たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

5巻47ー49章

2024-02-29 15:38:48 | 世界史

【47章】
ヴェイイで戦争の準備が進んでいた時、ローマの砦とカピトルの丘は危険な状態にあった。ガリア人はカピトルの丘に登る容易な道を発見した。それはカメンタ(出産を見守り、母子を保護する女神)の神殿に通じる崖道は比較的登りやすかった。あるいは彼らは、ヴェイイからローマに来た使者の足跡を発見したのかもしれない。夜の薄明かりの中、ガリア人は丘を登り始めた。困難な箇所に行き当たると、まず武器を持たずによじ登り、登り終えると後続の者から武器を受け取った。また先に登った者が後から来る者を引き上げた。互いに助け合いながら登り、彼らは崖の頂上に達した。彼らは音を立てずに登ったので、ローマの見張りが気づなかっただけでなく、夜の物音に敏感な番犬も目を覚まさなかった。ところがガチョウに気づかれてしまった。ガチョウはエサを与えなければなず、残り少ない食料を減らしたが、ユーノー女神にとって大切な生き物だったので、厳しい封鎖の中でも相変わらず飼われていた。ガチョウたちは守備隊の安全に貢献した。驚いたガチョウの鳴き声と羽をバタバタする音で、M・マンリウスが目を覚ました。マンリウスは優秀な兵士で、三年前は執政官を務めた。彼は武器を取ると、仲間の兵士たちのところにを走っていき、「武器を取れ」と叫んだ。それから彼は崖のほうに行き、最初に崖の頂上に這い上がろうとしていたガリア人に盾の先端を打ち付け、叩き落した。突き落されたガリア人は後続の者の上に転げ落ち、ガリア人は将棋倒しになった。頂上に手をかけた別のガリア人たちを、マンリウスは剣でなぎ倒した。間もなくマンリウスの仲間の兵士たちがやってきて、ガリア人に向かって槍を投げたり、岩を投げ落としたりした。ガリア人は全員丘の下に落ちた。危機が去り、夜の残りをローマ人は眠りにあてた。危険はとりあえず去ったが、まだ敵は丘の下のいるので、不安な中でのひと眠りだった。夜が明けると、トランペットが響き渡り、守備兵は副司令官の前に集まり会議を開いた。敵を撃退するのに貢献した兵士に栄誉が与えられ、見張りをおろそかにした兵士は罰せられた。勇敢だったマンリウスが副司令官と兵士全員から称賛された。兵士たちはそれぞれ1ポンド(453グラム)の食糧と1ピント(473ミリリットル、1リットルの半分弱)のワインを彼に持ってきた。どちらもわずかであるが、封鎖の中で誰もがギリギリの生活をしていた時に自分に必要な物を提供したのである。兵士たちがどれほどマンリウスを尊敬していたかがわかる。次に、ガリア人が登ってくるのに気づかなかった見張りの兵士たちが呼び出された。彼らが前に出ると、執政副司令官の Q ・スルピキウスが言った。「私はこれらの者を軍法により処罰しなければならない」。 
しかし兵士全員が反対の声を上げた。「見張り全員が悪いのはではない。あの場所を受け持っていた兵士の責任だ」。兵士全員の一致した判断により、一人の兵士が有罪となった。その兵士は崖から身を投げた。
これ以後守備隊は警戒を厳重にした。ふもとのガリア人もローマの動きを警戒するようになった。ローマとヴェイイの間で打ち合わせがなされたことを、彼らは知ったのである。
【48章】
戦争と包囲に起因し、恐るべき災難が発生した。飢饉が両軍を襲ったのである。またガリア人には疫病が発生した。彼らは二つの丘の間の低地を陣地としていたが、地面を焼き払った後、マラリアが発生した。風が少し吹いただけで、ほこりと灰が舞い上がった。ガリア人は寒冷で湿った気候に慣れていたので、暑さと疫病に耐えられなかった。おまけに、土埃に灰が混じり、彼らはのどを詰まらせた。疫病が蔓延すると、彼らは羊のように死んでいった。死者を一人一人埋葬するのが面倒になり、死体を山のように積み上げ、まとめて焼いた。地元の人はこの場所を忌み嫌い、後にガリア人の墓場と呼んだ。ガリア人は戦意を喪失し、停戦の条件についてローマに話し合いを求めた。ガリア人の側では、指揮官が各人の意見を求めると、誰もが「食べ物がないのだから降伏するしかない」と述べた。停戦成立後、カピトルの丘のローマ人はあちこちのガリア人の見張りに向かってパンを投げた。しかし間もなく深刻な飢饉と疫病が抑えがたくなり、ガリア人の苦しみが限界に達した。