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今日の筆洗

2020年08月31日 | Weblog

「負けずぎらい」という言葉は不思議だ。そのまま読めば、「負けないことがきらい」なのだから負けることを望んでいるみたいだが、もちろん意味は正反対。江戸時代に「負けぎらい」と言っていたのが誤用や「負けじ魂」との混同で「負けずぎらい」に変化したという説があるそうだ▼口に出すと「負けぎらい」よりも「負けずぎらい」の方がきっぱりと否定する「負けず」がある分、決意や意地を感じる。負けない。それを強調するあまり、言葉としてはおかしい「負けずぎらい」に変化したのかもしれない▼そんなことを空想した、復帰レースだった。池江璃花子選手。白血病の長期療養を乗り越えて約一年七カ月ぶりにレースへ帰ってきた▼「負けたくないという気持ちはしっかり残っていた」。泳ぎ切った後の言葉が印象に残る。負けたくないと決意し、そして負けなかった人のカムバックである▼出場した50メートル自由形のタイムは26秒32で自身の日本記録24秒21とは2秒11差。病に倒れた時、その差はどれほどだったか。計測不能な大きな差だろう。そこから病と闘い、再起を図り、ついに「2秒11」にまで縮めた。拍手を送る▼目標は二〇二四年パリ五輪。「希望が遠くに輝いているからこそ、つらくても前を向いて頑張れる」と語っていた。その人を見ていると穏やかならぬ時代にも希望という言葉への疑いが消える。


毎日新聞 余録

2020年08月29日 | Weblog

 かつてアフリカ南部のソファラの王朝では王の身体に何かの異常が生じたら、その王は臣民に命を奪われたという。たとえ歯が欠けても、部族の繁栄に欠かせない王の呪力が失われたとして交代を強いられた▲英国の人類学者フレーザーのいう「聖なる王殺し」の一例で、王の病気や老齢は部族全体の衰亡をもたらすと考えられたのである。しかしソファラのある王は、自ら歯を折って臣民に平然たるところを示し、王殺しの習俗を廃止した▲今日の民主政治でも指導者の病気は、人々の間に目に見えぬ不安や動揺を呼び起こす。そんなざわつきの中で、表明された安倍晋三(あべ・しんぞう)首相の辞任の意向である。憲政史における首相在任期間の記録を連日延ばしてきた政権の終幕である▲振り返れば、自らの第1次政権投げ出しに始まる短命政権の連続に終止符を打った8年前の第2次政権発足だった。走り出すと、野党が国民の信を取り戻せず、与党内の対抗勢力も広がらぬなかで固まった「安倍1強」の構図である▲その1強首相の体調不良再燃が、経済再生の約束や東京五輪を吹き飛ばした新型コロナ禍のさなかなのは偶然かどうか。ともあれ自身の体調の回復のためにも、国政の難所の克服のためにも、退陣はやむを得ない成り行きなのだろう▲政界を動かす力学がすぐさま次の首相選びに移る政治の非情は、それこそ呪力が支配する部族の王の交代と変わるまい。コロナ禍の下、次のステージへ時代の歯車を大きく回した病身のトップの決断である

ソファラ アフリカ東海岸モザンビークの海港都市。金などがムスリム商人によって交易された。 

 アフリカ東海岸、現在のモザンビークに含まれ、内陸部からこの地に運ばれた金はさらにキルワなどに運ばれてムスリム商人による重要なインド洋交易圏の貿易品とされていた。「ソファラ金」ともいわれるこの金は、内陸部のジンバブエ(旧ローデシア)にあったモノモタパ王国で産出したものが交易され、ここまで運ばれてきたものである。
 15世紀末にバスコ=ダ=ガマ船団が来航し、1505年にポルトガルの派遣したアルメイダの指揮する艦隊に占領され、城塞が築かれたために急速に衰え、ポルトガルの植民地支配を受けることとなった。
 

 


今日の筆洗

2020年08月29日 | Weblog
 病気の子どもに薬を飲ませると腹痛を訴えた。医者に相談すると「大丈夫。私の薬が病気と闘っているのだ」。やがて子どもは亡くなる。医者は平然と、「ほら私が言った通りだろう。私の薬と闘い、病気の方が負けたのだ」▼中国笑話集「笑府」にある。辞任を表明した安倍首相をねぎらう一方、この七年半を振り返った時、この乱暴な医者のことが頭に浮かんでしまう▼「日本を、取り戻す。」。覚えていらっしゃるか。二〇一二年の総選挙で安倍さんが使ったキャッチフレーズである。前年が東日本大震災。日本は確かに自信をなくしていた。そこへ高度成長期の日本の輝きをもう一度というその主張は魅力的に聞こえた。自民党は圧勝した▼そして現在である。コロナの影響があったものの、株価は上がった。GDPも伸びた。安倍さんの処方薬が効いたのかもしれぬが、問題はその薬の副作用である▼あの医者の薬のように命は奪わなかったまでも、安倍さんの独断的で少数意見に耳を傾けぬやり方は国民の分断を招かなかったか。不祥事を隠し、糊塗(こと)するやり方は政治への信頼を失わせなかったか。取り戻したという日本の姿が心配なのである▼存在感のある首相だったことは確かである。<昨日(きそ)夏なりき、今し秋>(ボードレール「秋の歌」)。一強と呼ばれた人の突然の退陣。先行きに不安の秋を予感しないでもない。

