たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

アサド大統領の国会演説(後半) 2011年3月30日

2016-11-29 18:08:50 | シリア内戦

 

木曜日に発表した改革は新しいものではなく、2005年のバース党会議で決定された内容と同じです。改革は以前から政府の重要課題でした。当時政府に対する圧力は無く、自主的に改革に着手したのです。

2004年チュニスでアラブ首脳会議が開かれました。米軍によるイラク侵攻後初めてのアラブ・サミットでした。この時アラブ首脳は独立心を失い、米国に追随する姿勢があからさまでした。しかし米国が要求した改革と民主主義については、我々は拒否しまた。米国の試みは失敗しました。

米国のシリアに対する圧力は、イラクでの抵抗運動と我が国の外交が原因でした。

2005年のバース党の改革案は外国の圧力によるものでなく、シリア独自の判断でした。

現在国民から改革を求める圧力があります。2005年に改革を開始したのですが、その後実行が遅れたので、国民が不満を持っているのです。改革の方針は正しかったのです。

木曜日に改革の実行を再確認したのは、反乱を鎮めるためではありません。改革の結果が実を結ぶまで時間がかかります。

政府は改革を約束したが実行しなかったという意見があります。これに答えるため、私が大統領になった2000年以後の経過について話したいと思います。

2000年には、改革に具体性がありませんでした。具体化に着手する間もなく、大きな問題が起きました。就任後の国会演説の2か月後、パレスチナでインティファーダ(住民の抵抗運動)が始まりました。すると、この抵抗運動を抑え込もうとする陰謀が始まり、我が国に対する圧力が高まりました。

翌年911日、米国の貿易センターが破壊され、イスラム教徒とアラブ人が敵とみなされました。米国はアフガニスタンとイラクを攻撃しましたが、シリアはこれに反対しました。このため米国は今まで以上にシリアを憎むようになりました。

2005年にレバノンで起きたことは、よく覚えていると思います。2006年の戦争とその影響、2008年末のガザ戦争も同様です。この期間を通じて、我が国は外国の圧力を受けました。この時期は国内でも災難がありました。4年間連続して干ばつに見舞われ、我が国の経済を破壊しました。

その結果、優先順位を変更せざるを得ませんでした。この重要な点について、外国のメディアに一度ならず話しました。4年間の干ばつに対処することは、政府の能力を超えていました。経済を立て直す方策が皆無ではありませんでした。2000年に10歳だった世代は、この時のことを覚えていると思います。最優先すべきことは安定でした。当時と比べるなら、現在は安定しています。当時もう一つの優先事項は生活水準を回復することでした。国民の間に様々な不満がありましたが、生活苦が最大の問題でした。

言い訳になりますが、経済の問題が優先され、改革は延期されました。戒厳令の廃止や政党法の改正などの政治的な問題は、後回しにされたのです。国民が最低の生活もできないほど貧しい時、彼らの境遇の改善を後回しにはできません。政党の改革は、数か月後あるいは数年後に延期することができます。しかし子供の朝食のパンの配給を延期することはできません。戒厳令その他の法律、または行政が原因で起きる不都合の改善は、遅らせることができます。しかし、親にお金がなく、あるいは政府に薬がないため子供が治療を受けられない場合、対策を延期することはできません。政府は日々こうした問題に直面しています。国民議会の議員はよく知っていると思います。

 

2009年と2010年に貧困問題は改善したので、政治改革に取り組む余裕ができました。バース党は政党法改正の原案を作成しました。しかし国会で審議はされませんでした。少し遅れても国民の判断にゆだねた方がよいと考えました。2005年以来、私は改革の意志を変えていません。私は官僚に強制すべきだったかもしれません。官僚の怠慢などよって改革が遅れました。私を含めた指導部はシリア国民の一部であり、国民をよく知っています。

近い将来国会を解散します。新しい国会になり、内閣も変わるでしょう。地方政府のメンバーも変わり、新たに地方議会が誕生するでしょう。2011年には政治が一新されるでしょう。シリアは改革の新しい段階に進みます。

これまで地方議会の創設を遅らせてきた理由は、過去に政府が行ったことを説明する必要があり、それを新設された地方議会に提出しなければならないからです。

国と地方の全ての組織に、新しい人材を登用するつもりです。

我々が予定している改革は流行ではありません。アラブ世界を席券している新しい波の影響でもありません。2か月前エジプトで大衆デモが起きた時、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者が私に質問しました。「あなたは改革をするつもりですか?」私は次のように答えました。「すでに改革を始めていなければ、もう手遅れです。改革の意志を持たず、計画もなく、あわてて改革を始めても、失敗するだけです」。

外国の政府の人間が私に言います。「あなたは改革者です。しかしあなたの周りにいる人たちが改革を妨害している」。私は答えました。「それどころか、私の周囲の人たちは、わたしに改革を迫っています。邪魔する人はいませんが、なぜか遅れているのです」。改革に反対していいるのは利権を持っていて、腐敗している人だけです。ほとんどの人が改革に賛成しています。腐敗した連中は非常に少なく、この議場から消えてしまいました。難しいのは、どのような改革をすべきか、です。経済状態に引きずられて改革をしてはいけません。逆効果に終わります。

