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長岡京の遺物、次世代に 市埋文調査センターで企画展

2016-03-28 15:00:35 | 歴 history
 発掘した貴重な遺物の保存方法を実感してもらおうと、京都府長岡京市の長岡京市埋蔵文化財調査センター(同市奥海印寺)は、ミニ展示「保存処理遺物~次の時代に伝えるために」を開いている。市内の長岡京跡から出土した24点が、訪れる人の目を引いている。

 五位以上の貴族がかぶると定められていた「漆紗冠(しつしゃかん)」が目玉の一つ。網状の繊維に黒漆を塗って仕上げたかぶり物で、壊れやすいため出土することが少なく、長岡京跡からも6例しかない。展示物は縦12センチ、横15センチで、ひしゃげているが、原形がある程度分かる。

 動物の皮を漆で固めた漆塗り容器は、無数の細かい破片をつなぎ合わせて復元。発掘当初は四角い箱と思われたが、底に丸みがあり、かごのような形になっている。復元後、専門機関が石こうやシリコンを使い、腐食や型崩れ防止処理を施した。会場には処理の様子を紹介する写真パネルも展示されている。

 木製の敷物「円座」もあり、モモの種が乗っていたことから祭祀(さいし)で使われたとみられるという。このほか、木のくし、鉄くぎなども並んでいる。

 5月31日まで。月曜~金曜日の午前8時半~午後5時と、第2・4日曜日の午前10時~午後4時。無料。

【 2016年03月25日 10時48分 】

伊勢参りの集まり「講」 京都・大山崎で史料展示

2016-03-12 11:54:04 | 歴 history
 伊勢神宮の参詣のための集まりである「伊勢講」の史料を集めた小企画展が、京都府大山崎町大山崎の町歴史資料館で開かれている。当時の大山崎周辺における共同体の様子を今に伝えている。

 江戸時代、国内の村落では神社などを詣でる旅費に充てるため、定期的に資金を出し合う「講」という人間関係があった。大山崎では近現代まで「伊勢講」が続いていた。

 会場には、同町内の旧家の住民などから集められた伊勢講にまつわる古文書や史料が展示されている。当時の集金受付帳や、伊勢参りに向かう際の規約などがあり、講という仕組みが当時の人々のつながりを緊密にしていたことがうかがえる。

 終戦直後の伊勢講の資金として残されていた十円札や、史料を保管していた江戸時代後期の木箱なども置かれている。21日まで。月曜休館。入館料200円(小中学生は無料)。

【 2016年03月11日 11時00分 】

歴史重ねて華やかに、ひな人形めぐり 京都・向日

2016-03-07 06:59:55 | 歴 history
 桃の節句を前に「西国街道ひな人形めぐり」が27日、京都府向日市を中心に西国街道一帯で始まった。江戸時代から現代までの豪華なひな飾りや道具などが展示され、訪れた人たちを楽しませている。

 貴重なひな人形の展示を通じて地域を活性化しようと、地元有志でつくるグループが毎年開いている。今年は商店、古民家など30カ所が人形などを飾っている。

 国登録有形文化財の中小路家住宅(向日市上植野町)では、江戸時代に作られた親王飾りをはじめ、京都御所を模した豪華な建物に男びなと女びなが収まる「御殿飾り」、全国各地の流しびなや、つるしびななどが展示されている。来場者は、時代や地域によって異なる飾りをじっくりと眺め、カメラに収めていた。

 友人と訪れた主婦の久島佐智子さん(69)=京都市西京区=は、「子どもの頃、ひな祭りで使っていたのと似た小型の重箱が展示されていて、懐かしく当時を思い出した」と話していた。

 3日まで(中小路家住宅は6日まで)。一部有料。

【 2016年02月28日 09時50分 】

京都・向日市、歴まち認定1年を祝う

2016-02-21 10:07:26 | 歴 history
 京都府向日市の歴史まちづくり法に基づく計画(歴まち計画)認定1周年を記念したイベントが14日、市文化資料館(同市寺戸町)で開かれた。市のPRポスター「むこう、むこう」に長岡京時代の衣装で登場するモデル女性が安田守市長と対談したほか、長岡宮発掘に尽力した故中山修一さんの未公表原稿に関する講演会もあった。

