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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

ISISの石油:密輸の大動脈  2015年12月

2016-06-21 00:01:48 | ウクライナ

  

 ロシア国防省は2015122日,ISISの石油ビジネスについて報告した。

ロシア軍参謀本部は偵察衛星により得られた情報を公開した。これによって、ISISの密輸石油のルートの全体が明らかになった。

この報告は国会で行われ、正面にロシア軍のトップがずらりと並び、背後のスクリーンに衛星画像が映し出された。(冒頭の写真)

ロシア国防副大臣のアナトーリー・アントノフが説明を始めた。

ISISは石油の売却により、1年に20億ドル得ている。この資金を用いて、世界中から志願兵を集め、彼らに武器と装備を与えている。

ISISの資金源に打撃を与えることに成功すれば、ISISに勝利することは容易だ。プーチン大統領はいつも言っている。『資金がないテロリストは牙を抜かれた野獣にすぎない』。

ISISの石油ビジネスは国家的な産業であり、トルコのエリートがこれに協力している。

ISIS支配地で採掘された石油の最大の消費者はトルコであり、エルドアン大統領と彼の家族がこの犯罪的な取引に関わっている。

 

2人目の報告者であるルツコイ参謀本部作戦部長はエルドアンの息子を名指しで批判した。「エネルギー大臣であるエルドアンの息子がISISの石油ビジネスに直接関わっている」。

 

3人目に、防衛管理センターのミゼンツェフ中将が報告した。「ISISが採掘している原油はシリアとイラクに所属する。ISISが主権国家な重要な資源を盗んでおり、それをトルコが買っている。

トルコがISISを助けているのは石油の買い取りだけではない。2000人の戦闘員、120トンの弾薬、250台の車両がISISとヌスラ戦線に引き渡された」。

 

国防省の発表は世界中で報道された。

ロシア国防省はトルコとエルドアン大統領を単に批判するだけでなく、その根拠を示した。その証明こそが注目すべきことだったが、それを取り上げたメディアはなかった。

トルコの犯罪的行為を証明したのは、2番目の報告者ルツコイ中将である。幸いロシア国防省は彼の説明を文書にした。英文訳もある。

 

私は、ISISの石油ビジネスについて既に3つの記事を訳している。ロシア参謀本部の報告はそれらの内容と全く違う局面を明らかにしている。バズニューズとアル・モニターの記者は国境の村の住民が行う密輸を取材した。それらと比べ、今回のロシアの報告する密輸は、けた違いに大規模である。報告者自ら「密輸の量に圧倒される」と語っている。

バズニューズの記事はベサスラン村の話が中心であるが、それ以外にも取材しており、「石油トラックが国境検問所を自由に通過している」と語っていた。それ以上の説明はなかった。その全貌をロシア参謀本部が明らかにした。

またバズニューズはブルッキング研究所のルアイ・ハティーブにインタビューした。ハティーブの話によれば「ISISは自分たちの地域の精油所で処理しきれない量の原油をくみ上げている。燃料と違い、生活用品ではない原油の量は日々105万ドル相当である」と話している。これは隣国の精油所に売るしかない。ロシア参謀本部はそれはトルコのバトマンの製油所であると特定した。もっと驚いたことに、トルコの海港から外国に密輸しているという。トルコの港で、タンカートラックからタンカー船に原油を移すのである。

バトマンと海港の位置を示す地図がロシア参謀本部の報告の中にある。

 

====《ロシア軍参謀本部作戦部長の報告》=====

Speech of the Chief of the Main Operational Directorate of the General Staff of the Russian Armed Forces Lt.Gen. Sergei Rudskoy

 

