スポーツニッポン2月12日(日)6時0分
リング上にいたのは、お笑い芸人のしずちゃんじゃなかった。前に出る鈴木と壮絶な打ち合いを展開。1メートル82の巨体で1メートル68の相手を圧倒した。最大の見せ場は2回。ワンツーから右ストレートでスタンディング・ダウンを奪った。3、4回はパンチを食う場面もあったが、手数で上回った。2分×4ラウンドの激闘を26―11の大差判定で制した。リングを下りて、梅津正彦トレーナー(43)から髪の毛をクシャクシャにされると、ようやくいつもの人懐こい笑顔を見せた。
「人生で初めて一番になれました。今までは泣いてばかりでしたけど、きょうは初めて泣きませんでした。本当にうれしい」。金メダルを手に山崎は感慨に浸った。ミドル級は出場3人。自身が戦ったのはわずか1試合とはいえ日本一のタイトル、そして世界選手権代表を手中にした。五輪への道もつながった。
人気漫画「あしたのジョー」の影響で趣味でボクシングを始めたのは07年。08年、ドラマでボクサー役を演じ、試合出場への思いが募り、本格的に打ち込んだ。09年2月にC級ライセンス取得。女子ボクシングがロンドン五輪の正式種目に決まり目標が定まった。梅津氏に師事し1日6時間以上の練習に耐えてきた。
昨年5月には全日本の強化選手に指定。強化合宿で初の実戦形式スパーに臨みレフェリーが試合を止める“初勝利”を収めた。その後は韓国やインドネシアなど海外で武者修行を敢行。昨年9月に台湾で初の公式戦「台北市国際カップ」に出場したが地元選手に大差の判定負け。その敗戦を糧にさらに練習に励んだ。
仕事を4分の1に減らしボクシング中心の生活を送った。練習のしすぎで救急車で搬送されたり、けいれんを起こしたことも。90キロ近くあった体重を75キロまで落とした。グルメ番組に出演しながら料理を一口も食べなかったこともあるという。
「私のために、こんなに一生懸命になってくれる人はいない。梅津さんのためにも勝ちたかった」。二人三脚で歩んできた梅津氏は昨年秋から体調不良を訴えていたが、7日に皮膚がんと診断され「放っておいたら余命1年」と告げられた。8日に都内の病院で受けることを勧められた手術を16日に延期してまでサポートしてくれる恩師のためにも優勝したかった。
次なる目標はアジア選手権(3月16日開幕、モンゴル)。「やっと五輪のスタートラインに立てた。後で振り返ったとき、きょうの自分は弱かったなと思えるくらい強くなりたい。練習あるのみ。マネジャーと日程を調整し、しばらくは練習に集中できる環境づくりをしたい」。全くボケることなく、夢の舞台を見据えた。
◆山崎 静代(やまさき・しずよ)1979年(昭54)2月4日、大阪府茨木市生まれの33歳。大阪・茨木西中時代は陸上部で砲丸投げ選手。茨木西高時代は女子サッカー部に所属していた。03年に山里亮太(34)と「南海キャンディーズ」を結成。ボケ担当。04年ABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞受賞。1メートル82。血液型A。