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今日の筆洗

2021年09月30日 | Weblog
英国のチャーチル元首相が人の心を射止める方法を教えている。第一は「ほほ笑もう」。第二は「自然でリラックスした態度」だそうだ▼福沢諭吉の「学問のすゝめ」にも似た教えがある。福沢先生によれば人の顔は「門戸」。人を集めるには門戸を「とにかくに寄りつきを好(よ)くする」ことが大切で「苦虫を噛(か)み潰(つぶ)して熊の胆(い)をすすりたる」という顔であってはならぬという▼二人に顔だけで選ばせたら決選投票では岸田さんに入れたか。自民党総裁選。岸田さんが河野さんを破って当選した。本命だった河野さんの敗因は議員票での不振と党員票で岸田さんに大差をつけられなかったことか▼討論会などを見れば、さすがは異端児、河野さんの存在感は大きかった。弁も立つのだが「苦虫を…」とは言わぬまでもその自信にあふれた顔や態度はややもすれば独善的、攻撃的にも映る。これでは議員票は伸びまい▼岸田さんも笑う方ではない。が、表情は穏やかで激するようなところは少ない。おどおどとは失礼だが、慎重なもの言いもかえって国民が今の自民党に求める「人の意見を聞く耳」を持っている印象を強めたかもしれぬ▼岸田さんは国民の声に耳を澄ますとおっしゃった。国民への利益分配に力点を置く経済政策にも期待する。もっとも失敗すれば、その穏やかさも「優柔不断」や「指導力ゼロ」の悪評にたちまち変わる。
 

 


今日の筆洗

2021年09月29日 | Weblog
<流れくる障子洗ひのたはしかな>。吉岡禅寺洞(ぜんじどう)の句だが、さて季語は何か。今の生活様式からは分かりにくいか。「障子洗う」がそうで、仲秋の季語である▼ややこしいが「障子」は冬の季語だそうだ。障子を季節によって片付けるお宅は今はなかろうが、かつて障子は冬のもの。春から夏は取り外していた。それを冬が来る前に洗い、はり直すので「障子洗う」や「障子貼る」は秋の季語となる。いずれも、夏井いつきさんの「絶滅寸前季語辞典」(ちくま文庫)に入っていた▼十九都道府県に発令されていた新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が三十日で解除される。東京に四度目の宣言が出たのは七月十二日。長かった。解除にほっとするが、忘れてならぬのは感染拡大の次の大波をにらんだ「障子洗う」の用意だろう▼縁起でもないと叱られるか。なれど規模はともかく、第六波は避けられまい。とすれば今を第五波が通り過ぎた時期ではなく第六波が来る前のつかの間の時期と考えるべきなのかもしれぬ▼経済も大切だが、宣言解除に浮足立ち、さっそく酒宴だ、旅行だというわけにもいくまい。あわててかつての日常を取り戻そうとすれば、第六波の襲来は早まるだろう▼行政においては十分でないことがはっきりした医療提供体制を急ぎ見直して次の波に備えたい。障子が必要となる「冬」は存外と近くにいる。
 

 


今日の筆洗

2021年09月28日 | Weblog
十月も近いが、この夏の花はまだ、咲いている。漢字で書けば「百日紅」のサルスベリである。実際に百日も咲き続けるのかは知らぬが、夏の暑い盛りが似合う花が朝晩は少しひんやりもする今もがんばっている▼花の色は夏ほど鮮やかではない。心なしか紅の色がくすんでいるようにも見える。散り際の潔さをよしとする日本人好みのサクラとは違うが、サルスベリにはなんとしても咲き続けようとする「意地」のようなものがある▼通算勝利は歴代最多の千百八十七勝。「1187(イイハナ)」と覚えるか。つまらない語呂合わせと勝利の花を長く咲かせ続けようとする姿にサルスベリを重ねたくなった。大相撲の第六十九代横綱・白鵬。引退を決意したという▼幕内優勝回数は大鵬の三十二回を大きく上回る四十五回。横綱在位場所数は八十四場所。数字を挙げるまでもなく最強の横綱だった▼なるほど強くとも日本人好みの横綱ではなかったかもしれぬ。土俵上の態度やかちあげなどらしからぬ取り口に眉をひそめる向きもあったが、裏を返せば、これほど勝利にこだわった横綱もなかろう。なおも咲こうとしたが痛む右膝がそれを許さなかったか。無念であろう▼<世の中やひとり花咲く百日紅>正岡子規。勝負にこだわるあまり世間に背を向けたようなところもあったが、土俵を去ると聞けば寂しい。意地の花であった。
 

 


