たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

スパイカ―基地の訓練兵虐殺 ISISの悪行 6月

2015-04-10 21:55:40 | イラク

 スパイカー基地の新兵虐殺事件は20146月に起きたが、半年以上過ぎた現在でも、記憶が生々しい。イスラム国の残虐性を示すものとして、多くの動画でとりあげられてきた。

2015年3月初め、テイクリート奪回作戦を開始する時、バドル軍の司令官ハディ・アメリは「虐殺されたスパイカーの若い兵士の復讐をする、よい機会だ」と語った。バドル軍はシーア派民兵の最大組織である。

  

                                                                                 AFP HO WELAYAT

イスラム国は、いたるところで虐殺を行ったが、イスラム国は広い地域に分散しており、各地域では小集団なので、殺す人数も限られていた。しかしティクリートのスパイカー基地の新兵殺害は、犠牲者の人数が多かった。

イスラム国は、入隊したばかりの訓練兵1700名を銃殺し、ビデオを公開した。うつ伏せになっている数十人の後頭部や背に、次々と発砲する映像や、座っているグループの一人の頭を打ち抜く映像である。

新兵は武器を持っておらず、イスラム国と戦闘をしていない。丸腰だったので、イスラム国のなすがままになった。

  

                                                                                         DEBRA HEINE

    

     <新兵が丸腰だった事情>

610日にモスルを制圧したイスラム国はさらに南下し、ティクリートに向かった。

ティクリートにあるスパイカー基地の将校たちは、恐怖で動揺し、基地の秩序は失われた。そのあげく、米国が訓練した将校たちは逃げ出した。

置き去りにされた新兵は、軍服を脱ぎ、普段着に着替えて、基地を出た。

3千人の新兵が基地の門を出た。彼らはティクリート大学の方に向かって歩きだした。

 

    スパイカー(Speicher)基地   地図の北端西側

    

数マイル行ったところで、数台の装甲車に出会った。50名ほどのイスラム国の兵士が分乗していた。彼らは話しかけてきた。「バグダッドに連れて行ってやるよ」。これは、新兵たちを油断させるための嘘だった。新兵たちは武装していないとはいえ、3千人もいる。全員を捕縛することは難しい。仮に、3千人の半数が経験を積んだ特殊部隊だったら、武器がなくても、おめおめと全員が捕虜になることはなかっただろう。

数台のトラックの荷台に分乗した新兵たちは、銃を突きつけられ、「動くと、撃つぞ」と脅された。ティクリートの大統領宮殿の敷地に連れて行かれた。

その後の3日間、大統領宮殿とその他の場所で、イスラム国は虐殺を繰り返した。大統領宮殿は地図に示されていないが、すぐ近くの陸軍病院(Miritary hospital)が示されている

 

人権監視団は、衛星写真と公開された写真を分析した結果、3日間で650人以上が殺害されたと語っている。これは確認できた数字ということであり、イスラム国は、処刑された人間は1700人である、としている。イラク軍の報道官はこの数字を認め、奇跡的に脱出したカディムさんも、これに同意する。

 

イスラム国は捕縛した新兵を宗派別に分け、シーア派だけを殺した。

スンニ派はイラク軍に入隊したことを反省することで、許された。

  

                      AFP HO WELAYAT

カディムさんは、銃弾が頭をかすめたので、死んだふりをし、その後死体の山から抜け出して、ティグリス川に向かって逃げた。後ろ手に縛られたまま走るのは、大変だった。何とかチグリス川にたどりつくと、川岸のあしの茂みの中に息絶え絶えの若者が倒れていた。その若者が貝殻でカディムさんの縄を切ってくれた。カディムさんは虫を捕まえて食べ、縄を切ってくれた恩人にも渡したが、食べたくないという。内臓をやられて食欲がなく、歩く力もなかった。カディムさんに名前を教え、「家族に伝えてくれ」と言った。

 

    <スンニ派に救われたカディムさん>

カディムさんはティグリス川を泳いで渡り、対岸にある家を訪ねた。家の住人はパンとトマトをくれ、「イスラム国からは、逃げられない。我が家にとどまっても、外へ出て逃げても、助からない」と言った。実際、翌日イスラム国が捜索に来た。一軒一軒調べている間に、カディムさんは逃げ出した。パンとトマトをくれた人はスンニ派であるが、イスラム国に密告していない。

カディムさんはアラムにたどり着いたが、この町はイスラム国の支配下にあり、危険である。潜伏中、3度居場所を変えたが、これはスンニ派の族長が手配してくれたものである。アラムに3週間潜伏し、やっと故郷に帰った。(アラムは地図の北端)

カディムさんはスンニ派に感謝しており、「スンニ派には極端に違う2種類の人間がいる」と言っている。

 

帰ってこない新兵の家族は政府に説明と調査を要求している。

宗派闘争が激化した2006年と2007年にも、一度にこれだけの人数が殺害されたことはない。これはサダム時代の虐殺を思わせる。

 

