【備忘録】
本日は午前中4時間授業+学年集会。午後は学年会とテスト印刷。
勤務校、セミがないています。
工(カタカナの「エ」ではない)印のあるコンクリート製境界杭。通勤途中の踏切で見つけた。
工は工部省という役所の頭文字である。同省は1870年(明治3)設置、’85年(明治18)廃止。所管業務の一つとして鉄道行政を担当していた。
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明治時代、鉄道の所管(の名称)はめまぐるしく変わる。
工部省の前は民部省である。工部省は民部省から分かれた。1880年同省鉄道掛、’71年鉄道寮、’77年鉄道局。’85年内閣鉄道局と変更である。
杭は工部省を示すものだが、「工」の杭は、後の国鉄やJRでも使われているので、この杭がどれほど古いものかわからない。場所は宇都宮線の氷川踏切の下り線側(地図上北側)である。
現宇都宮線が国有化されたのは1906年。その時の鉄道の所管は逓信省鉄道作業局。当時は国鉄はおろか鉄道省もまだ存在しない。国有化時の杭ならば、100年は超えていることになる。
氷川踏切は東北本線(複線)に加えて、1969年開設の(現大宮総合車両センター)東大宮センターへの回送線がある。一番左側が回送線だ。センター開所時に踏切幅が増えた可能性がある。そうだとしてたら、50年を超えていることになる。
GoogleマップのStreetViewによれば、境界杭が確認できる。僕は見落としていたのだ。
令和6年6月現在、同所線路空地にはマンションが建設中である。