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今日の筆洗

2020年03月31日 | Weblog

 「笑っちゃったよ、うちの子がね」。童謡「七つの子」の替え歌が子どもたちの間で流行(はや)っていることをドリフターズのいかりや長介さんに教えたのは演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さんだそうだ。「カラスなぜなくの カラスの勝手でしょ」-▼とぼけた声。気詰まりな子どもの心を代弁するようなある種の投げやりさ。受けた。それを歌い、日本を笑わせた名コメディアンの死がつらい。志村けんさんが亡くなった。七十歳▼笑いに真剣に取り組み、昭和、平成、令和の長きにわたって、日本をくすぐり続けた人だろう。日本人が懸命に働き続けた一九七〇年代の「東村山音頭」や「ヒゲダンス」。バブル期の「だっふんだ」。そのナンセンスさがそれぞれ時代の憂いをつかの間吹き飛ばしてくれた▼たとえば、こんなコント。暗い夜道を歩く志村さんにおばけが忍び寄る。志村さんは気づかない。観客の子どもたちが声を上げる。「志村、うしろ、うしろ」▼あのころの子どもたちはコントであることも忘れ、その人に危機を伝えたかった。助かってほしかった。土曜日の夜、志村さんはわれわれの友であり、われわれ自身であったのかもしれない▼新型コロナウイルスが日本の「愉快」を奪っていった。「うしろ、うしろ」と言われた人が今度はわれわれに気をつけてと教えてくれているのか。新型コロナの勝手にカラスが声をあげて泣く。

 
 

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今日の筆洗

2020年03月30日 | Weblog

 「近々死ぬと分かればこんなにやさしくなれるのに。不思議だもな、人間て……」。井上ひさしさんの戯曲『泣き虫なまいき石川啄木』にこんなせりふがある▼場面は一九一二(明治四十五)年。啄木の病は既に重く、妻の節子も結核を患っている。啄木の母カツは節子につらく当たってきたが、節子の病の重さを知って、やさしくなる。それを見た啄木のつぶやきである▼新型コロナウイルスの世界的感染拡大を受けて、米ニューヨークの国連本部で四月二十七日から開催予定だった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の延期が決定した。感染リスクを思えば、やむを得ないとはいえ、あのせりふが浮かび、今こそ話し合いの季節ではなかったかとも思う▼核をめぐる最近の状況は深刻である。米、ロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約は両国の対立で昨年失効。新戦略兵器削減条約(新START)も来年で期限切れとなるが、延長の見通しは悪い。再検討会議で「核なき世界」への勢いを取り戻したいところだった▼深刻な新型コロナだが、見方を変えれば人類全体を結束させる材料になり得るだろう。感染拡大を前にかくもか弱き人の命。それを思えば、核をめぐるいさかいがむなしく、愚かに見えてくるだろう▼延期は一年程度か。新型コロナに肝を冷やした人類が核問題で互いに「やさしくなれる」ことを期待する。

 
 

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今日の筆洗

2020年03月29日 | Weblog

 ギリシャ神話のカサンドラは未来を予言する能力を与えられたが、袖にしたアポロンの怒りを買い、こんなのろいをかけられてしまう。「カサンドラの予言をだれも信じないように」▼カサンドラはトロイア戦争を予言し、ギリシャ兵士の潜むトロイの木馬を城内に引き入れることに強く反対したが、トロイア兵士はアポロンののろいによってその言葉に耳を傾けなかった▼幸い、東京の人びとにアポロンののろいは効かなかったか。週末の東京での不要不急の外出自粛。世界で最も人通りが激しいという渋谷のスクランブル交差点も普段に比べれば人は少ない。銀座も閑散としている。東京本社前の日比谷公園の桜も満開に近いが、その下には花見の群衆はいない▼オーバーシュート(爆発的患者急増)を抑止できるぎりぎりの局面。小池百合子都知事のその警鐘はおおむね聞き入れられたと言ってよいのだろう▼もちろん耳を貸さぬ方もいる。小言めくが、午前中の都内、二十四時間営業の酒場に若い方のグループが入っていくのを見た。何か事情があるのかもしれないが、「不要不急」にはちと思えぬ▼若いからといって自分を「不老不死」のように考えるのはおよしになった方がいい。その宴会は「不撓不屈(ふとうふくつ)」の覚悟でやることではなかろう。欧米での深刻な状況。それは日本にも起こり得る、「予言」であり、事実である。

 
 

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今日の筆洗

2020年03月28日 | Weblog

 知り合いの知り合い、そのまた知り合い…とたどれば、わずか六人目で世界中のほぼだれとでもつながる。米国の心理学者の実験を基にした「六次の隔たり」と呼ばれる仮説は人のつながりからみた世界が思っている以上に狭く、小さいと物語る。「つまりお前は、アメリカ大統領と知り合いの人の知り合いの…」。仮説へのそんな驚きの声が米国の科学者の本にあった▼新型コロナウイルスにも、この世界は狭く、小さいようだ。ジョンソン英首相が感染を明らかにしたと報じられた。すでに米大統領の近くにも感染した人がいたことが分かっている▼英王室、欧米の政界やスポーツ界、芸術などの世界にここ数日、感染者が相次ぐ。日本も昨日はプロ野球阪神の三選手の感染が報じられた▼いずれの著名人も世界で五十万人を超えたという感染者の一人ではあるが、「あの人が」と驚かされるたびに世界を席巻するような新型ウイルスの感染力を思いしらされるようである▼原因不明の肺炎が中国武漢市で発生しているというニュースが世界に流れ始めたのは昨年の大みそか前であったはずだ。それからわずか三カ月の現状である。十四世紀のペストは欧州全土に広がるのに三年を要したというが、地球は狭くなっているようだ▼各国で人々がつながりを絶つよう身をすくめている。感染のピークは必ず過ぎる。信じて耐える時か。