 イベントの第1部には市民ら約100人が集まった。安田市長が市内の遺跡や観光スポットなどを紹介した後、モデルの松木育未さん(18)がポスターと同じ装いで登場。安田市長から衣装の感想などを聞かれると、「華やかな色と模様が印象的。ポスターを見た人に、少しでも向日市に興味を持ってほしい」と話していた。

 第2部には約120人が参加し、長岡宮発掘に長年取り組んだ龍谷大の國下多美樹さんと大山崎町教育委員会の古閑正浩さんが講演した。國下さんは昨春に発見された中山さんの未公表原稿について、「長岡宮中枢における遺物の発見状況や宮殿の初期の復元過程を詳しく知ることができる」とその価値を説明した。

 また、中山さんが大極殿の位置を推定したことについては「『大極殿跡ではコンボ(ゴボウ)がよく採れる』という伝聞だけでなく、資料の検討や地形条件など、科学的な根拠があった」と評した。

【 2016年02月16日 11時25分 】

京都・向日の史跡巡り盛況 横穴式石室に長蛇の列

2016-02-14 12:04:01 | 歴 history
 京都府向日市内の古墳を歩いて巡るスタンプラリー「史跡めぐり 大発見向日市」(市教育委員会など主催)が7日に催された。500人を超える参加者が豊富な歴史遺産に触れながら、国史跡に追加指定される「乙訓古墳群」を含む7カ所でスタンプを集めた。

 乙訓古墳群は向日市のほか、京都市西京区、長岡京市、大山崎町に分布する11基。向日市内にはこのうち5基がある。

 スタンプラリーは、市文化資料館をスタートし、乙訓古墳群に含まれる寺戸大塚古墳、五塚原古墳、元稲荷古墳、物集女車塚古墳のほか、桓武天皇皇后陵を巡って、ゴールの国史跡長岡宮跡朝堂院公園に向かうコース。

 物集女車塚古墳では、普段非公開の横穴式石室が特別公開され、有力豪族の墓を一目見ようと長蛇の列ができた。石室内では市埋蔵文化財センター職員に「誰が被葬されているの」「どうやって作ったの」などと尋ねていた。

 寺戸大塚古墳では、小高い丘を転倒に注意しながら歩き、全長100メートル近い古墳の大きさを体感していた。

【 2016年02月08日 11時57分 】

長岡宮の遺跡CGでリアル 京都・向日市教委、再現に力

2015-12-20 10:26:47 | 歴 history
 長岡京時代の都の姿を体感することで文化財への関心をより高めてもらおうと、京都府向日市教育委員会がコンピューター端末を使った長岡宮の再現に力を入れている。10月下旬に開かれた遺跡の現地説明会では、参加者がタブレット端末やスマートフォンを通じて、現在の風景と当時の建物を復元したCGとの対比を楽しんだほか、スマートグラスと呼ばれる眼鏡型端末なども体験した。最新のデジタル機器で、いにしえのロマンをかき立て、新たなファン層を獲得できるか、注目される。

■説明会で参加者「立体的で面白い」

 大極殿院回廊の柱穴が発掘された同市鶏冠井町の遺跡。説明会の参加者が市埋蔵文化財センター職員の説明を聞きながら、スマートフォンやタブレット端末を掲げると、画面には現実の遺跡の風景に重なるように、鮮やかな朱色の回廊が映し出された。

 端末にダウンロードされた「史跡長岡宮跡復元・体感アプリ『AR長岡宮』」は、視点の変化に合わせて原寸大の建物や回廊が動く仕組みで、市教委が昨年3月に開発した。市文化財調査事務所によると、端末を使った現地説明会は全国初という。

 説明会では、タブレット端末40台が貸し出されたほか、ソフトウエア開発会社「ジーン」(大阪市淀川区)が最新機器を用いて試作したアプリの体験会もあった。スマートグラスは眼鏡として装着できるため、スマホのように持ち歩く手間が省ける。頭に付ける「ヘッドマウントディスプレー」(HMD)は3Dの長岡宮が楽しめる。HMDを体験した近くの青木隆夫さん(69)は「立体的ですごく面白かった」と話していた。