我々は10年間改革に取り組んできました。現在行うべき改革は過去十年の経過を踏まえ、将来の10年を考慮するものでなければなりません。現在の流行に振り回されるのではなく、他国の経験を参考にするのです。例えばチュニジアの出来事は、エジプトの場合より学ぶべきものがあります。チュニジアの経験から学ぶために、我々は専門家を派遣しました。チュニジアの改革は我が国の手本でした。チュニジアで革命が始まった時、富の分配に問題があることが明らかになりました。政治の腐敗により貧富の格差が大きかっただけでなく、地域間の格差も大きかった。これは我が国の問題と共通しています。我々はこの問題の解決に努力し、富の公平な分配を求めてきました。

我が国が改革を先延ばしするなら、破滅的な結果になるだろう。しかし最も難しいのは、改革の方法です。もうすぐ提出される改革諸法案において、シリア人としての能力が問われる。木曜日に発表した戒厳令の廃止と政党法の改定は、1年以上前にバース党が作成した法案に沿っており、私が発案者ではない。その他いくつかの法案は公開討論され、関係機関で議論されるだろう。

木曜日に発表しなかった改革事項もあり、それらは国民の一体感を強めることを目的としている。汚職と戦う、メディアの自由を認める、雇用を増やすことであるが、これらは十分審議した後に決定したい。昨日辞職した内閣が審議を始めていたが、これらの事項は新内閣の優先事項となるだろう。昇給については私が経済チームと検討している。いくつかの議題のうち、昇給については結論が出た。

しかし1500シリアポンドの昇給額について不満があったので、1時間前、増額を決定した。

経済チームが上からの命令を待たず、自主的に昇給問題に取り組見ました。私はこれを高く評価しており、国民に伝えたい。来月には他の改革事項も決定したい。ある程度時間を限定して検討したい。しかしあまり早急に決定すると、いい加減な内容になるので、必要な時間をかけ、最善の決定をしたい。

私が発表した改革は不十分だと、衛星テレビは批判するでしょう。我が国が破壊されない限り、彼らにとって不十分なのです。彼らの原則は嘘をつくことであり、最後には自分の嘘を信じてしまう。しかし、嘘は事実によって反ばくされ、矛盾が明らかになり、自滅するのです。

私の兄弟や姉妹である皆様! 私は人間として最近の出来事を悲しんでいます。私は反乱や殺人が嫌いです。もめごとが嫌いなのです。しかし危機を克服することはある意味でよいことです。シリアの強さの秘密は、これまでの歴史でいくつもの危機を経験してきことにあります。特に独立後はそうでした。勝つという自信と決意を持って、危機にた立ち向かわなければなりません。困難な問題が発生した時、それから逃げなければ、我々は前進します。逃げればつまづき、失敗します。立ち向かうことによって、自信を獲得します。

問題が困難な時、焦って解決しようとせず、正しい解決を得られない場合、解決がないままじっとしている方がよいのです。これが、私がこれまでの危機から学んだ教訓です。

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アサド大統領の演説(テキスト)2011年3月30日

2016-11-28 18:30:05 | シリア内戦

《Speech to the Syrian Parliament by President Bashar Al-Asad,30March2011》

最近の出来事が国民と子供たちの命を奪ったことに対し、悲しまずにはいられません。

国民が私の考えを直接聞きたがっていることを、私は知っていました。私は事件の全体像を把握するまで、敢えて今日まで話しませんでした。感情に流されて話せば、国民が喜ぶのを知っていましたが、それは事態を好転させることにはならず、解決にもなりません。我々の敵はシリアを不安定にするため、日々組織的に、計画的に働いています。彼ら策謀は極めて洗練されており、高度な技術を用いています。しかし我が国に陰謀を仕掛けたことは、愚かでした。そのような陰謀はシリアでは成功しないからです。彼らは敗北し、シリアは勝利するだろう。

最近数か月アラブ世界で起きている大変動について、敵はよく知っている。これらの事件はアラブのすべての国に影響を与え、その影響は世界に及ぶだろう。当然シリアにも直接関係する。

混乱が起きたのは、政権に対する国民の同意がない国においてであり、国民の同意がある政権は安定している。シリアではいくつかの点で国民の不満があるが、大部分の国民は政府を信頼している。

アラブの3つの国で起きた最近の変動の原因は、アラブの人々がこの3040年間貧困化したからである。

アラブ3国でデモが起きた時、アラブの指導者たちはそのことを軽く見ていた。街路や広場での抗議をメディアが取り上げ、国民全体に影響を及ぼす。このことに注意すべきだ、と私はアラブの指導者たちに助言したが、彼らは意に介さなかった。今になって、彼らは私の助言が正しかったことに気づき、困っている。

