久方振りの時事ネタ。
事件の起きた勤労感謝の日、ジョギング→シャワーの後ビール、ビールと言いつつNHK19時のニュースに目を向けてビックリしました。
正直、戦闘状態というのは身の回りのこととして感じた事って精々9/11事件をアメリカ、デンバーで知ったのとその頃ワシントン他で起きた炭疽菌事件位が半世紀を超える人生での記憶…
自らの身体にまで影響が及ぶ”脅威”という意味ですが、仮に日本がこうした砲撃を受けたとして、社民党福島党首なら憲法9条が書かれた紙を敵に向けつつ”非武装中立”と叫ぶのでしょうが、その被害を最低限に抑えようと思ったら、やはり反撃するしかない、と思う訳です。
仙石官房長官は見た目悪いし、行儀も、ですが、先日来非難されている「自衛隊は暴力装置」という発言に関して言えば、tokyoboyとしてはどこが悪いのか、間違っているのかよく分からない。
政治権力の発動、国民の保護のためにはその決定を実行に移す何らかの物理的”威力”は必要な訳で、例えば殺人犯を逮捕するには警察が一定の暴力的行為を行使するのは許されている訳です。
そう、警察、検察だって「暴力装置」ですよ、国家権力が持つ。
問題はそれをどうシビリアン・コントロールしていくか、だと思います。
よく刑事ものの小説で、拳銃使用を自主的に制限して犯人に殺される、なんてシーンが出て来ますが、それだけ、警察は公権力たる拳銃など銃器の使用についてギリギリまで抑えるよう動機付けがされ、また職員が理解している、ということでしょう。
自衛隊については、そういった事態に恐らくその設立以来立ち至ってないでしょうから不明ですが、要は武器という暴力装置使用のプロであることと、その行使とは別物であって、でも国家という存在意義が究極国民生活の保護だとすれば、有史以来そこには「暴力装置」の存在が不可欠だったと思います。
それが無いと、本当に暴力団とか某国政府とかが好き勝手に出来る世の中になる…
正義とはある意味で力です。
今回批判されている自民党議員などはその辺分かっているんですかね?
まあ、尤もこれまでの自民党代議士(例えば浜田元議員)を思い浮かべると、確かに彼らは国家統制の効いた「暴力装置」は嫌い、ということも良く分かったりして^^;