今日の筆洗

2021年09月27日 | Weblog
作家の半藤一利さんは子どものとき、相当のがき大将だったそうだ。けんかのとき、こんな言葉を使ったという。「この野郎、ようちょうしてやる」▼はて「ようちょう」とは。調べれば漢字は「膺懲」。懲らしめるという意味である。こんな難しい言葉を子どもの時から使ったとはさすがは半藤さんと言いたくなるが、そうではなさそうだ。実は当時の流行語で、子どもにまで広がっていた。もとは「暴支膺懲」。中国を懲らしめるという日中戦争当時のスローガンである▼特異な時代はいやでも特異な言葉を定着させるものなのだろう。文化庁の調査によると「不要不急」「3密」「ステイホーム」など新型コロナウイルスに関連して使われる言葉について尋ねたところ六割以上が「そのまま使うのがいい」と回答したそうだ▼少し分かりにくいが、説明なしでもその言葉を理解できるということなのだろう。それほど、これらの言葉は世の中に浸透した▼コロナ禍での生活も長期に及び、国や自治体が連日のように呼びかけた言葉が定着するのは当然のことでかつてなら耳慣れなかった「ソーシャルディスタンス」や「人流」も今はあたりまえに使っている。鼻まで覆わぬ「鼻出しマスク」。これなんぞ、以前なら意味に戸惑う言葉だろう▼「膺懲」が消えたように、「コロナ言葉」を使わなくて済む日々が早くやって来ないか。
 

 


今日の筆洗

2021年09月26日 | Weblog

 <丸い玉子も切りようで四角/ものも言いようで角が立つ>−。有名な都々逸だろう。同じ文句は明治の終わりに流行した端唄「東雲(しののめ)節」の中にも出てくる▼英語で四角形を「QUADRILATERAL」というが、この四角形をどう丸く見せるかという話なのだろう。日本と米国、オーストラリア、インドの四カ国の協力枠組み「クアッド(QUAD)」である▼ワシントンでの首脳会合で四カ国は新型コロナウイルス、気候変動対策などの分野での協力を確認した。この四角形でインド太平洋地域での野心的な動きを強める中国に対抗していく狙いがあるが、中国を過度に刺激するのも得策ではなく、今回の首脳会合では非安保分野での協力を強調した内容になった。中国に四角を丸く見せているのだろう▼もっとも、中国が納得するはずもなく、強く反発している。過熱する米中のにらみ合い。クアッドの一角となった日本もそこに巻き込まれていくことになるのか▼四角形からの連想だろう。英語の「QUAD」は妙な意味の俗語としても使われる。刑務所だそうだ▼中国の封じ込めも念頭にある枠組みにその名がふさわしいかはともかく間違いないのは、わが国はその中に身を置き、巻き込まれ、そこから出られぬということか。日米関係は外交安保の基軸であり、中国けん制の必要性は理解するとしても息苦しさは残る。


今日の筆洗

2021年09月25日 | Weblog
 仲の悪い者同士であっても、そこに乗り合わせれば、力を合わせる場になる。古代中国の舟には、そんなイメージがあったのだろう▼「同舟共済」「同舟相救(あいすく)う」といった言葉が、今に伝わっている。反目する春秋戦国時代の呉、越の国の人が助け合うのを例えて、有名な「呉越同舟」の語になった。楚の国も入れて「楚越同舟」というのもあるらしい▼そんな舟が今もあればいいが、目の前にあるのは助け合いを想像するのが難しそうな「同舟」である。仲が良くないはずの中国と台湾が同時期に乗りたいと声を上げたのが、日本などが参加する環太平洋連携協定。TPPという名の大きな船である。「中台同舟」の実現は遠そうに思えるが、ことはどうも荒れ模様だ▼米国の不参加を見て、加盟を申請した中国の一手が呼んだ波乱である。中国包囲網を意識したはずの協定に、もし中国が加わって、主導的な役割を演じることになれば、TPPの性格はもくろみから大きく変わってしまう▼さまざまな流儀が異なる国でもある。とはいえ世界で二番目の経済大国の加盟に期待する声が高まる可能性もあろう。遅れまいと申請を急いだ台湾に対し、中国はすかさず反対の姿勢を示した。対立の場になっているようだ▼米国を呼び戻すのがいいように思えるが、うまくいくだろうか。穏やかでない、相救うはずの協定の行く手である。
 

 


今日の筆洗

2021年09月24日 | Weblog
まぶしい太陽とカリブの美しい海、大物にしなる釣りざおに…。「ハバナ症候群」という言葉を初めて見た時、つい思い浮かべたのはそんな絵である。文豪ヘミングウェーもどっぷりと浸った楽園のようなハバナに、憧れてしかたのない人々の気持ちを“症状”と見ての言葉かと、不謹慎にも思った。失礼な話である▼実際は不気味で不可解な症候群であった。五年ほど前から、米国の外交官や政府の関係者らが、世界のさまざまな場所で襲われる原因不明のひどい頭痛や聴覚障害、めまいなどを言うそうだ。キューバの首都ハバナの大使館員らが訴えたのが、呼び名の由来らしい▼命にはかかわっていないようで、あまり大きくならないが、米国発のニュースに、たびたび登場している▼最近も相次いだ。米メディアによると先月、ハリス副大統領の東南アジア歴訪の際、随行のメンバーの体調が悪くなったという。今月は、インドでも疑われる例があった▼報告は百件を大きく超えている。いっそう気味悪いのが外国による謀略、攻撃の説だ。「マイクロ波」で頭を狙う武器が存在するという。冷戦期にソ連が開発していたとも報じられていた▼敵が多い大国の事情が不安を大きくしているかもしれない。攻撃であるとすれば、文豪の時代から潜在的にある恐怖心を突いているか。楽園と反対の殺伐とした世界の一断面にも見える。
 

 


今日の筆洗

2021年09月23日 | Weblog
東京都杉並区のある緑地には都会には珍しいオオタカがやって来る。近所の方だろうか。いつも、けっこうな人が集まり、ヒマラヤ杉の上にいるオオタカにカメラを向けていらっしゃる▼知らずに初めてここを通り掛かったときはぎょっとした。たくさんの方が息を殺し一方向を見上げている。どなたも、オオタカに遠慮し、声をひそめ、歩くときもそろりそろり。都会の猛禽(もうきん)類を「宝物」のように扱っている▼ここのオオタカには縁のない話かもしれないが、猛禽類を含む野生鳥類には朗報といえるだろう。環境省は二〇二五年度から狩猟用鉛弾の使用を段階的に制限していく方針を打ち出した▼鳥の鉛中毒を根絶するための方策だそうだ。ハンターが撃ったシカなどが森に放置されるとオオワシなどの猛禽類がやって来て、その肉を食べてしまう。肉だけなら問題はなかろうが、肉に残った鉛の弾や破片を一緒に食べてしまい、鉛中毒となってしまうらしい。絶滅危惧種のオオワシやオジロワシなどがその犠牲になっている▼北海道では既にライフル銃の鉛弾使用は禁止されているが、これを全国に広げ、三〇年度に鳥類の鉛中毒をゼロにするという。歓迎すべき取り組みだろう▼<鉛は刀と為(な)すべからず>。弱い鉛は刀には不向きというが、弾も為すべからずなのだろう。人間の都合で絶滅寸前の「宝物」を傷つけたくはない。
 

 


今日の筆洗

2021年09月22日 | Weblog
映画の終わりに主人公が物語のその後にどうなったかが字幕で説明されることがある。たとえば米青春映画の「アメリカン・グラフィティ」▼ある者は交通事故で死亡し、もう一人は行方不明と説明が出る。物語の中で輝いた若者たちに暗い未来が訪れることを知らされ、見ている方はため息をつき、青春のはかなさを思う▼一九九四年のルワンダ虐殺を描く「ホテル・ルワンダ」(二〇〇四年)。やはり映画の最後に人々のために奔走した実在のホテル支配人の「その後」が紹介される。妻子とルワンダを離れ、「現在ベルギーで暮らしている」−。その説明に胸をなでおろしたものだが、まだ物語は終わっていなかったようだ▼映画のモデルとなった、元ホテル支配人のポール・ルセサバギナ氏。六十七歳。二十日、ルワンダの裁判所は同氏に対し、テロ組織に関与したとして禁錮二十五年の有罪判決を言い渡した▼判決ではテロ組織を創設し経済的支援も行っていたという。八十万人以上が犠牲になったとされる少数民族ツチらに対する虐殺の中で、難民らをホテルにかくまい、千二百六十八人の命を救った「英雄」とその判決がうまく重ならない▼現政権に批判的だったことから、政治的な見せしめにされたという見方も出ている。ルワンダにはだまされて連行されたとも伝わる。知りたいのは事実と英雄の「この後」である。
 

 


今日の筆洗

2021年09月21日 | Weblog
<常識っていうやつと おさらばしたときに 自由という名の切符が手にはいる>−。半世紀ほど前のあるCM曲の歌い出しだが、何の曲か、お分かりだろうか。自慢にもならぬが、テレビっ子だったので今も歌える▼曲は「ハッピーじゃないか」(作詞・阿久悠、作曲・小林亜星)。このほど、発売五十年を迎えた世界初のカップ麺「カップヌードル」のCM曲である▼初めて口にした印象を覚えている人もいるだろう。「値段の割には…」という声もあったのを覚えているが、何よりも手軽さが受けた。一九七一年の発売以来の世界累計販売数は約五百億食とはおそれいる▼歌詞を読めば、若者にターゲットを置いていたのが分かる。即席ラーメンといえば、少々わびしい生活を連想させるところもあったが、カップヌードルが売ろうとしていたのは常識とおさらばした新しさなのだろう▼当初、食べ歩きができることをずいぶんと強調していたが、これも若者を呼び込む狙いだったのだろう。ヌードルという呼び方、付属していたプラスチック製の小さなフォークがなにやら新しい時代の到来を感じさせたとは大げさか▼食べ歩きこそ普及しなかったが、「非常識」と新しさで売った商品は半世紀を経て世界の「常識」となったといえるだろう。災害時などにも強みがある。一つのそれが手元にあるだけでどんなに心強いことか。