アラブの人々はこれまでひどい状態にがまんしてきたが、現在飼いならされるの拒否している。アラブ世界にある貧富の格差を埋めなければならない。

アラブの中心的な問題のもう一つは、パレスチナ人の苦境である。アラブ諸国が譲歩を重ねたことに、アラブの人々は怒っており、パレスチナに正義が実現することを願っている。

 

シリアはアラブの一部であり、アラブ諸国との間で互いに影響を与え合っている。しかしシリアは他のアラブ国家のコピーではない。アラブ各国はそれぞれ違う。特にシリアは、国内的にも国際的にも、他のアラブ諸国と異なっている。

我が国の国内政策は、経済発展と開かれた社会を目標にしており、私は直接国民と話すことにしている。すべてうまく行っているわけではなく、解決されていない課題もあるが、この2つの方針が政策の柱であることに変わりがない。

 

シリアの外交の基本は、国家の権利を主張することである。それとともに全アラブの権利を主張し、アラブの土地が侵略された場合、その地の住民の抵抗運動を支援することである。シリアの外交はシリア国民の意向を反映している。国民重視という点で、内政と外交は共通している。市民を中心としない国政は誤った方向に進んでおり、政府はただちに修正しなければならない。

この方針は正しく、シリア国民は前例のない団結を示した。最近数年シリアに対する対する圧力が強化されたが、シリアは守られてきた。また外交の進路にある地雷原を撤去することができた。

 

最近シリアで起きたことについて正確な情報を提供したい。衛星テレビが「アサドは最近の事件を外国の陰謀が原因だと語った」と報道すると思うが、国民には事実を知ってもらいたい。

まず陰謀の中心的メンバーと彼らの背後関係について話したい。私が敵の陰謀を暴露すれば、敵は別の手段を用いて、私の主張を弱めようとするだろう。戦っている時は敵について理解しようとするものであり、敵の次の動きにも敏感になる。戦いが終了すると、特に勝利した後では、敵が次に何を準備しているか、注意を払わなくなる。これまで敵の陰謀をはねのけてきたように、今回も外国が計画している企みから国民をまもらななければならない。

周知のように、現在シリアに大きな陰謀が仕掛けられており、敵は隣国だけでなく遠方の国々も誘っている。また国内の人間にも触手をのばしている。陰謀の黒幕たちは、アラブのいくつかの国が混乱している現在がチャンスだと考えている。

アラブ世界で新たな革命が流行している。したがってシリアで起きることも革命だと誤解されてしまう。革命という名の陰謀は、いつもやり方が同じで、「自由」というスローガンを利用する。

自由の旗印のもとに改革が叫ばれると、実際に起きていることを知らずに、多くの人が同調してしまう。シリアの敵は3つの要素を巧妙に混ぜ合わせた。国民の代表としてこの議場にいる人々は、この点について詳しく知っている。皆様の認識と私の認識にギャップが起きないよう、これまで私が入手した情報を提供しておきたいと思います。

3つの要素とは、反乱、改革、不満です。シリア国民のほとんどが改革を要求しています。この議場にいる議員は全員改革に賛成しています。

大部分の国民は不満を抱えています。我々指導部は国民の要求に答えることができていません。我々は互いに議論し、批判し合うだけで、合意に達していません。そういう時に反乱が起き、反乱は他の2つの要素を取り込みました。改革の実現と不満の解決を旗印にかかげ、反乱は真の目的を隠したのです。

最初にデモをした人々のほとんどは善意でした。一部の人間が彼らを利用したのです。

当然ながら、陰謀を行なっているのは少数の者です。破壊行為が明らかになるまで、政府の人間さえ、何が起きているか理解していませんでした。その後徐々に状況がはっきりしてきました。改革を求める者が破壊行為をするでしょうか。改革を求める者が人を殺すでしょうか。

また奇妙なニュースが流れています。ある建物が攻撃された、と衛星テレビが伝えましたが、その建物は攻撃されていませんでした。放送の一時間後にその建物が攻撃されました。テレビ局は将来起きることを知っていたようです。こうした予言放送は一度だけではありません。こうしたことから真実が明らかになりました。

私が今述べていることは陰謀論だと言われそうな気がします。しかしこれは単なる議論ではなく、陰謀が実際に存在するのです。

 

この状況に対処するのは困難でした。我々が外国の煽動と戦っていても、国内の改革派と戦っているように見えたからです。政府は改革を支持しており、国民の必要を満たしたいと考えている。これは政府の義務である。しかし外国の煽動を容認することはできない。シリア国民はもともと賢明であり、愛国心を持っている。実際に起きていることを国民が知っていたら、事態を収めることは容易だったろう。政府が行動を起こす前に、国民が自ら対処していたろう。ご存じのように、政府は行動を抑制し、対応を国民に任せた。健全で愛国的な対応により、国民の団結の早期の回復に導いた。

現在は陰謀の第一段階か、第二段階なのか、私にはわからない。しかしシリアが弱体化し、国内が分裂する時が最終段階であることは間違いない。その日が来るまで、敵は陰謀を続けるだろう。彼らにとってシリアがじゃまなのである。イスラエルの計画にとって最後の障害物を取り除くことが、彼らの目的である。

我々は個々の出来事に興味がない。なぜなら、彼らは陰謀を続けるにきまっているし、これまえであれこれのやり方でやってきたことを、今後も繰り返すだろうからだ。彼らは毎回経験を積みかせね、巧妙になっている。失敗するたびに、それを教訓として方法を改善している。

したがって我々も、彼らのたくらみを退けたとき、彼らのやり方を学び、次に備えなければならない。

 

具体的な話はするな、と多くの人が私に助言するが、私は透明性が必要だと思うので、こうした助言に従わない。

シリアで混乱が始まるよりも数週間前に、敵は衛星テレビとインターネットを利用してデモを呼びかけたが、失敗に終わった。次に暴動を起こし、偽の音声や画像を含んだ情報を流した。また宗派争いを起こすために、別の宗派が襲おうとしていると、ショート・メッセージを送った。他宗派からの襲撃があるという話に真実味を与えるため、覆面をしたグループを送った。それから一軒一軒を訪問し、襲撃が始まったと言った。最初このデマは成功したが、我々はすばやくこの煽動をつぶした。地域の指導者たちが状況を人々に説明したので、人々は安心した。

偽情報作戦が失敗したので、彼らは武器を取り、住民を無差別に殺し始めた。死者が出ると、解決が困難になると考えたからである。

陰謀はよく組織されており、外国とと結びついた支援グループが複数の県に存在する。メデイア班は偽情報を流し、「目撃者」グループは嘘の証言をする。

 

敵はダラア県で仕事を始めた。ダラアは国境地方であるが、すべてのシリア人にとって大切な地方である。シリアの敵イスラエルと接しており、祖国を守る最前線である。ダラアとクネイトラハシリアをイスラエルから守っている。祖国を守るべき位置にあるダラアで、祖国に対する陰謀が行われることは許されない。ダラアで起きたことに、住民は責任がない。しかしかれらには、政府と共に陰謀を終わらせる義務がある。政府とシリア国民がダラアを応援している。ダラアの人々は真の愛国者であり、威厳があり、寛大である。混乱を引き起こし国家を破壊しようとする少人数は住民全体によって抑え込まれるだろう。

 

陰謀グループはラタキアとその他の都市でも活動を始め、殺人や脅迫を行い、反乱をそそのかした。市民に武器を使用してははならない、と治安部隊は命令されていた。しかし市街地での反対運動の場合には対話が難しく、事態は混乱してしまう。一時の過ちがそれで終わらず、連鎖反応が起きて、人々が死んだ。

 

デモで死んだ人々はシリア人であり、我々の兄弟であり、家族です。彼らの死は我々の悲しみです。この事件の原因を探り、事件の背後にいる者を知ることは重要です。

現在起きていることは、2005年の事件に似ています。当時敵はメディアとインターネットを駆使して我が国を屈服させようとしました。インターネットは当時あまり普及していませんでしたが。彼らは我々にこう思い込ませようとしました。「勝敗は決まった。これ以上戦っても無駄だ。我々は敗北を受け容れるしかない」。

目的はおなじですが、今回は国民の様々な不満を利用しました。改革の名のもとに、混乱を助長しました。同時に宗派争いに火を付けました。宗派問題に人々は敏感であり、衝突を引き起こすのは容易です。

2005年には国民の理解があり、外国の陰謀を退けることができました。しかし現在の事態はもっと複雑です。インターネットが普及し、宣伝方法が高度になったからです。国民が賢明でないなら、偽の情報が勝利するでしょう。

愛国的な国民の知性こそが、様々な局面で、シリアを守るでしょう。

現在起きている反乱は、誤解と悪意ある宣伝によるものであり、国民が真実を知ることで解決するはずです。

 

現在変革の嵐がアラブ世界に吹き荒れています。これには、よい面と危い面があります。この波にただ流されるのではなく、この波を導かなければなりません。この波がシリアに到達した時、そのエネルギーをシリアの利益に役立てなければなりません。変革の波を消極的に受け入れるのではなく、積極的に取り組むのです。

この方針に沿って、政府はいくつかの改革を発表しました。昇給、政党に関する法律の改定、戒厳令の廃止などです。政府の決定は政府の考えを反映しています。しかしコミュニケーションが不十分な場合、国民のためになる決定が、広報の失敗により、国民に理解されないけっかになります。

これらの改革は反乱があったから決定したのではありません。従来から検討されていました。政府は一時しのぎの対応をしてはなりません。何らかの状況に迫られたり、国民の圧力があるからという理由で国家の方針を決めてはなりません。それは政府の弱さです。国民の圧力に屈する政府は、外国の圧力に屈するでしょう。

そのような姿勢は間違っている。政府と国民の関係は圧力に基づいてはならない。国民からの圧力の有無にかかわらず、社会の正当な要求を政策に反映することことは政府の義務である。

国民の要求が正統なものである時、政府は喜んでそれにこたえる。もし要望に応えることができない場合、政府はそのように言うべきである。受け入れがたい要望もある。

そうは言っても、政府にとって国民の信頼がないことは大きなプレッシャーです。2005年の危機の際に国民が示した愛国心に政府は感謝しており、国民に報いたいと考えております。改革を実行することによって、国民に発展と繁栄をもたらしたいと思います。(続く)

 

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シリアを取り巻く国際環境  2000年代

2016-11-26 17:09:50 | シリア内戦

前大統領ハフェズ・アサドの時代には、シリア国民はデモをしようなどと考えなかった。武力による鎮圧を恐れていたからである。デモの現場で射殺されなくても、逮捕後の拷問は考えるだけでも恐ろしかった。

天井からつるされたり、背骨を折られたりした。背骨を折るために工夫された特殊な椅子があり、これはジャーマン・チェアと呼ばれた。秘密警察が東欧やソ連に行き、拷問の方法について研修を受けた。シリアは旧ソ連圏と同様に警察国家であり、国民にとっての監獄だった。ソ連崩壊後、このような国が体制を維持するのは困難になっている。

2000年にハフェズ・アサドが死亡し、バシャールが後を継いだが、バシャールは改革と民主化の必要性を感じていた。しかし2000年代はシリアを取り巻く国際情勢が緊迫しており、外交も重要な課題だった。3月30日の彼の演説はそれについて語っている。

シリアに対する外国の陰謀は特別なものではなく、イスラエルとの戦争とレバノン内戦後平和が成立したわけでなく、一触即発の状況にある。国境は平和的ではない。シリアに対する様々な陰謀がうごめいている。レバノン問題は隣国の問題であると同時に、シリア自身の問題でもある。レバノンとシリアは別々の国家として独立したが、オスマン帝国時代両国の間に国境はなかった。

3月30日の演説で、1900年代の対外情勢を彼がどう受け止めていたか、語られている。

次回大統領の演説を訳すが、すが、その前に、基礎知識を書いて置きたい。

アサド大統領は2005年のシリアの危機として、レバノンの元首相の暗殺について語っている。知らない人も多いと思うが、シリア内戦の前哨戦ともいうべき事件であり、レバノン問題はシリアが米国と対立する原因になっている。レバノン内戦の構図が消えない限り、シリア内戦は終わらない。反政府軍はアサド体制と戦っているつもりでも、国際戦争の代理人にならざるを得ない。「イスラエルの陰謀」は、間違いなくある。ゴラン高原とレバノンに関して、シリアとイスラエルは敵だからである。

レバノン内戦について書くと長くなるので、とりあえず、ハリリ暗殺について、ROCKWAY PRESS(日本のサイト) から抜粋する。

===《ハリリ元首相暗殺の真犯人(黒幕)は誰か?》====

2005年2月、レバノンの元首相ラフィク・ハリリがベイルートで暗殺された。元首相は反シリア的であり、隣国シリアのが殺害に関与したと疑われ、レバノンで大規模な反シリアデモが発生した。親シリア派内閣が総辞職し、シリア軍はレバノンから撤退した。レバノン内戦勃発以後30年近く、シリア軍はレバノンに駐留していた。シリア軍の撤退はレバノン内戦の結果を変更するものだった。1年半ほど経った2006年7月、イスラエル軍のレバノン攻撃が始まり、第2次レバノン戦争が勃発した。

このことから、ハリリ暗殺の真犯人だという見方もなされた。「シリア軍が撤退することで、イスラエルのレバノン侵攻が容易になり、ハリリ元首相暗殺で利益を得た者は、イスラエルである。ハリリ暗殺はシリアを悪者にするために仕組まれた事件である」。

しかしハリリ暗殺直後は、シリアとレバノンの治安当局が共謀して暗殺に関与したする見方が支配的だった。レバノンを実効支配していたシリアの関与なしに、このようなだいそれたことはできない、とされた。「暗殺はシリア治安当局高官の承認がなくては決定できない」。

国連安保理決議に基づき、2009年3月国際特別法廷がオランダ・ハーグに設置された。捜査と起訴はレバノン人以外の国際捜査団がおこない、審理はレバノン法に基づきレバノン人と外国人の裁判官の合議で行われることになった。

裁判の結果、証拠が不十分であり、実行犯は無罪となった。

===========(ROCKWAY PRESS終了)

      

シリアのゴラン高原を下ると、パレスチナである。パレスチナはシリアの隣接地域であり、古代以来、往来が盛んだった。

第二次大戦後、パレスチナの海岸部にイスラエルが建国されたが、シリアはこれを認めなかった。

1966年の6日戦争でシリアはイスラエルに敗れ、ゴラン高原を失った。ゴラン高原を奪い返すまで、イスラエルとシリアの間に平和はない。

         

