たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

ヨルダン空軍のパイロットは死んでおり、人質交換は決裂

2015-01-31 15:10:47 | シリア内戦

                 捕虜となったカサスベ中尉

   dailymail       

イスラム国がサジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡しの期限としたのは、モスル時間で29日の日没であるが、翌30日になっても実現していない。原因はイスラム国側にあり、ヨルダン空軍パイロットが生きていることの証拠を出せないことにある。

デイリーメイル紙は、イスラム国との交渉は決裂した、と伝えた。

ムアズ・カサスベ空軍中尉は死んでおり、人質交換は成立しない。ヨルダン政府は国民感情の手前、後藤健二さんとサジダ死刑囚を交換することは、かなり難しい。カサスベ中尉の釈放を願う国民の声は強く、彼の死が明らかになった場合、国民の失望と怒りは大きい。

 

ーーーヨルダン政府はイスラム国に警告した。「カサスベ中尉が生きて帰らない場合、サジダ死刑囚を即刻処刑する。同時に、獄中にいる、複数のイスラム国の指揮官を、略式裁判で処刑する。」

 

カサスベ中尉が既に死んでいるので、ヨルダン政府はサジダ死刑囚を後藤さんと交換することに決めて、サジダをイラクに送った、とヨルダンのあるメディアが報道した。ヨルダン政府は、虚偽報道を行ったとして、編集者を逮捕した。ーーーーー以上デイリーメイル紙より

 

      <イスラム国の内紛>

人質交換の場所と予想されるシリア・トルコ国境の検問所には、日本のメディアが待機しているが、彼らの中に、ある噂が流れている。gooブログ「幸せの深呼吸」が伝えている。

ーーーー「イスラム国のなかで、後藤さんの解放は28日に決まっていた。ところがイスラム国内で内紛が起き、死者も出る騒ぎになったため、解放そのものが1日遅れることになった」というのだ。もちろん未確認情報で真偽のほどは分からない。ーーーーー

  <http://blog.goo.ne.jp/skrnhnsk/c/13663914301a563f1d31cd222c7a5e70>

 

     <弱体化しているイスラム国>

ただ、内紛の下地はある。英国王立大学のクリーグ(Andreas Krieg)教授は次のように語る。

ーーーシリア国内で最大の戦場となったコバニ(アイン・アルアラブ)で、イスラム国は敗北した。イスラム国はこの戦場に最大限の武器と戦闘員を投入した。その挙句敗北し、イスラム国の戦闘能力の限界を印象づけた。彼らは、いかに重要な拠点であっても、守り抜くことはできない。

原油の密輸ができなくなり、彼らは、資金面でも行き詰まっている。石油の値段が半額に下がり、供給過剰の現在、彼らの粗悪原油は買い手がない。

イスラム国は資金に窮しており、人質交換ではなく、身代金を欲していた。日本に要求した2億ドルという金額は、彼らの年間予算の約一割に相当する。身代金を拒否されたことは、イスラム国にとって痛手だった。しかたなく、人質交換に切り替えたが、彼らにとって敗北だった。

 

サジダ死刑囚の釈放要求が、世界のメディアで取り上げられたことは、イスラム国の評判を高め、成功だった。ただし、カサスベ中尉を生きて返せないことになると、交渉相手としての信義を失うことになり、今後、身代金要求はできなくなる。身代金の獲得は、現在のイスラム国にとって、今や重要な資金源である。

米国と英国は、「テロリストとは交渉しない」という立場を貫いている。 

DailyMail:Hostage is feared dead as prisoner exchange collapses

ーーーーー 

     アクチャカレ検問所

  reuters

  

イスラム国は、サジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡し場所として「トルコ・シリア国境」を指定した。トルコ南東部のアクチャカレ付近は交換場所の有力候補とされる。昨年4月、フランス人ジャーナリスト4人をこの付近で解放した。

アクチャカレ検問所の前はかなり広い広場となっており、一面に舗装されている。国境の検問所らしい、しっかりした感じの検問所である。

南側のシリア側はイスラム国の支配地となっている。すぐ先にはイスラム国が拠点とする町タラビヤド(Tel Abyad)がある。南に80キロ下れば、イスラム国の「首都」ラッカがある。

 

       アクチャカレとタラビヤド       VOA

  

 

  <アレッポとラッカとタラビヤドとの位置関係>

                 