国防副大臣がさきほど述べたように、ISISの資金源を絶たずに、ISISに勝利することはできない。

ISISにとって、石油の密輸が第一の収入源である」。

ロシア空軍はISISの資金源に決定的な打撃を与えるため、原油採掘所、貯蔵・精製施設、輸送手段を爆撃した。

最近2カ月間の空爆の内容は以下の通りである。

32の石油複合施設 ②11の精油所 ③23の原油採掘所

ISISは数千台のタンカー・トラックによって原油と石油製品を運んでいる。

米国と有志連合はこれらの石油トラックを空爆していない。

ロシア空軍は最近2カ月間に、1080台のトラックを破壊した。

930日に開始されたロシアの空爆により、密輸される石油の量は半分にまで減少した。空爆前、ISISの石油収入は日々3百万ドルだった。2か月後、この金額は150万ドルにまで減少した。

しかしながら、ISISは相変わらず資金と武器・装備を援助されている。トルコおよびその他の国々がISISの大規模な経済活動に協力している。これについて、ロシア参謀本部は反論の余地ない証拠を持っている。それらは航空偵察と宇宙衛星によって得られた。

 

大規模な密輸ルートは3つある。

 

          《①西方ルート》

西方ルートはISISの支配地から西へ向かい、地中海に至る。

 

  

 

ラッカの近くのタブカ油田)くみ出された石油は自動車により、トルコ国境を超え、地中海の港デルティオルに至る。

20151113日のアザズ付近の写真には、トルコに向かう幹線道路に、石油製品を運ぶ車両が写っている。

 

   

A地域)

トルコ側の広場に240台のタンカー車とセミ・トレラーが並んでいる。

Bの道路)

シリア側では、国境を超えようとして、46台のタンカー・トラックが待っている。この中の数台は普通のトラックのように偽装している。

 

ラッカの近くのタブカ油田を起点とするもううひとつの西方ルートは、トルコのレイハンリに向かい、イスケンデルンの港に至る。

レイハンリの付近も、アザズと同じ状況である。アレッポ県では激しい戦闘の最中であるるにもかかわらず、往復のいずれの車線も、絶えず多くの自動車が流れている。トルコ側も同様である。

ビデオには自由に国境を越えている移動車が写っている。国境のシリア側を管理しているのは、ヌスラ戦線である。彼らはタンカー・トラックと石油を運ぶ大型車を自由に通らせている。これらの石油輸送車はトルコ側の検問所でもチェックされない。

1116日の映像によれば、360台のタンカー・トラックと大型車が国境のシリア側に並んでいる。その一部を次に示す。

 

  

Aのシリア側では、100台の大型車が列をなして国境に向かっている。

Bのトルコ側には、国境を越えたばかりの160台のタンカー・トラックが写っている。

 

偵察衛星の映像によれば、国境を越えたタンカートラックとセミ・トレーラーはデルティオル港とイスケンデルンの港に向かった。これらの港にはタンカー船専用の係留所がある。原油の一部は船に移され、外国の製油所に運ばれる。残りはトルコの市場で売られる。

デルティオル港とイスケンデルンの港では、平均して一日に1隻のタンカー船が原油を積んで出港する。

次の衛星写真は20151125日のデルティオルとイスケンデルンである。石油タンカー車が蜜集しており、積荷を降ろすのを待っている。

 

 

デルティオルには395台のタンカー車が写っており、イスケンデルンには60台写っている。

 

【ラッカに近いタブカ油田を起点とし、地中海の港デルティオルを終点とする太い流れは、クルドのアフリン地区から国境を超えているように描かれているが、これは経路を示したものではなく、起点と終点だけを示したものらしい。経路は細い矢印で示されている。】

 

       《②北方ルート》

北方ルートは、デリゾールの油田から北に向かい、カミシュリで国境を超え、トルコのバトマンに至る。

 

 

 

デリゾール県のユーフラテス右岸は油田地帯であり、多数の採掘施設と精油所がある。ISIS地域内で、ここは最大の石油センターがあり、石油を受け取るため、多くのタンカー車が順番待ちをしている。これらの輸送車は前後の間隔もなく、びっしりと並んでいる。20151018日の衛星撮影によれば、駐車場として使われている空き地に、1722台の石油輸送車が並んでいる。

     

 

      

 

 

