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レバノン分裂の原因は宗派対立ではない

2018-10-13 17:46:05 | シリア内戦

 

 

ダマスカスからベイルートは比較的近い。ホムスへ行くより近い。シリアの幹線道路1号線はベイルートに向かっている。オスマン帝国時代ベイルートはダマスカス州に所属していた。このことを思い起こすなら、1975年ー1990年のレバノン内戦にシリアが干渉したことを、侵略と呼ぶのは適当ではない。海を越えた遠い異国を植民地にするのとは違う。米国による中東支配のほうが「外国の干渉」と呼ぶにふさわしい。実際アラブの世論は常にそのように主張してきた。

15年続いたレバノン内戦はシリアが仲裁者となることで終了した。内戦中に多くのキリスト教徒がレバノンを去り、国外に移住した。キリスト教徒はレバノンの支配階級ではあるが、人口に占める割合は多くない。キリスト教徒の国外脱出によりさらに人口が減り、彼らがレバノンを支配し続けることは難しくなった。オスマン帝国時代末期から続いたキリスト教徒によるレバノン支配は終わりをむかえた。

内戦によりキリスト教徒とイスラム教徒の勢力が逆転したが、内戦の国際的な構図は残り、内戦終結後イスラエルとシリアは抗争を続けた。

 

     《レバノンをめぐる国際的な緊張》

イスラエルにとってレバノンもシリアも隣国である。イスラるの北がレバノンであり、北東がシリアである。シリアレバノンが一体化し軍事力を持つ日が来るなら、イスラエルの生存が危うくなる。そしてそれが現実となりつつある。

2003年米国がイラクに侵攻し、サダム政権が倒れた。イラクにおけるスンニ派とシーア派の地位が逆転し、シーア派が優位に立つようになった。シーア派の指導者の多くは、サダム政権時代イランに亡命した経験を持つ。イラン政府の庇護のもと、イランに亡命し力をつけた政党が現在イラクの主要政党となっている。イランで成立した軍事組織は現在正規軍と互角の軍事力を有している。

イラクにおけるシーア派の地位は揺るぎないものとなっている。そして彼らの背後にはイランがいる。イランはシーア派の国であり、カルバラなどイラク南部のシーア派の生地は、イランのシーア派にとっても重要な聖地である。

イランは内戦に苦しむアサド政権を窮地から救い、シリア各地に軍事拠点を持っている。イランから地続きでイラクとシリアにイランの影響圏ができあがった。この影響圏はレバノンまで延びている。レバノンのヒズボラは全面的にイランに依存している。

2000年代イランの大統領だったアフマディニジャドが国連で演説した。「イスラエルという国は消滅するだろう」。直訳は「イスラエルを地図から消してやる」である。国連加盟国を消滅させるという発言は禁句であり、これを聞いた各国代表は席を立ち、退場した。

一般の人にとってアフマディニジャドの発言は、少し変人の大統領がまた過激なことを言っている、という程度だったが、当のイスラエルは内心穏やかではなかった。

そしてシリア内戦がアサド政権の勝利で終わりそうになる2018年には、イラン本国からイラク・シリア・レバノンへ続くイラン回廊が完成した。変人アフマディニジャドの言葉は、現実味を帯びてきた。イスラエルの恐怖は相当なものであり、20189月、ネタニヤフ首相は「先制攻撃の必要性」を説いている。

 

レバノンのキリスト教徒の優位が失われた最大の原因は人口に占める割合が低下したためである。しかしレバノンの経済的繁栄を支えてきたのは彼らである。イスラム教徒側は政治的に優勢になったとはいえ、キリスト教徒と妥協しなければレバノンの繁栄はない。またキリスト教徒はイスラエル・サウジアラビア・米国から支援されており、キリスト教徒が極端に圧迫されるなら、再起をかけてイスラム教徒による支配に挑戦するかもしれない。1990年の内戦終結からシリア内戦開始までの20間レバノンは微妙な均衡状態にあった。シリア内戦が始まると、均衡は破れつつある。

 

   《レバノンの歴史が教えること》

1943年レバノンはフランスから独立したが、その後の歴史はキリスト教徒とイスラム教徒の間に妥協が成立しては破たんするということを繰り返してきた。そして1975年遂に内戦に突入した。妥協が破綻する原因はほとんどの場合国内問題が原因ではなく、中東情勢に巻き込まれた結果国内が分裂したのである。イスラエルの隣国であり小国であるレバノンはイスラエル対アラブの紛争から距離を持つことはできなかった。

 

       《レバノンの大統領の条件》

レバノンのキリスト教徒の指導者の中には、レバノンはキリスト教国であり、キリスト教徒が国家を運営すべきであると考える者もいた。彼らは下層民であるイスラム教徒に対する譲歩を不要と考えた。紛争や内戦で活躍するのは彼らであるが、平時において彼らの代表が大統領になることはなかった。多数派であるイスラム教徒の支持を得なければレバノンは安定しない、と考えるキリスト教徒が代々大統領になった。大部分のキリスト教徒とイスラム教徒はレバノン国民という共通の意識を持っており、キリスト教徒の指導者であってもイスラム教徒の支持を得ることはできたのである。

「キリスト教徒とイスラム教徒の対立は避けることができる」と独立後のレバノンの歴史は教えている。宗教は異なってもレバノン国民という共通意識があり、指導者がこの意識に配慮した時期のレバノンは安定し繁栄した。レバノンは地中海に面し、海路でヨーロッパとつながっているので、経済発展のチャンスがある。レバノンの良き時代が突然破られるのはアラブとイスラエルの対立に巻き込まれたからである。小国は国際紛争に巻き込まれやすい。レバノンは中東の動乱に翻弄されたのである。

冒頭でシリアとレバノンの距離的近さについて述べた。ダマスカス市民にとって、北東部のハサカやデリゾールより、レバノンのほうが身近だった。植民地帝国フランスは

レバノンとシリアを分断した。この行為は後々まで非難されるだろう。しかし1920年レバノンはシリアから分離し、1943年独立国となり、人々のの間にレバノン国民という意識が定着していった。現在では、「レバノンはシリアの一部だ」と主張することは無理がある。1943年以後のレバノンの歴史について知ると、レバノンは独立国として歩むのがよいと思えてくる。

レバノンノンの宗派対立は根本的なものではなく、実はどこの国にもある階級対立である。国家権力は富裕階級と結びつくのが常であり、貧困層の問題を放置すれば、どこの国も国家分裂の危機になる。

 


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