(説明)①アレッポは北部の西寄りにあり、東寄りにラッカがある。ラッカの北方にタラビヤド(Tal Abyad)がある。

 

     国境のシリア側を歩くイスラム国の戦士

   reuters

 

 

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ヨルダンはパイロットの救出を優先、後藤さんは二の次

2015-01-29 21:45:04 | シリア内戦

  <イスラム国は29日深夜までにサジダの釈放を要求> 

      サジダ・リシャウィ     帯のように見えるのが爆弾

        AP

 イスラム国は死刑囚サジダ・リシャウィを、トルコ国境で引き渡すよう求めている。期限はイラクのモスル時間で、29日の日没までである。(日本時間では同日深夜)

ヨルダンでは、12月にイスラム国の捕虜となった空軍パイロットの父親が、人質交換に応じるよう、政府に懇願した。「息子が救われれば、政治の安定につながる。息子の死は国内の不安定を意味する。」と父親は語った。

日本国民は、ヨルダン政府が後藤氏の解放に尽力してくれることを期待しているが、ヨルダン政府は自分自身が国家崩壊の危機にあり、風前の灯で、余裕がない。戦々恐々としている。もともと貧しい小国であり、国家として自立するのは無理と考えられていた。おまけに多数のパレスチナ難民を受け入れた。国民の4割はパレスチナ難民である。最近では新たに80万人のシリア難民が流入している。国家として限界に近づいている。またインターネット民主主義の時代に、時代遅れの王政である。米国の援助という延命装置によってかろうじて生きているようなものである。それが、パイロットの父親の言葉にも表れている。

 

  <ヨルダンのパイロットの救出が優先、後藤さんは二の次>

ヨルダンの世論は、自国の空軍パイロットを取り戻すことを優先するように求めている。2人の人質を開放する、というのではなく、まず空軍中尉ムアス・カサスベの解放を、ということである。

イスラム国が対空ミサイルで戦闘機を打ち落とし、そのあと落下傘が降下し、続いて逮捕されたパイロットが写される動画がある。そのパイロットがカサスべ中尉である。彼は12月、有志連合の空爆に参加したが、ラッカ上空でパラシュートで脱出した。イスラム国の首都に降下したので、捕虜になった。機体が故障したためという報道もある。

 

    <カサスバ中尉の生存が確認されればよい結果に>

サジダさんの釈放を求めるビデオの中で、イスラム国は「ヨルダン政府が返事を引き延ばしている事が、交換の実現をさまたげている」と批判している。これは、ヨルダン政府が、カサスバ中尉がまだ生きていることの証明を求めたことを指しているようである。証明が得られれば、ヨルダン政府は人質交換に応じる方針である。国王アブドラ2世はカサスバ中尉の両親に対し「肯定的な方向に向かっているから、希望を持って持つように」と保証した。

 

国王の言葉を裏付けるように、ヨルダンの情報大臣は「カサスベ中尉が生きて帰るなら、要求されているイラク人女性を釈放する」と述べた。モマニ情報大臣は日本人の人質(後藤健二氏)については、何も語らなかった。大臣は「カサスベ中尉が生きていることの証明を求めたが、イスラム国からは返事がない」と語った。

 

ヨルダン議会の外務委員会議長によれば、イスラム国との仲介をしているのは、イラクの宗教指導者と部族長であるという。ヨルダンも日本もイスラム国との直接交渉には応じていない、という。米国はイスラム国との人質交換を拒否している。

 

 <イスラム国の真の要求は、ヨルダンが有志連合から脱退すること>

 

中東情勢の専門家マジード・アスフールは、イスラム国の本当の要求は、ヨルダンが有志連合から脱退すると宣言することではないか、と考えている。

彼の指摘に関連して、私は思うのだが、安倍総理が中東訪問中に「イスラム国と戦う周辺諸国を支援する」と強い口調で演説したことは「日本はイスラム国と戦う」と宣言したに等しいのではないか。

 

     パイロットの姉妹の胸に泣き崩れる妻

   Reuters

 

      パイロットの妻(中央)と姉妹(右後方)

   AP

 

     空軍中尉ムアズ・カサスベの人質交換を求める人々

   Getty Images

(参考にしたサイト)MailOnline 

<http://www.dailymail.co.uk/news/article-2929389/Mother-makes-emotional-appeal-Japanese-leader-save-son.html>

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湯川遥菜さん殺害のビデオは偽物?

2015-01-26 20:06:59 | シリア内戦

海外のディアが、湯川遥菜さん殺害のビデオは偽物ではないか、という見方を伝えている。Mashableという、あまり有名でないサイトから引用する。時間は日本時間ではない。

ーーー湯川遥菜さん殺害のビデオについて、偽物だという見方もあったが、米国と日本の政府はこのビデオを本物と認めた。今回のビデオは、イスラム国のこれまでの人質のビデオと異なる点がある。

ビデオは土曜日に投稿されたが、すぐに削除された。イスラム国のホームページ内で、ビデオの真偽について意見が分かれた。イスラム国のある戦闘員は、偽物だ、と言い、別の戦闘員は、後藤さんの妻にだけ向けたメッセージだ、と言った。さらに別のひとりは、投稿者がこれまでと違う点を指摘した。これまで人質と斬首のビデオを投稿していたのは、イスラム国のメディア部門の一つである「フルカン(al-Furqan)」である。今回のビデオには、al-Furqanのロゴがなかった。

 それだけでなく、動画の内容自体がこれまでとかなり違っている。

生きている湯川遥菜さんが斬首される場面の動画ではなく、湯川さんと思われる人の、殺害後の写真のみである。以前の動画にあったような、生々しい、目を覆いたくなるような残酷なシーンは写されていない。

 また、これまで、予告したタイムリミットに正確に従い、実行してきたが、湯川さんについては時間が遅れ、後藤さんについては、別の要求に変えた。

いくつもの点でこれまでと異なることが何を意味するかは、わからない。単に、イスラム国が余裕を失っているだけかもしれない。ーーーーーーーーー

By Jason Abbruzzese1 day ago

貼り付け元  <http://mashable.com/2015/01/24/japan-government-isis-video/>

 

後藤さんの知人のジャーナリストは、ビデオの中で話す後藤さんの声は、本人のようだ、と言っている。

                 ビデオの中で訴える後藤健二さん

     

                                                                       (写真)  Japan Times

 

           <サジダ・リシャウィはアンマンのホテルを爆破した犯人>

 ビデオの中で、後藤健二さんは述べている。「彼ら(イスラム国)は公正である。彼らはもはや、金銭を要求していない。その代り、ヨルダンの刑務所に囚われている仲間の女性の釈放を求めている。」この女性について、ジャパン・タイムズが説明している。

イスラム国が釈放を求めた女性サジダ・リシャウィは、2005年にヨルダンで起きた自爆テロの実行犯の一人である。彼女は、腰のベルトにつけていた爆弾が点火せず失敗したが、彼女の夫と他の二人は成功した。その日、アンマンのホテルで、結婚式に列席していた57人が死亡した。

サジダ・リシャウィはイラク人である。イラク・アルカイダの創始者ザルカウィの副官の姉あるいは妹といわれる。

以上ジャパン・タイムズより

貼り付け元  <http://www.japantimes.co.jp/news/2015/01/25/national/islamic-state-hostage-goto-video-purported-image-yukawas-corpse-voice-demanding-prisoner-swap/>

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アサド軍、カラムーン作戦を開始  2013年11月

2015-01-16 15:18:41 | シリア内戦

            カラムーン山地         Wikipedia

          

 カラムーン作戦は、2013年11月15日に開始された。この日以来、カラムーン山地での戦闘は日を追うごとに激しさを増した。

 11月24日現在、ダマスカスとホムスを結ぶ幹線道路に沿って、激烈な戦いが繰り広げられている。自由シリア軍は「幹線道路の沿線は戦場である」と宣言した。

    BBC

  敵対する双方にとって、この地方の確保は譲れない。アサド軍にとって、この幹線道路5号線は生命線であり、これに対する攻撃には、敏感に反応した。自由シリア軍がこの道路の方向に向けて一発撃つと、アサド軍は沿線の村々への食糧供給を10日間、停止した。

 幹線道路とその西側にそびえるカラムーン山地は、アサド政府にとって戦略的に重要である。山地のふもとには、アサド軍の防衛施設が集中している。 

アサド軍はこの幹線道路を用いて、ホムスへ兵士・重火器・補給物資を送っている。ホムス以北のイドリブ・アレッポの作戦も、ホムス経由で行っている。この道路が切断されれば、ホムス以北とダマスカスは分断され、それぞれ孤立してしまう。またダマスカスはホムス経由で物資を得ており、この道路が戦場となったことで、ダマスカスは燃料不足に陥った。

