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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

ISIS、コバニを襲撃 : 145名死亡

2015-09-24 23:43:20 | シリア内戦

           

6月25日、ISISがコバニと周辺の村を襲撃し、住民145人が死亡した。シリアにおけるISISによる虐殺としては2番目に多い犠牲者となった。

ISISはこれまで、支配を確立した地域で多くの住民を虐殺してきた。シリアで最大の悲劇は昨年(2014年)起きた。スンニ派の部族民、数百人がISISによって殺害された。

 

昨年9月から今年1月まで、4か月間の攻防の末、ISISはコバニから完全に一掃された。

       クルド人は勝利したが、町は破壊された  12月

         

6月25日、ISISはコバニに帰ってきた。

自動車爆弾が破裂し、ISIS戦闘員が町に侵入した。数十名のISIS戦闘員が5台の車に分乗してやってきた。彼らはYPGと自由シリア軍に変装していた。町に入ると、民家にに押し入り、家族を射殺した。

 今年1月ISISに勝利して以後、YPGがコバニを支配している。街の周辺の防衛線は堅固である。治安が回復したので、多くの住民が街に戻っていた。

       

6月25日の朝、ISISがこの強固な防衛線を潜り抜けた。住民の証言によれば、ISISはYPGの軍服を着ていたという。ISISは自由シリア軍の旗を掲げていた、と語る住民もいる。YPGは現在自由シリア軍と協力関係にある。

トルコ側から侵入したISISもいる、という証言もある。事件後「トルコはISISがコバニに侵入するのを許した」とクルド人はトルコを非難した。

 25日の出来事について、YPGの広報官は次のように語る。

「ISISは最初に、国境検問所近くで自動車爆弾で自爆した。その後手当たり次第、住民に向け発砲した。女性と子供も銃撃の犠牲になった。

それからSISは住宅地へと向かった。そこにYPGが駆けつけ、ISISを包囲した。激戦となり、戦闘終了後、多くの死体が路上に転がっていた。侵入したISISは一掃された。

ISIS戦闘員15名が死亡し、3名が国境を越えてトルコへ逃げた。YPGは町の治安を回復した。しかし数は少ないが、まだ町の中にISISが潜んでいる」。

          YPG戦闘員

       

YPGの広報官は語っていないが、国境検問所近くで、再び自動車爆弾2台が自爆した。最初の自爆の数時間後である。

 25日の出来事について、住民のひとりが次のように語った。

「戦闘は午前4時半に始まった。腰に爆弾を巻いたISIS戦闘員が町に入った。彼らは住民を標的にした。自爆攻撃者はYPGの制服を着ていた。

街路で戦闘が続く間、我々住民は家の中に閉じこもっていた。空爆もあった」。

 53歳の男性は次のように語った。

「コバニの南東の郊外に住む従兄弟2人が自宅で殺された。ISISが家の中に入ってきて、従兄弟と家族に向かって発砲した。

女性のひとりは命を取り留めたが、4時間の間出血した後、ようやく病院に運ばれた。

負傷した女性たちの話によると、ISISは家に入ってくるなり『お前たちは不信心者だ』と叫び、発砲した」。

      

25日の朝、ISISはコバニの南方20㎞の村の住民23名を処刑した。しかし有志連合が村の周辺を空爆した。続いてYPGが到着すると、ISISは退散した。

 コバニの戦闘は次の日26日も続いたが、同日終息した。

 

ISISは6月に入ってから、シリア北東部で敗北を続けた。航空支援を受けたクルド軍(YPG)に敗れたのである。1週間前の15日には、ISISはタラビヤドから追い出された。ISISは昨年コバニで敗退して以来、シリア北東部で敗北が続いている。

ISISは、黙って引き下がらない意思表示として反撃したものと思われる。

しかしYPGによれば、今回のコバニに対する攻撃は、単発的な自爆テロにすぎず、コバニ攻略を目的とした本格的な作戦とは言えない。

(参考)Isil launches deadly counter-offensive in Syria with attack on Kobane

  カーネギー中東センターのカティブ所長がアルジャジーラに次のように語った。

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「ISISがコバニを攻撃した理由は、一週間前、主要供給の入り口であるタラビヤドを失ったからである。ISISが本当に取り返したいのは、コバニではなく、タラビヤドである。しかし主要供給線を失ったことで、ISISは力を失い、タラビヤドを奪回する能力がない。コバニ攻撃は容易な代替行為にすぎない。

敗北が続くISISとは対照的に、北部の反政府軍連合は健闘しており、ISISをしのぐ勢いである。ISISは対抗上、自分の弱さを見せられない。また、6月29日はカリフ国宣言から一周年記念日であり、弱体化したという印象を避けたい。コバニ攻撃は、イメージアップに迫られたISISの、その場しのぎの行為である」。

ISIL re-enters Syrian Kurdish town Kobane 

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ISISのコバニ攻撃には、別の理由も考えられる。タラビヤドでの勝利後、YPGがラッカに向かって南下していたので、ISISは危機感にとらわれ、劇的な形でコバニに第2戦線を開き、YPGの力を分散させようとしたのかもしれない。