 =======《6日戦争(=第三次中東戦争)》========

                                 ウイキペディアから抜粋

1966年2月、シリアでクーデターが発生し、PLO支持のアターシー政権が樹立すると、にゴラン高原からイスラエル領内へ砲撃を加え始めた。

イスラエルは住民保護を理由として、7月に空軍を派遣してシリア軍と交戦した。シリア空軍機を撃墜して砲撃陣地を破壊、さらに示威行為として、首都ダマスカス上空を飛び回った。

当時、アラブ側はソビエト連邦から兵器を購入しており、KGBの要員が常駐していた。彼らは中東で戦争を起こそうと画策していた。

イスラエルとシリアが即時に開戦する意思も態勢もなかったにもかかわらず、KGBは両国が開戦するとの情報をエジプト政府に知らせた。

またシリア政府に対しては、イスラエルがシリアへ侵攻準備を開始したと報告した。このためエジプトとシリアは開戦に備え、国境沿いに軍を配備した。

当時イスラエルのすべての周辺国は、イスラエルの敵国であった。国家消滅の危機感を抱いていたイスラエルは先制攻撃を決意し、開戦の準備を行った。

1967年6月5日、イスラエル空軍機が超低空飛行でエジプト・シリア・ヨルダン・イラク領空を侵犯、各国の空軍基地を奇襲攻撃して計410機にも上る航空機を破壊した。制空権を奪ったイスラエルは、地上軍を侵攻させ、短期間のうちにヨルダン領ヨルダン川西岸地区、エジプト領ガザ地区とシナイ半島、シリア領ゴラン高原を占領した。

=========(ウイキペディア終了)

ゴラン高原の奪回と、パレスチナをイスラエルから奪い返すことが、シリアの大義となった。アサド大統領はパレスチナ人の抵抗運動に大きな関心を寄せていた。2000年代国民は大統領を支持しており、パレスチナ人のことを心配する余裕があった。

=======《インティファダ》=========

                           知恵蔵2015の解説から抜粋

 1987年末、イスラエル占領地でパレスチナ人が一斉に抗議行動を開始した。イスラエルの警備隊に投石するだけであり、武装蜂起ではなかったが、イスラエルはこの鎮圧に失敗した。力だけではパレスチナ人の民族主義を抑えることはできない、とイスラエルは悟った。1993年のオスロ合意を受け、抗議行動は一応の終息を見た。

しかしオスロ合意以後の中東和平プロセスの成果が乏しく、2000年末パレスチナ人の不満が再び爆発した。2回目のインティファーダは武装蜂起となり、パレスチナ人

は小火器、迫撃砲、さらには手製のロケット弾などを使用した。よって使用された。またイスラエル国内で自爆攻撃をおこなった。

これに対しイスラエルは、戦車、ジェット戦闘爆撃機、ミサイル搭載ヘリコプターなどの圧倒的な火力でパレスチナ側を攻撃した。さらにパレスチナ人の指導層を「テロリスト」として、次々と暗殺した。

2005年1月、アッバスがパレスチナ人の指導者となって以来、事態は一時、鎮静化した。

しかし2006年にイスラエルを認めないハマス政権が成立し、インティファーダが再燃ている。

============(知恵蔵2015終了)

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アサド大統領の演説に落胆する市民 2011年3月30日

2016-11-22 14:41:49 | シリア内戦

3月29日、ナジ・オタリ内閣が辞職し、新内閣が数日後成立することになった。ナジ・オタリは3003年から首相の地位にあった。シリアでは、首相の権限は限られている。アサド大統領に権限が集中し、結局は彼の家族、軍および情報機関が実権を握っている。

3月30日アサド大統領が国会で演説した。ダラアをはじめとする最近の反乱について、大統領が初めて口を開いた。シリア在住のジャーナリストがこの演説内容を紹介し、ダマスカス市民がどう受け止めたか書いている。この記事はガーディアンに掲載された。

====《Assad blames conspirators for Syrian protests 》=====

アサド大統領が議会で演説した。200年の就任以来 彼は最大の危機に直面しているが、市民の要求に対する大統領の考えは、これまで彼の報道官が発表してきた。大統領が直接話すのは今回が初めてであり、国民の関心が高かった。しかし演説内容は期待を裏切るものであり、市民の抗議に応えるものは何もなかった。シャーバン報道官が約束した改革について、一言も語られなかった。最近2週間の抗議運動は外国の陰謀と衛星放送が原因であるとし、国民の不満を受け止めようとはしなかった。

政権内には国民に心を開き、彼らと対話すべきだという意見もあったようだが、結局大統領は「反乱は断固鎮圧すべし」という意見を採用した。政権の中核部分がそう考えていたのだろう。

アサド大統領は議会で次のように述べた。

「イスラエルのために働いている連中が騒乱を起こしている。改革というスローガンのもとに、社会を混乱に陥れている。

こうした外国の陰謀を前にして、国民の団結心が試されている。

もちろんデモをする人が全員外国のスパイではない。純粋に改革を求めている人もいる。ダラアでのデモで、行き過ぎた取り締まりにより死者が出たことは、悲しむべきことだ。

改革は必要だが、それを実行するのは、現在の混乱が収束し、経済が改善した後だ。改革が遅れたことことは申し訳ない。改革の意志は変わっていない。しかし今はその時ではない。最優先すべきは、社会の安定と経済の向上だ。」

演説は聴衆である国会議員の熱烈な賛同の拍手で、しばしば中断した。テレビ中継され、国民もこの演説を聞いたが、ダマスカス周辺のカフェや家庭での評判は最悪だった。

「これでシリアは終わりだ」と若い技術者が言った。「改革の約束はなく、謝罪もなかった。演説を聞いてますます腹が立った。少なくとも、市民が殺されたことについて謝ってほしかった。

ダマスカス市内に住む別の男性が電話で話した。「彼の話はナンセンスだ。今まで通り市民を弾圧しろ、と治安部隊に許可を出したようなものだ。アサドは宗派対立をあおり、その恐怖で国民を脅している」。

改革について具体的な話は一切なく、すべて後回しにされた。

民主化を期待していた人々は、大統領の演説があまりに期待外れなので、ぼう然とした。「俺たちの中にイスラエルのスパイがいる、だって?」

アサド支持者は異なった受け止め方をした。キリスト教徒のビジネスマンは、戒厳令が廃止されることに不安を覚えた。彼らは少数派であり、多数派の暴動が野放しになることを恐れた。

ある評論家によれば、最近複数の外国政府がアサド大統領を支持するメッセージを寄こしたので、アサドは強気になっている。そのため彼はほとんど譲歩しなかった。改革は従来から進められていることの線上で語られた。最近爆発した国民の強い不満を過少評価し、あたかも不満が存在しないかのように語った。

============(ガーディアン終了)

シリアでは多くの人が戒厳令の廃止を求めている。ダラアの反乱も、反体制的な落書きをした子供の逮捕・拷問に端を発している。戒厳令は、このような無差別逮捕と拷問を可能にしている。ダラアの反対派は戒厳令の即刻廃止を要求している。しかし戒厳令の継続を願っている一般市民(キリスト教徒など)もいるようで、改めてシリアの宗派問題の複雑さを感じさせる。

30日の大統領の演説について、上記のダマスカス在住の覆面記者の評価を読むと、演説内容全体を知りたくなった。

現在2016年11月、政府軍はロシアとイランに助けられて、巻き返しに成功している。特に反政府軍最大の拠点、東アレッポの奪回に成功しつつある。しかしこれは外国勢の勝利であり、アサド軍自体は兵数が減少しており、勝利を維持するのも外国頼みである。一方で、域内諸国と米国が反政府軍を懸命に支えている。武器援助だけでなく、サウジ、バハレーン、首長国が派兵している。先のことはわからない。

反政府軍が勝利すればバシャール・アサドは死ぬ運命にある。リビアのカダフィのようにである。ただし、米国が干渉に本腰を入れない姿勢を続ければ、勝利の可能性もある。最悪でも、カンボジアのポル・ポトのように、国内のアラウィ派地帯で生き延びるかもかもしれない。いずれにしても極めて追いつめられた状況におり、生死の瀬戸際で生きている。

勝利しても、残酷な独裁者というイメージは免れない。

シリア内戦を理解する上で、大統領個人の資質と彼の頭の中身を知ることは不可欠である。

ネットを検索してみたら、演説内容全部の英訳と国会演説の中継録画が見つかった。

演説の録画はなぜか、米国の国会中継専門のサイト(C-span)にあった。

(テキスト) Speech to the Syrian Parliament by President Bashar Al-Assad, 30 .

(録画)Syria President Bashar al-Assad Speech to Parliament

録画の冒頭では、国会の前に大勢の支持者が集まって歓呼している。議場に向かう大統領は長身で見栄えが良い。議会は全体主義体制らしく、拍手の音頭をとる者がいて、議場に反対政党はいない。全員が与党である。他の全体主義国家と同じであるが、少し違うのは、音頭をとる者が何人もいて、陽気な点である。ソ連などの場合、誰が音頭を取っているかわからず、一斉の拍手となる。シリアの場合、議員の中に浮かれた連中がいるという感じである。

演説全文を読んでいろいろ知ることができた。アサド大統領はダラアの問題を詳しく知らないようである。情報部の長官やエリート師団を率いる大統領の弟マヘルは一部を隠して報告しているようだ。その結果、ダラアの問題は解決した、とアサド大統領は楽観している。ダラアの問題は4月になってさらに深刻になるが、完全に見誤っている。

ただし、演説全体は興味深く、父親に似て慎重な性格が表れている。改革が遅れた原因について語り、2000年代のシリアがが置かれた国際環境が緊迫しており、そちらにエネルギーを集中せざるを得なかった、としている。2003年米軍のイラク侵攻があり、その後レバノン問題が起きた。これらはシリアにとって国家危機であり、シリアは常に外国からの脅威にさらされている。かといって内政をすべて後回しにしたわけではなく、農業に大打撃を与えた干ばつの対策には真剣に取り組んでいた。結果はともかく、外交問題と同程度に干ばつの被害は彼の頭を悩ませた。