タンクに石油を入れ終わったトラックは列をなして北上し、カミシュリに向かう。8月の映像には、カミシュリから国境を越えてトルコに入る石油輸送車と、逆にトルコからカミシュリに入る輸送車が数百台写っている。

デリゾールの石油の大部分はトルコのバトマンにある精油所に運ばれる。国境からバトマンまでの距離は100kmである。

 

       《③東方ルート》

東方ルートはトイラク北西部の油田からトルコのジズレに向かう。

イラクの油田を出発した輸送車はザホやタバンで国境を越え、トルコのジズレに向かう。ジズレと同じくシロピ(トルコ領)にも物流センターがあり、シロピに向かう場合もある。

ジズレとシロピの両都市には精油所がないので、精製前の原油は前述のバトマンに向かう。(バトマンは北方ルートの目的地である。)

1114日の撮影によれば、ザフノとタバンの近くに1104台の輸送車が集結している。これにシロピ(トルコ領)に集まっているタンカー車を加えると、1114日の合計は実に3220台である。

 

東方ルートはもうひとつあり、シリアのハサカ県の油田を出発し、カラチョクとチャム・ハニクを通り、ジズレに向かう。このルートは輸送量が少ない。

 

         《結論》

西方・北方・東方の3ルート全体で、石油の輸送に使われている車両は8500台であり、日々20万トンの石油が運ばれている。

8500台の輸送車の大部分は、東方ルートを走っており、イラクからトルコに入っている。

============(ルツコイ中将の報告終了)

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石油を密輸する村の実情  ハシパサ 2014年9月

2016-06-10 22:27:11 | シリア内戦

2011年末以後、トルコは反政府軍に対し、無条件に国境を開いた。国境が消えた状態となり、反政府軍の戦闘員たちは自由に出入りした。2014年になると、ISISが所有する石油の通路となり、ISISに巨額の収入をもたらした。ISISは初歩的な方法で石油をくみ上げ、それをトルコに輸出している。

トルコがISISから石油を買っていることを、2015年12月ロシアが大々的に批判した。ロシアの批判は有名になったが、この問題が取り上げれたのはこの時が初めてではない。

 トルコのISIS支援は2013年以来周知の事実であったが、2014年になり密輸の問題が浮上した。これはISISがイラクに進出し、急成長を遂げたからである。脅威となったISISの資金源を断つことが急務になった。ところがISISを支援する国があり、、米国は苛立った。トルコやサウジはISISを助けていると、米国は強く非難した。ISISとの戦いに歩調を合わせないトルコに対し、米国は不満を募らせた。

この時期ジャーナリストたちが密輸の現地に入った。前回紹介したベサスラン村に関する記事は2014年11月3日に書かれている。今回後半に紹介するハシパサ村の記事は2014年9月15日に書かれている。

 前回訳したバズニューズの記事によれば、ISIS石油のトルコへの密輸は、中央政府の方針によるものではなく、地方的な出来事である。トルコは前近代的な側面を残しており、中央の権力とは無関係に地方には独自の社会がある。

密輸の調査に入ったジャーナリストは、国境警備隊が密輸を許可している現状を知った。しかし国境警備隊の汚職ということで片付く問題ではない。国境管理を厳格にすれば、国境地帯の人々の生活が破壊されるのである。トルコとシリア間の流通業が国境地帯の住民の収入源になっている。

今回後半で紹介するアル・モニターの記事も、違う角度から、密輸の村の人々の生活をとらえている。その中に、中央政府の対応によって翻弄される人々について書かれており、トルコの地方と中央権力との関係を考えさせられる。

オスマン帝国末期、青年トルコ党が近代化を試みたが、改革の困難さに直面し、挫折した。間もなく第一次大戦となり、オスマン帝国は解体してしまった。広大な領土の多くを失い、トルコは縮小された中規模国家となった。領土が狭くなった分、中央政府の支配が地方にまで行き渡るようになったが、青年トルコ党時代の社会状況が現在も残っている。

ISISから石油を買っていると批判され、トルコ政府は真面目に対応し、ハタイ県の国境地帯での密輸を厳しく取り締まった。この点では、中央の権力による地方支配は見事に機能している。

