あまりにあわただしい10月が過ぎてしまったけれど
ほんとは稲刈り、脱穀、モミスリをしていた。
そして、念願の自作の米も食べていた。
お食い初め?はおにぎりでした。
父ちゃんは「意外と感動がない」なんてこと、言ってますが。
わたしはこの日の夕飯栗ごはんを炊いたんだけど、
「これが何もお金を出さずに得たものでできたんだ」ってことを、しみじみ味わっていた。
やはりお米、主食の自給は「自分で生きてる」って感覚がしみじみ。。。
とかいって、ほとんどの行程で手伝ってもらって、助言してもらって、機械かしてもらって。
毎日家族がつかう陶器、マグカップも焼けた。
わたしにはめずらしい磁器。
実は父ちゃんは「陶器割るひと」なのであった。
いままでかなりやられている。
朝コーヒーとチャイをいれていた特大マグカップも
長いこと、この状態で飲んでいた。すごい修復歴。
衣食住のなかで、作る割合が増えてくる。ムフフフ。
お米を育てて収穫する課題をした時に
数えられるぐらいの米粒でも貴重品の
ように調理して食べたのを思い出しました。
本当に88回手がかかっていると実感した
ものです。本当にお米のありがたみが
わかる瞬間ですね。それと同時に
子供でも女性でもバケツででもお米を
作れるということにとても不思議な感動を
おぼえました。
学校などで田んぼをやるのっていいですね。
わたしは名古屋の小学校で一学年何百人といた世代ですので
やっていません。だからまったくの初体験。
中1息子は少しだけ学校でやったことがあるので、あまり抵抗なく手伝ってました(すぐによそ見して遊んでましたが)。
少しでもやったことがあるのとないのとでは、違うんだ~
バケツでも作るといいですよね。その過程見てるのだけでも楽しいし!赤米黒米だといつものごはんに混ぜれるから「これがうちで作った米だ!」とわかりやすくていいかも。都会の学校でもやってほしいなあ。
理解するうえで大きな違いがあります。
湘南地方でも学校でやっているので
どこでもできるでしょう。
以前備前を旅行した時に備前焼の粘土について
地元の人に以下のようなことを聞きました。
「備前焼の粘土は基本的に田んぼの中の土です。
田んぼは水が漏れないように粘土質の土が
最高なので、焼き物には適している。しかも
稲の茎に含まれるケイ酸質が長い間使った
田んぼには蓄積されている。それで古い田んぼの
土は最も良い。お米の値段が下がっている
現在、お米目当てで稲を育てるか、
その下の粘土の質を上げるために育てるのか、
わからないような人もたくさんいる。」
とのことでした。どの程度本当かわかりませんが、
粘土の値段が安ければ稲を育てて、高ければ
土を売るとは、いいような悪いような
判断がつきません。お米作りと陶芸と両方
なさるチマさんはどうお考えですか?
でも粘土を採るために稲を育てるなんて!それは初耳です。
もともと陶の仕事は農と一心同体で、その結果あのようなすばらしい備前焼が生まれたのだと思いますから、土も稲もどちらも欠かせない、欠かしてほしくないなあと思います。
わたしの陶の仕事は農とガッチリ組んで成り立ってるのではないのが悲しいところです。ここ最近風呂焚きで出た灰を釉に使ったりしていますが。夫は木こり仕事で伐採した木でお重とか弁当箱とか作れてて、いいなあー。