秋の遠足のシーズンだろう。小学校のときの遠足のおやつ代を思い出す人もいるか。今、思えば不思議な「制度」で持参できるおやつには金額の上限があった▼何と何を買えば予算を超えないか、子どもは必死に考える。何を残して何をあきらめるか。算数の実地訓練の意味に加え、人生の決断まで教えていたのかも、とは大げさか▼自分の時代の上限は300円だったと記憶するが、今は500円前後と聞く。この話は遠足の子どもたちを嘆かせることになるだろう。手ごろな価格で人気のお菓子「うまい棒」が10月出荷分から値上がりし、1本12円から15円になるそうだ▼1979年発売から1本10円を守り続け、12円に値上がりしたのが2022年。そしてまた値上げ。2年半で5割高くなる。原料のコーンや人件費などの高騰が背景らしい。メーカーとしてもつらいところだろう▼「うまい棒」に限らぬ。遠足のおやつの王様チョコレートやおせんべいも値上がり傾向にある。遠足のお弁当のコメにしても外食需要の高まりなどで価格は上がる▼試しに300円分のおやつを考えてみたが、どうもうまくいかぬ。マーブルチョコレート1本で100円を大きく超える。「家に前からあったお菓子は持っていってもいいですか」。懐かしい質問を思い出す。子どもたちには算数に加え、物価と社会情勢を学ぶ遠足となるのだろう。
トルコ南西部ゲイレ村で1969年、ある神殿の遺跡が発掘される。世界遺産にも登録されたアフロディーテ神殿遺跡である▼アフロディーテとはギリシャ神話の愛の神。発掘したのは米国の女性考古学者で名はアイリス・ラブ。愛の神をラブ(愛)という人が見つけたことになる▼ただの偶然だが、不思議なつながりを感じてしまうのは人の常か。こちらの名はどうだろう。「さざなみ」。海上自衛隊の護衛艦「さざなみ」が台湾海峡を通過した。中国とにらみ合う台湾海峡を日本の護衛艦が通過するのは自衛隊発足以来、初めてである▼8月、中国軍の艦船が鹿児島県沖の日本領海内に一時、侵入したのに加え、情報収集機が長崎県の男女群島沖の日本領空を侵犯。今回の「さざなみ」の台湾海峡通過には日本の周辺で軍事活動を活発化する中国をけん制する狙いがあるのだろう。海峡通過は岸田首相の指示という▼中国の挑発的な動きに毅然(きぜん)と対応することは無論、必要だが、これがけん制となり、中国をおとなしくさせるかといえば、はなはだ怪しかろう。海峡通過後、中国は「越えてはならぬレッドラインを越えた」と反発し、台湾周辺での動きをさらに強める兆候を見せる▼臆病な小欄は「さざなみ」が、日中間の「大波」「怒濤(どとう)」とならないかを心配してしまう。両国を行き来する、「話し合い」という名の船がほしい。
吉田茂元首相の『回想十年』の中にこんな言葉がある。「民主政治は与党が良いだけでは完成したといえない」▼民主政治には能力ある野党が必要だといい、「(与党は)淡々たる心持で政権に執着せず、時あっては反対党にも政局に立つ機会を与えるがよい」。今の自民党議員が聞けば青ざめるか▼野党も政治の現実を意識せよというのが吉田翁の本意だろう。政権運営の経験が乏しくなると「主義主張は実際政治に遠ざかり、空理空論に走るか、過激に流れ…」▼立憲民主党は理想にとらわれ、現実を忘れがちな野党の「罠(わな)」から抜け出ようとしているのだろう。同党の代表選は野田佳彦元首相が当選した。首相経験があり、政治の現実と厳しさを理解している人物である▼首相時代に批判を受けても消費税率の引き上げを決めたことを思い出す。この代表選では原発ゼロさえ封印し「穏健な保守層を取り込む」と訴えた。近づく総選挙を意識し、同党は野田氏の現実路線を選んだといえる▼問題は野党らしい理想の政治を求める従来の支持層とどう折り合いをつけるかだろう。ドジョウ宰相があだなだった。<おちつくとどじゃう五合ほどになり>。買った直後のドジョウはよく動くので量が多く見えるが、しばらくするとおとなしくなり、減ってしまうという江戸川柳。理想と現実の塩梅(あんばい)を間違えれば、人気の量も怪しくなる。
作家、ねじめ正一さんの小説『長嶋少年』に小学生の男の子が中央線の線路に耳を当てる場面がある▼舞台は昭和30年代の東京・高円寺。線路は後楽園球場のあった水道橋を通る。線路から伝わってくる音に少年はあこがれの長嶋茂雄選手を想像する。「あのざわめきは長嶋が登場したざわめきです。僕は長嶋のざわめきをずうっとずうっと聞いています」。よく分かるというのは昭和20年代生まれか▼フロリダの球場につながる線路を空想し、熱狂の音に触れたくなる。大谷翔平選手。ついに50本塁打、50盗塁の「50-50」に到達した▼「50-50」もすごいが、6打数6安打、3本塁打、2盗塁に夢でも見ている気になる。この日の出来事は長嶋選手の天覧試合のサヨナラ本塁打や王選手の756本塁打のように語り継がれていくのだろう▼野球の神さまはときどき傑出した選手をこの世に送ってくれるようだ。戦後復興期に青バットの大下、赤バットの川上。高度成長期には長嶋と王。経済停滞期のイチロー。時代時代に現れるヒーローが世の中全体を明るく照らし、子どもはもちろん大人まで笑顔にする▼先行きが見えず、不安な時代にやって来たその人は、世の重苦しい雲を強打と快走でひととき晴らす。少し前にお会いしたねじめさんがおっしゃっていた。「大谷君はもうあの時代の長嶋さんの存在を超えているのだろうね」
ひなびた漁村だった中国南部深圳を大都市に育てたのは国の実力者だった鄧小平。1980年ごろから深圳などに特区をつくり外資を呼ぶ改革開放政策を進めた▼84年、鄧は深圳を視察。ビル屋上から建設ラッシュの街を眺めた。中国共産党の地元支部の書記の家を訪れると1、2階の客間にそれぞれテレビとステレオが1台ずつある。「今は何でもあるだろう」と鄧が聞くと書記は「何でもあります。今のようなよい生活ができるなんて夢にも思いませんでした」と感謝したという(孫秀萍ほか訳『鄧小平伝 中国解放から香港返還まで』)▼成長の象徴・深圳で日本人学校の男児が登校中、男に刺され死亡した。言葉がない▼詳細な動機は不明で予断は避けたいが、6月にも中国の蘇州で日本人学校のバスを待つ母子らが襲われた。中国のネット上では日本人学校を「スパイを養成している」などと根拠なく中傷する投稿が多いという▼歴史的経緯と政府の愛国教育で根強い反日感情。先にスパイ罪で日本人駐在員が起訴された影響もあり、中国赴任を嫌がる人が増えたとも聞く。強権的になった感もある隣国は仕事がしにくい地になりつつあるのか▼84年に深圳の姿を眺めた鄧は「見えた。はっきり見えた」と言い発展に満足の意を示したという。日中関係のよき未来がはっきり見えると言える楽観的な人は今、少ないのだろう。