 

以上のように、 幹線道路の西側の山地一帯に敵が存在することは、首都ダマスカスと海岸部のラタキアとの連絡にとって脅威となっている。

 一方反政府軍にとって、カラムーン山地は、レバノンからの物資・戦闘員をシリア各地へ送る中継基地となっている。

        <アサド軍がカラの町を爆撃>

 アサド軍は、軍を進める前に、5日間、徹底して空爆と砲撃を行った。その後でカラの町に部隊が侵入した。カラの町のすぐ東側を、ダマスカスとホムスを結ぶ自動車道が走っている。北のカラと南のヤブルードを結ぶ線の西側が、反政府軍の支配領域となっている。地図の上方にカラ(Qara)の町が示されている。その南にヤブルード(Yabroud)が示されている。ヤブルードは幹線道路からはずれ、西側にある。

  アサド軍の攻撃は、カラの住民にとって悲しい出来事となった。町を脱出した約18000人の住民は、西の山岳地帯に向かい、国境を超え、レバノンの町アルサルに逃れた。アルサル(Arsal)はスンニ派の町である。レバノンのスンニ派は、国内ではヒズボラと政権を争い、隣国の内戦では、反政府軍を援助している。

            アルサルに到着したカラの人々(アルサルとカラは地図参照)

            Stringer AFP

 カラの町から南へ逃れ、10km南にある町デラティヤ(Deir Attiya)に向かった住民もいる。デラティヤ(Deir Attiya)の位置は地図参照。

  カラの住民が脱出すると、空爆と砲撃が始まった。5日間の空爆・砲撃の後、いよいよ地上部隊が町に侵入すると、カラの反政府軍は敗走した。アサド軍の攻撃が急で、反政府軍は迎え撃つ準備ができていなかった。もともと死守する考えはなかったようである。カラムーン山地にはいくつもの根拠地があり、カラを失ったからといって、カラムーン地方全体を失うわけではない。しかし、退却の理由はこれだけではないらしい。後半に真相を書く。

  カラからは退却したが、反政府軍はすかさず反撃をし、11月20日、カラの南10kmのところにある町を攻撃してきた。町の名はデラティヤ(Deir Attiya)といい、アサド軍が治安を維持していた。カラを脱出した住民の一部が避難していた町である。(地図参照)

      <自由シリア軍の裏切り>

 アサド軍にとって、カラは攻めやすかった。理由は地形ではない。カラの町は四方を山に取り囲まれており、守り易く,攻めにくい。したがって、アサド軍は慎重に事を進めた。彼らにとって戦いが容易だったのは、住民の中に反政府軍に参加した者がなく、反政府軍を援護する住民もいなかったことである。

 反政府軍の退却の理由について、さらに驚くべきことが語られた。反政府軍系地元メディアの広報官が、シリア・ディレクト紙に語った。

  ーーアサド軍は、幹線道路がある東側からと、北側からカラを徐々に包囲した。北側から迫る部隊には、ヒズボラ軍も加わった。そしてこの北方軍は防御を突破する主力軍だった。これに対抗すべく、カラの町の北面の守りについたのは、「イスラム軍」の旅団だった。他の諸グループの旅団も、町のそれぞれの要所を守備していた。

アサド軍の攻撃が近づいてくると、信じられないことに、正面を守る「イスラム軍」の旅団が、退却してしまった。彼らは、他の旅団に何も告げず、自分勝手に逃げた。同時に、コンクルス対戦車ミサイルを全て持ち去った。これは唖然とするような裏切り行為だ。この数台のソ連製ミサイルは、カラの守りにとって、中心的な役割を果たすはずだった。だからこそ、敵主力を受け止める、北面を守る旅団に託された。

  アサド軍は、前もって地対地ミサイルを大量に発射し、その後で、戦車を町に入れた。

 守備側は、守りの中心であるミサイル部隊が逃げてしまったので、残りの旅団も全員、戦わずして退却した。

  戦わず退却するという決定は、守備軍各旅団の合意によってなされたのではなく、最も重要な部署を守っていた旅団が、黙って逃亡したのである。守備軍全体を危険に陥れる行為だった。