 住宅が密集する同市では、遺跡が埋め戻されて市街地開発されたケースが多い。同事務所は「最新の機器を使うことで、よりリアリティーを持ってもらえれば」としている。

【 2015年12月16日 09時22分 】

残したい風景、再確認 京都・長岡京、市民と学生が活用検討

2015-12-13 13:35:56 | 歴 history
 京都府長岡京市の眺望について考えるワークショップが6日、同市神足2丁目の市中央生涯学習センターで開かれた。参加者たちは、将来に残すべき市内の原風景を確認し、活用法を話し合った。

 乙訓地域の古今の景色を詠んだ漢詩を編さんしている市民団体「チーム乙訓」と、京都大の学生が主催した。

 景観を生かしたまちづくりについて研究している同大学の学生たちが、市民を対象に行ったアンケートを基に、「長岡京市らしさ」が感じられる32カ所を紹介した。柳谷観音楊谷寺や乙訓寺のほか、れんが造りがレトロな神足六連橋や、住宅地の中にある今里大塚古墳など、地域住民ならではの場所が挙げられた。

 続いて、参加者と学生たちが班になって、32カ所の候補から自分たちが残したい風景に投票した。その後、各眺望の活用策について意見交換し、「史跡などは、手を加えすぎると逆に風情が損なわれるのでは」「有名な観光地と、ガイドブックに載っていない景色を線でつなげてみては」といった声が出た。

 参加した住民からは「普段は気付かないが、愛着のある景色が地元にあることを再確認できた」といった感想が聞かれた。

【 2015年12月07日 09時36分 】

「大和魂は交易で誕生」 京都府埋文研、日本文化の原点探る

2015-12-06 10:51:15 | 歴 history
 京都府埋蔵文化財調査研究センターの設立35周年を記念した講演会「和魂漢才(やまとごころとからざえ)-京都・東アジア交流の考古学-」が29日、向日市寺戸町の市民会館で開かれた。古代・中世における海外との人や物の交流を通して、日本文化の原点を探った。

 京都市中京区の京都文化博物館で開催中の記念展覧会に合わせ、埋蔵文化財への理解を深めてもらおうと府教育委員会と同センターが企画した。市民ら190人が参加した。

 上田正昭理事長は、平安京に中国や朝鮮半島など渡来系の氏族が多数居住していたことを紹介した。中でも秦氏は、平安京・長岡京の造営をはじめ、京都盆地の開発に大きな役割を果たしたという。

 一方で、源氏物語などに頻繁に登場する「大和魂」という言葉に触れ、「日本の都には中国のような城壁はなく、宦官(かんがん)制度もない。先人が隣国の文化を無原則に受け入れていなかったことは、現在アメリカ化している日本には重要な問題」と強調した。

 また、井上満郎理事は、遣唐使だけではなく、民間レベルの交易も盛んだったと指摘し、「頻繁に国外から人や物が流入したからこそ、先人は日本文化とは何かを考え、大和魂という言葉が生まれるようになった」と話した。

 井上理事や府立大の菱田哲郎教授らによるシンポジウムもあった。

【 2015年11月30日 12時26分 】

古代の姿、解明に弾み 京都「乙訓古墳群」国史跡に

2015-11-29 12:46:37 | 歴 history
 京都府南西部の乙訓2市1町と京都市西京区に分布する古墳11基が20日、「乙訓古墳群」と名称変更し、国の史跡に追加指定されることが決まった。乙訓地域からは新たに8基が史跡指定される。観光振興や今後の調査の弾みになると、関係者は受け止めている。

