シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

六所神社 十二所神社

2010-11-14 | うんちく・小ネタ

本ブログで近所をうろうろしている時”発見”したランド・マークを記事仕立てで紹介していますが、今回はそこから知った蘊蓄編:

世田谷区給田にある六所神社と西新宿、十二社熊野神社に最近お邪魔してそれぞれ数字を神社名にしていることに興味を持ちました。そして、さらに「十二社」とは熊野三山にあった十二所神社から来ている、と知りました。

ということで、備忘録ブログ発進!です


先ず六所から調べると、島根県松江に六所神社があることを知りました。出雲の国府総社でもあった、とのことで最初は出雲が神々の集まる所とすればこちらが「六所神社」の本家筋であることは間違いないか、と思ったのですが、ググると律令制下で多くの国の総社が六所神社とのこと…

それは以下に述べる六柱の神々が一宮から六宮までの神様であり、その全てを勧請している神社が総社、となるから、という説だそうな。

ふむ、成程。

ちなみにその祭神はこちらの方々です:


伊邪那岐命 天照皇大神 月夜見命
伊邪那美命 素盞鳴尊命 大己貴命


一方、松江市で更に調べると、同市東端には十二所神社がありました。そこでの祭神は:


天照大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 素戔嗚尊
熊野久須日尊 瑞津姫尊 田心姫尊
市杵昆日尊 天津昆売尊 活津彦根尊
天忍穂耳尊 天穂日尊


と、日本発祥時に遡る最古の12柱の神々だそうです。伊弉諾尊=伊邪那岐(イザナギ)、伊弉冉尊=伊邪那美(イザナミ)ですから、六所の神様の中で4名含まれていますね。

と、ここで十二所神社についてググると多くの十二所神社は熊野三山の神を勧請したものだ、と分かりました。

熊野での十二柱は上述松江と若干異なるようです。

熊野は六所のお1人、伊邪那美命が亡くなられた際葬られた場所とのことで、修験道のメッカ。熊野三山(熊野本宮神社、熊野速玉神社、熊野那智大社)のそれぞれの神が共通の神として「熊野三所権現」乃至は「熊野十二所権現」となるそうです。

一方で神仏習合の影響から、この神様群に仏様が入る(例えば薬師如来)神社もあるので結構ややっこしいです^^; まあ、日本的ではありますね

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十二社 熊野神社

2010-11-14 | 古跡巡り

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この日、十二社通り沿いにある熊野神社へは中央公園から入りました。

学生時代からこの十二社通りは車で通学の際の抜け道でしたが、熊野神社に参拝するのは実は初めて…

詳しくはこちらのHPで、ですが;

 十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。

 鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。

というのが由緒だそうです。

Pa160048 Pa160049 新宿副都心の一角とはいえ、新宿中央公園で喧騒とは一線を画し、落ち着いた雰囲気となっています。

Pa160050_2Pa160051

次の2枚、最初の写真は境内神社のお稲荷様だったかな。十二社の池、奥の方の様子。

そして、社殿の前まで到着です。

横から入った形でしたので、振り返って神社全体の大きさを初めて感じます。

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この日、2人だけで結婚式を挙げているカップル+カメラマンが^^ いらっしゃいました。

白無垢に角隠し、和装の花嫁さんは代官山とか恵比寿の結婚式場では見ませんからね、新鮮でした。

当日も声を掛けましたが、おめでとうございます。

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で、正面鳥居からの全景です。

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