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今日の筆洗

2019年11月30日 | Weblog

 

<iframe id="I0_1575081784320" style="margin: 0px; top: -10000px; width: 450px; position: absolute;" name="I0_1575081784320" src="https://apis.google.com/u/0/se/0/_/+1/fastbutton?usegapi=1&size=medium&hl=ja&origin=https%3A%2F%2Fwww.tokyo-np.co.jp&url=https%3A%2F%2Fwww.tokyo-np.co.jp%2Farticle%2Fcolumn%2Fhissen%2FCK2019113002000145.html&gsrc=3p&ic=1&jsh=m%3B%2F_%2Fscs%2Fapps-static%2F_%2Fjs%2Fk%3Doz.gapi.ja.xzDrKrE-cII.O%2Fam%3DwQE%2Fd%3D1%2Fct%3Dzgms%2Frs%3DAGLTcCMVsAcJ0EiOr1bNeYhyAwPnazhwMw%2Fm%3D__features__#_methods=onPlusOne%2C_ready%2C_close%2C_open%2C_resizeMe%2C_renderstart%2Concircled%2Cdrefresh%2Cerefresh&id=I0_1575081784320&_gfid=I0_1575081784320&parent=https%3A%2F%2Fwww.tokyo-np.co.jp&pfname=&rpctoken=38962869" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="100%" data-gapiattached="true"></iframe>
<如何(いか)なる聖将と雖(いえど)も、その個人的影響を以(もっ)て、人格の自由を欲する近代国民を五年以上も占領下に支配することは不可能でありましょう>。連合国軍総司令部(GHQ)を批判する内容にマッカーサー元帥は激怒し、その建白書を破り捨てようとしたそうだ▼ところが英文七千語に及ぶ建白書が分厚くてどうしても破れない。とうとうあきらめ、そのまま、くずかごに投げ入れたと伝わる▼破れなかった建白書の分厚さは敗戦国の小さな意地か。建白書を書いた若手議員はやがて首相になる。中曽根康弘元首相。昨日、百一歳で亡くなった▼当時のGHQといえば巨大な壁である。政策能力やリーダーシップが評価される元首相だが、この一件にしても、理よりむしろ熱情、使命感の政治家だったのかもしれぬ▼<したたかと言われて久し栗をむく>。自作の句である。力のある方へなびく「風見鶏」と揶揄(やゆ)されてもかまわぬ。水泳や座禅などテレビを意識した政治パフォーマンスもためらわぬ。何としても力を得て自分の信じた使命を果たす。その熱が行財政改革や日米同盟の緊密化である。権力にこだわる一方で権力の魔性をおそれていた。「政治家は時に孤独であれ。孤独は傲慢(ごうまん)への反省を生む」。その自戒自粛が今の政治に見当たらぬ▼<限りある命ゆえ命の限り踊れ>と色紙にお書きになっていた。戦後政治を踊りきった。
 
 

 


今日の筆洗

2019年11月28日 | Weblog
  何十年後かのテレビのクイズ番組なら次の問題は回答者を戸惑わせるかもしれない。「さて二〇二〇年の東京五輪、スポーツ大国ロシアは何個のメダルを獲得したでしょうか?」▼最終決定ではないが、どうやら答えは「ゼロ」ということになりそうである。世界反ドーピング機関(WADA)はロシアに対し、国ぐるみによる検査データ改ざんがあったとしてロシア選手を東京五輪・パラリンピックや世界選手権など主要大会から四年間、除外する処分案を発表した▼国際オリンピック委員会(IOC)もこれを支持する構えで最終決定となれば、個人としての出場は認められるが、国としての参加はできない。いかに優秀な成績を残そうとも国旗の掲揚も、国歌の演奏もない▼さて、次のクイズは難問である。「いったいなぜロシアはドーピング不正と手が切れないのでしょうか?」。前回のリオ五輪でもドーピング問題で締め出されかけたのに、またデータ不正とは懲りていない▼拳銃に一発だけ弾を込め、弾倉を回し、自分に向けて引き金を絞る。運が良ければ、弾は発射されない。ロシアが興じているのは、かの国ゆかりの「ロシアンルーレット」なのだろう▼不正をしても、運が良ければ…。愚かな賭けである。結果、痛恨の弾が自分自身に向かって発射され深い傷を負う。「不名誉」という名のその傷は治りにくいのに。

