<虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹(ぼたん)かな>与謝蕪村。牡丹の季節である。<閻王(えんおう)の口や牡丹を吐(はか)んとす>。これも蕪村。蕪村の牡丹の句には虹やら閻魔大王の口やら鮮やかな美しさに加え、独特な存在感や不思議な凄(すご)みのようなものを感じる▼一人の女優の死去に蕪村の牡丹の大輪がふと浮かぶ。京マチ子さんが亡くなった。九十五歳。その演技は美しいばかりではなく、蕪村の牡丹のような味わいある色を輝かせた▼当時としては大柄な体格とエキゾチックな顔立ち。戦前の女優とは趣が明らかに異なる風貌と奔放な印象は戦後間もない日本によく似合っていた。そして人々は京マチ子に新しい時代を見たのかもしれぬ▼出演した「羅生門」がベネチア映画祭金獅子賞、「雨月物語」がベネチア映画祭銀獅子賞に輝く。その女優の世界での評価が敗戦に自信を失っていた日本人をどれほど勇気づけたことだろう▼その演技は時に華やかにしてしなやか。時に人の心に潜む闇まで醸し出し、軽妙なコメディーにまで対応できた。さまざまな色を巧みに見せた花である▼「羅生門」の人妻役はすでに決まっていたある女優を押しのけて、どうしても自分にと求めて手に入れた役という伝説がある。真偽不明ながら、その話に女優の熱と凄みを思う。日本の戦後に長く咲き続けた大輪豊麗の花が今散った。<牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片>