 その後、やむなく退却するはめになった数個旅団が、逃げた旅団に対し、コンクルス対戦車ミサイルを返却するように要求した。しかし、「イスラム軍」は返すつもりがない。現在、捜査と審理が行われている。

 「イスラム軍」の旅団が戦わず逃げたのは、自由シリア軍による明白な裏切り行為だ。反政府軍内部で深刻な裏切りが起きている。もはや単なる内輪もめとは言えない。反政府軍の旅団の中に、かなりの数のアサド支持者や内務省のスパイがもぐりこんでいる。旅団ごとアサドのために働いている場合が、いくつもある。 ーーーーーー

 (本文) Regime control of Qalamoun is frightening, very frightening.’  inShare0   November 24, 2013

 貼り付け元  <http://syriadirect.org/main/36-interviews/955-regime-control-of-qalamoun-is-frightening-very-frightening>

          カラムーン山地の洞窟で休む反政府軍兵士

       

                 Qara LCC  シリア・ディレクト

       <コンクルス対戦車ミサイルの威力 >     

RPGは戦車を破壊する能力を持っている。甲板の薄い部位に命中すれば、ほとんどの戦車が操縦不能になる。難点は、命中精度が悪いことで、確実を期す場合、目標から100mほどの近距離から発射しなければならない。

 それに対し、コンクルス対戦車ミサイルは、照準に従い航路を修正しながら目標に向かうので、命中率が高い。また射程距離も長い。

         コンクルス 9M113

              Wikipedia

         ルーマニア製コンクルス  装甲車に搭載

       Wikipedia

 反政府軍は最近コンクルス対戦車ミサイルを手に入れ、大きな戦果をあげている。

    <熱誘導ミサイルによって破壊された戦車の数が増加>

 

東京外国語大学の News Middle East から引用する。

     -----------------------------------------------     

201373日『ハヤート』  【ロンドン:本紙】

 

    ■反体制武装集団が熱誘導ミサイルによって軍の戦車を破壊

 

複数の活動家は、反体制武装集団がシリア北部の複数か所で政府軍の戦車20両以上を破壊したと述べた上で、この戦果が自由シリア軍戦闘員の手に新式の対装甲ミサイルが供与された結果だと指摘した。

 シャームの鷹大隊に属するダーウド旅団は、シリア北西部イドリブ市と西部のラタキア市の間に位置するブサンクール検問所で戦車2両を破壊するビデオ映像2本を公開した。

 最近米国で開かれたシンポジウムで、複数の米国人専門家が、自由シリア軍の戦闘員の手に対戦車兵器が供与されたことを受け、36時間の間に戦車18両が破壊されたと発言していた。

 <http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20130703_115623.html>

                                 ----------------------------------------------- 

                  <反政府軍は「中隊」規模の部隊を「旅団」と呼ぶ>

訳す際ずいぶん迷ったが、青山弘之氏が「旅団」と訳しているので、「旅団」と訳した。

旅団は、2個連隊からなる。師団は3個連隊なので、師団より1個連隊少ないのが旅団である。

もともとは師団は4個連隊からなっていた。4個連隊を2つに割り、それぞれを旅団とした。つまり、2個連隊=1個旅団、2個旅団=1個師団である。1個連隊は3000名の兵士からなる。

時代の変化とともに、師団と連隊の中間にあった旅団は消滅し、1個師団は3個連隊で構成されるようになった。別の言い方をすると、師団は4個連隊から3個連隊に減少した。そして旅団は消滅した。不完全師団として、例外的に用いられた。

くりかえすと、1個連隊は3000名である。この3000名は、1000名で構成される大隊が3個である。

旅団と言う言葉は生き残り、現在は師団のほぼ同意語として用いられている。2個師団の規模の場合もある。

 

シリア反政府軍の「旅団」は標準からするとだいぶ人数が少ない。標準の規模とは関係なく、独立した部隊を意味するために、この呼び名を用いているようである。中隊は大隊の下位にあるが、旅団は独立した部隊である。

スペイン内戦の時、人民政府側て戦かった、外国人志願兵の「国際旅団」は世界的に有名である。ヘミングウェイが「誰がために鐘が鳴る」で描いた。

  

        

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カラムーンの戦略的重要性 2013年11月

2015-01-07 10:08:44 | シリア内戦

     <4万人に達するカラムーンの反政府軍>

6月にクサイルで敗北し、8月にダマスカスで敗北した反政府軍は、カラムーン山地に退避した。その結果、以前は5000人にすぎなかったカラムーンの反政府軍は、約4万人にふくれあがった。

 

カラムーン山地の反政府軍について、現地を視察したリポーターが報告している。(アル・モニター紙)

 

ーーレバノンとの国境は反政府軍が支配しており、冬が近づくと、木材とジーゼル油の密輸が活発になる。反政府軍が道路を監視し、守備している。カラムーンに来て驚くことは、広大な地域が、完全に反政府軍の支配下にあることである。80km歩いても、アサド軍の検問所に出会うことはない。反政府軍は、この一年間に、アサド軍の検問所を、40か所奪った。

カラムーン地方には20の町があり、100万の人が住んでいる。ーーー

 

Author: Al-Hayat (Pan Arab)Posted November 21, 2013

 貼り付け元  <http://www.al-monitor.com/pulse/security/2013/11/syria-opposition-qalamoun-battle-war.html>

 

     <アサド軍の本拠地が攻撃される>

カラムーンの反政府軍の兵力が増大し、その支配地が拡大しただけでなく、彼らはアサド軍の軍事施設を攻撃してきた。

8月上旬、ヌスラとイスラム系諸グループが、ダンハ(Danha)にあるアサド軍の武器集積所を襲い、武器・弾薬を奪った。

続いて9月上旬、イスラム系のリワ・アル・イスラームとアフラール・アル・シャームが、ルハイバ(ar-Ruhaiba)にある、第81旅団の基地を攻撃した。ルハイバはクタイファの東にある。正確な位置は後に示す。

       カラムーン山地     BBC

   

 

この2回の攻撃において、ヌスラとイスラム国以外のイスラム系諸グループも、戦闘力を一段と強化していることが明らかになった。

 

カラムーン山地のふもとを国際自動車道5号線が走っている。その道路に沿って、アサド軍の軍事施設が点在している。これらの施設が攻撃されたのは、9月の攻撃が初めてであった。

これまで反政府軍は、ダマスカスからホムスへ向かう輸送車を襲撃するだけだった。

軍事施設が集中する、軍の本拠地が攻撃されたことは、アサド軍にとってゆゆしいことであった。そして近くの山中に、4万人の反政府軍が結集していることは、アサド軍に脅威を与えた。

アサド軍は事態を放置できないと考え、11月15日、カラムーン作戦を開始する。

 

(上記地図の説明)       

①南端のダマスカスから北へ向かう赤い線が、幹線道路5号線。

②幹線道路の西側がカラムーン山地。山地の西端はレバノンとの国境である。レバノンの町アルサル(Arsal)は反政府軍の基地になっている。地図の最上部に、赤い波線と矢印で示されている。

 

幹線道路の東側に、アサド軍の軍事施設が集中している。それらの位置を次に示す。

   

①3つの基地が幹線道路から離れ、一般道路にある。幹線道路上にあるクタイファ(Qutayfa)には第三師団の基地があり、その東隣のルハイバ(ar-Ruhaiba)には第81旅団の基地がある。ルハイバの北のナシリーヤ(Nasiriya)には第155連隊の基地がある。

②ルハイバの南、地図の最南端のドゥマイール(ad-Dumayr)には飛行場がある。襲撃された武器庫があるダンハ(Danha)は地図に示されてれていない。

 

     <カラムーン山地の戦略的重要性>

8月以来の危機がなくても、カラムーン山地はアサド政府にとって戦略上の要地である。最悪の場合、アサド政権は、全国統治を放棄し、国を分断するつもりである。その際、北部と東部を捨て、西部のみを確保する。都市の名をあげれば、ダマスカスとホムス、そして海岸部のラタキアとタルトゥスである。そのためには、ダマスカスとホムスの連絡を危うくする、カラムーン山地の敵は一掃しなければならない。

 

    反政府軍の支配地 2013年8月     Washington Post

    

(説明)①北部は反政府軍が支配するところとなっている。(オレンジ色の部分)

②中央部はほぼ政府軍が支配しているが、部分的に反政府軍が割り込んでいる。

③ホムスと海岸地方との間に反政府軍の支配地がある。

④ダマスカスの周辺に反政府軍の支配地がある。

 

  <カラムーンからの支援に頼る、ダマスカスの自由シリア軍>

 

