シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

大円寺 (甲子祭/山の手七福神)

2010-11-23 | うんちく・小ネタ

Pb100004 Pb100005

本ブログでは「笠森お仙」関連の記事で谷中にある同名のお寺を紹介したことがありますが、今回は目黒、行人坂の途中にある天台宗の名刹のご紹介。

この寺は、江戸の初期、元和年間(1615年から1624年)に湯殿山の行人、大海法印が建てた大日如来堂に始まると伝えられている。

というのがお寺の由来とか。だから”行人”坂なのかしらん…

Pb100018 Pb100019

ロケーション的には目黒川に向かって急坂となっている中腹ということで、「Eath Diver」的にも当然といった場所にあります。


このお寺、敷地はそれ程でもありませんが、さすが「ホリプロ」のお膝元?、話題満載のお寺なんです。


Pb100006 Pb100007

Pb100008 Pb100009

先ず、境内に入って向って左側にいらっしゃるのが「五百羅漢」様。明和9年(1772年)、このお寺が火元となった”行人坂火事”は江戸三大大火の一つに数えられており、折からの強風(北東の風だったみたいです)で下谷、浅草まで一直線上に焼き尽くしてしまったとか。

4枚目の写真、下の方は「とろけ地蔵」様です。

Pb100010 Pb100020

その犠牲者追悼のために作られたのがこの石仏群。50年以上掛けて作られたそうです。


Pb100015 Pb100017

次に「八百屋お七と情人吉三」のお話。

井原西鶴「好色五人女」で有名になった彼女はtokyoboyの実家がある駒込のとあるお寺へ火事で避難した際、吉三に出会った。

恋に落ちてしまった彼女はもう一回彼に会いたい、と天和3年(1683年)放火を試みた罪で死罪となった、というストーリーでしたよね。

ふむ、このお寺、火事に纏わる話が多いかも…

で、この吉三、事件後出家して大円寺の下にあった明月院(今の雅叙園だそうです)に身を寄せ、念仏堂の勧進とお七供養のために目黒不動と浅草観音の間を1万日日参した、というのが後日談。その際の仏像などが明月院が廃寺となったため、こちらにある、ということ。

どれ位の距離ですかね…

今ですと、東急目黒線不動前駅から目黒で都営三田線、三田で同浅草線に乗り換えて13.8km、380円。所要時間は乗り換え含めて約34分です^^;

ということで往復30km弱、となりますが、27年以上連続して徒歩で往復するのは大変だったことでしょう


Pb100014_2 Pb100017_2

更なるトピックは「甲子祭」。60日に一回、となると思うのですが、こちらのお寺では甲子の日にお祭りを行っていて、この訪問の日は2010年納めの甲子の日。

Pb100012 Pb100011

このお祭りの日他限定的に、本尊釈迦如来立像が開陳されます。

”生身の”と説明にあるのは胎内に色々収められているから、らしいのですが、よく分かりません。1193年造立と清凉寺式釈迦如来像の典型作であり、年代がはっきりしているものとして最古ということで重要文化財(旧国宝)に指定されています。

Pb100013 また、こちらは大黒天も祭って、山の手七福神のひとつとなっています。

この山の手七福神は白金から目黒に至って、なのでtokyoboy的には訪問しやすく、本ブログでも「三田用水」を探究する記事の中で白金台駅傍の妙円寺さん(福禄寿)を紹介しています。

近々目黒不動さんも紹介しますんで、お楽しみに^^


最後に…

Photo この行人坂を下って目黒川に出たところにある橋を「太鼓橋」と言います。

左は広重描くところのその橋で、今の赤い鉄パイプのそれとは一線を画しています。この袂に「太鼓鰻」という鰻屋さんがつい最近までありました。

如何にも昔は鰻が名物だったろうなあ、というロケーション。例えば文京区水道辺りにも名店がありますが、まあ汽水が入り込む(江戸時代ですよ!)ギリギリという感じです。

でもねえ 名物に美味いもの無し、とは良く言ったもので、そのお店も鰻重も不味い、量がちょびっと、という代物を供していて、ついにインド・カレー屋に淘汰されました…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする