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今日の筆洗

2017年10月31日 | Weblog

 木守(きも)り柿とは、木の梢(こずえ)に一つだけ、あえて取らず残しておく柿の実のことである。残し柿ともいう。木枯らしに揺れる柿の実一つとは、寂しい風景にも映る▼こんな意味があるそうだ。一つは来年もまた柿がなりますようにという願いや感謝の気持ち。もう一つはおなかをすかせた野鳥への「おすそ分け」なのだそうだ。自然に対し「分け前」を用意したのか。いわれを聞けば、寒々しい柿の風景が温かい▼木守り柿とは無縁な考え方に木枯らし1号がひどく身にしみる。自民党が国会での野党の質問時間を削減し、その分、与党の質問時間を増やすことを検討しているという。総選挙での大勝で「鳥に分け前をやる必要はない」とでも考えているのだとしたら、与党のおおらかさも気概も感じない話である▼政府と与党が事実上一体化している現状を考えれば、その見直しは身内の政府に温かい目を増やし、野党の厳しい目を減らすことに他ならぬ▼たとえは悪いが、縁故入社の面接試験のようなもので、国会全体の行政、法案に対するチェック力を弱めるだろう。野党の耳の痛い質問時間はもいではならぬ民主主義を守る柿である▼自民党のためでもある。「総理、ご苦労さまです」のゴマスリ質問ばかりとなれば、自民党議員の評判、印象にも障る。それにである。政界は一寸先は闇。野党に転落した場合のことも少しは…。


今日の筆洗

2017年10月30日 | Weblog

『兎(うさぎ)の眼』『太陽の子』などの作家、灰谷健次郎さんの小学校教員時代は今の感覚からすれば、相当、風変わりである。たとえば、入学式の服装。上着は着ているが、下はTシャツで、ネクタイは締めない▼「その服装はなんですか」。教頭に注意された。灰谷先生はこう反論したそうだ。「この日のために、パンツもシャツも全部新しくしてきました。ネクタイをする、しないのかにどんな意味があるのか」。『いのちの旅人 評伝・灰谷健次郎』(新海均・河出書房新社)にあった。本気と本音で、子どもにぶつかった人の逸話である▼これも格好ではなく、本気と本音でぶつかり合わねばならぬ数字である。三十二万三千八百八件。昨年度の全国の国公私立小中高、特別支援学校でのいじめの認知件数である。前年度より約四割増。あまりの多さにため息が出る▼軽微な内容も、いじめとして把握する文部科学省の方針による急増という。ならばその数字は「絶望」ばかりではないかもしれない▼無論、いじめの急増は歓迎できぬが、増えた数字はどんなに軽微なものも、いじめとして見逃さぬという決意の表れでもあろう。見えにくい実態にわずかとはいえ、近づいたと信じたい▼いじめを少なく見せ掛けるネクタイを締めた数字はいらぬ。約三十二万。本当の数字をかみしめ、一件でも減らしていきたい。ここからである。


今日の筆洗

2017年10月29日 | Weblog

 夏の日。花柄のワンピースを着た女の子がお母さんと手をつないで歩いている。「僕」が追い抜こうとすると、女の子が大きな声で言った。「あのね私、お母さん大好きよ」-。「そしてお父さんもね」▼お母さんはちょっと恥ずかしかったのか小さな声で、でも、つないだ手を大きく振って答える。「ありがとう」。見ていた「僕」は入道雲を見上げて、故郷のお母さんにつぶやく。「ありがとう」「そしてお父さんもね」▼「地下鉄の駅へと急ぐ夏」。短い歌でその歌い手の代表曲ではないかもしれぬ。が、その人が紡ぎ続けてきたのは、そういう小さな日常と、その裏側にある人の心や「物語」であろう。遠藤賢司さんが亡くなった。七十歳。<頑張れよなんて言うんじゃないよ>(「不滅の男」)。そう叫んだ人のがんによる死が寂しい▼心の中の抑えきれぬ感情が歌とともに、ひょっとしたら歌さえ飛び越え、体の外へとあふれでてしまう。そういう歌い手だった▼人の悲しみ、やるせなさを深く理解し増幅させる装置が心の中にあり、それを声とギターでしぼりだす。声の震え、かすれる叫び。ぶっきらぼうでもそれが誰もが抱える痛みをなで、時にひっぱたいた。今の時代にこそ聴きたい声であった▼<そんな夜に負けるな友よ夢よ叫べ>(「夢よ叫べ」)。さらば、エンケン。でも、<どうしたんだよ、あの夢は>。

