恐怖を手元にまで送り届ける。けが人などないのが救いだが、卑劣な行為である。大掛かりであるのをみると、相当の覚悟を持った行為にも思える▼郵便の送り先は、トランプ大統領が批判する対象ばかりという。中間選挙が、間近だ。政治を動かそうという狙いがあるのか。敵と味方を分ける大統領の時代の出来事にもみえる▼テロに通じる発想は、「モノニナラヌ」と米国は示さなければならない。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月26日 | Weblog

 シロツメクサは江戸時代にオランダから入ってきた帰化植物だ。「ぎやまん」と呼ばれた貴重なガラス製品を傷つけないために詰めたそうだ▼名前もそこからついた文字通りの詰め物であったが、現代では英名の「クローバー」として、「幸福」の印象がまさっていよう。四つ葉を探したひとときを思い出す方もいるだろう。単なる詰め物から幸福の象徴へ、そのイメージは大きく変わっている▼同じ十九世紀には、輸出する工芸品の包み紙だった浮世絵が欧州の絵画に影響を与えている。大切なものは時に、目立たない場所で発見を待っているのかもしれない。昨日のプロ野球ドラフト会議はどうだっただろう▼豊作と言われた中で、四球団競合の根尾昂選手は、中日がくじを引き当てた。ぎやまんならぬ球界の宝は、早くもやる気をみなぎらせていた▼本当の幸運は、どこにあるかは、すぐには見えない。今年は上位にまぶしい選手が多いが、下位ですきまを埋めているように見える選手の物語も始まる。明日開幕する日本シリーズをみてみると、ソフトバンクの主力、千賀投手がいる。通常のドラフトの枠外だった。広島の抑えの柱中崎投手は六位指名でキャリアを始めている▼<踏みにじるぼくを射返せクローバー>山岸竜治。『草木花歳時記 春』に、見つけた。雑草を思わせるたくましさにも、楽しみの種をみつけたい。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月25日 | Weblog

 井伏鱒二の『山椒魚(さんしょううお)』はうかつにも川底の岩屋に閉じ込められてしまった山椒魚が主人公である。岩屋から出られなくなったのは自分の判断ミスのせいである▼二年間、岩屋の中で過ごしている間、自分の体の成長に気付かず、頭が出口につっかえて外に出られなくなった。「ああ神様!たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、この窖(あなぐら)に私を閉じ込めてしまうとは横暴であります」▼あの山椒魚には幸福な結末を予感しなかったが、三年間、テロリストによって、とらわれの身となっていた人の朗報である。フリージャーナリストの安田純平さん。解放されたとの情報が政府によって発表された。本人はもちろん、家族の喜びはいかばかりか。心配で眠れぬ夜が続いていたはずである。良かった▼事件に関してジャーナリストとはいえ、行くなと言われた危険な地域へ赴き、悪者に拘束されたのは自分の責任だろうという意見があることは承知している▼理解できぬわけではない。が、その声はやはり、あの山椒魚に「あきらめなさい」とただ背を向けるに等しかろう。言葉を借りれば命の重さに見合わぬ「横暴」の部類である。自分や家族が岩屋の山椒魚になった時、同じことが言える自信は誰にもなかろう▼助けを求めていた人の命が救われた。救おうと取り組んだ人がいる。その事実を今はかみしめたい。

 
 

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2018年10月24日 | Weblog

 締め切りが迫っているのにまったくアイデアが浮かばない。作家にとっては冷や汗ものの状況であろう。なんとしても、原稿用紙のマス目を埋めなければならない▼とにかく行数を増やすための方法にこんなのがあるそうだ。作品の中に兵隊を描く。整列させ、点呼を取る。「一」「二」「三」「四」…。そのたびに改行する。十人の兵隊がいれば、これだけで十行。もっと増やしたければ、「もう一度!」と書けばよい▼武者小路実篤の「秘技」と聞いたことがあるが、真偽のほどはよく分からぬ。「先生、かんべんして」という編集者の声が聞こえてきそうだが、これに比べれば、作家の「点呼」がかわいく思えてくる、中央省庁による障害者雇用の水増しである▼障害者をきちんと雇用しているという体裁のためだろう。対象外の職員三千七百人を不正に計上していた。その分、本来、雇用されるべきだった方がいる。それが単なる水増しではなく、障害者の心まで傷つける行為だとなぜ誰も気がつかなかったか▼調査報告書によれば、在職していない人、視力の弱い人に加え、既に亡くなっていた人まで障害者としてカウントしていたという▼国の機関の法的雇用率2・3%の数合わせのために、この世になき人まで動員していたとはでたらめな「点呼」が過ぎる。猛省と厳格な対応を。「もう一度!」など断じて許されぬ。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月22日 | Weblog

 「助(すけ)っ人(と)」という言葉を字引で見れば「加勢する人」「助ける人」であって喧嘩(けんか)や果たし合いの当事者そのものではない。あくまで第三者、部外者ながら助ける人である▼股旅もので雇われた渡世人が「あんたには恨みはないが、これも浮世の義理…」と切りかかっていく場面がよくあるが、助っ人は雇われているだけで恨みも戦わねばならぬ理由もあまりない▼日本のプロ野球の外国人選手に対し「助っ人」という呼び方をしばしば使った時代があった。かなり失礼で外国人選手が本来の意味を知れば、ショックを受けただろう。よそよそしい「助っ人」なる言葉とは無縁の名投手が亡くなった。南海などで活躍したジョー・スタンカさん。八十七歳▼一九六四(昭和三十九)年のシーズンに二十六勝をマークし、リーグ優勝の立役者となる。阪神との日本シリーズでは今では考えられぬ三完封勝利。南海に日本一をもたらし、鶴岡一人監督の次に胴上げされている▼チームのためならば連投をいとわぬ心意気。「スタンカは日本人の心を持っている」とは鶴岡監督の当時の言葉である▼六一年、巨人との日本シリーズでは明暗を分けたボール判定をめぐって円城寺満球審にかみついた。<円城寺あれがボールか秋の空>。どなたがつくったか知らぬが、当時の句。「助っ人」ではないから、その投手の不運が切なかったのだろう。

 
 

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今日の筆洗

2018年10月21日 | Weblog

 作家のねじめ正一さんがテレビの思い出を書いている。幼い時、父親がなかなかテレビを買ってくれなかったそうだ▼しかたなく自分で作った。古い茶だんすを改造して、紙のチャンネルを張り、テレビだと思い込むようにした。話はこれで終わらぬ。つい学校で「テレビを買った」と言ってしまう。見せてとせがまれるが、当然、見せられない。「親戚が来ている」「家に来たとたん故障しちゃった」「テレビを見せると家の人に叱られる」…。苦しい言い訳の日々となってしまった▼「総領事館で口論となった」「殴り合いになり、相手は死んでしまった」。子どもでも口にするのをためらう不自然な言い訳としか聞こえぬ。サウジアラビア政府を批判してきた記者カショギさんの殺害疑惑である▼国際社会の批判を受け、サウジ政府は記者の死亡をやっと認めた。が、殺害ではなく、けんかの果ての死亡という筋書きは到底信じられまい。その説明では殺害を示しているとされる音声記録の説明がつかないし、そもそも遺体さえまだ見つかっていない▼記者拘束を指示したとうわさされたサウジの皇太子におとがめはなく、皇太子側近ら五人が更迭され、その責めを負っている▼真相解明は遠い。事実は隠され、権力者だけは守られる。これこそが「言論弾圧」の実態なのだと、その記者が今、大声で訴えている気がしてならぬ。

 
 

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