しかしこれが大きな問題を引き起こした。密輸を取り締まるべき国境の警備兵はそれまで密輸を全面的に許可していた。そしてそれは地元の生活に密着した対応であった。密輸しているのは地元の住民である。彼らは政府のシリア政策に協力した。難民を受け入れ、シリアに残留している人々に援助の物資を届けた。犠牲を払ったことを考慮しない政府に反発している。

しかし、密輸をとりしまれと命令された国境警備隊は急に手のひらを変えた。パイプラインを掘り起こし、石油を入れる容器を没収し、村人に罰金を課した。

住民は怒り、変心した兵士に不信の念を持った。

トルコ政府は国際的な批判をまじめに受け止め、対策をとったのであるが、地方の住民の怒りを招くことになった。

150年前の青年トルコ党と同じく、現政権も地方統治という、やっかいな問題にぶつかるかもしれない。特にシリアとの国境地帯は取り扱いが難しい。そもそも人工的につくられた国境には無理がある。同一生活圏を分断したからである。

内戦前、シリアとトルコは往来が自由だった。この地域は国境が無いことが自然な状態であり、両国政府がこの事実を踏まえ、自由な往来を許す協定を結んだのである。シリアとトルコが互いに友好国であれば、このことに問題はない。しかし互いに敵国となれば、これは恐ろしい話である。それがシリア内戦で現実となった。シリアの反乱軍はトルコと自由に往来し、トルコの根拠地から支援を受けた。反乱軍にとって絶好の環境なのである。

しかし逆のことも起こり得る。シリアとの国境地帯はトルコにとっても極めて不安定な地域である。国境が無きも同然だからだ。

自国の不安定要因に細心の注意を向けるより、トルコの首脳はアラブ諸国を指導することに熱心である。アサド大統領が苦々しげに語っている。「トルコはオスマン帝国の復興を夢見ているのだから、あきれて物も言えない」。

今回紹介するアル・モニター紙の記事のテーマは「ハシパサ村の密輸」であるが、トルコの政治姿勢にも触れている。アサド大統領のトルコ評は正しいようだ。トルコだけでなく、中東諸国には、域内での指導国でありたいという野望を秘めた国が多い。しかしそれらの国は国家形成が十分できていない。西洋の近代国家は数百年かけて形成された。中東は前近代的であり、中世の戦国時代のように、戦乱が当たり前である。外部から民主主義を持ち込もうとすると、かえって混乱を悪化させる。

オスマン帝国から独立したアラブ諸国は人工的につくられた国家であり、非常にもろい。現状維持で100年続ければ、自然に国家として固まるかもしれない。しかしそれ以前に、これらの国の国境に手を加えたり、中央政府を倒したりしたら、収拾がつかなくなる。どの国も、ユーゴのようにあっという間に解体する。またパレスチナのようになる。解決の日は遠い将来であり、それまで永遠に紛争を続ける。

このような観点から、2012年夏以来私は、反政府軍がさっさと敗北するのがよいと考えていた。しかし2014年春には、アサド政権は勝利すべき時期を失っ他と私は考えた。この時期、反政府勢力が弱体化し、分裂していたので、アサド政権に生き残りのチャンスがあるように見えたが、政府軍はあまりにも多くの国民を殺し、自国の都市を瓦礫にしてしまった。第二次大戦の時、連合軍はドイツの主要都市を壊滅させたが、それらは敵国の都市である。アサドは同じことを自国の都市にしたのである。

2013年末までに勝利できなかったことで、アサド政権は永遠にチャンスを失った。反政府軍がいかに弱体でも、外国の援助がある限り、反乱を継続できる。アサド政権は、上に述べた理由で既に正当性を失っており、内戦が長引くにつれ、着実に戦闘力を失う。戦争が長引けば国は衰退し、戦力を失う。例外の無い法則だ。

他方でアサド政権に代って全国を統一できる反政府軍も存在せず、国内に真の実力者はいない。シリアの将来を決めるのは外国になってしまった。仮に戦争がやや早期に終わるとしても、外国による傀儡(かいらい)政権が生まれるだけである。