 

         ISISの根拠地ジェラブルス> 

「トルコはISISがコバニに侵入するのを許した」という非難を、トルコは事実無根としている。

トルコの副首相は「まったくの嘘であり、政治的プロパガンダ」と語った。

トルコ政府は「ISISはシリア内の根拠地ジェラブルスからコバニに来た」と発表した。

YPGも「ISISはコバニの西のジェラブルスから来た」としている。

       

ジェラブルスはISISにとって唯一のトルコ国境の支配地である。コバニから近く、西隣りに位置している。

 しかしながら、ISISがジェラブルスから来たことは、トルコに対する疑惑を深める。トルコはジェラブルスのISISに対し、国境を閉ざしているだろうか。トルコに批判的な論者は「トルコはISISに対し寛容であり、志願兵を通過させている」と見ている。ISISと戦っている有志連合の国も「トルコはISISと共謀している」と考えている。

                  ジェラブルスの風景

              

         <カルカムシュとジェラブルス>

カルカムシュは、シリアとの国境沿いにあるトルコの町である。

国境線のシリア側がジェラブルスであり、トルコ側がカルカムシュである。

トルコ側のカルカムシュ国境ゲートにはトルコ国旗がはためいている。30メートルしか離れていないジェラブルスではISISの旗がはためている。

                   

東京外国語大学が、カルカムシュとジェラブルスの様子を伝えている。

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国境のトルコ側では、トルコの第5機甲旅団に属する部隊が、シリア国境線に沿ってパトロールをおこなっている。カルカムシュ国境ゲート周辺、及びいくつかの地点に装甲車両が配備されている。

6月29日、国境線で監視をしているトルコ兵の目の前、国境ゲートからわずか20メートル離れたシリア側に、IS兵は地雷を埋設した。

武装しているようにみえるIS兵は、国境線のいくつかの家の側に塹壕を掘った。

                     トルコとシリアの国境

       

カルカムシュMilliyet2015年06月29日付 岸田圭司

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   <カルカムシュに鉄道が通る>

田舎町カルカムシュに鉄道が通るようになった経緯は面白い。シリアの独立がトルコにとって、いかにとんでもない出来事だったか、一端を示している。トルコを横断する鉄道の路線の一部が、第一次大戦後、シリア領になってしまった。地方や都市の真ん中に突然国境線が引かれたように、鉄道も分断された。

「 バグダッド鉄道の再構築」という論文が、鉄道はアレッポを経由していたことを述べている。

     

  ガズィアンテプは重要な都市であったが、アレッポほどではなく、バグダッド鉄道はアレッポを経由した。しかし第一次大戦後、アレッポはシリア領になってしまった。シリアを通らない新路線を敷設しなければならなかった。新路線は地域の中心都市ガズィアンテプを経由することが主眼となった。チョバンキョイもシリア領になったので、これに代わるものとして、トルコ領のカルカムシュを経由することとなった。

こうして新路線は、ガジアンテプから国境の町カルカムシュに向かって南下し、カルカムシュから国境沿いに東進することになった。

   

衰退した田舎町だったカルカムシュは偶然鉄道が通ることになった。

(本文)バグダッド鉄道の再構築 

連絡先:nobuhito@areastudy.net

 

     <紀元前11世紀に繁栄したカルケミシュ>

近代になってからのカルカムシュは田舎町にすぎないが、紀元前には、古代オリエントの大国ミタンニやヒッタイトの重要都市だった。カルカムシュは古代史ではカルケミシュと表記される。

シリア北部のエブラから発見された紀元前2000年代の文書に、カルケミシュへの言及がある。

マリやアララハで発見された紀元前1800年ごろの文書に、カルケミシュの王アプラハンダ(Aplahanda)についての記述がある。

当時、カルケミシュは材木交易の中心地であった。

カルケミシュはユーフラテスの上流に位置し、浅瀬であったために、交通の要衝となった。

 

古代エジプト第18王朝のファラオ・トトメス1世は、カルケミシュ付近に、シリア地方を征服したことを祝う記念碑を建てている。

 

紀元前14世紀ごろ、ヒッタイトの大王シュッピルリウマ1世がカルケミシュを攻め落とした。息子ピヤシリがカルケミシュ王に封じられた。

 

その後カルケミシュはヒッタイト帝国の中でも重要な都市の一つとなり、紀元前11世紀には繁栄の絶頂に達した。

     紀元前8世紀の石板  アナトリア文明博物館所蔵

      

 (出典) カルケミシュ:ウイキペディア 

 

     <6月25日、ISISがハサカ市を攻撃>

コバニを攻撃した25日の前夜、ISISはハサカ市でも攻撃をおこなった。シリア北東部2か所での同時攻撃となった。ISISは政府軍の検問所で自爆攻撃を行った後、市内に進出した。政府の治安部隊の施設を爆破し、ハサカ市の中心部の2地区を獲得した。ここはアサド政府軍の支配地となっていた。ハサカ市はクルド軍支配地域とアサド軍支配地域に2分されている。ISISはクルド部隊より弱い、アサド軍を攻撃対象にした。