この頃独裁官はアルデアで兵を集めていた。彼は騎兵長官 L・ヴァレリウスに命じてヴェイイのローマ兵をガリア人との戦闘に向けて準備させた。彼らはガリア人と互角に戦えるはずだった。一方カピトルの丘のローマ兵はと絶え間ない警戒任務で疲れて果てていた。それでも彼らは気力で疲労を克服できたかもしれないが、飢餓に打ち勝つことはできなかった。彼らは日々独裁官の援助の合図を待った。独裁官から合図がなかか発信されず、彼らの食料が尽き、希望も消えた。見張りに出る兵士は武具の重みで膝がくずずれそうになった。ローマの兵士たちは降伏するか、ガリア人の要求を受け入れ、停戦するしかないと主張した。というのも、ガリア人は一定の条件が受け入れられれば包囲を解く用意があると、ローマ側にそれとなく伝えていた。この問題について、元老院が話し合った結果、停戦を求めることになった。停戦の条件は執政副司令官に一任された。執政副司令官 Q・スルピキウスとガリア人の首長ブレンヌスが話し合った。将来世界の支配者となる国民が安全を金で買うことになり、交渉の結果1000ポンド(453kg)支払うという合意が成立した。これはローマにとって不名誉なことだったが、さもしいガリア人がインチキな重量計器を使用したので、支払う金の量が増えた。執政副司令官が抗議すると、傲慢なガリア人は剣を秤の上に投げ、聞くに堪えない言葉を発した。「敗者はみじめなものよ」。
【49章】
しかし神々も人間も、ローマが平和を金で買うことを望まなかった。運命の変化し、黄金が渡され、ガリア人が金の総量を確認し、執政副司令官が抗議していた時、独裁官が現れた。彼はローマ人に「金を取りもどしなさい」と言ってから、ガリア人に「即刻ローマを立ち去れ」と宣告した。ガリア人はこれを拒否して反論した。「正式な取り決めが既になされている」。
すると独裁官は言った。「私は独裁官に就任しており、私の承認を得ずに下僚が結んだ取り決めは無効である。私の言うことに不満があるなら、戦争の準備をすればよい」。
そして独裁官はローマ兵に言った。「金を荷車に積み、戦いの準備をせよ。祖国の安全は金で買うものではない。剣で祖国を奪い返すのだ。神々の神殿を思い描き、妻や子供そして祖国のために戦うのだ。祖国の土地とその他のすべてが野蛮人によって破壊されてしまった。祖国は元の姿をとどめていない。祖国を取り戻すのが諸君の義務だ。野蛮人に復讐するのだ」。
独裁官は最善の陣形を組んだ。カピトルの丘のふもとは高かったり低かったりしていているうえに、地面の半分が焼かれていたので、戦場として厄介だった。しかし独裁官が軍事的な判断力を駆使して、兵士が動きやすく、有利な場所を選んだ。ガリア人はローマが態度を急変させたのであわてていたものの、彼らも武器を取ってローマ軍に襲いかかった。しかしガリア人は怒りで我を忘れ、作戦を立てなかった。今や幸運はガリア人を見捨て、神々はローマに味方し、ローマ軍の作戦はしっかりしていた。両軍の最初の衝突で、ガリア人は簡単に敗北した。アリア川の戦闘ではローマ軍が簡単に敗れたが、今度は立場が入れ替わった。ガリア人はガビー(ローマの東18km)に向かって逃げたが、ガビーに至る街道の8番目の里程塚の付近で、彼らは再結集した。二度目の戦闘になり、ガリア人は粘り強く戦ったが、カミルスの作戦と采配の前に再び敗れた。ガリア人は皆殺しとなり、彼らの陣地は占領された。生き残ったガリア人が一人もいなかったので、彼らの敗北を祖国に伝える者がいなかった。独裁官は勝利者として帰還した。兵士たちが仲間同士でふざけあう時、独裁官をロムルスとか、祖国の父とか、第二の建国者などと呼んだ。独裁官は蛮族からローマを奪い返すことに成功したので、このように呼ばれるのにふさわしかった。彼は蛮族に勝利した後、再びローマを救った。ローマは平和になったが、多くの家が焼かれ、食べ物が不足していた。市民はヴェイイへの移住を考え、護民官がこれまで以上にヴェイイへの移住を勧めると、平民は乗り気になった。カミルスは大きな流れに決然と立ち向かい、移住に反対した。元老院にとってカミルスは唯一の希望だった。彼らはカミルスに言った。「不安定な時期にローマを見捨てないでほしい」。元老院はカミルスが独裁官に留まることを決定した。戦争の終了後、人々が動揺している時、カミルスは人々に冷静なることを求め、彼らをを落ち着かせた。誰もがカミルスは救世主であると実感した。