弱体化したダマスカスの反政府軍にとって、カラムーン地方からの支援は命綱となっている。反政府軍の生の声を聞くと、彼らにとってカラムーン地方が、いかに死活的に重要であるか、ひしひしと伝わってくる。カラムーン地方には反政府軍のメディア・センターがあり、そこの広報官が、シリア専門のメディアに語った。(シリア・ディレクト紙)

  

ーー「ダマスカスの市内と郊外の自由シリア軍にとって、カラムーンを失うことは、後方支援を失うことを意味する。彼らを支えてくれる者がいなくなってしまう。そうなれば、アサドの目的が達成され、ダマスカスを脅かす反政府軍は消滅するだろう。カラムーン地方がアサドの手に落ちることは、考えただけでも、ぞっとする。本当に恐ろしい。」ーー

    <http://syriadirect.org/main/36-interviews/955-regime-control-of-qalamoun-is-frightening-very-frightening>

 

    <レバノン山脈とアンチレバノン山脈>

    

(説明)                                             skilem.com

①濃い緑色が山脈。うすい緑色は高地。

②南北に2本の山脈がある。川と谷をはさんで、西側がレバノン山脈であり、東側がアンチレバノン山脈である。

アンチレバノン山脈の東側にダマスカスがある。

④レバノンという国は、山地が海岸にまでせり出している。国土のほとんどが、レバノン山脈とそれに続く高地である。

⑤別々の2本の山脈と考えた方がわかりやすいが、もともとは1本の山脈という考え方がある。その場合、次のように考える。レバノン山脈はベカー谷によって分断され、ベカー谷を間をはさむ、2本の山脈のようになっている。そして、便宜上、ベカー谷の西側を単にレバノン山脈と呼び、東側をアンチレバノン山脈と呼ぶ。 

 

   ,<カラムーン山地はアンチレバノン山脈の一部>

アンチレバノン山脈の山中に国境線があり、シリア側の部分をカラムーン山地と呼ぶ。

カラムーン山地の西端はレバノンとの国境である。国境を超え、レバノンに入ると、反政府軍を支持する町アルサル(Arsal)がある。隣国に、いわば安全地帯に根拠地を有することは、カラムーンの反政府軍にとって、大きな強みである。

 

カラムーン地方の町や村は、人類の最古の居住地域の一つであり、古代以来、変化する文明の影響を受けてきた。近年は、伝統的な果樹栽培が衰退し、収入を失った住民は、レバノンとの密輸に頼るようになった。

 

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最古のキリスト教寺院があるマルーラを攻撃 2013年9月

2015-01-01 02:52:45 | シリア内戦

        < カラムーン山地の戦略的重要性>

マルーラの戦闘は、住民がキリスト教徒であること、2000年前にイエスが話したアラム語を話す人々であるということで、世界の注目を集めた。

 

マルーラは、カラムーン山地の南端にある小さな町であり、そこで起きた戦闘も大きなものではない。しかし、この地域は戦略的に重要である。ダマスカスの北方のカラムーン山地一帯が、反政府軍の支配地となっており、首都ダマスカスにとって危険な要因となっている。

 

ダマスカスから北のホムスに向かって、幹線道路が走っているが、ダマスカスを出ると、しばらくは、カラムーン山地のふもとを行くことになる。ホムスへ向かう輸送車両は危険地帯を進むことになる。

カラムーン山地の反政府軍はレバノンから補給を受けている。彼らは、ダマスカス周辺の反政府軍への補給を中継し、後方基地の役目を果たしている。カラムーン山地の反政府軍が一掃されれば、ダマスカスの反政府軍は補給を絶たれる。

マルーラはカラムーン山地の南端にあり、それだけ、ダマスカスに近い。本来アサド軍がカラムーン掃討作戦をすべきところであるが、ヌスラの方が果敢であリ、先に攻勢をかけた。カラムーンの支配地を広げる目的で、ヌスラは積極的に作戦を進めた。

 

         カラムーン山地          BBC

                         

 (説明)①反政府軍は、レバノンのArsalから国境を超え、シリアに物資を運んでいる。

②赤戦が、南のダマスカスから北のホムスへ向かう幹線道路であり、カラムーン山地の東側を走っている。地図にM5(自動車道5号線)と示されている。

③QaraとYabroudを結ぶ線の西側に、反政府軍の基地がいくつかある。基地は地図には示されていない。地図の上方、幹線道路に接して、Qaraの町がある。Qaraの南、道路からはずれて、Yabroudがある。

