日本に旅行する欧米の方に向けたウェブサイトをのぞいてみるとなかなか細かい旅行上の注意が書いてある。「温泉を訪れる七つのルール」というのもあった。温泉に不慣れな海外の方には便利だろう▼湯につかる前に体を洗いましょう。タオルは湯船の中に入れないでください。水着などは身に着けず裸になりましょう。ただしタオルなどで「地下地域(NETHER REGIONS)」は隠してください。改めて考えると温泉のルールは多い▼「潜ってはいけません」というのもあった。海外の方は見慣れぬ大きな湯船に、つい潜水を試みたくなるのか。報道を耳にすれば潜水はおろか湯船にさえ近づきたくないと身構えるだろう。福岡県筑紫野市の老舗の不祥事である▼週一回以上必要な浴場の湯の取り換えを、年に二回しか行っていなかったとはおそろしい。だらしない湯替えの結果、基準値の最大三千七百倍のレジオネラ属菌が検出されたそうだ▼<つかれもなやみもあつい湯にずんぶり>−。温泉を愛した俳人、種田山頭火の一句だが、<ずんぶり>すれば、大丈夫だろうかと気をもむ「汚泉」としかられても仕方あるまい▼この旅館、湯替えの頻度について虚偽の申告をしていた疑いもあるという。汚したのは老舗旅館の看板に加えて、海外でも人気の温泉という日本文化そのものだろう。洗い流すには時間がかかる。
ローリング・ストーンズのミック・ジャガーさんがかつてこんなことを言った。「四十五歳になっても(代表曲の)『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら死んだ方がましだ」−▼一九七五年の発言で当時ミックさん三十二歳。発言を後悔しているだろう。四十五歳どころか八十歳近くなる現在も『サティスファクション』を歌っている。年を重ねた人間は若者の音楽を歌うのにふさわしくないと当時は考えていたのかもしれぬ。それは「ダサい」のだと▼その人の訃報に、ミックさんのかつての言葉を思い出した。結成は七五年。日本で最も古いロックバンドの一つ、ムーンライダーズのキーボード担当、岡田徹さんが亡くなった。七十三歳。長年のファンは寂しかろう▼『9月の海はクラゲの海』『Kのトランク』。ライダーズの中でも、とびきり独特で斬新な音を作っていらっしゃった▼昨年末のコンサート。岡田さんが手をひかれながらステージに立つ。ミックさん、やっぱり間違っていたよと思う。高齢だろうと体調が優れなかろうと演奏を続ける。それもまた不遇や逆境を歌い飛ばすロックの態度なのだ−と岡田さんの姿が言っていた気がする▼なじみの名ミュージシャンたちの訃報が今年は目立つ。ドラム・高橋幸宏、ギター・鮎川誠、キーボード・岡田徹か。ちょっと想像した後で、無性に悲しくなる。
尾張・名古屋のシンボルは名古屋城の金鯱(しゃち)。戦災で天守閣もろとも焼け、今の雌雄一対は、天守閣が再建された一九五九年に登場した二代目である。うろこを覆うのは18金で、その量は雌雄いずれも四十キロを超える▼築城を命じた徳川家康や尾張徳川家の威光を示すために生まれた初代金鯱。熱田の浜に魚が寄らないほど光っていると歌に歌われるほど金ピカだったが後年、輝きは薄れた▼財政難に陥った尾張藩が複数回、金鯱の金の一部を活用しようと改鋳し、金の純度が低くなったため。威光より目先の金策が大事だった時期もあるということらしい▼過疎で財政難が続く岩手県田野畑村に先日、金の延べ板百二十枚の寄付があった。計六十キロという。全て換金して五億二千八百二十四万円になった。村の当初予算の約六分の一に相当。村は大いに驚き、喜んだ▼寄付者は「国内に住む人」で匿名。「村のために」と言っている。村長らが寄付者と会って金の延べ板を受け取り、すぐに貴金属店を訪ねて換金した。延べ板の輝きを見た総務課長は「光にも重みがあるものだと思いました」と語る▼戦後、金鯱を含む名古屋城天守閣再建には市民の浄財が多く寄せられた。名古屋市の財政も楽ではないがむろん、尾張藩のように金鯱はあてにせず、二代目の金の量は不変。鯱であれ延べ板であれ、尊い思いがあってこそ輝く気がする。
カナダ映画の『魔女と呼ばれた少女』(二〇一三年)はコンゴ内戦のむごさを描いている。平和に暮らす村をある日、反政府ゲリラが襲う。大人は全員殺害し、子どもはさらっていく▼子どもを殺さないのは自分たちの兵士として育てるためである。十二歳の少女もその一人で銃の使い方をたたき込まれ、やがては「魔女」と呼ばれる戦士となる。「銃は私のお母さん」。感情をなくしたような少女。見ているのがつらくなる▼ロシアがやろうとしていることも、程度の差こそあれ、やはり同じではないのか。そんな疑念がぬぐえない。ロシアがウクライナの子どもをロシア国内にある「再教育キャンプ」に送っている−。米国の研究者が明らかにした▼その数は少なくとも六千人。生まれて間もない子から十七歳までの子どもが暮らしているという。「キャンプ」ではロシアの愛国教育に加え、軍事訓練まで行われているとの報告にさむけがする。ロシアの兵士としてウクライナの子どもを育てようとでもいうのか▼ロシア側は否定しているが、事実なら子どもの権利が踏みにじられている。実態のさらなる解明と対策を急ぎたい▼こうした子どもたちがロシア兵としてウクライナに送られた事実は今のところ、確認されていないものの、やがては自分の本当の故郷に銃を向けるようになってしまうのか。こんなに悲しい兵器はない。