大統領がどれだけ真剣に取り組んでも、官僚を動かしして結果を出さなければ、何もしなかったのと同じである。ピラミッド型の官僚群を動かすのは、どこの国でも難しい。特に中東は難しいようだ。上級官僚だけでなく、中級から最下級の官僚まで、汚職を本業とし、たまに役人としての仕事をしている。

国民の3割が死ぬ革命をやっても、この点は変わらない。かりにシリアで反政府軍が勝利しても、この点は変わらない。アサドの一党は消えるだろうが、望んだような政府は生まれない。

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イスラエルはムスリム同胞団を支持しない 3月28日・29日

2016-11-12 17:45:23 | シリア内戦

             〈イスラエルはムスリム同胞団を支持しない〉

ムスリム同胞団はイスラムの復興を目標としており、基本的に反欧米・反イスラエル的である。彼らは主にエジブトで勢力を拡大したが、エジプトという国家への帰属意識だけでなく、イスラム共同体への帰属意識が強い。アラブのイスラム教徒はもちろん、世界のイスラム教徒にとってのイスラム共同体が、彼らにとっての国家である。

宗教性を除けば、現在の国家の枠を超える点で、ナセルのアラブ民族主義と共通する。大きく違うのはムスリム同胞団は大衆運動であり、ナセルとその後継者たちはエリート階級に属していることである。エジプト太守の将校だったナセルやサダトは太守に反乱し、政権を奪取すると、英国から独立した。彼らの反乱は特権階級の反乱だった。これに比べ、現在エジプトで起きている反乱は大衆の反乱であり、過激な方向に進む危険がある。若者は過激になりがちであり、ムスリム同胞団はもともと大衆運動であり、急進的である。現在のエジプトの反乱の結果、イランのような過激な政権が誕生するかもしれない。

イランのアフマディニジャド大統領は「イスラエルという国家を消滅させる」と国連で演説した。すると各国の国連大使たちのほとんどが最大の抗議の意を示し、議場を去った。

アフマディニジャドのような人物がエジプトの大統領になることは、イスラエルにとって悪夢である。

イスラエルはムスリム同胞団が指導する革命が成功することを望まない。したがってシリアのムスリム同胞団を支持しない。

 

一方で、シリアの反対派の中には、イスラエルの支援を望んでいる者がいることがわかった。

328日イスラエルのネット・ニュース(Yネット)がシリアの反対派の人物(Farid Ghadry)にインタビューした。この人物は「シリアの反対派はイスラエルの敵ではない」と弁明した。「若者たちが革命に成功しても心配ない。シリアではムスリム同胞団が政権を取ることはない。シリアはエジプトとは違う。シリアにムスリム同胞団の指導者がいるなら、これまでのデモの際に、カリスマ的な指導者の肖像が現れていたはずだ。

若者はイスラエルとの領土問題に関心がないので、イスラエルは心配するに及ばない。若者は経済にしか関心がない。彼らは貧しさゆえに結婚できず、最低限の生活な物さえも買えない。(Assad supporters 'loyal to nation'

 

   〈政府を支持する圧倒的多数のデモ〉

 

  

 

329日、大統領を支持する人々が、ダマスカスの中央広場を埋め尽くした。男、女、子供たちが、中央銀行の正面3がt29ひに掲げられた大統領の肖像の前に集まった。彼らは叫んだ。「一つの国民! ひとりの大統領!アサド大統領万歳!」

 

====《Syria unrest: Pro-Assad rallies in Damascus and Aleppo》===

                 BBC 3月39日

329日シリア各地で、それぞれ数万人が政府を支持するデモに参加した。エジプトとは対照的に、圧倒的な大衆デモは政府を支持するものだった。

ダマスカス、アレッポ、ホムス、ハマ、ハサカのデモの様子が、生中継された。大勢の人が通りを埋めつくし、シリアの国旗と大統領の肖像をかかげて行進し、叫んだ。「神 ! シリア!バシャール! 我々は血と命をバシャールにささげる!」

この日子供たちの学校は休みとなり、銀行員などのサラリーマンは2時間の休憩が与えられて、デモに参加した。

3月後半、いくつかの都市で政府に対する抗議のデモが行われた。29日の政府支持派のデモはそれに対抗するものだった。

 

     

 

政府は最近2週間の反政府運動を消火しようと努力を続けている。

最近のデモで60人の死者が出たことについて、政府は対応の過ちを認め、内閣が辞職が予定されている。

現在の危機にどのように対処すべきかについて、政権内で意見が割れている。反体制派を厳しく弾圧すべきだとする人たちと、、彼らと対話すべきだという人たちに分かれている。

 

28日ダラアでは、数百人が政治的自由を求めてデモをした。部隊が彼らに対し催涙弾を使用した。

===============(BBC 終了)

 

予告された通り、329日ナジ・オタリ首相以下32人の閣僚が辞職した。

 

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