政府軍と反政府軍のどちらからでもよいから、ケマル・アタチュルクが生まれるのが、最善の解決だが・・・・。

 

ハタイ県の中心都市アンタキヤの東に、ベサスランとハシパサがある。

            

 ==========《密輸する村の住民》============

              Turkish villages smuggle IS oil through

              Türkçe okuyun  3014年9月15日

ハシパサ村では、ほとんどの家族が密輸のためのパイプラインに従事している。ハタイ県のハシパサ村を訪れて、石油密輸のしくみがよくわかった。

シリアとトルコの国境に沿ってアシ川が流れている。トルコ側にハシパサ村があり、シリア側にエズメリン村がある。

ハシパサの出来事は、トルコの外交政策の直接の結果である。ダウトオール外相は議会で自分の外交を説明した。彼は情熱的に、そして誇らしげに語った。「中東に押し寄せる変化の波を、我が国が指導する。新しい中東が生まれようとしている。我々はこれまで中東の所有者であり、先駆者であり、奉仕者であった。これからもそうである」。

           《 昔から行われている密輸》 

  

シリア側のエズメリン村からトルコ側のハシパサ村まで500本のパイプラインが延びている。パイプラインと言っても、細いゴム製の管であり、農地に水を引くための管を転用している。パイプラインはアシ川を渡り、トルコ側に出ると、農地の地下を通り、村の居住地に至る。地下に埋められた水道管と同じように、各家庭の裏庭に石油の出口がある。シリア側でタンカー車から流し込まれたディーゼル油はハシパサ村の各家庭のタンクに移される。

トルコ側から携帯電話で、「注入開始」・「終了」とシリア側に伝える。

 ディーゼル・タンクのある家庭に、消費者が買いに来る。1リットルにつき1.25トルコリラ(約0.56ドル)の値段である。

このようなやり方で、長年密輸が行なわれてきた。

川から100メートルの所に丘があり、兵士たちはその丘からパイプライン敷設の一部始終を見ていた。知っていて、これまで黙認してきたのである。

しかしトルコがISISを支援しているとか、ISISの石油を買っているなどの批判が高まり、トルコ政府は長年の慣習を禁止せざるを得なくなった。

今年(2014年)3月、兵士たちがパイプラインを掘り出し、路上に露出しているパイプラインを切断し始めた。

  

またハシパサ村の出口に検問所が設けられ、ディーゼル油がトルコ各地に運ばれないようにした。

密輸する者は取締官を出し抜く方法を見つけるものである。石油を容器に入れて運ぶことにした。

            《密輸人の告白》

パイプラインを見たアル・モニター紙の記者が、密輸をしている住民の家を訪問した。彼の家のバルコニーから見ると、6本のパイプラインが他の家々に延びている。その家に居合わせた6人の住民が語った。

「80ー90%の村人がディーゼル油の密輸に従事している。パイプラインの多くが切断されたが、少ない量のディーゼル油がシリアから来ている。最近ディーゼル油の値段が上がっている。1.25リラ((1.36ドル)だったものが3リラになっている。

村には、ことわざがある。『密輸をやらなければ、嫁を貰えない』。

政府は我々の密輸について知ってる。兵士たちが何もかも見ている。パイプを地中に埋めるため、日本から掘削機を輸入した村人もいる。こんなことは秘密にできない。

日々 30-50台のタンカー車がディーゼル油を村に送ってくる。ハタイ県の至るとこらからそれを買いに来る。ハタイ県の4500台の小型トラックがこの村に来る。ここのディーゼル油は値段が安いので、中央アナトリアからも買いに来る。

ある村人が言う。「パイプラインのそばで彼の車が泥にはまったとき、兵士が来て装甲車で引き上げてくれた。兵士はパイプラインを知っていた。これまで合法だったのに、急に非合法になった。

パイプラインと石油容器が没収され、村人が逮捕されると、人々は怒った。村人がデモをすると、兵士は彼らをなぐった。

 

ハシパサ村はアシ川を隔てて隣村と結びついており、さらにはシリア北部とも結びついている、と村人たちは語る。

「シリアから避難してきた人々に、村の人は家々を開放した。シリアの人々は3年間苦難に耐えた。彼らを助ける人はいなかった。我々は援助物資を、アシ川を渡りシリアに運んだ。負傷者を病院に運んだ。

これらの恩返しに、我々はシリアから石油を受け取っている。

3月(2014年)にすべてが変わった。兵士の態度が一変した。国境に近づこうとすると、銃で撃たれ、村人が殺された。

今では兵士たちを警戒して行動しなければならない。時には3日間待ち、夜に仕事をする。

我々はシリアの人々を助けた。時には、トルコの役人がシリアに入るのを助けた。それなのに、急に我々は犯罪人にされてしまった。兵士は石油の仕事を禁止しただけでなく、農地の証文を見せろという。土地の証文を持っていない村人もいる。証文はあるが、シリアにいる親戚の名前が記されていたりする。私は自分の土地の証文を手に入れるために、裁判所に掛け合っている。

密輸禁止の理由はISISの資金源になるからだ、と言われても、ハシパサの住民は納得できない。利益を得ているのは自由シリア軍だと彼らは考えている。

ハシパサの住民は最近の選挙でエルドアンの党(AKP)に投票した。彼らはこれまで政府を支持してきたのに、現在政府は彼らに対し厳しい仕打ちをしている。

  

 

アル・モニターの記者はレイハンリの近くの国境の町シルベゴツに行った。密輸の取り締まりに抗議している運転手たちに話を聞いた。原油と燃料を密輸したに対し、高額の罰金が課せられた。再犯者はトラックを没収される。ハシパサ村だ下が密輸をしているのではない。ベサスラン村も密輸をしている。ベサスランではまだ2本のパイプラインが稼働している。

ハシパサ村の人々は密輸による収入を分かち合っている。扱う石油の量が減ったので、お金をもらうまで2日間待たなければならない。

 

「石油の密輸をやめても、ISISの力を弱めることにはならない。シリアの反政府軍戦闘員が自由に国境を越えている。エセンテペに行けばそれがわかる」。エセンテペはレイハンリの近くである。トルコ領であるにもかかわらず、ここの自動車の大部分がシリアのプレート番号をつけている。エセンテペには多くのISIS戦闘員が住んでいると言われている。

       (文)TÜRKİYE'NİN NABZI   (英訳)Timur Göksel

=========================(アル・モニター終了)

 

投稿後に気づいたが、上記アル・モニターの内容は既にネットに投稿されていた。南澤沙織氏がトルコ語から訳したものである。アル・モニターの英訳はトルコ語原文の全訳ではない。かけている部分を南氏の訳で補いたい。

======《密輸パイプライン地帯の現実》=======

        トルコ・シリア国境なき国境

                      20140913日付 Radikal

ハシパサ村のはずれに、自由シリア軍のキャンプがあり、シリア軍を離脱した軍人たちが住んでいた。村人が証言した。

「シリア人指揮官たちは無線とパソコンが置かれた机からシリアでの戦闘を指揮していた。一部の地域が奪還された後、指揮活動はシリアの中に移った。キャンプから一晩で150人の兵士が国境を越えて戦争に参加し、その後戻ったのを私は知っている」。

 

イスラム国から石油を買っていた人たちは自由シリア軍、イスラーム戦線、ヌスラ戦線といった組織が支配する地域を通ってトルコ国境に運んでいた。一連となって皆が私腹を肥やしていた。しかしイスラム国のせいでトルコに目が向いた今、この仕組みを続けるのは非常に難しい。

ハタイの国境は内戦の影響を受けたのと同じだけ、深刻な戦争から収入をも一緒にもたらした。

トルコ国民もシリア人も、この収入の恩恵を受けた。一方、トルコはイスラム国を支援する国という烙印を押された。

 

 ============(南澤沙織氏の訳終了)

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