夢よ叫べ / 遠藤賢司



今日の筆洗

2017年10月28日 | Weblog

『文学効能事典』(E・バーサドほか著)は、病や悩みに効く古今東西の小説を紹介する案内書だ▼たとえば、憎しみを感じるときの特効薬はオーウェルの『一九八四年』で、恋愛ができなくなったときに効くのは村上春樹著『1Q84』。なるほど…と思わせるが、歯痛に効くのはトルストイの『アンナ・カレーニナ』で、花粉症にはヴェルヌの『海底二万里』が効くというのだから、ユニークな処方箋だ▼ではこの病に効くのは、どういう「薬」か。政府の調査で、二〇一六年度に把握された学校でのいじめが、過去最多の三十二万件だったと分かった。いったい、いじめる子、そして、いじめを見て見ぬふりをしていた子の数はどれほどになるのか▼『文学効能事典』は「人をいじめてしまうとき」の薬として、エイジー著『家族のなかの死』を挙げているが、入手困難。かわりに処方したいのが、吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』だ▼主人公は、いじめを見て見ぬふりをした自分、理不尽な暴力に足がすくんでしまった自分の弱さに悩み、発熱して寝込んでしまう。その枕元でお母さんが語る言葉は、まさに特効薬だ▼八十年前、「右へ倣え」の全体主義の時代に、自分の頭で考える大切さを説いたこの名作は最近、漫画(マガジンハウス)にもなり、大いに売れているという。時代が求める「読む薬」なのだろう。


今日の筆洗

2017年10月27日 | Weblog

 プロ野球の伝説の左腕・江夏豊さんは、高卒後は大学に進むつもりだった。本当に自分がプロで通用するのか、自信が持てなかったからだという▼ドラフト会議で阪神から一位指名されても、進学の意思は固かった。温和な人柄で「仏のカワさん」と慕われた名スカウト・河西俊雄さんから「ワシは君のことを高校一年のときから見とったよ」と言われて気持ちは揺らいだが、それでも、うんと言わなかった▼すると今度は、強面(こわもて)の球団幹部から呼び出されて、言われた。「ワシは個人的にお前を欲しいとは思わん。戦力にもならんと思っとる」。激怒した江夏さんは、「何だ、それじゃプロでやってやろうやないか」。仏と鬼の連係プレーである(澤宮優著『ひとを見抜く』)▼プロの狭き門をくぐり抜けても、成功するのは、ほんの一握り。それこそ、仏もいれば鬼もいる。きのうのドラフト会議で指名された選手たちは、高揚感とともに、不安も感じていることだろう▼高校生や親は入団交渉に臨むと、こういうひと言を聞きたがるという。「君なら、この子なら、プロでやっていけます」。しかし「仏のカワさん」はあえて、こう言ったそうだ。「高校出たばかりで、プロでやれる自信なんて、過信ですわ。要は君の努力次第なんや」▼「それならば、やってやろうか」。そう言える選手だけが、成功する世界なのだろう。