今日の筆洗

2019年11月26日 | Weblog
  <二つの国から飛び立った飛行機は/同時刻に敵国上へ原子爆弾を落(おと)しました>。詩人の石垣りんさんに「戦闘開始」と、はじまる詩がある▼楽しい童話ではない。恐ろしい童話である。こう続く。二つの国は壊滅し、世界中で生き残ったのは二機の乗組員だけ。<彼らがどんなにかなしく/またむつまじく暮(くら)したか->。人は殺し合いの果てにしか、その愚に気づかず、<むつまじく>暮らせないのか▼「戦闘開始」や核兵器使用の後では遅いのだとおっしゃっていたように受け止めた。長崎と広島を訪問したフランシスコ・ローマ教皇の核廃絶の訴えである▼「核兵器のない世界は可能だ」。過去、どれだけ多くの人がそう訴え、祈っただろう。それでも核兵器は消えなかった。核廃絶に向け、一致団結せよという教皇の言葉が今度こそ本物の「歴史的メッセージ」になることを願う▼核兵器は人が望む平和と安定への「答えではない」。その言葉に不意をつかれた気になる。教皇の主張は核の抑止力や核の傘を唯一、現実的な平和の答えと信じ込み、別の答えをあきらめかけた人類の怠惰に対する叱咤(しった)であろう▼核を使えば、攻撃された方も使う。だからお互いに核を使うまい。恐怖の脂汗を流した、その核抑止論とは平和とはいえぬ、かりそめの均衡にすぎまい。核のない平和を間に合わせたい。<飛行機>が飛び立つ前に。

今日の筆洗

2019年11月25日 | Weblog
 「十六歳でがんで死ぬより最悪なことはこの世でたったひとつ」。映画にもなった米国の青春小説『さよならを待つふたりのために』(ジョン・グリーン・岩波書店)の中にこんな言葉があった▼主人公は甲状腺がんにかかった十六歳の女の子である。がんで死ぬことよりも「最悪」とはなんだろう。女の子はこう続ける。それは「がんで死ぬ子どもを持つことだ」。自分のことを心配し、悲しむお母さんやお父さんの方が「最悪」であり、かわいそうだと言っている▼大阪市の十二歳の女の子が栃木県小山市で保護され、家に無事戻ったと聞き、胸をなでおろす。女の子も大変だったろうが、お母さんの心配で眠れなかった夜を想像する。女の子は三十五歳の男に連れ去られて、男の家から逃げ出したところを発見された▼会員制交流サイト(SNS)を通じて、知り合ったらしい。親の知らぬところで大阪の小学六年が栃木の三十五歳の男と簡単につながってしまう。親としては心配な時代である▼「知らない人には絶対についていかない」。子どもたちもよく分かっているはずだろうが、ネットとなると油断してしまうのか▼お子さんに教えていただきたい。子がいなくなれば親はどれほど心配するかを。もう一つ。ネットで知り合った人というのは「知っている人」ではなく、気を許してはならない「知らない人」なのだと。

今日の筆洗

2019年11月24日 | Weblog

 「三平方の定理」の発見者というピタゴラスは博学の人だった。人の怒りの行方についてもこの人のものとされる言葉が伝わる。「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる」▼古代ギリシャの哲人の警句のように、怒りで始まった事態が、とうとう深い後悔の段階に至ってしまった。そう思っていたら、刻限の数時間前という土壇場で一転、回避である。日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジーソミア)の失効は避けられた。韓国文在寅政権の決定に、ほっとさせられる▼日本の輸出規制強化への怒りに端を発している問題である。韓国内に日本への強硬な世論があるとはいえ、安全保障にかかわる協定を対抗策として持ち出したのがそもそも無謀だっただろう。ミサイルを撃ち続ける北朝鮮は、日米韓の連携を揺さぶるかのようである。中国、ロシアの動きも不穏だ▼協定停止となれば、こうした国を大いに喜ばせることになった。韓国はもちろん、韓国を翻意させられなかった日本も米国も、後悔は避けられなかったはずである▼失効はひとまず避けられたが、発端となった韓国内の怒りが消えたわけではない。元徴用工をめぐる対立も残っていて、関係回復はこれからの取り組みにかかる▼いつまた「無謀」が息を吹き返すか。懸念はくすぶる。後悔に行き着く「定理」をよみがえらせてはならないだろう。

 
 

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今日の筆洗

2019年11月23日 | Weblog
  「贈り物は釣り針だ」「ささやかな贈り物は、大きな贈り物が期待できるところへ行く」。西洋に古くからある言い回しである。洋の東西を問わず、似た言葉は多い。声をそろえるように言うのは、贈られても喜ぶことなかれである▼贈り物は単なる財産の移動ではない。そこには「お返しする義務」も伴うものだと、社会学者マルセル・モースが説いている。未開とされる社会を研究した名著『贈与論』には、贈り物を通じて生まれる貸し、借りの関係が社会に、仕組みとして組み込まれている例などが示されている▼お返しできなければ、人は贈り主に対して権威やメンツを失ってしまう。返さなければ解けない呪いのようである。現代の世の中にも存在しているようだ▼関西電力幹部らに福井県高浜町の元助役が、多額の金品を贈っていた問題である。金品は、多数の福井県職員にも及んでいたことが、新たに分かった。元助役は死去していて、正確な狙いは分からないが、贈与の力を使った支配ではなかったのかと疑わせる▼受け取ったのは、実に百人超である。例の小判も登場する。釣られるのではないか、将来の大きな贈り物が目当てではないかと疑いは生じたはずだが、返していなかった職員もいる▼原発立地で、力があったとされる元助役である。贈り物がどんな力を発揮したかとともに、その出どころも気になる。