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疫病により戦争ができない

2021-09-28 18:13:01 | 世界史

 

==《リヴィウスのローマ史第巻》=

Titus Livius   History of Rome

    Benjamin Oliver Foster

【6章】

執政官の選挙があり、アエブリウスとP......・セルヴィリウスが次の執政官になった。二人が執政官に就任したのは8月1日である。この時代、執政官の任期初日は8月1日だった。この年は試練の多い年となった。ローマ市内と郊外で疫病が発生し、人間だけでなく家畜にも感染が広がった。郊外の人々が掠奪を恐れて家畜を連れて市内に避難していたので、疫病は悪化した。あらゆる種類の動物と田舎の人々が狭い住居に密集したので、ローマ市民は馴れない匂いと熱気に襲われ、夜も眠れず苦しんだ。また動物や田舎の人々との接触が疫病の流行を促進した。ローマが疫病に苦しめられ、耐え切れなくなっていた時、アエクイ族とヴォルスキ族の連合軍がヘルニキの領土に侵入した。ヘルニキ族の使節がロマに来て、これを報告した。連合軍の大部隊は彼らの陣地を塹壕で守り、ヘルニキの国境地帯を略奪している、という。ヘルニキの使節がローマに来た時、元老院は出席者が少なかった。疫病の蔓延が元老の欠席の原因だった。に対するたちは元老院の返答は使節を落胆させた。「諸君はラテン人と協力して自分たちの国を守ってほしい。神々が突然怒り、ローマは疫病に襲われた。この疫病が少しでも沈静化したら、我々は援軍を送るつもりだ。我々は昨年諸君に援軍を送った。我々は昔からそのようにしてきた」。

深刻な状況を伝えるためにローマに来た同盟国の使節たちはさらに憂鬱な返事を持って祖国へ帰った。ヘルニキ族はローマの助けがあった場合でも、敵の兵数が上回るというのに、ヘルニキ族は自分たちだけで戦わなければならなかった。アエクイ・ヴォルスキ軍はもはやヘルニキの領土にとどまらず、ローマの郊外にまで進出し、農地を破壊し始めた。ローマの農民は疫病で働けなかったので、農地は荒廃していた。アエクイ・ヴォルスキ連合軍はローマ兵に出会わず、農民も見かけなかった。防衛する者がいない、耕作放棄の土地を走り回ってから、アエクイ・ヴォルスキ兵はガビアン街道の3番目の里程標に至った。

ローマでは執政官アエブティウスが死んだ。もう一人の執政官セルヴィリウスも、死を待っていた。指導的な人物の多くが病に倒れていた。元老の多数と兵役年齢の全員が疫病で弱っており、敵を迎え撃つ体力はなく、城壁を頼りに防衛戦をすることさえできなかった。

年が若く、歩くことができる元老たちがたちが、みずから見張りの兵たちのところへ行き、任務を解いた。通常兵士の任務について責任があるのは平民の監督官だった。この平民監督官は執政官の起源であり、軍隊に限らず国家の業務全般の最高責任者となったんである。

 

【7章】

共和制ローマは最高官と軍事力を失い、無力な状態となった。しかし守護の神々と幸運がローマを救った。ヴォルスキ兵とアエクイ兵は略奪だけを考え、ローマ軍と戦うつもりはなかった。城壁で守られているローマの攻略は無理と考えて、彼らは城壁に近づくことさえしなかった。ローマの家々と丘を遠くから眺めて、彼らは誘惑を感じるより、異質なものを感じた。ヴォルスキとアエクイの陣地では、兵士たちが不満を述べた。

「家畜と人間が疫病にかかり、農地が見捨てられ荒廃しているのに、どうして我々はは何もしないで時間を無駄にしているのだ。例えば富裕なトゥスクルム(ローマの南東、アルバ湖の北)のように疫病がない豊かな土地に行けばよいではないか」。

彼らは急いで旗を引き抜いて陣地をたたみ、道を引き返した。それからラビキ(Labici)の原野で直角に向を変え、トゥスクルムの丘に至った。

 

