グリム童話の「二人の兄弟」に狩人がドラゴンを退治する場面がある▼ドラゴンを退治した者がお姫さまと結婚できるのだが、大切なのは退治の証拠。ドラゴンの舌を切り取り、持ち帰らなければならない▼派閥という巨大なドラゴンを倒すと意気込んで、山へ出かけていった岸田さんという名の狩人。どうやら派閥解消の証拠となる「舌」は持ち帰れなかったようである。自民党の「政治刷新本部」がまとめた政治改革の中間取りまとめ案。派閥の全面解消は明記されなかった▼派閥から「カネと人事」を排除する方針は示している。政治資金パーティーを禁止し、所属議員への手当支給も廃止。閣僚人事などでの推薦もしないという。ある程度、踏み込んだとはいえ、派閥の今後については「政策集団」として生き残る道を残している。派閥全面解消という「舌」を待っていた国民にはこれではわずかばかりのウロコを取ってきた程度にしか見えないだろう▼過去にもドラゴンに挑んだ自民党だが、多少打撃は与えても結局はドラゴンは息を吹き返してきた。「カネと人事」と決別するといっても派閥にとどめを刺さない限り、またよみがえるのでは。そんな心配が世間から消えない▼解消を明記しなかったのは「派閥存続」を求める「派閥」の意向らしい。国民という花嫁が岸田さんにドラゴン退治の武功を認めるとは思えない。
スズメより少し大きい小鳥の鷽(うそ)の語源は口笛を吹くという意味の「うそぶく」からきているそうだが、別の説もある▼さえずるとき、脚を交互に上げ下げし、昔の人にはこれがまるで琴を弾いているように見えた。本物ではない琴を弾くから「ウソ」。脚の上げ下げが本当かどうかは知らないが、この説の方がおもしろい▼菅原道真がハチに襲われ、難儀しているところ、飛んできた鷽が撃退したという伝説などから、道真公の天神様とのゆかりも深い。東京都江東区の亀戸天神社で24、25の両日、「鷽替え神事」が行われる▼かわいらしい木彫りの鷽を1年に1度、取り換える。取り換えることで今まで起きた嫌なことが「ウソ」になり、新たな吉兆を招くことができる▼<鷽替やまこと顔なる古帽子>岡野知十。起きたことは「ウソ」にはならないまでも悪(あ)しき出来事を慰め、はらい清めてくれるのならば、その神事には、どなたも真剣な「まこと顔」になったのだろう▼被災地に深い爪痕を残した能登半島地震や気の重い、自民党派閥パーティーの裏金事件を挙げるまでもなく、年が明けて、まだ1カ月にもならないのに「ウソ」にしたい出来事が続く。ロシアのウクライナ侵攻は終結の気配さえ見えない。イスラエルの攻撃によるパレスチナ自治区ガザの犠牲者は2万5千人を超えた。今年は超特大サイズの鷽が群れでほしい。
日航ジャンボ機墜落事故の発生は1985年8月12日。夜、機体が管制のレーダーから消えたとの一報が伝わった▼行方が判然としないうちに500人超の搭乗者名簿が公開され、NHKは朗読を始めた。生放送中、日航社長会見が始まるとの情報が伝わり、名簿を読むアナウンサーが会見への映像切り替えを提案すると、仕切り役のキャスター木村太郎さんが「いや、乗客名簿を続けてください」と拒んだ話は有名。視聴者が知りたいのは、運命が絶望的と思われる飛行機の客の名前だという判断である▼時は移り、個人情報保護が求められる今は事故時の名簿朗読は難しそう。日航は搭乗者名簿は原則、非公開という▼石川県が能登半島地震の犠牲者のうち遺族の同意が得られた人の氏名、年齢などの公表を始めた。死という事実を知り、涙する友らもいよう。亡くなった92歳の母親の名の公表を決めた女性は家も失い「今残せるのは母の名前だけかもしれない」と語った。その思いに、伝える側の一人として粛然とする▼誰しも誕生後の名付けは赤子である自分の力が及ばず、親らの仕事になる。『日本民俗大辞典』によると、子の守護や他家との紐帯(ちゅうたい)のため、親族以外が名付ける例も古来あり産婆、僧侶、神官、山伏、村の有力者、道で偶然擦れ違った人も託されたという▼名前は個人情報にして、独りではない証左でもある。