『日本を、取り戻す』トランプより先だったね。

 


今日の筆洗

2020年08月26日 | Weblog

 作家の池波正太郎はうまいものに目がなく、小学生のころから一人で食堂に出掛けてビフテキなどを試していたそうだ。少々生意気な小学生である▼「世の中にこんなうまいものがあるとは知らなかった」。そのころ、レストランで食べた<ホット・ローストビーフ・オン・トースト>。焼けたトーストの上にローストビーフがのっていたらしい。「いまもって忘れがたい」▼誰にもこういう一品があるか。その人の場合は上京後、初めて食べたグラタンだとおっしゃっていた。亡くなった元衆院副議長の渡部恒三さん。「世の中にはこんなうまいものがあるのかと思ったねえ」▼三十年近く前、深夜の九段議員宿舎で聞いた。話の流れとは無関係にそんなことを話しはじめる。こっちは政局の情報が聞きたくて足を運んでいるのにと思いつつ、グラタンを知らなかった会津出身の青年に好感を覚えたりする▼旧竹下派七奉行の一人に数えられた実力者だが、こういうところが恒三さんの持ち味なのだろう。気取りのない話で人をひきつけ、関係をつくっていく。会津なまりも愛嬌(あいきょう)となり、人を信用させた。あのころは大勢いた人間くさく、個性的な政治家の一人である▼一時は支え、その後、袂(たもと)を分かった小沢一郎さんのことを何かと話題にしていた。小沢さんに最も腹を立て、実は最も気に掛けていた政治家だったのかもしれない。


今日の筆洗

2020年08月25日 | Weblog

ある女が舞踏会に招待されたが、身に着ける宝飾品を持っていなかった。資産家の友人にダイヤの首飾りを借りたが、事件が起きる。その首飾りをなくしてしまう。モーパッサンの短編「首かざり」である▼必死に捜すも見つからない。女とその夫は多額の借金をして似た首飾りを買い、紛失の事実を隠したまま友人に返す。借金を返すのに女は十年、身を粉にして働き、すっかりやつれる。ある日、女は友人に事実を告げる。友人は驚く。「あれは安物の模造品だったのに」。なんのための苦労の日々だったのか。がっくりきただろう▼安倍首相の連続在職日数が二千七百九十九日となった。佐藤栄作元首相を抜き、ついに憲政史上最長。安倍さんにはめでたき日なれど、へそ曲がりのコラム書きは「首かざり」を思い出している▼安倍さんが胸を張った経済政策アベノミクスを模造品とまでは言わぬ。株価は上がった。国の税収も伸びた。されど、喧伝(けんでん)していた生活の豊かさはいつまでたっても実感できない▼そしてコロナである。アベノミクスが積み上げた一応の経済効果もコロナによって吹き飛びそうな見通しである。不運とはいえ、七年半の取り組みとはなんだったのか▼お加減がすぐれないとうわさされる。二千七百九十九日の苦労と芳しくない結果を前にすれば、気持ちの方が弱くなったとしても無理はないかもしれぬギ・ド・モーパッサンは、フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期の日本の作家にも影響を与えた。ウィキペディア

 


今日の筆洗

2020年08月23日 | Weblog

 「劇作家」という言葉を声に出してお読みいただきたい。大半の方が「ゲキ・サッカ」と劇と作家の間に少し間を取ったような読み方をしたのではないだろうか▼芝居を書く作家だから、「ゲキ・サッカ」でよいのだろうと思っていたが、ある演出家にそう読んでくれるなと教えられたことがある。「ゲキサク・カ」。劇作と家を分けて読むべきであるとおっしゃる▼劇作家は英語でPLAYWRIGHT。WRITE(書く)と混同しそうだが、職人や大工を意味するWRIGHT。「ゲキサク・カ」には単なる作家ではなく、芝居をつくる職人という強い自負や決意が込められているという。この人も職人や大工の方だったのかもしれない。戯曲「世阿弥(ぜあみ)」や評論「柔らかい個人主義の誕生」などの劇作家、山崎正和さんが亡くなった。八十六歳▼その名工が腕をふるった分野は、演劇にとどまらなかった。政治、社会、文明論に加え、政権への助言。深い学識と切れ味鋭い思考によって「人間とは」「文明とは」を描き、現実の中で、組み立てていらっしゃった▼戦後、旧満州で過酷な日々を送った。スケールが大きく、刺激的ながら現実を見据えた視点は何としても、無事で豊かな社会という「家」を建てる決意の表れにも見えた。WRIGHTの仕事である▼日本に大きな「台本」を残し、PLAYWRIGHTが旅立った。