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今日の筆洗

2018年02月28日 | Weblog

『Wの悲劇』などの作家、夏樹静子さんは書店に入るのが苦手だったそうだ。理由がある。書店にずらりと並ぶ新刊本の数々。あれを見ると、あの本も読みたい、この本も読まなければと、心が落ち着かなくなるのだという▼夏樹さんの焦りがよく分かる人もいるだろう。せっかく、おもしろそうな本があるのに自分は読んでいない。なんだか損をしていないか。世間から取り残されているのではないか。本好きはそんな気分になるが、そうそう読書時間は取れるものではなく、結果、焦る▼そういう悩みは最近の若い人にはあまりないらしい。全国大学生協連が大学生の一日の読書時間を調べたところ五割超が「ゼロ」と回答したそうだ。この手の調査はつい見えも張りたくなるところで実際にはもっと「ゼロ」が多いかもしれぬ▼なにかと忙しいのは分かる。読書によらずとも楽しみや情報、知識を得る方法がふんだんに用意されている時代といえども、「ゼロ」とは心細い▼お説教で大学生の読書時間が増えるとは思えぬ。それに、大学生をやり玉に挙げるが、それより上の世代にしたって、どれだけ本を読んでいるか怪しい▼若い世代の読書離れが心配なら大人が手本を示すことだろう。通勤電車の中で本を積極的に広げていただけないか。その姿に本を読まぬのは「損」ではないかと何人かの若い人が焦りだすかもしれぬ。

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WDSF COPENAGHEN OPEN 2018 FINALE - TANGO

2018年02月27日 | Weblog

WDSF COPENAGHEN OPEN 2018 FINALE - TANGO

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Petar Daskalov - Zia James, ENG | 2017 WDC AL World LAT - R1 C

2018年02月27日 | Weblog

Petar Daskalov - Zia James, ENG | 2017 WDC AL World LAT - R1 C

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今日の筆洗

2018年02月27日 | Weblog

 明治期のある「新聞」の一本の論説記事を一字一句暗記している。と書けば、読者は尊敬の念を抱き、小欄の株も少しぐらいは上がるか。残念ながらトリックがある▼明治のジャーナリスト宮武外骨の「滑稽新聞」。一九〇五(明治三十八)年四月五日発行の第九十三号の「論説」は白紙。「論説」という題と、宮武の別名・小野村夫の表記があるだけで、あとはきれいさっぱり空欄になっている▼「過激にして愛嬌あり」の外骨先生の白紙の狙いは定かではないが、並ぶべき言葉がない異様な白紙は時に人の心を揺さぶり、千万語を並べるよりも雄弁に語ることがあるのだろう。内戦が続くシリア。首都ダマスカス近郊の東グータ地区への集中空爆で子どもたちが犠牲になっていることに国連児童基金(ユニセフ)が二十日、白紙の声明を出した▼「殺された子ども、母親、父親、愛する人々のことを正しく表現する言葉がない」。そして十行分の空欄が続いている▼英BBCの現地映像を見た。傷ついた子どもを抱えて、病院へ駆け込む母親がいる。無力感に泣き崩れる看護師がいる。国連安保理はシリア全域での停戦決議を採択したが、反体制派が支配する東グータ地区へのアサド政権軍の空爆は続く。その下には罪なき子どもがいる▼空欄の白を読む。空爆の音、叫び声。怒り。悲しみ。そこには、すべてが書かれている。

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今日の筆洗

2018年02月26日 | Weblog

 小学校六年の春、窓際の桜がきれいだったのでうっとり見ていたら、担任の先生に「そんなもの見てないで勉強しろ」と教科書で頭をたたかれた。「青い山脈」「昭和残侠伝」などの俳優、池部良さんが書いている▼名門中学に合格するも両親が反対した。その学校に通うとなると銀座を経由するので「不良になる」▼説得してくれたのは池部さんをたたいた先生だった。玄関で土下座して「授業中に桜を見ている児です。不良にはなりません」。額が泥で汚れていたそうだ。「先生は見捨てないで味方になってくれた」▼時代が違うとはいえ、そこまで面倒を見る先生がいたのか。これとはほど遠い悲しい言葉を目にした。「注意するのが面倒で見て見ぬふりをした」。神奈川県のある小学生が同級生のいじめによって長く不登校になっている。その調査報告書にあった担任だった教員の言葉である▼当初は「いじめに気づかなかった」と説明していたそうだ。面倒だと見て見ぬふりをされた子の痛みと絶望の大きさを想像する。助けを求める手に担任は背を向けてしまった▼担任一人を責めるつもりはない。いじめという生命にかかわる問題への対応を教員に「面倒だ」と感じさせてしまう何かが学校全体に潜んでいないか。それを見つけ、ひとつひとつ対策を講じていくべきだろう。面倒だからと、見て見ぬふりはできない。

 
 
 
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今日の筆洗

2018年02月25日 | Weblog

  日本で最も古い校歌とされるのは東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)のもので一八七八(明治十一)年にできたそうだ。これが第一号とすれば日本の校歌の歴史は百四十年である▼渡辺裕さんの『歌う国民』(中公新書)によると小学校を中心に校歌制定の動きが盛んになったのは明治三十年前後。その後、大正期から昭和初期にかけて一種の「校歌ブーム」が起き、現在のような一校一曲の校歌があたりまえになっていったと聞く▼欧米の学校にも学生歌や愛唱歌はあるが、学校当局が校歌を公的に制定することはあまりないようで、日本には独特の校歌文化が根付いたか。忘れてしまったようで歌いだせばスラスラ思い出せる。そんな経験のある人もいるだろう。地域の風景を描写する校歌は大切なふるさとのうたである▼少子化、過疎化で学校の数は減少の一途である。つまり校歌もなくなる。また大切な一曲との別れである。東日本大震災の津波で児童と教職員八十四人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校。昨日、閉校式が行われた▼<風かおる 北上川の 青い空 ふるさとの空>。震災後、児童が減り、閉校を決めた。かつての入学式や運動会。大きな声で歌われた校歌を想像する。あの悲劇後、涙で声がかすれた校歌もあっただろう▼<胸をはれ 大川小学生><くちびるに 歌ひびかせて>。歌は消えぬ。

 
 
 
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今日の筆洗

2018年02月24日 | Weblog

 「トランプ・スランプ」と、いわれているらしい。米国の銃器メーカーの売り上げが、ここ一年で軒並み激減しているというのだ▼米の銃器業界にとって銃規制の強化を図ったオバマ大統領の時代は、実は黄金時代だったという。乱射事件が発生し、大統領が銃規制への決意を示すたび、それに反発するように銃が売れた▼だが、銃器業界が支援したトランプ氏が大統領になると、あわてて買う必要もないと思う人が増えたせいか、銃の売れ行きは落ち込んだ。創業二百年という老舗の銃器メーカー大手レミントン・アウトドアが経営破綻に追い込まれたというから、皮肉なものだ▼そんな「トランプ不況」の打開策のつもりだろうか。フロリダの高校で十七人の命を奪った乱射事件を受けて、トランプ氏が打ち出した対策は、学校の先生たちを銃で武装させるというもの。「銃には銃を」「もっと銃を」というわけだ▼アメリカ教員連盟は「大統領らは軍拡競争を欲し、学校を要塞(ようさい)にするつもりだ」と批判したが、なるほど、日本政府などに「米国の武器を買えば、米国に多くの雇用が生まれ、買った国は安全になる」と持ちかけ、軍事産業の売り上げを増やすトランプ大統領の軍拡商法の国内版のようである▼「銃には銃を」「武器には武器を」のトランプ流ビジネスが行き着く先は、どこか。人ごととは思えぬ米国の銃論議だ。

