後藤健二さんは湯川さんを救出するためにラッカに行ったのであり、外務省が後藤さんにそれを依頼したいう説がある。朝日の取材班が調べた限りでは、できればそれもしたいというというにすぎず、主目的ではない。目的はあくまで、イスラム国の首都ラッカを取材したいということだった。外務省はシリアに行こうとする後藤さんに対し、思いとどまるよう3回勧告している。後藤さんは、勧告を押し切ってラッカに行った。
イスラム国は世界中のマスコミの話題を独占している。しかしラッカはジヤーナリストが近づくにはあまりに危険な場所になっている。英国人とアメリカ人のジヤーナリストが斬首されている。米国の空爆により、イスラム国は大打撃を受けた。身代金を払わない米・英に対する報復として、両国のジヤーナリストを殺害し、残酷な映像を公開した。
8月8日アメリカ軍はISISに対する空爆を開始した。空爆の対象は、イラクのクルド地域に進出しているイスラム国だった。ISISがモスル・ダムを決壊させると大惨事となるので、モスル・ダムのISISに対する空爆が最も多い。ダムが決壊すると、大河チグリス川の増水による洪水となり、その後は水不足になる。人口が多い沿岸地域が2重の被害に見舞われる。
9月22日、米国はイラクに続き、シリアのイスラム国に対する空爆を開始した。イスラム国の首都ラッカ周辺は極度に緊迫していた。
そのラッカに後藤さんは乗り込んでいった。
彼は2012年以来、シリア内戦を主要テーマにしており、これまで10回現地を訪問している。最近はイスラム国を取材したいという気持ちが強かった。
戦地から一歩退いた場所で取材するという長年の姿勢が少し変化していた。2014年1月のアレッポ取材の時ヌスラ戦線につかまったが、無事解放された。結果として、警戒心がゆるんだ。「拘束されても交渉すれば何とかなる。拘束されたことにより人間関係が築けることもある」と彼は考えるようになった。ヌスラ戦線はスパイの疑いのある者を拘束しているのであり、普通のジャーナリストであると納得すれば、釈放する。経験は彼にそう教えた。
<イスラム国のフィクサーから連絡>
そういう精神状態の時に、イスラム国の大物から後藤さんに連絡が来た。後藤さんにとっては安全なケースだった。取材に入ろうとする地域の支配者の許可を得た場合は安全だというのが、彼の経験則だった。
10月22日、渡航の朝、訪れた友人のジャーナリスト前田利継さんに、後藤さんは語った。
「ラッカに行ける可能性が高まった。向こうのフィクサーから連絡があった」。
前田利継さんによれば、後藤さんはISIS支配地の危険性を認識していたようで、しっかりとした仲介者なしに、無謀に支配地に入ろうとしているような言動はなかったという。
前田さんはこうも話す。「彼は10月始めにシリアに入った時、途中でトルコに撤退した。彼はこの時ことを非常に悔しがっていた。本人の判断ではなく、地元ガイドの判断だったのかもしれない。だから次の渡航では何が何でも、という気持ちがあったのではないか」。
後藤さんの10月22日の渡航について、前田さんは「情報収集をきちっとして、勝算があったから入ったのだろう」と分析する。「フィクサー」が誰を指すのかは、分らないという。
後藤さんは「空爆後の現地の様子をできるだけ早いタイミングで撮影したいから、今行く。一週間くらいで戻る」とも話していた。湯川さん救出の話はなかった。
後藤さんは「フィクサー」を信頼してラッカに赴いた。「フィクサー」がISIS内でどの程度の大物か、また後藤さんはその人物と直接連絡しあう親密な関係にあったのか、残念ながらわからない。単に小物が「大物から許可が出た」と連絡してきたのかもしれない。
<危険すぎて、ラッカ取材なんて考えれない>
ジャーナリストの西谷文和さんは「空爆後の混乱を考えれば、取材はアレッポまでが関の山。ISISが支配するラッカなんて考えれない」という。これは西谷さんだけの判断ではなく、当時ISISの支配地に入るジャーナリストは皆無に近かった。