 
 

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今日の筆洗

2020年03月27日 | Weblog

 坪内逍遥の明治期の小説『当世書生気質(かたぎ)』にある学生の会話である。<例のイヂヲツト(愚人)のシクエンス(後談)ハどうなツたか><それに付(つい)て実にリヂキユラスな(をかしい)話があるのさ>▼不自然な外来語を得意げに使う気質は開国以来、わが国に存在し続けているようだ。立派な日本語があるのに、カタカナ言葉を多用する。書生のような言葉遣いが広がることを、国語学者の金田一春彦さんは『新日本語論』で、<日本語の危機>と述べている▼「後談」は「後日談」か。指摘のように日本語で何の不自由もない。オーバーシュート(爆発的患者急増)、ロックダウン(都市封鎖)、クラスター(感染者の集団)…。言われてみれば、こちらもかっこの中の日本語で、十分に思える。新型コロナウイルスに関する言葉遣いについて、河野防衛相が疑問を呈したのを機に、政府に見直しの機運があるという▼手元の英和辞典でオーバーシュートの項目を引いたが、病気に関する意味は、載っていない。特殊な用法のようである▼なじみのないカタカナ言葉に危機意識を高める効果があるのかもしれないが、高齢の方の健康が心配な病気である。分かりやすさ以上の価値はあるようには思えない▼爆発的な患者の増加や都市の封鎖が必要な事態が、現実の心配になっている。言葉遣いも重みを増している日本の危機である。

 
 

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今日の筆洗

2020年03月26日 | Weblog

 富山の立山連峰の壮観を皇太子の時代の昭和天皇は詠んでいる。<立山の空に聳(そび)ゆるををしさにならへとぞ思ふみよのすがたも>。歌は後に節が付けられて、主に戦前、富山の人々に愛唱されたという▼戦後につくられ親しまれた「富山県民の歌」も<仰ぎ見る立山連峰/朝空に輝くところ/躍進の理想かざして…>と始まる。神々しく雄大にして、厳しさもたたえる山々の姿はこの土地の象徴であり、訪れた人に格別の印象を残してきた▼しこ名に「山」の字がある力士の大関昇進はおよそ二十年ぶりのようだ。富山市出身の大関朝乃山が昨日誕生した。今、貴重に思える明るい話題である。地元もわいている▼郷土から「山」の字をもらったしこ名だけでなく「人間山脈」の愛称も持つ。なにより、取り口に山を思わせる安定感がある。そびえるような一八八センチ、一七七キロの体格を利した、本格派にして重みのある四つ相撲は、無観客だった春場所も光った▼「一生懸命努力します」。真っすぐな人柄を物語るような口上だ。本名は石橋広暉(ひろき)。朝乃山英樹で相撲を取るのは、富山商高の監督だった浦山英樹さんへの思いからという。優勝も大関昇進も見ずになくなっている▼郷土を強く感じさせる力士だろう。富山湾のブリの絵柄の化粧まわしも贈られている。さらに仰ぎ見られる存在へ。もうひとつ上を狙える出世魚のようだ。

 
 

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今日の筆洗

2020年03月25日 | Weblog

 「オリンピック、オリンピック。こう聞いただけでも、わたしたちの心はおどります」「オリンピックこそは、まことに、世界最大の平和の祭典ということができるでしょう」▼昭和三十年代の小学六年の国語の教科書(学校図書発行)に載っていた「五輪の旗」というエッセーである▼一九五九年のIOC総会の演説で外交評論家の平沢和重氏がこれを引用し、日本国民の五輪への思いを訴え、六四年の東京五輪招致に成功したことはよく知られる▼二〇二〇年七月開催予定だった東京五輪・パラリンピックは新型コロナウイルスの世界的感染拡大を受けて延期となることが決まった。「オリンピック、オリンピック」。世界で増え続ける感染による犠牲者を思えば、今その言葉を聞いたとしても、残念ながら、心がおどる状況ではなかった。国際社会や競技者から延期論が上がる中では、土壇場での日程見直しもやむを得ない判断だったのだろう▼思えば、トラブル続きの大会である。新国立競技場の設計見直し、盗作疑惑によるエンブレム変更、猛暑対策によるマラソンコースの変更、そして今回の延期▼ただ、このふびんな五輪が延期によって新たな使命を帯びたのではないかと考える。新型コロナウイルスとの戦いに疲れ、傷ついた人類を励ますような大会としなければなるまい。「まことに、世界最大の平和の祭典」に。

 
 

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