チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

「天のしずく」から始まる

2016年01月02日 | 読む見る聴く&思う

 

 あたらしい年を迎えました。

この冬は暖かくて、野鳥も余裕があるような飛び方。

この先だいじょうぶかなあーとちょっと心配になったり。

 

さて年始、子どもとつれあいが実家に帰っていてわたしは猫らと留守番なんだけれど

たまった映画を観なければならない。いや観たくてたまらんのだけれど。

 

まず一つ目「天のしずく」。

料理家の辰巳芳子さんがつくる「おつゆ、スープ」をめぐる様々なこと。

それだけでひとつの映画が出来てしまった。すごいね。

 

食べることってあっと言う間に終わってしまうのに、なんでこんなことに大事なんだろう!




丁寧に洗って皮をむき、細かく刻み、油をまんべんなくなじませ、とろ火でじっくり火を通し

休むことなくそろりそろりと鍋肌に木べらをそわす。

その作業のなんとうつくしいこと。ほうっ~

 

終末期医療に携わるお医者さんや看護士の方々はこのスープを入院されている方々に提供することで

何かが違うと感じている。

飲んでいる方々も何かを感じている。

それは「相手を思って自分の手を動かして長い時間かけてつくるそのスープ」に

込められてるものを判るから、なのかな。

 

こんな丁寧なことは大事におもう相手がいなければ、できないことなのではないかな。 

 

それがわかったのが映画のさいごのあたりで出て来た、岡山の療養所で暮らす元ハンセン氏病の

女性の手紙だった。

その女性は10歳からこの施設に暮らす。

 

施設で暮らす何十年かの日々。心を寄せ合い自分を支えてくれた女性が、

病に冒され余命いくばくかということがわかった。

彼女はテレビで辰巳先生の作るスープを見て、自分もその友だちにスープを作る

それが自分にできる唯一のことだと思って

不自由な右と左の手を合わせ木べらを挟み込み、安くて大きな鍋で

友だちのために何時間もかけてスープをつくる。

手のひらが開かない、だから野菜をきざむ、スープを濾す作業もむつかしいのがわかる。

でもゆっくりと作業はすすめられる。辰巳先生の言ったとおりに。

 

おおきい富があっても、このひとの左右の手にはかなわない。

なにものもかなわない。

 

じぶんはこのように手をうごかすことができるだろうか。

 

こういうこと、生きてる間にひとつでもできたらすごい。できたらいいんだけど。

そう願う新年でありました。

 

 

 

 

 

 



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