④Maloola(マルーラ)はYabroudの南にある。

 

      <ヌスラがマルーラの検問所を攻撃>

      マルーラの入り口     Wikipedia

   

 2013年の3月、ヌスラ戦線がマルーラの町の背後の山中に進出してきた。それ以来キリスト教徒の住民は圧迫を受け、ヌスラの基地の近くに農地を持つキリスト教徒の農民は、イスラム教徒を同伴しなければ、自分の農地に行けなかった。

2013年9月4日、ヨルダン人が運転するトラックが、村の入り口にある政府軍検問所の近くで自爆した。爆発を合図に、ヌスラの兵士が攻撃を開始した。政府軍兵士8人を殺害し、2台の戦車を破壊し、ヌスラは検問所を奪取した。

即座に駆けつけることのできる、政府軍の部隊は、近くにいなかった。シリア空軍が出撃し、検問所を三度爆撃したが無駄だった。少人数のゲリラ部隊を、空爆しても意味がない。ヌスラは日暮れまでに、マルーラのいくつかの地域を占領した。

 3日後の9月6日、政府軍は地上部隊をマルーラへ送った。政府軍の戦車と装甲車が近づくと、ヌスラの兵士は検問所を明け渡し、山中に退却した。政府軍は検問所を奪回すると、守りを強化した。    

翌7日、政府軍は、山中のホテルにたてこもるヌスラを攻撃した。しかしヌスラに援軍が到来し、9月8日、政府軍を町から追い出してしまった。この日の戦いで、ヌスラの兵士18人が死亡し、100人が負傷した。

 

 この間、ヌスラの残虐行為を、住民が訴えた。「ヌスラはキリスト教徒の家を襲撃し、数人を殺害した。教会を焼き、別の教会を略奪した。彼らは、キリスト教徒の農民を脅し、『イスラム教に改宗しなければ、首を切り落とすぞ』と言った。」

また、ある農民の婦人は「夫が、のどを切られ殺された」と語っている。彼女の夫は、親アサド派の民兵だった。キリスト教徒の住民は町を去り、イスラム教徒の住民は、ヌスラの兵士を歓迎した。

 

 9月9日、政府軍は陣容を整え、再びヌスラを攻撃し、町を奪回した。

      マルーラの政府軍兵士と話すアサド大統領

   

 

その後、アサド軍は、2013年11月15日、本格的なカラムーン作戦を開始した。

[参考)<http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ma'loula>

 

      <世界で最も古いルーラのキリスト教会>

   

                              Wikipedia

マルーラは人口わずか3300人の小さな町である。住民はキリスト教徒とイスラム教徒である。イスラム教徒といっても、アラブ化しておらず、アラブが到来する以前のシリアの住民の風習を守っている。ウマイア朝の首都ダマスカスの近くに住みながら、彼らはアラブ人ではない。アラブ人の方が外来者であり、マルーラの人々は、古代シリアの住民の末裔である。

 古代のマルーラには、イスラムが到来する半世紀前に、キリスト教徒が存在した。この地はキリスト教が誕生したエルサレムに近い。聖書には、パウロはダマスカスへの途上で、十字架につけられたイエスの声を聞き、回心した、とある。

 マルーラの町では、イスラム教徒もキリスト教徒もアラム語を話す。イエスが生きた時代、アラム語はシリアの広い地域で話されていた。パレスチナでも、ヘブライ語はすでに文語のみとなり、口語はアラム語だった。イエスはアラム語を話したと考えられている。2000年を経ると、死語となる言語が多いが、マルーラの人々は、今日もアラム語を話している。

  

 マルーラには数多くのキリスト教の寺院と教会とがあり、シリアでも有数の巡礼地となっている。中世から近代にかけて、西欧では、華麗で壮大な教会や寺院が建造されたが、ここマルーラの寺院・教会は、それらと趣を異にし、別世界を感じさせる。岩山の山腹にたたずむ古代の寺院の景観は、遠い過去の時代の文明を思い出させる。寺院の中には、キリスト教世界で最も古い聖画像が収められている。岩山の洞窟に記された文字は、最も早い時期のキリスト教徒の教会があったことを示している。

(参考)  <http://en.wikipedia.org/wiki/Ma'loula>

 

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