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5巻44ー46章

2024-02-20 14:26:03 | 世界史

【44章】
カミルスは次のように述べた。
「アルデアの皆さん! ローマはあなた方の古い友人です。私はローマ人でしたが、現在はアルデアの市民です。私に話す機会を与えてくださり、感謝します。どうしようもない事情により、話さずにはいられません。私は自分の立場を忘れてはいません。状況が切迫しており、共通の危険を前にして、誰もが自分にできることをして、国家に貢献しなければなりません。現在の危機において私が何もしないなら、皆様に恩返しする機会を失うことになります。戦争においてこそ、私は役に立ちます。ローマにいたとき、私は戦争で負けたことがないので、何度か司令官に選ばれました。平和な時代になると、ローマの人たちは私を追放しましました。アルデアの皆さん! ローマはこれまでアルデアを助けてきました。今度はあなた方がローマを助ける番です。戦争に勝利する喜びを皆さんは覚えてており、私が説明するまでもありません。ローマとアルデアの共通の敵に勝利し、偉大な名声を獲得しようではありませんか。今アルデアに向かっているガリア人はまとまりがなく、バラバラです。彼らの強みは体が大きいことと人数が多いことだけで、決意も忍耐力もありません。恐ろしい外見で、不気味な声を上げても、彼らは見かけだけで、実際の戦闘力はありません。ローマとの戦い方を見ればわかります。彼らがローマを占領できたのは、門が開いていたからです。しかし砦とカピトルの丘の少数の守備隊によって彼らは撃退されました。彼らは包囲を続けるのが面倒になって、途中でやめてしまった。今は、少数のグループに分かれて、野原をうろついている。彼らは野獣のようにがつがつ食べ、ワインを飲みすぎて酔いつぶれてしまう。夜になると、一か所に野営せず、あらゆる方向に並んで眠る。検問所はなく、見張りも守備兵もいない。ローマで成功したので、これまで以上に油断している。もしあなたたちがアルデアを守りたいなら、祖国の土地をガリア人に奪われたくないなら、直ちに武器を取り、私とと一緒に全力で戦ってほしい。戦いといっても、一方的にガリア人をやっつけるだけだ。もし敵が眠りこけていなかったら、敵を羊のように殺すことができなかったら、ローマから追放された私が今度はアルデアから追放されても仕方がない」。
【 45章】
友人も敵も、アルデアの市民全員が、カミルスほど偉大な将軍はいないと確信した。議会が解散し、一休みすると、アルデアの市民は軍隊を招集する合図が出るのを待ちきれなかった。夜の静けさの中、合図が出た時、兵士たちはすでに市門の前に集結しており、彼らはカミルスを待った。カミルスが現れ、すぐ出陣した。間もなく彼らはガリア人の野営地を発見した。カミルスが説明したように、ガリア人は無防備で、あちらこちらに横たわっていた。アルデアの兵士たちは大声で叫んでから、襲いかかった。戦闘というより、単なる虐殺が始まり、無防備で熟睡していたガリア人は目が覚める間もなく死んだ。野営地のはずれで寝ていたガリア人は驚いて起き上がり、敵がどこから現れたか、また何者であるかもわからず、慌てて逃げ出した。アルデア兵の中に逃げ込む者さえいたので、ガリア人のうろたえぶりがわかる。相当な数のガリア人はアンテイィウムの近郊に逃げ込んだが、同市の市民に包囲された。
同じ頃、ヴェイイの郊外でエトルリア人が虐殺された。これまでヴェイイの市民はローマに同情していた。四百年間隣人であったローマが、見たことも聞いたこともない蛮族に滅ぼされるのを見て、彼らは哀れんだのである。しかし今やローマを憐れむ気持ちを忘れ、彼らははローマの郊外に侵入し、誰からも罰せられずに多くの物を獲得した。略奪を終えると、彼らは遠くからヴェイイを眺めた。ヴェイイはローマにとって最後の要塞であり、希望だった。ヴェイイに逃げ込んでいたローマ兵たちは、ヴェイイの市民がローマの郊外を動き回るのを見ていた。略奪を終えたヴェイイ人は集結し、略奪品を先頭に歩き出した。ローマ兵は絶望して見ていたが、次第にヴェイイの市民に対して怒りが込み上げてきた。「ガリア人がローマを標的としたおかげで、ヴェイイは攻撃を免れたというのに、彼らはローマの災難を見て喜んでいるのだ」。
