全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

スパーグローバル大学

2014-06-15 05:12:18 | 気になる 大学研究

 仕事柄、文部科学省のウェブサイトは日常的にチェックする。高校・大学教育、高大連携、英語教育関連ニュースは読む。

 6月6日、『平成26年度「スーパーグローバル大学創成支援」公募申請状況について』という項目が掲出された。面白そうなので、申請大学リストをDL、資料を読んでみた。第一印象として、一部の大学は、「頭が壊れている」のではないかと強い危惧を感じた。すごい状況である。

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 資料の中の各大学の構想名を見て、高校時代に漢文の授業で習った、中国の成句の内容をぼんやりとを思いだした。

 『自分の本分を忘れ、無闇に他人を真似たりしていると、中途半端なことになり、真似しようとしたことだけでなく、本分の方まで駄目になってしまう。

 何という成句か、名前は思い出せなかった。でも、こんなことをしてはいけないという、もっともな戒めである。

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 申請大学中、自分の本分(日本社会にある「大学」としてのありよう、個別の大学生き方)を忘れ、「スーパーグローバル大学」になろうとして、珍妙な構想名を申請書に書いたところが間違いなくある。理想とするものにはたどりつかず、大学が現在持ついいところも弱体化、喪失する。後はグシャグシャになる。
 構想名だからとごまかしてはいけない。たかが構想名、されど構想名である。日本語として認知されていないようなカタカナ語を並べて、我が大学の構想でございますと(見栄をはって)申請しているところがある。大学の先生ならばわかるだろうと思うのだが、残念なところもあるようだ。気がつかないとしたら、気がついても修正がきかないとしたら、「頭が...」では?

 僕は以前、こう書いたことがある。

 日本国総理大臣が母語・日本語で語れないのでは、危険。気味が悪い。
 英語の先生は、むやみにカタカナ語を使う人を信用しない。

 大学も日本の社会に生きる存在だ。グローバルと言っても、日本社会を出て行くわけではない。予算措置(補助金)があるとしたら、それは日本のお金である。奇をてらったり、不必要にカタカナ語を振り回すのは、政治家以上にみっともないこと。日本語で説明できないのはいけないことではないか。

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 出典:デジタル大辞泉

 【邯鄲の歩み】(かんたんのあゆみ)
 《昔、燕の青年が邯鄲に歩き方を習いにいったが習得できず、故国の歩き方も忘れてはって帰ったという「荘子」秋水の故事から》
 むやみに他人のまねをすれば、自分本来のものも忘れて、両方とも失うことのたとえ。


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