      <スンニ派には2種類ある>

 カディムさんの証言によれば、新兵の殺害にサダムの部族の人間が、加わっていたという。スンニ派部族の中には2種類いる、と彼が言ったのは、このことである。イスラム国との結びつきが強い部族と、距離を置いている部族である。前者はイスラム国と一緒になって、シーア派を殺害し、後者はシーア派の人間を、こっそり助けている。

シンジャルでも、同様だった。イスラム国がヤジディー教徒を殺すのを手伝ったスンニ派がいる一方で、山中に隠れているヤジディー教徒に、こっそり水と食料を持って行ったスンニ派もいる。

 

政府軍側で戦うスンニ派は少数であると言われるが、イスラム国と緊密な関係にあるスンニ派もそれほど多くない。スンニ派の大部分は中間派であり、両派の殺し合いをやめて欲しいと考えているのではないだろうか。

 

また政府軍に入隊したシーア派の青年も、無職であることが、志願の理由である場合が多い。カディムさんも、土地もなく、職業もないので、入隊したと言っている。彼には2歳の娘がおり、奥さんと息子・娘のために働きたいと思っていた。イスラム国が殺した新兵の多くは宗派対立を望まない貧しい青年だったに違いない。

    

                                                                             AP NewYorkTimes

以上、ニューヨークタイムズの記事を中心に、まとめました。

 

Escaping Death in Northern Iraq 

<http://www.nytimes.com/2014/09/04/world/middleeast/surviving-isis-massacre-iraq-video.html?_r=0>

 

 

 

     <サダムの空軍とサハラ空軍基地>

スパイカー基地は、2本の滑走路を有する広大な空軍基地で、もとはサハラ空軍基地と呼ばれた。イラク侵攻後、米軍が使用する際、米海軍少佐の名前にちなんで、新たに命名したものである。スパイカー少佐は戦闘機パイロットであり、1991年の湾岸戦争の時、イラクの戦闘機に撃墜され、戦死した。(生前は大尉、死後少佐)

1967年と1973年のアラブ・イスラエル戦争の経験から、空軍の重要性を痛感したフセイン政権は、空軍整備の一環としてサハラ空軍基地を建設した。

広大な敷地の数か所に、核攻撃に耐える堅固な地下格納庫があった。そのうち最大のものが、1993年に米軍の攻撃によって破壊された。米軍は、恐るべき貫通力を持つミサイルを使用した。

破壊されていない格納庫を陣地にすれば、イスラム国を撃退できたかもしれないが、空軍パイロットたちを歩兵として使うのは、馬鹿げている。空軍基地を守るためには、別に守備隊が必要である。

訓練したからと言って、全員が一人前のパイロットになれるわけではない。生まれつきの素質が左右する任務である。精神と肉体の両方に、特別の素質が要求される。空軍基地が地上軍によって攻撃されそうな場合、戦闘機と搭乗員は真っ先に逃げるのが普通である。

スパイカー基地から多くの将兵が逃げ出したにもかかわらず、同基地はイスラム国によって占領されなかった。殺された1700人の親族には、「基地に留まれば、死なずにすんだ」という思いがあり、政府に状況の説明を求めたが、返事はない。

 

       <帰ってきた米軍>

2011年末にスパイカー基地の米軍は撤退したが、新兵虐殺事件の後、20149月上旬に数十名の米兵がパイカー基地に帰ってきた。

2014910日の段階で、イラク全土の米兵は1600名である。

9月末に、サラフディン州副知事が自らのブログに書いた。「サラフディン州をイスラム国から解放する戦いを監督し、参戦するため、新たに13千名の米兵がスパイカー基地に到着する。数日後の予定だ」。これが実現したか、について公式の発表はない。 

    

                                                                                       Iraqi News com

     <米軍の再駐留に反対するサドル師>

シーア派の宗教指導者ムクタダ・サドル師は米軍の再駐留に反対している。915日、サドル師は「米軍が戻ってくるなら、現在イスラム国と戦っている聖戦士は攻撃目標を米軍に変えるだろう」と警告していた。

サドル師はバグダッド東部の貧しいシーア派地区の指導者であり、イラク・シーア派の最高指導者であるシスターニ師に敬意を払うべき立場にある。しかしイラク戦争後の混乱期、サドル師は、米軍と協力するシスターニ師に反対した。サドル師が率いるマフディー軍は米軍を攻撃し、米軍にとって、マフディー軍はアルカイダと並ぶ危険なテロ集団となった。

マフディー軍は米軍から忌み嫌われたが、スンニ派武装集団の暴力からシーア派住民を守り、信頼された。警察官も殺される状況であり、警察は無力だった。

サドル師はシーア派住民の保護を実践するとともに、イラク国家の独立という主張を鮮明にしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする