20年以上前に公開された映画『鉄道員(ぽっぽや)』は、廃止が決まっている架空のローカル線幌舞(ほろまい)線の終点・幌舞駅が舞台。故高倉健さんが主役の駅長を演じた▼昔は近くの炭鉱が栄えてにぎわった駅も寂れたが、駅長は律義に仕事を続ける。雪が舞うホームに背筋を伸ばして立ち、1両編成の赤いディーゼルカーを見送る姿がりりしい▼幌舞駅のロケ地が北海道のJR根室線の幾寅(いくとら)駅。この駅がある富良野-新得間が31日限りで廃止される。80キロ余りの廃止区間のうち、幾寅を含む一部区間は2016年の台風被害で代行バスの運転が続いていたが、ついぞ列車は戻らなかった。寂しく思う住民もきっと多いのだろう▼人口減少もあって鉄道の維持が容易ではない昨今。折しも先日、広島県と岡山県の山間部を走るJR芸備線の将来像を国や自治体、JRなどが話し合う会合が始まった。廃止前提ではないが、鉄道の利用促進を図った場合や、廃止してバスに転換した場合の効果や影響を検証するという。3年以内を目安に方針を決めるというが、合意は容易ではなかろう▼映画では、広末涼子さんが演じる少女に幌舞線がなくなると駅や線路はどうなるのかと問われ、駅長が寂しげにこう答える場面があった。「鉄道ができる前の原野に戻って、鉄道があったことも忘れられちまうべなあ」▼鉄路を巡る決断は、重いものである。
アルプスの山中、猛吹雪をものともせず、大型犬のセントバーナードが遭難者の救助に向かう。首から下げた小さな樽(たる)の中身は凍える旅人を温めるブランデー…。子どものころからよく聞く話だが、事実ではないそうだ▼スイスでセントバーナードが救助活動に使われていたのは確かだが、問題はブランデーの方。記録にはなく、創作か勘違いの可能性が高いらしい。怖いことに実際、雪山で低体温症になった人に強いアルコールを飲ませれば温めるどころか反対に体温を下げてしまうという。創作でよかった▼悪玉コレステロールを抑制すると信じていたサプリなのに…。極めて深刻なこちらの話が創作でないのがつらい。小林製薬の「紅こうじ」成分入りのサプリメントを摂取した人から健康被害の訴えが相次いでいる問題である。既に摂取した2人が亡くなり、入院する人も増えている▼同社が事態を把握したのは1月11日で製品の自主回収に踏み切ったのが3月22日。これがどうしてもひっかかる▼原因究明には時間がかかるのは理解するが、2カ月以上。その間も問題のサプリを口にした人がいるはずだ。それでは温まると信じてブランデーを飲み続ける遭難者だろう▼原因の方も「想定外の成分」とは要領を得ない。それは何か。なぜ、そんな成分が。「徹底解明」という機能性を表示した効き目ある「サプリ」がほしい。
『ダブリン市民』などのアイルランド作家、ジェームズ・ジョイスは借金取り撃退の名手だったと伝わる。返済を迫られると、ほんの少しだけ返す。あとは音楽や政治の話でうやむやにしてしまうのだそうだ▼この方法にどれだけの効果があったか定かではないが、まるっきり返さないわけではなく、少しは返すというのがコツなのだろう。返す気のあることは「演出」できる▼ジョイスの「撃退法」を思い出してしまった。自民党の二階俊博元幹事長。党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡る政治責任を取るとして、次の衆院選に出馬しない意向を表明した▼以前から引退説がささやかれていたとはいえ、不出馬が政治家にとっては大きな決断であることはひとまず認めよう。なれど裏金問題による政治不信の大きさを「借金」にたとえるなら不出馬だけでは「ほんの少し」返しただけにすぎまい▼自身の秘書や二階派の元会計責任者が立件されている。政治責任を取るとおっしゃるのなら裏金づくりの経緯についてまずつまびらかにするのが筋だろう。不出馬とはいえ、肝心の真相の方がうやむやでは有権者の方は返すものを返してもらっていない気になる▼不出馬表明を受け、自民党は二階さんへの処分を見送るという。こういう「裏取引」めいたやり方が世間の信用を失わせていることに自民党はまだ気が付かないらしい。
落語の「抜け雀(すずめ)」の舞台は小田原の宿。あまり繁盛していない宿屋の主人が客を呼び止める触れ込みがおもしろい▼「手前どもはこの小田原の宿で、一、二(大声で)…よりは下がります。三(やはり大声で)よりはやっぱり下がりますが、でも四よりは…下がるんで…」。高い評判を取っているのかと思って聞いていれば順位がどんどん下がっていく▼貧しいながらも、正直な宿屋の主人の顔が浮かんでくるが、近ごろは怪しげな「1位」を宣伝し、消費者の目を欺く商売が後を絶たないらしい。商品やサービスに合理的な根拠のない「No.1」を表示する広告などに対し、消費者庁が実態調査に乗り出すそうだ▼商品やサービスを実際に利用したかどうかを問わず、ウェブサイトの印象だけの調査で「満足度No.1」。そんなやり方もあるようで、でたらめな「No.1」がまかり通るのなら、消費者の不信度の方が「No.1」になるだろう▼ねじ曲げたアンケート結果で「1位」を演出するリサーチ会社もあると聞く。根拠のない「No.1表示」はもちろん、景品表示法違反であり、消費者を混乱させるやり口を実態調査で封じたい▼似た商品が並んでいれば根拠がなかろうと「No.1」の方に手を伸ばしたくなるのが人情か。よく分かるのだが、消費者の方も大声の「1位」をうかつに信用せず、むしろ警戒したい。
1962年、ケネディ米大統領の誕生祝賀会でマリリン・モンローが歌った、「ハッピーバースデー、ミスタープレジデント」。あだっぽい歌声を思い出すが、歌詞に企業の名が出てくる▼米鉄鋼大手のUSスチール。<大統領、あなたが成し遂げたすべてのことに感謝します。あなたの勝利した闘い、あなたのUSスチールへの対処法…>。時期からしてUSスチールなどが一方的な値上げに動いた際、ケネディが強く非難し、値上げを撤回させたことを指しているのだろう▼どうやら、現在の大統領も大統領候補も同社への「対処法」で称賛を集めたいらしい。日本製鉄のUSスチール買収問題である。トランプ前大統領が買収を認めぬと発言したのに続き、バイデン大統領も反対姿勢を示した▼橋、鉄道、自動車。その鉄で、20世紀の米国の発展を支えた同社は長い間、国の繁栄と強さを象徴する企業だった。今や世界との競争で後れを取り、衰えたとはいえ、同社が海外企業に買収されるとなれば、米国民の心情として認めたくないところもあるのだろう▼時期も悪い。本社のあるペンシルベニア州は大統領選で民主、共和両党がしのぎを削る激戦州。企業同士が合意した買収だが、バイデンさんもトランプさんも地元の反対論を敵に回せない▼岸田首相の4月訪米でどうなるかだが、円満な「対処法」は当分、期待できまい。