「笑っちゃったよ、うちの子がね」。童謡「七つの子」の替え歌が子どもたちの間で流行(はや)っていることをドリフターズのいかりや長介さんに教えたのは演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さんだそうだ。「カラスなぜなくの カラスの勝手でしょ」-▼とぼけた声。気詰まりな子どもの心を代弁するようなある種の投げやりさ。受けた。それを歌い、日本を笑わせた名コメディアンの死がつらい。志村けんさんが亡くなった。七十歳▼笑いに真剣に取り組み、昭和、平成、令和の長きにわたって、日本をくすぐり続けた人だろう。日本人が懸命に働き続けた一九七〇年代の「東村山音頭」や「ヒゲダンス」。バブル期の「だっふんだ」。そのナンセンスさがそれぞれ時代の憂いをつかの間吹き飛ばしてくれた▼たとえば、こんなコント。暗い夜道を歩く志村さんにおばけが忍び寄る。志村さんは気づかない。観客の子どもたちが声を上げる。「志村、うしろ、うしろ」▼あのころの子どもたちはコントであることも忘れ、その人に危機を伝えたかった。助かってほしかった。土曜日の夜、志村さんはわれわれの友であり、われわれ自身であったのかもしれない▼新型コロナウイルスが日本の「愉快」を奪っていった。「うしろ、うしろ」と言われた人が今度はわれわれに気をつけてと教えてくれているのか。新型コロナの勝手にカラスが声をあげて泣く。