3.11 僕は何をしていただろう。
平成23年(’11年)3月11日(金)、僕は4番目の勤務校で、翌日の卒業式準備をしていた。5番目の勤務校への異動内示を受けていた。
卒業式前日、午前中は1,2時間目は3年生のみの予行、その後で全学予行。放課。午後の校内では、吹奏楽部が演奏練習。グランウドでは運動部が練習中だった。放送部顧問の僕は、体育館で放送機器の点検等をしていた。全ての準備が終わり、一息ついたところで地震。
その後のことは、当日以降数日間と、発災1年後の2012年3月11日のエントリに書いている。
あの日の日没は17時45分だった。発災日はあまり停電の記憶がない。
僕は19時半頃北浦和駅と与野駅の中間あたり、20時10分頃さいたま新都心駅近辺を歩いていた。20時半過ぎに自宅にたどり着いた。このエントリを書いていて思い出したのだが、僕は北浦和駅西口で立ち食い蕎麦を食べている。
あの地震から9年である。約束まであと1年である。あのときのクラスの生徒は、27歳である。僕も歳をとるはずだ。
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安倍首相が双葉訪問
復興状況を確認 JR常磐線試乗も(河北新報3/8)
安倍晋三首相は7日、福島県入りし、東京電力福島第1原発事故からの復興状況を視察した。4日に避難指示が一部解除された双葉町では、全線再開を14日に控えるJR常磐線の双葉駅を訪問し「多くの方々に浜通りに帰っていただけるように努力する」と述べた。
下の地図が復旧区間。
ついにという感じがする。関係者の尽力をたたえたい。
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東日本大震災関連記事
3月6日付時事によれば死者、行方不明者は以下の通り。引用する。
不明なお2,529人=東日本大震災、死者は15,899-警察庁
警察庁は6日、東日本大震災から9年となるのを前に、1日現在の被害状況を発表した。この1年間で新たに2人の遺体が見つかり、死者は12都道県で15,899人となった。別の2遺体の身元も確認され、行方不明者は4人減って6県で2,529人となった。
死者は宮城県が9,543人、岩手県4,675人、福島県1,614人で、他の9道県が計67人。遺体のうち99.6%は身元が確認できたが、岩手49人、宮城8人が未確認。新たな2人は岩手と宮城で工事現場や海で骨が見つかった。
下記は警察庁発表資料より。
3月11日、東日本大震災の発生から9年。警察庁緊急災害警備本部による『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置』(令和2年3月10日更新、閲覧可)のデータ。
〇亡くなられた方
15,899人(R.1.9.10から1人増)
〇行方不明の方
2,529人(R.1.9.10から2人減)
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このエントリの投稿時間14:46:18(正確には18秒1)は、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」の発生時刻(気象庁)である。揺れは2分以上継続した。