今日の筆洗

2017年10月26日 | Weblog

 ソ連でスターリンへの個人崇拝が盛んだったころ、人々は彼を称賛するプラカードを手に集会に参加した。ある老人が書いたのは、こんなひと言。「同志スターリンに感謝! あなたのおかげで我々の子どものころは、とても幸せでした」▼それを見た共産党の役員がとがめた。「おい、あんたが子どものころは、同志スターリンはまだ生まれてもいなかったじゃないか」。老人はにやりと笑い、「まったく、その通りで」▼個人崇拝を皮肉った古い政治小噺(こばなし)を思い出させるのが、今の中国だ。五年に一度の中国共産党大会では、毛沢東、〓小平の指導理念と並び、「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」との看板が掲げられた▼とはいえ、「政権は銃口から生まれる」と革命戦争を闘った毛氏や、「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕るのが良い猫だ」と改革・開放を進めた〓氏と肩を並べるほどの理念とはいかなるものか、「習思想」とは…と現地からの報道を読んでも、さっぱり分からぬ。要するに、理念なき「強国」路線を個人崇拝の看板で飾ったものらしい▼冷戦時代、社会主義国では、皮肉たっぷりの、こんな言葉も生まれた。<資本主義は腐っている! だが、何といい匂いがするのだろう>▼「習近平の新時代の社会主義」から漂うのは、どんな匂いか。個人崇拝のかび臭さか、「強国」のきな臭さか。


今日の筆洗

2017年10月25日 | Weblog

 アンデルセンの「裸の王様」の物語の核心部分は、その服が「愚か者には見えない布」でできていることだろう。無論、こずるい仕立屋の作戦なのだが、王様も家来も、愚か者と思われたくない一心で服が見えるふりをし続け、結句、正直な子どもに「王様は裸だ」と笑われる▼アンデルセンの仕立屋はうそつきだったが、これは正真正銘、身どもごときの愚かな人間には見えぬ布で仕立てられているのであるまいか。景気である▼きのうの東京株式市場。日経平均株価は、十六営業日連続の上昇で、高度成長期やバブル経済期の記録を抜いて、過去最長をさらに伸ばした。景気拡大は二〇一二年十二月以降続いており、その期間は、高度成長期の「いざなぎ景気」(一九六五~七〇年)に並び、超える勢いという。八月の有効求人倍率は一・五二倍。バブル期ピークを上回っている▼マクロ経済指標はこれで景気が良いと判断しないのは「愚か者」といわんばかりの良い数字が並ぶのではあるが、世の中に好景気の姿がどうにも見えぬ。触れぬ。「幽霊景気」と呼びたくなる▼上がらぬ給料、増えぬ可処分所得が景気拡大を実感させぬ最大の理由であることは明白である。幽霊を明確に浮かび上がらせる策がほしい▼景色の景に空気の気。見え、感じられて初めて景気であろう。そのうち、正直な子どもが笑いださぬか心配する。


今日の筆洗

2017年10月24日 | Weblog

 ソプラノの美声に恵まれた十一歳の英国の少年は聖歌隊の一員に選ばれた。ソプラノは花形で授業も一部免除され、エリザベス女王の前で、歌声を披露する名誉にも与(あずか)った▼悲劇は二年後である。指揮者が聖歌隊から排除した。理由は変声期。免除されたはずの授業を下の学年でやり直せと言われた。少年は荒れ狂った。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズの幼き日。学校、あらゆる権威を疑うようになったと書いている▼理において声の出ぬソプラノに用はない。それは分かる。されど情においては酷である。こっちの排除も分からぬわけではないのだ。希望の党。民進党離党者に改憲などで一致しなければ公認しないという「排除の論理」が失速の引き金となった▼政党である以上、政策、主張の一致を見たい。当然である。それでも「排除する」に世間の情が反発したのは、か弱き者や少数意見が排除され、無視されやすい時代と無関係ではあるまいと想像する▼だれ一人排除しない。見捨てぬ。そういう心優しき政治を恋うておるのに「排除する」の一言に、希望の名にし負う包容力も温かさも感じられなかったのだろう▼排除されかかった人で結成した立憲民主党が野党第一党になった。「おきざり」の痛みを分かってくれまいか。そんな期待と見る。世の中に不満を感じるとストーンズを聴きたくなるものだ。