西谷さんは「後藤さんほど緻密で大胆な取材をできる人が何の勝算もなくISISの支配地域に入るわけがない。ひとりで湯川さんを助けられると思っていなかったと思う」と話す。
「ISISの場合は、関係者に接触することさえ難しい。万が一、取材が許可されたとしても、いつ人質として利用されるかわからないという恐怖がつきまとう」。
西谷さんは非常に慎重で、シリア取材の際には、目的地の戦況や勢力図の変化を調べる。さらに目的地に至るまでの幹線道路の各検問所をどのグループが支配しているか、丹念に調べる。同じ勢力の支配地でも、内部分裂して対立し、争っている場合もある。情報の確度が身の安全を左右する。西谷さんは、情勢が読み切れず、シリアへの入国を断念したこともあったとう。
彼はシリアの状況について語った。
「ISISの支配地域でなくても、シリアへ入ればそこは地獄のようなもの。護衛がいても、いつどのような形で拘束されるかわからない」。
<これからラッカに向かいます>
10月24日、後藤さんはキリスでガイドのアラッディン氏に会った。後藤さんは2012年以来7回彼と一緒に取材しており、彼を信頼している。
後藤さんは、ISISを取材すると切り出した。アラッディン氏は「危険すぎる」と思いとどまるよう説得した。
「ISISは他の組織と全く違う。他の反体制組織と比べて、危険度がけた違いに高い。彼らは暴力を何とも思っていない」。
しかし後藤さんの意思は固かった。アラッディン氏がその理由を尋ねると、「報道が遮断されたISISの支配地域で、市民の生活ぶりを明らかにしたい。友人の湯川さんも助け出したい」と話した。
2人はキリスからシリア国境を超え、南に約20kmの町マレアに着いた。マレアは自由シリア軍の支配地域だった。
マレアからISISの支配地は目と鼻の先だ。このマレアで、アラッディン氏は後藤さんに、自らの意思でISISの支配地に入ったことを証明するメッセージを残すよう頼んだ。かつて、アラッディン氏が案内したフランス人ジャーナリストがISISに拘束された。自分に責任がおよばないようにするためだった。これが、後藤さんの最後のメッセージとなった。
「これからラッカに向かいます。イスラム国の拠点と言われますけれども、非常に危険な場所なので、何か起こっても、私はシリアの人たちを恨みません。どうかこの内戦が早く終わってほしいと願っています。何か起こっても、責任は私自身にあります。まあ、必ず生きて戻りますけれどもね」。
後藤さんはこれを撮影したスマートフォンをアラッディン氏に預けた。同時に妻や複数のテレビ局の知人たちの電話番号を記した紙を渡した。「一週間しても私から連絡がない場合、電話してほしい」と依頼した。
アラッディン氏はマレアから先の同行を拒み、知人のシリア人通訳を後藤さんに紹介した。
この通訳を選んだ理由について、アラッディン氏は「ほかにISISの支配地に入れるガイドが思いつかなかった」と語った。このガイドは金さえ払えば、難しい交渉もしてくれると評判だった。
10月25日の朝、後藤さんはこの通訳と一緒に、車でマレアを出発した。その後、後藤さんからの連絡はない。
後に朝日の記者がこの通訳に電話すると、「何も言えない」と言ったきり電話に出なくなった。
アラッディン氏は約一週間後、後藤さんの妻らに電話した。
現地のトルコ人記者によると、この頃キリス周辺では、ジャーナリストをISISに売り飛ばし、多額の報酬を得るブローカーが暗躍していた。
ISISがジャーナリストの殺害ビデオを公開して以来、現地をめざすジャーナリストが減ってしまったため、案内人・通訳は失業し、誘拐まがいの行為を始めたのだという。
以上は朝日新聞取材班著「イスラム国人質事件」に書かれれていることに、少しだけ説明を加えました。