シリア国営テレビは、「ハサカ市のナシワ地区で激しい戦闘が続いている」と伝えた。

両者の砲撃戦となり、り、アサド正規軍・民兵30人が死亡し、ISIS20人が死亡した。

 

27日シリア国営テレビは、ハサカ市警察長官の発表を伝えた。「特殊部隊がISISを排除した」。

戦闘が始まった24日夜以後、ハサカの住民12万人が避難した。ハサカ市はアラブ人・クルド人・キリスト教徒が混在している。クルド部隊から手荒く扱われたアラブ人はISISを支持している。

(参考)IS attacks Syria’s Kobani in new offensive after setbacks

 

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米軍、ラッカを大規模な空爆

2015-09-07 21:22:04 | シリア内戦

            

 ISISは昨年(2014年)タラビヤドを確保した。ISISに参加する志願兵はここを通ってラッカに行った。ISISは武器と火薬の原料を運び込んだ。火薬の原料は化学肥料である。トルコのアクチャカレの検問所はこれを黙認してきた。   

 今年6月16日、ISISはYPG によってタラビヤドから追い出された。  

              

         <逃げたISISが帰ってくる>

6月28日、ISISの小さなグループがタラビヤドに忍び込んだ。30日、激しい戦闘の末、ISISはタラビヤドの東部の地区を確保した。

同日、YPGは、ISISを包囲し、戦闘が開始された。

翌日7月1日、YPGはISISを追い出し、タラビヤドの支配を回復した。この日の戦闘で4人のISISが死亡した。一人は腰に巻いた爆発物で自爆した。

少なくとも3人のYPGが死亡した。

            タラビヤドのYPG

                    

             <ラッカ空爆>

7月4日、米空軍はラッカに集中的な空爆を行った。4日から5日の夜間に16回以上の爆撃がおこなわれた。標的に対する精密爆撃である。シリアでは、一晩でこれだけの回数の空爆が行われたことはない。10人のISISが死亡し、多数が負傷した。

「 ISISが管理する建物と道路を破壊した」と米空軍報道官は語った。

「今回の空爆の目的は、シリアとイラクで軍事行動をするISISの能力を無力化することである。ISISが戦闘員と武器・装備を移動させる経路に爆撃を集中する。通信と輸送手段を失うことにより、ISISは大きなダメージを受けるだろう。軍事拠点としてのラッカの役割を終わらせる」。

ラッカでISISに抵抗している組織ががある。この抵抗運動の名は「ラッカは静かに殺される」という。この組織が「空爆により10歳の子供を含む8人が死んだ」と発表した。空爆の対象は次の通りであったという。

①市の中心にいるISISのメンバー

②市の入り口の検問所

③レンガ工場の大部分 

5日の夜も爆撃が行われ、2夜連続の集中爆撃となった。英国の人権団体によれば、5日夜の爆撃と地上でのYPGの攻撃により、ISIS戦闘員78名以上が死亡した。

YPG は、米国にとってシリアで唯一の同盟者となっている。

米国の職員は語った。

「今回の空爆は昨年9月の空爆開始以来、最も持続的なものだ。目的は、ISISがラッカを本拠として作戦することを不可能にするためだ」。

       

前夜80名近い戦闘員を失ったにもかかわらず、明けて6日の朝、ISISはラッカの北50kmの町を攻撃し、町を占領した。

町の名前はアイン・イッサと言い、ラッカとタラビヤドの中間にあり、ややタラビヤド寄りである。ラッカとタラビヤドの距離は80kmである。

ISISはアイン・イッサの町の周辺にも進出しようとしたが、すぐに撃退された。町の北東部に散在する11の村はYPGが守り抜いた。アイン・イッサは、アレッポ方面とハサカを結ぶ道路が東西に走っており、戦略的に重要である。

          

6月16日のタラビヤドでの勝利後、6月23日にYPGがアイン・イッサ確保していた。 

                   

 

            <有志連合、さらに空爆を継続>

 7月4日と5日の空爆に続き、7月8日から12日までの4日間、有志連合はラッカのISISを空爆した。爆撃の対象となったのは、ラッカ周辺のISISの基地など、70か所を超える。ラッカに対する爆撃としては、これまでで最大である。

 オバマ大統領は「我々はISISのラッカに対する攻撃を強化している」と述べた。「石油とガスの施設に対する空爆を続ける。これらはISISの活動のための最大の資金源となっている。ISISの指導層を攻撃し、宣伝活動の基盤を破壊する」。

7月8日、女性部隊も加わったYPGがアイン・イッサを取り戻した。 

 

YPGは米国に協力する有効な地上軍となった。しかしYPGは自分たちの土地を守る戦いしかしない。シリアの他の地域で米国に協力する軍事勢力は存在しない。

米国は穏健な反政府軍を養成していているが、1000人にも達しない。お金に困って応募するが、不適格者と判断される者が少なくない。合格しても、アサドと戦うためでなくISISと戦うのだと知ると、去ってしまう。

(参考)

 

 

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