 向日市では、五塚原古墳(寺戸町)、元稲荷古墳(向日町)、南条古墳(物集女町)、物集女車塚古墳(同)の4基が新たに史跡指定される。中でも、古墳時代最初期の3世紀半ば~後半に造営された五塚原古墳は、卑弥呼の墓との説がある「箸墓(はしはか)古墳」(奈良県桜井市)と全国で唯一、同じ構造を持つことが近年判明した。箸墓古墳は宮内庁が立ち入りを禁じているだけに、五塚原古墳の調査を通じて、最初期の古墳の構造や王権の姿を読み解く手掛かりになると期待される。

 市は2月、歴史まちづくり法に基づく計画(歴まち計画)認定を受け、長岡京の中枢が置かれた「歴史のまち」を前面に打ちだそうとしている。その上で五十棲敏浩副市長は「古墳時代の豊かな歴史遺産も残る。地権者の意向を聞きながら、史跡公園などの整備を進め、観光振興につなげたい」と意気込む。

 長岡京市は、1981年に国史跡に指定された乙訓地域最大の前方後円墳・恵解山(いげのやま)古墳(勝竜寺、久貝2丁目)に加え、井ノ内車塚古墳(井ノ内)、井ノ内稲荷塚古墳(同)、今里大塚古墳(天神5丁目)が新たに指定される。

 3基はいずれも古墳時代後期の6世紀前半~7世紀前半にかけて造営された。最近の調査で、井ノ内車塚古墳から須恵器や赤色顔料が混じった土が見つかった。同様の出土物が確認された他の2基と同じ横穴式石室を持つ可能性が浮上しており、今後の調査が注目される。

 市埋蔵文化財センターの中島皆夫事務局次長は「古墳群として一体的に指定されることで、3市1町での調査情報共有が進むことが大きい。指定がこれからの調査の励みにもなる」と受け止める。

 大山崎町では、鳥居前古墳(円明寺)が唯一指定される。全長54メートル、高さ8メートルの前方後円墳。古墳時代前期末の4世紀末~5世紀初めに築かれたとされる。69年に調査が始まり、竪穴式石室から鉄剣や勾玉(まがたま)などさまざまな副葬品が見つかっている。中でも、「巴(ともえ)形銅器」と呼ばれる副葬品は朝鮮半島南部でも出土例があり、被葬者が朝鮮と外交関係を持ったことがうかがえるという。

 町教育委員会は「乙訓古墳『群』という価値付けによって、乙訓地域全体の連帯感を強めるツールにもなる」とした上で、「古墳は地域の歴史の象徴。今後は、公有地化も含め残していく責任感が増す」と話す。

【 2015年11月21日 10時03分 】

武士集団「西岡衆」の活躍紹介 京都・乙訓の教員ら冊子

2015-11-20 06:15:43 | 歴 history
 京都府乙訓地域の教員らでつくる「京都乙訓ふるさと歴史研究会」は、戦国時代に乙訓の自治を担った武士集団「西岡衆(にしのおかしゅう)」についてまとめた冊子を作った。応仁の乱(1467年)で活躍した野田泰忠や、織田信長勢と対立して殺害された物集女宗入ら6人を、イラストと分かりやすい説明文で紹介している。

 西岡衆は都の近郊で時々の政権を支え、時にはあらがうなどして、中央政治に大きな影響を与えた。

 冊子では、応仁の乱に参戦した野田泰忠が合戦の詳細を書き残した「軍忠状」のほか、1570年に浅井長政らの軍勢に追い詰められた信長勢を西岡衆が支援して和睦につなげたエピソード、信長の配下として乙訓を支配した細川藤孝へのあいさつを拒否し、勝龍寺城下(長岡京市)で暗殺された物集女宗入などについて記している。また、西岡衆が山崎の合戦で明智光秀側についたことや、天下統一を果たした豊臣秀吉によって乙訓が直轄領になり、武将の多くが百姓に転身したことも紹介。「時代の激しい流れに翻弄(ほんろう)されながらも、民の豊かな暮らしを願い、力強く生きた」と評している。

 表紙のイラストは、山崎の合戦に参戦した革嶋秀存や神足友善、鶏冠井雅盛、寒川運秀を含めた6人で、長岡京市のイラストレーター添田一平さんが描いた。文献がほとんど残っていない武将も多く、拠点にした場所や子孫などからイメージを膨らませたという。