 

荒れ狂う嵐のような暴力と戦争がその地で始まった。その頃ヘルニキ族とラテン人の軍隊はローマに向かっていた。彼らはローマに同情し、また共通の敵がローマを攻撃しようとしている時に、同盟者として戦わず援軍を送らないなら、名誉を失うだろうと考えていた。ローマの近くまで来ると、敵の姿はなかった。それで、周辺の人から得た情報を頼りに、彼らはヴォルスキとアエクイの軍隊を追いかけた。彼らが追いついた時、敵はトゥスクルムの丘を下り、アルバの谷へ向かっていた。戦闘になり、同盟国に忠実だったヘルニキ族とラテン人は敗北した。ローマの友軍は多くの兵を失ったが、この時期ローマでは疫病により、もっと多くの人間が死んでいた。死の床にあった残りの執政官も死んだ。ほかにも著名なローマ人が死んだ。それはM......・ヴァレリウス、ヴェルギニウス・ルトィルス、占い師たち、Ser....・スルピキウス、部族を監督する神官たちである。また多くの平民が疫病で死んだ。人間の力を超えた災害により、元老院は方策が尽き、神々に祈るよう市民に命令した。市民は妻と子供を連れて神殿に行き、神々に慈悲を懇願した。国家の権力が人々の苦しみを解消させる方法を教えたので、神殿は人々でいっぱいになった。おかみさんたちはバサバサの髪を神殿の床につけ、怒れる神々に許しを求め、疫病を終わらせてくださいと祈った。

 

【8章】

神々が人々の願いに優しく応じたのか、健康に悪い季節が過ぎ去ったのか、わからないが、人々は徐々に疫病の呪いから脱し、健全な健康状態に戻った。再び国家の問題に注意が向けられた。執政官が一人だけ、または二人とも不在の時期が終了した。選挙により、ルクレティウス・トゥリキピティヌスとヴェトゥリウス・ゲミヌス(またはヴェトゥシウス)が執政官になった。二人は8月11日に就任した。国家は力を取り戻し、国境を守ることができただけでなく、遠征もできるようになった。

その結果ヘルニキ族の国境が侵略された、と報告されると、ローマはすぐに軍隊を送った。二つの部隊が編成され、ヴェトゥリウスの部隊はヴォルスキと戦うことになった。トゥリキピティヌスの部隊は略奪者を同盟国から追い払うことになり、ヘルニキ族の領土に向かった。

ヴェトゥリウスは最初の戦闘で、ヴォルスキ軍に勝利し、彼らを敗走させた。トゥリキピティヌスはヘルニキの土地に陣地を築いた。すると略奪兵はローマ軍を避け、プラエネステ山地(アルバ湖の東)を越えて去って行った。彼らは山を超えると、平地を進み、ラエネステとガビー(ローマの東)の農地を略奪した。

 

 

それから略奪軍は再び南に向かい、トゥスクルム(アルバ湖の北)の丘の上に至った。ローマの市民は不安になった。ローマ兵は役目を果たしたとしても、略奪兵の動きが驚くほど迅速だった。ローマの市政長官はクィントぅス・ファビウスだった。彼は若者を武装させ、防衛任務を課し、首都の安全を確保したので、市民は安心した。略奪兵は迂回ルートでローマの近くに来て略奪したが、ローマを攻撃せずに引き返した。彼らはローマから遠ざかると、警戒心を失った。ちょうどその時、彼らはトゥリキピティヌスの部隊に出会った。トゥリキピティヌスは略奪部隊が通る道を把握していて、戦闘陣形で待ち構えていた。ローマ軍の兵数は少なかったが、人数だけは大軍の敵に勝利し、略奪兵は敗走した。略奪部隊は急に攻撃されて混乱したのだった。彼らは深い谷間に逃げ込んだが、そこは行き止まりだった。ヴォルスキの全軍がここで消滅した。年代記によれば、戦闘と敗走後に3470人のヴォルスキ兵が死に、1750人が捕虜となり、27本の軍旗が獲得された。年代記は誇張しているかもしれないが、多くのヴォルスキ兵が死んだことは間違いない。執政官は多くの戦利品を獲得し、ローマに凱旋した。そして二人の執政官はそれぞれの部隊を一つの軍隊にした。ヴォルスキとアエクイも散り散りになった部隊を一つの軍隊にまとめた。同じ年に3回目の戦争が起きたが、幸運にもローマが勝利した。敵は敗れ、陣地が占領された。

 

9章】

国内問題が再燃した。戦争に勝利するとすぐに市内に混乱が生じた。ガイウス・テレンティリウス・ハウサはこの年の護民官だった。二人の執政官が留守だったので、護民官は平民を扇動する良い機会だと考えた。彼は平民に向かって3日間演説をし、傲慢で高圧的な貴族たちを批判した。彼はとりわけ執政官を非難し、自由な共和制において過剰な権力は耐え難い、と述べた。

「執政官の制度はそれほど悪くないように見えるが、実際には執政官は昔の国王たちより残酷で抑圧的だ。現在我々は無制限な権力を持つ主人を、一人ではなく二人持っている。彼らはやりたい放題で、誰にも抑制されず、勝手に法律をつくり、平民に命令し、処罰している。このような無制限の暴政が永遠に続くのだ。私はこれを終らせるために、5人の委員を任命し、法律を制定することを提案する。彼らは執政官の権力を制限する法律を草案するだろう。執政官の権限は人々によって与えられるのであり、執政官はそれ以外の権限を行使できない。執政官は自分の勝手な考えや思いつきを法律としてはならない」。

護民官の計画が発表されると、貴族は心配になった。執政官の留守を利用して、護民官は貴族の権力を制限するかもしれなかった。市政長官ファビウスは元老院を招集した。元老院でファビウスは護民官と彼の提案を厳しく批判した。二人の執政官が元老院に出席していた場合でも、ファビウスは護民官を呪い、脅迫し、命を保障しないと言っただろう。

「護民官は反乱を計画し、ローマを破壊する機会を狙っている。彼はヴォルスキとアエクイの軍隊を率いてローマを攻撃するかもしれない。執政官が市民に対して残酷だったという理由で、彼は執政官を告発し、裁判にかけるだろう。このような裁判で既に犠牲者が出ており、同じことが繰り返されるだろう。しかし護民官がこのようなことを繰り返しても、執政官の権威は傷つかない、むしろ護民官の権力が耐え難く、おぞましいことが判明するだけだ。護民官の権力はもはや貴族階級と協調的でも、友好的でもなく、昔の邪悪なやり方に戻ろうとしている。護民官テレンティリウスを説得しようとしても無駄だ。彼は始めたことを決して止めないだろう。彼以外の護民官に期待しよう。この場にいる護民官の諸君にお願いしたい。最初に考えて欲しいのは、諸君の権限は個々の市民を助けるためのものであり、すべての市民を破滅させるためではない。諸君は平民保護の護民官として選ばれたのであり、貴族の敵として選ばれたのではない。最高官が二人とも不在の時、ローマがこのように攻撃されるのは我々にとって悲しむべきことであり、護民官の諸君も遺憾に思っているだろう。諸君は自らの権限を貶めず、護民官に対する憎しみを減らす努力をしていただきたい。同僚の護民官に働きかけてほしい。二人の執政官が戻るまで、彼の試みを延期するよう計らってほしい。ヴォルスキやアエクイでさえも、我々の執政官が疫病に倒れた時は残酷で容赦ない戦争を仕掛けてこなかったではないか」。

護民官たちはテレンティリウスの説得に成功し、テレンティリウスの計画は延期されただけでなく、事実上中止された。間もなく、執政官たちが帰ってきた。

 

【10章】

ルクレティウス・トゥリキピティヌスは大量の戦利品をローマに持ち帰った。さらに彼の名声を高めることがあった。彼はそれらの戦利品をマルティウスの広場に3日間展示し、元の所有者が奪われた自分の物を見つけて持ち帰った。トゥリキピティヌスの威信はますます高まった。所有者がいなかった残りの物は売却された。執政官トゥリキピティヌスによって勝利が得られた、と誰もが考えていたが、護民官が強力に自分の計画を進めたために、栄誉授与者の決定が延期された。執政官自身も護民官の提案を最重要な問題と考えた。護民官の提案について、元老院と市民集会で数日間話し合われていたからである。執政官は内心ではこの法案に否定的だった。護民官は執政官の最高権力によって敗北し、彼の提案を撤回した。そして執政官と彼の軍隊はしかるべき栄誉を与えられた。執政官が兵士の先頭に立ち、ヴォルスキとアエクイに対する勝利を祝った。もう一人の執政官ヴェトゥリウス・ゲミヌスは軍隊と別れてローマに入ることを許され、賞賛された。

翌年の執政官はP....・ヴォルムニウスとSer....・スルピキウスだった。テレンティリウスが法案を提出したので、二人の執政官はこれに対処しなければならなかった。現在護民官全員がこの法案を推進していた。この年、空が燃えるように赤くなり、大きな地震が起きた。去年牛が人間の言葉を話したという噂が流れたが、その時は誰も信じなかった。別の予兆もあった。空から肉が降ってきて、無数の鳥の群れが飛びながらそれらを捕まえた、と人々が話した。地上に落ちた肉片は数日しても腐らなかった。占い師が予言者シビルの書物を参考にして、外国人の集会が原因の危険が迫っていると予言した。また占い師はローマの最も重要な場所への襲撃が計画されている、と述べ、反乱を煽る言動をやめるよう厳しく警告した。護民官たちはこのような警告は法律の制定を妨害するためであり、身分間の深刻な闘争が起きようとしていると主張した。

ローマが混乱している時、この年も恒例の事件が起きた。前回の戦争で多くの兵士を失ったヴォルスキ族とアエクイ族が新しい軍隊を編成している、とヘルニキ族が知らせてきた。この動きの中心はアンティウムだった。アンティウムに植民したローマ人がエケトラ(ヴォルスキ族の町、場所は不明)で市民集会を開いた。エケトラは新しい戦争の中心となり、多くの兵士が集まった。元老院はこの情報を受け取ると、徴兵を命令した。二人の執政官が分担して異なる敵に対処することになった。一人はヴォルスキと戦い、もう一人はアエクイと戦うことになった。一方護民官たちは執政官の目の前で広場に響き渡るような声で叫び、ヴォルスキが攻めてくるというのは計画的なドタバタ喜劇であり、ヘルニキは割り当てられた役を演じているだけだ、と断言した。

「貴族は直接市民を抑圧するのではなく、巧妙な、詐欺のようなやり方でローマ市民の自由奪おうとしている。ヴォルスキとアエクイの軍隊はほとんど消滅しているので、彼らが再び戦争を企てていると言っても、誰も信じない。だから、新しい敵が必要となり、忠実な隣人である植民地の人々が裏切りの汚名を着せられた。そして罪のないアンティウムの人々に対し戦争が宣言された。今戦争がなされるのは、ローマの平民にとって有害だ。平民は武装するよう命令され、あわただしく進軍させられるだろう。その後貴族たちは護民官に復讐をし、国外追放の刑を宣告するだろう。このやり方で我々の法律を阻止できる、と貴族たちは信じているのだ。現在法律の制定が進められている。平民は今首都にいる。平民は首都の占拠を放棄して出兵させられることがないようにしなければならない。奴隷のくびきから解放される方法を見つけなければならない。勇気を出せば、天の助けがある。護民官全員が平民の味方だ。恐れる必要はない。戦争の危険はないし、平民の自由が守られるよう、昨年神々が応援してくれた」。

 

 

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