不幸な過去を背負った青年が飲食店経営の夢を目指す。最初の店はどこで開くか。青年はある街に魅了される。通りにあふれる自由な空気と活気。韓国ドラマ『梨泰院(イテウォン)クラス』である▼日本人にもなじみのある地名に胸を痛めている人も多いだろう。ソウル中心部にある人気の繁華街、梨泰院でハロウィーンを楽しんでいた群衆が折り重なるように倒れ、大勢の方が亡くなった▼若者が酒をくみ交わし、騒ぐ陽気な街。息抜きの場でもあったのだろう。その梨泰院が一瞬にして悲劇の街となってしまったのか。犠牲者の大半が若者たちだったと聞く。やりきれない▼いわゆる「群衆雪崩」が起きたらしい。狭い場所や通路に大勢の人が殺到した場合、ささいなことが原因となって、人を次々となぎ倒してしまう▼現場は坂になっている。思い出すのは青年が夢をかなえ成功する、あの韓国ドラマの方ではなく、襲ってくる兵隊におびえた群衆がわれ先にと階段を駆け降りていく、映画『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段の場面か。殺到する人の波にのまれ、倒されては身動きはおろか呼吸さえ難しくなる▼居酒屋にいた有名人を見ようとして人が殺到したとも伝えられるが、雑踏警備や普段からの安全対策は十分だったのだろうか。検証と再発防止が必要である。若者を魅了する夢の街を若者の命を奪う街に二度と、変えたくない。
簡単に出口が分からないように造られた迷宮といえば、ギリシャ神話のそれが有名。クレタ島のミノス王が牛頭人身の怪物を迷宮に閉じ込めた。道路が入り組んでいて、出てこられない▼別の王の息子テセウスが黒い帆の船に乗ってクレタ島に怪物退治に赴くが、現地のミノス王の娘が彼に心ひかれ、迷宮に入る前に糸巻きを渡す。テセウスは教えられた通り、糸の端を扉に結んで迷宮を奥に進み、中庭のような場所で怪物を仕留め、糸を手繰って迷宮の外へ出たという(串田孫一著『ギリシア神話』)▼難航し迷宮入りしたともささやかれた事件の捜査が急展開した。京都で二〇一三年十二月、「餃子の王将」を展開する会社の社長が射殺された事件で、殺人などの容疑で暴力団幹部が逮捕された。予断は禁物だが、捜査は迷宮を抜け出せるのだろうか▼現場付近で見つかったたばこの吸い殻のDNA型が、容疑者のものと一致したというが、被害者と容疑者の接点など分かっていないことは多い。全容解明はまだ先だろう▼迷宮を出たテセウスは船で帰路についたが、怪物を退治したなら白い帆を掲げるという父との約束を忘れた。待っていた父は、海に見えた船の帆が行きと同じ黒色であることに落胆し海岸の崖から身投げ。テセウスは父の死を悔しがったという▼迷宮を脱したと思って気を緩めるな、という戒めとも読める。
秦の始皇帝の死後、実権を握った趙高が二世皇帝にある動物を献上した話は有名だろう。贈ったのはシカ。しかし趙高はウマでございますという▼驚いた皇帝は居並ぶ臣の顔を見るも趙高の権力を恐れ、皆、黙っているか、「ウマでございます」。「シカ」という人物もいたが、後日、趙高によって処刑された▼「ウマです」「シカなんて冗談ではありません」と言ってくれる忠実な人物を集めたようだ。中国の習近平総書記の三期目政権が発足した。最高指導部の政治局常務委員七人の顔触れを見れば、習氏に対する忠誠心が厚い側近が並ぶ。中には能力を疑問視される人物も▼習氏と距離のあるメンバーは軒並み、排除された。集団指導体制は改められ、習氏の個人独裁体制が完成したと言っていいだろう。中国の時計は毛沢東を絶対視した時代に戻るのか▼独裁の利点を強いて挙げれば、スピードだろう。議論の必要な民主主義よりはるかに早く政策を実行できる。習氏としては独裁体制で米国をにらみ「強国」への道を急ぎたいのだろう。問題は「シカ」。独裁者に異を唱えることや正しい情報を伝えることが難しくなる。それは間違った判断につながる危険がある▼無論、独裁は不満がたまりやすい。経済が好調なら人びとも目をつむるだろうが、万が一…。四期目もという予想が出ている。その「馬券」はまだ買いにくい。
ザ・ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』は昭和の人気番組。放送開始から間もなく、加藤茶さんが交通事故を起こし、出演を見合わせた▼コントでリーダーのいかりや長介さんからいびられながら、笑いをとる加藤さんの役柄を誰が代行するのか。反抗的な個性で売る荒井注さんやボーッとした高木ブーさんでは難しい。本来は「いかりやさんの言う通り」と追従する役柄の仲本工事さんに任すとファンの心をつかみ、加藤さんの復帰まで視聴率を維持した▼いかりやさんは「やりゃあ出来るヤツなんだ。めったなことではやる気になってくれなかったが」と生前、著書で評した。ほめ言葉と思える。我の強い者ばかりではチームは困る▼仲本さんの訃報に接した。荒井さんの後継志村けんさんら人気者の脇を固め、体操のコントでは美技を見せた▼映画でも活躍。文春オンラインの取材に俳優業を語っていた。「全体を見回して出演者の中で自分のできることを見つけるんですよ。(中略)相手が早口だったら遅く言うとか、違う言い回しをしたりしてね。そうやってるうちに、自分のポジションもおのずと決まってくるんです」。この人らしい流儀である▼荒井さん、いかりやさん、志村さんを追っての旅立ち。天上の宴(うたげ)で個性の強い二人を相手にしてきたリーダーは歓迎しているだろうが、見送る昭和生まれはやはり寂しい。