 冊子は概要版で、B4判4ページ。3千部作り、市内の小学5年~中学3年全員に配った。今後、詳細版も作製する予定。同研究会長の中西昌史さん(50)=京都市西京区=は「古里の歴史を学び、15日の向日市まつりで行われる西岡衆武者行列を楽しんでほしい」と話している。

 冊子は市文化資料館などで入手できる。問い合わせは中西さん携帯電話080(3036)3035。

【 2015年11月12日 11時46分 】

長岡宮は向日市にあった! 「歴まち計画」認定受け、新ポスター

2015-11-18 07:49:52 | 歴 history
 京都府内で京都市、宇治市に次いで歴史まちづくり法に基づく計画(歴まち計画)認定を受けた向日市は、長岡宮の中心地が同市にあったという事実と魅力を発信する取り組みを本格化させている。ポスターや看板を作り、駅や電車、公共施設などで掲示を進めている。

 ポスターと看板には長岡京時代の衣装に身を包んだ女性と、多くの人に向日市に振り向いてもらいたいとの願いを込めて「むこう、むこう」の文字をあしらった。背景を、長岡京時代に官僚の装束に使われた緋色(ひいろ)に統一し、歴史の重みと高貴さを演出した。

 看板は、すでにJR向日町駅と阪急の東向日、西向日両駅の計8カ所に設置した。ポスターはB1~3判の3種類あり、約1万2千部作製。今月から順次、電車内や公用車、市内の施設などに掲示している。同市は多くの歴史遺産を持っているが、市外の人にはあまり知られていない。市は今後、桓武天皇が政務を執った大極殿跡などをモチーフにしたポスターも作る予定。

【 2015年11月06日 08時59分 】

発掘したら発掘記念品出土 京都・長岡宮大極殿院

2015-10-26 13:48:42 | 歴 history
 長岡宮大極殿院(京都府向日市鶏冠井町)回廊の柱穴が出土した場所からは、「長岡京第一回発掘記念」と書かれた湯飲み茶碗も見つかった。長岡京跡の発掘調査が始まった約60年前のものである可能性が高いが、執筆者は不明。発掘現場の土地所有者で長岡京研究に尽力した故小林清さんか、はたまた黎明(れいめい)期から調査に携わり「幻の都」の存在を証明した故中山修一さんか。思わぬ「タイムカプセル」の発見は、遺跡ファンの好奇心をさらにくすぐりそうだ。

■60年前?誰が埋めた

 長岡京の発掘調査は高校教諭だった中山さんが1954年に着手し、長岡宮朝堂院中門跡を見つけて都の実在を証明した。小林さんはもともと鶏冠井町の自宅農地で種苗業を営んでいたが、61年に中山さんと出会って研究の世界に入り、難波宮からの大極殿移築説を最初に唱えるなど、大きな足跡を残した。

 市埋蔵文化財センターによると、湯飲み茶碗は9月末、柱穴が発見されたトレンチの南端で発見された。直径8センチで、飲み口が少し欠けているものの、保存状態は良好。文字は朱色で、器の外側に筆を使ったようなタッチで書かれていた。

 同センターは、発掘調査の初期から指導にあたっていた京都大教授の故福山敏男さんを含め、3人の誰かが書いたのではないかとみる。そのうち「第一回」の調査には関わったのは中山さんしかいないが、中山さんや福山さんの筆跡と、茶碗のものとは違うとする知人の証言もある。

 同センター普及係長の中島信親さんは、小林さんの手書き原稿と似ている文字があることから「小林説」を唱える。「いくつ作ったのかは分からないが、最初の調査なので思い入れがあったのでしょう」と話している。

【 2015年10月23日 11時38分 】

栄華語る多彩埴輪、変遷たどる 京都・乙訓

2015-10-19 12:23:56 | 歴 history
 京都府乙訓地域の古墳から出土した埴輪(はにわ)の変遷をたどる「埴輪からみた向日丘陵の古墳」が、向日市文化資料館(同市寺戸町)で開かれている。時代によって形や文様が変化する様子が分かるほか、乙訓でも屈指の美しさと言われる円筒埴輪など見応えのある出土品が並んでいる。