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今日の筆洗

2018年02月23日 | Weblog

 一九九七年に公開された米映画『ウワサの真相』は、政治風刺コメディーだ。原題は『ワグ・ザ・ドッグ』。「しっぽが犬を振る」という英語の言い回しを使ったタイトルだ▼再選を目指す米大統領に、性的スキャンダルが発覚する。投票日は目前。どう世間の耳目をそらすか。ロバート・デ・ニーロ氏が演じる情報操作のプロが考え出したのは、ありもしない戦争の危機をでっち上げること…▼「犬がしっぽを振る」のではなく「しっぽが犬を…」というのは、本末転倒。政治家の保身のために始めた策謀が、国家の危機を招いていく。『ワグ・ザ・ドッグ』というタイトル自体が痛烈な風刺になっているのだ▼これも、「しっぽが犬を振る」たぐいの話ではなかろうか。自民党が「一票の平等」をないがしろにするような改憲の案を出している。参院選では「一票不平等」を解消するために県をまたぐ「合区」が導入されたが、これをやめて、たとえ不平等が生じたとしても「違憲」とならないように、憲法を変えようというのだ▼「法の下の平等」は民主主義国家の大きな柱の一つ。一票の平等を実現するための選挙制度を根本から論じずに、とりあえず改憲してしまえというのは、ちょっと住み心地が悪いからと、借家人が大黒柱を切ってしまうようなものではないか▼じっくり見続ける必要がある「カイケンの真相」だ。  

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今日の筆洗

2018年02月22日 | Weblog

 座禅ではなく、立ったままの「立禅」がその人の日課だったそうだ。ただ立っていては雑念でいっぱいになる。心を集中させるため、亡くなった友人、知人の名をあげていく。百数十人。約三十分。「死んだ人たちといっしょにいる気持ちになる」▼その日課は「いのち」との語らいだったか。死を人間にとって自然なものと受け止める儀式だったか。戦後の俳壇をリードした、俳人の金子兜太さんが亡くなった。九十八歳▼<長寿の母うんこのように我を産みぬ>。どの句を引くか迷ったが、生きものとしての人間をありのままに描いている骨太にして、滑稽にも富んだ、この句を選ぶとする。季語のない無季句である▼季語は大切だが、季語さえあれば、自然をとらえられるという考え方を強く否定していた。季語はなくとも、この句に描かれた人間の、生きもの全体をめぐる「自然」の大きさや神々しさはどうか。その俳人によれば人は母親からうんこのように生まれ、やがて、土へと帰る▼「いのち」にこだわり続けた。酷(ひど)い戦争体験。生きもの同士がいたわり、信じ合えば、戦争はない。平和や、好んで使った、「蹴戦(しゅうせん)」(戦争を蹴飛ばす)を叫ぶのは、いのちの俳人には、当然のことだった▼<おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた>。故郷の秩父の山におおかみが帰っていった。眼鏡をかけた優しいおおかみに螢がとまる。

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今日の筆洗

2018年02月21日 | Weblog

 映画などの巨大怪獣が好んで破壊するものや場所といえば、ビル、橋、鉄道、高速道路などが浮かぶが、「シン・ゴジラ」などの映画監督、樋口真嗣さんによると、電柱も欠かせないようだ。なぎ倒される電柱。切断され、宙を舞う電線。なるほど迫力ある場面が撮れそうである▼監督が「シン・ゴジラ」製作にあたって、ゴジラにどこを壊させようかと町を見て回ったとき、昔に比べて、電柱が減ってしまったことにがっかりしたそうだ。「電柱と電線が織りなす風景が東京の顔なのに」▼ゴジラが聞けば、涙ぐむかもしれぬが、これも時の流れである。国土交通省は二〇二〇年度までの三年間に全国約千四百キロの道路で電線を地中に埋設し、無電柱化するとの計画をまとめた▼進捗(しんちょく)率の目標を盛り込んだ国の計画策定によってやや遅れ気味だった無電柱化のペースも上がるだろう▼震災時、倒れた電柱で救援物資の運送の妨げになる危険や景観の向上。それを思えば、無電柱化の利はあるだろう。欧米に比べ、日本の空は電柱と電線が大きな顔をしすぎているのも確かである▼<いゝえ、空で鳴るのは、電線です電線です>(中原中也「春と赤ン坊」)。なくなれば、さぞやすっきりするか。寂しくもある。景観を悪くしていると評判はさんざんだが、明治以降の長きにわたって日本の風景と生活を支えてきた電柱と電線である。

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