ローマ兵は略奪者たちを懲らしめる気持ちを抑えられなかった。ヴェイイに逃げ込んだローマ兵たちは百人隊長のカエディキウスを指揮官に選んでいた。カエディキウスは怒り狂う兵士たちをどうにか抑え、襲撃を日没まで引き延ばした。カエキリウスはカミルスに遠く及ばなかったが、攻撃を夜まで待ったのは適切だった。略奪者たちに対する攻撃は成功した。攻撃はさらに続いた。生き残ったヴェイイ人を案内人とし、市外の製塩場に行き、そこにいた大勢の市民を突然襲撃し、虐殺した。ローマ兵は勝利に満足し、ヴェイイに帰った。
【46章】
この時期、誰もローマを訪れなかった。ガリア人の包囲は不完全で、抜け道があっても気にしなかったが、彼らは包囲を続けた。戦闘はなく、ガリア人は封鎖線を出入りする人間を見張っているだけだった。ある時ローマの戦士の振る舞いが敵と味方の賞賛の的となった。ファビウス家は毎年キリヌス神(戦士の神で、サビーニ族がローマに伝えた神)へ生贄を捧げていた。C・ファビウス・ドルスオが長衣にガビンの帯をしめ、両手に聖なる器を持って、カピトールの丘を降りてきた。彼はガリア人が見張る中を平然と歩き、キリナル神殿に向かった。ガリア人たちはファビウスを威嚇したり、挑発したりしたが、彼は動じなかった。神殿に着くと、彼はしきたりに従い、厳粛に儀式を執り行った。儀式を終えると、相変わらず平然とした表情と物腰で帰っていった。神に対する聖なる務めをいかなる人間も妨害できない、とファビウスは深く信じており、死の恐怖さえ彼を押しとどめることはできなかった。勤めを終え、彼はカピトルの丘の仲間のもとへ戻った。ガリア人はファビウスの異常な大胆さに恐れをなしたのか、あるいは宗教的な畏怖を感じたのか、どちらかだろう。いずれにしてもガリア人は野蛮な民族であり、神を恐れる気持ちが深かった。
(日本訳注:ガビンの帯は長衣のすそをまくりあげ、腰に止めるもので、歩きにくい長衣を短衣に変える帯。ガビンは不明。おそらく外国の地名で、帯の発祥の地)。
ヴェイイのローマ兵は次第に勇気を取り戻し、再び戦力になろうとしていた。またローマが占領された時逃げ出したローマ人もヴェイイに集まってきた。さらにラティウム各地の志願兵もローマの勝利と戦利品をを期待してヴェイイに集まってきた。ガリア人からローマを奪回する機運が熟したのである。ただし、身体は頑健になったが、頭脳となる指導者がいなかった。現在彼らがいるヴェイイを奪取した指揮官カミルスを、人々は思い出した。カミルスの作戦と指導力のもとで、ほとんどの兵士が果敢に戦った。百人隊長カエディキウスは次のように言った。「神々の命令がなくとも、仲間に要望されなくても、私は指揮官を辞任する。私は自分の地位を忘れていない。我々には本来の司令官が必要だ」。
全員一致で、カミルスをアルデアから招くことが決定された。しかし元老院の承認が必要だった。非常時にあっても、ローマ人は国家の法律を忘れなかった。ローマ市内の大部分が失われていたが、元老院を尊敬する気持ちは失われていなかった。ガリア人の検問を突破するのは非常に危険であり、恐ろしかったが、ポンティウス・コミニウスという名前の元気な兵士が元老たちに会いに行く役目を買って出た。彼はコルク材の小さないかだでテベレ川を下り、ローマに向かった。対岸に上がると近道を選び、断崖をよじ登った。この崖は絶壁だったので、ガリア人は見張りは不要とみなしていた。コミニウスは無事にカピトルの丘を登った。彼は国家の指導者たちの前に案内されると、ヴェイイのローマ兵の要望を伝えた。元老院は以下の決定をした。「部族会議がカミルスを呼び戻す決定をすれば、彼を独裁官に任命できるだろう。そして兵士たちは希望する司令官を持つことができる」。
ヴェイイから来た使者は同じ道を通って急いで帰った。元老院の代表がアルデアに行き、カミルスをヴェイイに連れてきた。部族会議はカミルスの国外追放を解除し、彼を独裁官に任命した。昔の記録はこう述べているが、実際には、部族会議の決定の後に、カミルスはアルデアを出発したのだろう。ローマ人民の決定がなければ、彼は帰ることができない。独裁官に任命されることもないし、軍隊を指揮すこともできない。

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