 京都盆地にある古墳約900基のうち埴輪を備えていたのは74基で、このうち63基が乙訓に偏在している。「京都盆地では5世紀半ばまでは乙訓が政治・文化の中心だった証拠」と市埋蔵文化財センターの梅本康広次長は話す。

 展示では、埴輪を備えた乙訓最古の元稲荷古墳(向日市、3世紀後半頃)から物集女車塚古墳(同、6世紀半ば頃)までの出土品を紹介する。埴輪の起源と言われる特殊器台や朝顔のような形の口を持つ朝顔形埴輪、寺戸大塚古墳(同、4世紀前半頃)で見つかった国内最古の鶏形・家形埴輪、全長1メートルを超える乙訓最大の今里車塚古墳(長岡京市、5世紀前半頃)の円筒埴輪などが並ぶ。

 大極殿古墳(向日市、5世紀後半頃)の円筒埴輪には、当時神聖視されていたシカの角や尾が鮮やかに描かれ、保存状態もよく乙訓で最も美しい埴輪の一つという。一方、物集女車塚古墳では、変形したまま焼き上げるなど粗雑な作りの埴輪が多く、時代を経て埴輪が重要視されなくなった背景が読み取れる。

 また、五塚原古墳(向日市、3世紀半ば~後半頃)は、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳と同じ構造を持つことが近年判明したが、埴輪や土器が出土されていない。梅本次長は「京都盆地で埴輪が導入される以前の古墳と評価できる」と解説している。25日まで。無料。

【 2015年10月16日 11時13分 】

長岡宮跡のPRロゴ決定 京都・向日市「長岡京の中心」アピール

2015-10-02 13:04:47 | 歴 history
 京都府向日市は、長岡京の中心地が同市にあったという歴史的事実をアピールする「長岡宮跡PRロゴマーク」を決めた。大極殿と特産の竹をモチーフに、雲隠れした秘境の地をイメージした作品で、今後、PR活動グッズや広報紙などに使用する。

 同市は2月に歴史まちづくり法に基づく計画(歴まち)認定を受けたのを契機に、歴史を生かしたまちづくりのシンボルとして、7月からロゴマークを募っていた。

 市民を中心に北海道や宮崎県などから計115人189点の応募があった。選考の結果、最優秀賞に選ばれた南知晶さん=京都市西京区=の作品がロゴマークに選ばれた。

 また、市職員から募集したキャッチコピーには「古都のむこう 魅力のふるさと」が採用された。

 10日に市民会館ホール(同市寺戸町)で表彰式が行われる。

【 2015年10月01日 09時42分 】

京都・大山崎と堺、連携に意欲 両首長、国宝茶室で懇談

2015-09-28 19:55:32 | 歴 history
 茶人・千利休が生まれ育った堺市の竹山修身市長が24日、利休が手がけた妙喜庵(京都府大山崎町大山崎)の国宝茶室「待庵」を見学し、同町の山本圭一町長と懇談した。竹山市長は「大山崎町と堺市は深い結びつきにある。『茶室のふるさと』がある大山崎町と観光面などで協力していきたい」と連携に意欲を示した。

 堺市には創建当初の待庵を再現した空間がある観光施設「さかい利晶の杜(もり)」があり、竹山市長が訪問を希望し、実現した。両市町の間では住民レベルの文化交流が行われていたが、首長同士が対面するの初めて。

 竹山市長は、待庵の中で町の文化財担当者から茶室の歴史や、2畳という狭さながら、広がりを感じさせる構造上の特徴の説明を受けた。にじり口から小雨が降る屋外を眺め、利休が手がけたとされる茶室内の調光加減などの工夫について熱心に質問をした。

 待庵について竹山市長は「とても2畳とは思えない広さ。心の平安を感じさせる」と話した。

 その後、同寺の書院で茶会が催され、両首長は交流を深めた。竹山市長は「まず事務レベルで連携を進め、友好・交流協定などの形にしていきたい」と述べた。

【 2015年09月25日 11時39分 】