ISISはコバニ自治州の75%を占領した。9月24日、市の南方8kmに迫った。27日、ISISはさらに市に近づいた。
(地図の説明)9月15日の前線がコバニ自治州の境界とほぼ一致する。黄色の部分がコバニ市であり、クルド軍が防衛している。
<9月27日ー8月4日>
[引用開始]===========
コバニ包囲戦 Siege of Kobanî
9月27日、米国と有志連合がコバニ市から4kmにあるISISの陣地を空爆した。アリシャールという村にISISの司令部があり、いくつもの陣地があった。空爆はこれらを標的とした。これが有志連合による最初の空爆だった。
しかしISISに対する空爆は抑制されたものだった。トルコに配慮したからである。クルド人を支援することは、トルコの敵を支援することになる。
空爆を受けながらも、、ISISは市内に向けて砲撃を続けた。
9月28日までに、トルコから1500人のクルド人が援軍としてコバニに到着した。
翌日、ISISは市の南と南西5kmのところまで迫った。この間ISISは2日連続、市内を砲撃した。
9月30日、ISISは市から2kmに迫った。
クルド軍が反撃し、ISISの戦車2台を破壊した。
10月1日、ISISは最後の村を占領し、市の入り口から1kmに迫った。クルド軍は市街戦に備え、陣地の防備を強化した。この日の夜、クルド軍は市の郊外の村の大部分から退却した。彼らは極端に武器が不足していた。
ISISは占領した近郊の村で、拷問・女性に対する暴行・殺人を行った。またクルド兵の男女を問わず、首を切断した。
10月2日、ISISは市から数百メートルに迫った。ここで激しい戦闘となり、市の東側でISIS兵57人が死亡した。市の南側ではISISのイラク人指揮官と8人の兵が死んだ。
この日までの5日間に、有志連合は合計7回出撃した。
10月3日、ISISは市の南西の境界にも迫った。夜になって、米空軍がISISを空爆した。
3日の深夜、ISISは市内に入ろうとしたが、クルド軍の反撃にあって、追い返された。
10月4日、有志連合はISISを空爆した。補給物資・戦闘員・重砲・人員輸送車を標的にした。市内の住民はすでにトルコ避難しており、市内にはクルド軍の戦闘員しか残っていなかった。この日最後まで市内に残っていた外国のジャーナリストも去った。
コバニ自治州の90%の住民が避難した。
================= [引用終了]
<ミスタヌールの丘の戦闘>
10月5日は、包囲の開始以来最も激しい戦闘となった。繰り返される砲撃と重機関銃の音がコバニ市内に響いた。ISISは、市の南東のミスタヌールの丘を攻撃した。丘からは市街地を見渡せる。ここを奪えば、市内を砲撃でき、敵の動きを把握できる。市内に入ることが容易になる。コバニの包囲を開始してからの3週間にして最大の山場を迎えた。
次の地図で、ミスタヌールの丘の位置がわかる。地図は8日の戦況であるが、5日とあまり変わらない。ISISは市内に踏み込んだが、先に進めずにいる。
ekurd.netというサイトが、ミスタヌールの丘の戦闘に関するテレビ報送について書いている。
[引用開始]===========
クルドのテビ局 NTVは、「丘の上に、戦車と機関銃とISIS兵の姿が見えた」と報道した。リポーターは続けた。
「4日から5日にかけて一晩中、激しい戦闘が続いた。1時間に15回の爆発音が聞こえた。ISISは戦車と迫撃砲で丘を砲撃した。ISISの攻撃はここ数日、激しさを増していた。ISISの歩兵は家の中から、あるいは土壁の背後から小銃を撃ってくる」。
IS militants captured a strategic hill overlooking Syrian Kurdish Kobani town
============== [引用終了]
同じことをロイターも伝えている。
YPGの一人がロイターの記者に語った。「ここ3日間、状況が悪化している。そして今日は最悪だ。連中(ISIS)は何が何でも、市内に突入しようとしている」。
クルド軍の方も必死である。丘を失えば、ISISを市外に押しとどめることは難しくなる。有志連合もクルドを支援した。ISISに対し、3回空爆した。
丘を防衛するクルド守備軍は必死である。コバニ陥落は時間の問題というのが一般的な見方であり、劣勢なクルド軍も絶望的な状況を自覚していた。「我々はいかなる犠牲を払っても、市を防衛する」とYPGは決意を表明した。老人に手りゅう弾を渡し、ろくに訓練も受けていない少年少女を前線に送った。
こうしたなかで、ISISの戦車と重機関銃に対抗して、自爆攻撃がなされた。。自爆したのはクルド人女性である。これはクルド人女性兵士による最初の自爆攻撃である。彼女は2児の母親であり、名前はデイラール・カンジ・カミス(Deilar Kanj Khamis)という。彼女は2児と別れて、死に向かった。
クルド軍の多くが退却し、少数の者が最後まで戦った。彼女は残留者の一人だった。カミスはミルカン(Arin Mirkan)という戦士名を持ち、殉死以前から、勇敢な戦闘員という評判が高かった。
彼女の自爆攻撃により、10人のISISが死んだ。クルドの反撃により、さらに6人のISISが死亡した。空爆はほとんど効果がなかったと言われる。
クルド軍は、女性自爆者を含め11人戦死した。
クルドの必死の反撃にもかかわらず、5日、ISISはミスタヌールの丘の南側を制圧した。
ISISは先週、市の西側の、別の丘も占領している。ISISは戦略的に極めて有利になった。
こうしたISISの進撃を、クルド軍は懸命に食い止めようとしている。ISISはまだ市内に入っていない。しかし市の境界付近で戦闘が始まっている。
米国と有志連合もクルド支援のため、ISISを空爆している。しかしクルドの指導者は、有志連合とトルコの努力は不十分だ、と批判した。「彼らは、危機にあるコバニを救うおうと考えていない」。
[引用開始] ===============
IS militants captured a strategic hill overlooking Syrian Kurdish Kobani town
トルコは国境で起きていることに介入する気配がない。トルコにとってコバニのクルド軍は敵であり、ISISと戦う理由がない。クルディスタン労働者党(PKK)がかかげるクルド民族主義は、トルコの治安にとって最大の脅威である。シリアの人民防衛隊(YPG)はPKKの下部組織である。
バイデン副大統領は、10月2日ハーバード大学で述べた、「トルコのエルドアン大統領は、アサド大統領を倒すことに夢中になっており、イスラム過激派がトルコからシリアに入ることを許してる」。
米国の空爆はシリアではなく、イラクのISISに対して集中している。ペンタゴンの報道官は「コバニで起きていることに無関心ではない」と言った。
================== [引用終了]
トルコ側から撮影した5日の戦闘
手前の戦車はトルコ軍の戦車。遠くに煙が立っているのが見える。そこがミスタヌールの丘。
<ISIS、市内に突入>
ISISは丘の南側だけでなく、同日のうちにミスタヌールの丘を完全に制圧した。
市の南東部の教会付近で、すでに戦闘が始まっていた。丘から近い場所である。市の入り口でクルドの防衛線を破り、30人のISISが市内の草地に入った。ISISはこの時初めて市内に足を踏み入れた。ISISの歩兵を、狙撃兵と重機関銃が援護した。ミスタヌールの丘からも援護の砲撃があった。
10月6日、ISISは市内に100m侵入した。4回建てのビルの屋上にISISの旗が翻った。
10月8日のインディぺンデント紙が、コバニから住民16万人が脱出し、3千人が残っている、と書いている。市内のことか、コバニ自治州のことかわからない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます