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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

第7代 ルキウス・タルクィヌス・スペルブス(後半)

2020-07-24 16:45:37 | 世界史

 

初代国王 ロムルス 在位:紀元前75371

② ヌマ(Numa Pompilius) 

     在位:紀元前715673

③ トゥルス・ホスティリウス(Tullus Hostilius

    在位:紀元前673642

④ アンクス・マルティウス(Ancus Martius)

    在位:紀元前642617

⑤ ルキウス・タルクイヌス・プリスクス(Lucius Tarquinius Priscus )

    在位:紀元前616579

⓺ セルヴィウス・トゥリウス(Servius Tullius

    在位:紀元前575535

⑦ルキウス・タルクィヌス・スペルブス

               (Lucius Tarquinius Superbus)

    在位:紀元前535-509

 

====《リヴィウスのローマ史 第1巻》===

itus Livius   History of Rome

              translated by Canon Roberts

 

     【56章】

タルクィヌスはユピテルの神殿を完成しようと決意し、エトルリアじゅうから大工を集めた。彼は国庫から資金を出しただけでなく、平民を建設に従事させた。平民は兵役の義務もあり、これは過重な負担だった。それでも、自分の手で神殿を建設するのはやりがいがあり、苦労感が減じた。その後平民は無意味な重労働に駆り出された。それは円形競技場の建設と都市の地下に張り巡らされた排水路(Cloaca Maxima)の建設だった。2つの大がかりな建設事業は現在においても困難な大事業である。建設が終了し、平民の仕事がなくなると、タルクィヌスは「大勢の市民が無職でいることは国家にとって重荷だ」と考えた。帝国の国境地帯の各方面に植民する必要を感じていたので、彼は植民者をシグニア(Signia)とキルケイ(Circeii)に送り、陸・海の両方の敵からローマを守らせた。

彼がこのような施策を進めてていると、恐ろしい前兆が出現した。木制の柱の中から大蛇がすべるようにはい出して来た。宮中の人々は恐怖のあまり逃げ惑った。タルクィヌスは大蛇を恐れなかったが、これは何か不吉な前兆ではないかと心配した。

国家の前兆を解釈するためにエトルリア人の予言者が雇われていた。しかしこの問題は彼個人と家族に関するものだったので、タルクィヌスは世界的に有名なデルフィの信託(お告げ)を聞くことにした。お告げの内容を他人に知られたくなかったので、彼は二人の息子をギリシャに送った。ティトゥスとアッルンは陸路でギリシャに向かった。当時陸路でギリシャまで行くのは未知の世界に分け入る危険な旅だった。かといって海路はさらに未知の世界をさまよう旅だった。国王の妹タルクィニアの息子ユニウス・ブルートゥスが二人と一緒に旅立った。

20歳の若者ブルートゥスは外見からうかがい知れない内面を持っていた。タルクィヌスは国家の主要な人々を殺害したが、この時ブルートゥスの兄が犠牲になった。この事件のあと、ブルートゥスの叔父は「必ず復讐するように」とブルートゥスに言った。ブルートゥスは復讐を決心したが、チャンスが来るまで、身の安全のために無名と平凡の中に生きることにした。彼は知性を隠し、国王を警戒させず、欲ばりな彼の財産を脅かす人間ではないと思わせた。ブルートゥスを守ってくれるのは法律ではなく、国王にとって無害な存在になることだった。彼は馬鹿な人間のように振る舞い、国王はブルートゥスとその財産を好きなように扱った。国王が彼をブルートゥス(愚かな)と呼んでも、彼は怒らなかった。このニックネームに守られて、将来ローマを解放する人物は運命の時が来るのを待っていた。

国王の2人の息子の旅を楽しませる道化として、ブルートゥスはデルフィに着いた。彼はコルヌスの木の空洞を入れ物として持ち歩いており、それに金製の品物を収めていた。彼の性格似にふさわしい神秘的なこの品物を、彼はアポロ神に献上した。ティトゥスとアッルンは父から委託された任務を果たすと、3兄弟の誰がローマの国王になるのか知りたくなった。その時洞窟の底の方から声がした。

「若者たちよ! 母親に最初に口づけをした者がローマの最高権力者となるだろう」。

国王の3人の息子のうち、ギリシャに出向いたのは上の2人であり、末息子のセクストゥスはローマに残っていた。ティトゥスとアッルンは

洞窟で聞いた予言をセクストゥスに秘密にしておくことにした。そうすればセクストゥスは王になるチャンスがなくなるからである。2人は秘密を守ることを誓い合った。それから2人はどちらが先に母に口づけをするか、くじを引いた。

一方ブルートゥスは洞窟の声には別の意味があると考えていたので、ローマへ帰る道中にわざと躓いて転び、地面に口づけをした。なぜなら大地は全ての人間の母であるだ。

やがて3人はローマへ着いた。ローマはルトゥリ人との戦争を準備していた。

ーーーー(訳注)ーーーー

ルトゥリ人はティレニア海沿岸に住み、ラテン人とウォルスキ人の間の狭い領域に住む小さな部族。彼らの民族的出自は不明であり、ウンブリア人か土着の原住民だったようであるが、エトルリア化されていた。

ーーーーーーーーーーー(訳注終了)

                            【57章】

当時アルデアはルトゥリ人の町だった。ルトゥリ人は小さな部族だったが、周辺の部族や民族より裕福だった。このことが戦争の原因となった。ローマの国王は大規模な建設事業と国民をなだめるための給付金により、略奪して得た資金を使い果たしていた。彼は空になった金庫を再び満たしたかった。一方で、王の圧政に対する国民の不満がたまっていたが、長年奴隷的な肉体労働に従事させられために、国民の怒りは爆発寸前だった。こうした中で、ルトゥリ人の都市アルデアを攻略する計画が立てられた。最初の攻撃が失敗したので、城を包囲して敵を飢えさせることにした。包囲作戦は長期間軍隊を配置することになり、その間兵士は順番に休暇が与えられた。地位の高い兵士は優先的に休暇が与えられた。一般の兵士には休暇の順番がなかなか回って来なかった。王子たちは休暇の暇な時間をつぶすために、国王の末の息子セクストゥスが主催するパーティーに出席し、ごちそうを食べ、ワインを飲んだ。このパーティーにエゲリウスの息子のコラチヌスが来ていて、話題が自分たちの妻のことになり、それぞれが自分の妻を熱心に自慢した。話題が盛り上がる中で、コラチヌスは言った。「言葉であれこれ言っても仕方がない。数時間で私の妻ルクレチアがいかなる女性より素晴らしいことがわかる。その気になれば、我々が馬を走らせ、それぞれの妻を訪問すればよいではないか。そうすれば即座に彼女たちの性格が確かめられる。思いがけず夫が帰ってきて、それぞれの妻のようすを見れば、確実に妻たちの性格を知ることができる」。

彼らはワインを飲んで感情が高ぶっており、全員がコラチヌスの提案に大声で賛成した。「わかった。さあ、出かけよう」。

彼らは馬を駆りたて、全速力でローマに向かった。彼らがローマに着いた時、すでに日が沈んでいた。彼らはローマでそれぞれの家を訪問した。どの妻も知人を招いて、ごちそうを食べ、優雅に過ごしていた。それから、王子たちはルクレチアの住むコラチア(ローマに近く、ローマの東にある町)へ向かった。ルクレチアは他の王子たちの妻とは違い、仕事をしていた。彼女は入り口の広間に座り、夜遅くまで羊毛の仕事をしていた。召使いの女性たちが、彼女の周りで忙しく働いていた。妻の美徳を争う競争で月桂冠を得たのは、ルクレチアだった。彼女は夫とタルクィヌス家の王子たちを喜んで迎えた。彼女の夫は王子たちに彼の家でゆっくりするよう勧めた。国王の3男セクストゥス・タルクィヌスはルクレチアの美貌と模範的な清純さに心を奪われ、彼女の名誉を傷つけることになる、よからぬ考えを抱いた。王子たちは若者らしい陽気な気晴らしの後、野営地に帰った。

                    【58章】

その数日後、国王の3男セクストゥスはコラチヌスに秘密で一人の仲間と一緒にコラチアに行った。コラチヌスの妻は何も疑わず、暖かく2人を迎えた。食事が終わると、ルクレチアは彼らを客用の寝室に案内した。何事もなく、人々が眠りにつくと、狂気の情熱に支配されたセクストゥスは抜き身の剣を持って、寝ているルクレチアのところに行った。彼は左手をルクレチアの胸にあてて、言った。

「静かに。私はセクストゥス・タルクィヌスだ。私は剣を持っている。お前が声を出すなら、死んでもらう」。

目を覚ましたルクレチアは恐ろしかったが、殺すと脅されているので、どうしようもなかった。セクストゥスは愛を告白し始め、懇願に脅しを混ぜながら、説得した。彼は女性の心に響きそうな、あらゆる言葉を用いた。ルクレチアが心を許さず、死の恐怖にも動じななかったので、セクストゥスは彼女の名誉を汚すと脅迫した。彼は宣告するように言った。

「お前の死体のそばに奴隷の裸の死体を置いてやる。そうすればお前は堕落した姦淫のために殺された、と言われるだろう」。

このような恐ろしい脅迫と欲望は彼女の堅い貞節を征服した。セクストゥスはルクレチアの名誉を傷つけることに成功し、満足して家を出た。ルクレチアは恐ろしい侮辱に耐え切れず、ローマにいる父とアルデアにいる夫に使いを送り、信頼できる仲間を連れて来るように頼んだ。「すぐに行動しなければなりません。恐ろしいことが起きました」。

ルクレチアの父スプリウス・ルクレチヌスはヴォルススの息子プブリウス・ヴァレリウスを連れてきた。ルクレチアの夫コラチヌスはルキウス・ユニウス・ブルートゥスを連れてきた。夫はローマへ帰る途中のブルートゥスに出会い、同行を頼んだのである。4人がルクレチアの家に着くと、彼女は悲しみに打ちひしがれて、彼女の部屋に座っていた。彼らが部屋に入ると、彼女は泣きくずれた。夫が「大丈夫か?」と尋ねると、彼女は「いいえ」と言った。

「女性の名誉が失われたのです。私たちのベッドに他人の痕跡があります。しかし汚されたのは肉体だけです。心は純潔です。私の死が証人となるでしょう。でも姦淫をした者が必ず罰せられることを私に約束してください。昨晩、客として私の家に来て、敵として振舞ったのは、セクストゥス・タルクィヌスです。彼は暴力で快楽を楽しみ、私に取返しのつかない不名誉を与えたのです。あなた方男性は彼を生かしておいてはなりません」。

彼らは全員、彼女の願いを実行すると誓い、錯乱状態の女性をなぐさめた。犯罪の犠牲者に罪はなく、犯罪を犯した者にこそ罪がある、と彼らは説いた。「罪を犯すのは心であり、肉体ではない。同意がなければ、罪にならない」。

こうした説得に対し、彼女は言った。

「タルクィヌスの処罰をお願いします。私は精神的に無罪だとしても、私は処罰を免れません。ふしだらな女性が、ルクレチアを先例に持ち出すようなことがあってはなりません」。彼女は短剣を衣服に隠しており、それを胸に突き刺し、床に崩れ息絶えたた。彼女の父と夫は悲痛な涙を流した。

             【59章】

彼らが悲しみに暮れていた時、ブルートゥスはルクレチアの胸から短剣を抜き取ると,血の滴たる短剣をかざして叫んだ。

「国王の息子によって汚された、ローマで最も純潔な血に誓って、私はルキウス・タルクィヌス・スペルブスから王権をはく奪する。そして火と剣とすべての手段を用いて、彼と彼の呪われた妻と血族全員をローマから追放する。さらに、彼らに代わり誰かが国王になることも認めない(=王政を認めない」。そして彼は短剣をコラチヌスに渡した。次に短剣はルクレチウスとヴァレリウスに回された。彼らはブルートゥスの並外れた勇気に驚き、愚鈍なブルートゥスがどこでこのような新しい性格を手に入れたのだろうと不思議に思った。彼らはブルートゥスと同じように、王家の追放を誓った。彼らの悲しみは怒りに変わり、彼らはブルートゥスの指導に従うことにした。ブルートゥスは「直ちに王制を打倒しよう」と言った。ブルートゥスと3人の仲間はルクレチアの遺体をローマまで運び、中央広場に置いた。前例のない悪質な犯罪について知ると、多くの群衆が中央広場に集まってきた。それぞれが王家の邪悪さと暴力に対する不満をを訴えたかった。人々がルクレチアの父の悲しみに同情していた時、ブルートゥスは泣くのをやめるように言った。「いくら泣いても問題の解決にならない。人間として、ローマ人として行動を起こそう。武器を持って立ち上がろう」。

若者たちの中で気概がある者は全員、武器を持ち志願兵として集まってきた。残りの者も続いて参加した。

――――――――(訳注)――――――――

志願兵はコラチアに集結した。反乱軍はコラチアからローマへ向かうことになる。

―――――――――――――(訳注終了)

志願兵の一部はコラチアの防衛にあてられた。それからコラチアのすべての門に守備兵が配置された。これは反乱の動きが国王に伝わらないようにするためである。残りの志願兵はブルートゥスを指揮官とし、ローマへ向かって進んだ。多くの武装兵の行進を見た街道沿いの人々は仰天し、何事だろうと思った。ところが、国家の重要な人々が先頭を歩いていたので、これは何か真剣な行動なのだと理解した。

ーーーー(訳注)ーーー

ブルートゥスは多数の志願兵を連れてローマに入ったが、すぐに暴力に訴えることはなかった。国王と軍隊はティレニア海沿岸部の都市を包囲中であり、不在だったからである。国王護衛隊はローマに残っていたが、ブルートゥスは彼らをを味方につけ、は民会を招集して市民の支持を得た。

ーーーーーー(訳注終了)

ローマでは大騒動となり、人々を興奮していた。
すべての地区の人々が急いで中央広場に向かった。彼らが集まると、伝令が国王護衛隊(Cereres)主宰の民会に出席するよう告げた。ブルートゥスは護衛隊の隊員の一人だった。
愚か者のブルートゥスはこれまでとは別人であるかのように話した。ブルートゥスはセクストゥス・タルクィヌスの暴力と抑制のない性欲を批判した。ルクレチアに対する忌まわしい犯罪と彼女の哀れな自殺について、彼は語った。
「彼女の父トゥリチピチヌスは単に娘を失っただけでなく。娘の死の原因が不名誉で痛ましいものだったので、彼の悲しみはさらに深かった」。
ブルートゥスは次に国王の圧政と平民の奴隷労働と彼らの苦しみについて話し始めた。
「平民は長期間地下にもぐり、排水溝や下水の整備に従事した。周囲のすべての国々(=町々)を征服したローマ人、勇敢な戦士であるローマ人が石工や職人に成り下がってしまった」。

ブルートゥスは前国王セルヴィウス・トゥリウスの殺害について語った。

「忌まわしいことに、セルヴィウス王の娘(現国王の妻)は父の遺体を馬車で挽いた。そんことをしておきながら、彼女は両親の仇を討ってくださいと神々に祈った」。

ブルートゥスはこれらの犯罪的な行為を数えあげるにとどまらず、国王夫妻のさらに凶悪な犯罪の糾弾を続けた。しかしブルートゥスは王家の最近の不正について怒っていただけであり、国王夫妻の過去の犯罪についてはあまり知らなかったので、詳しく述べることはできなかった。彼の真の目的は怒った大衆をたきつけ、国王から権力を奪い、国王夫妻と子供たちに追放を宣告することだった。 彼は武装志願兵の一部を連れてアルデアへ行き、この都市を包囲中のローマ兵に国王への反乱を呼びかけた。この間、ローマ市内の治安維持を元行政長官のルクレチウスに任せた。ロ―マでは、騒動の中、王妃トゥリアは宮殿から逃げ出した。彼女が逃げるのを見たすべての人、男も女も彼女をののしり、怨念のうちに死んだ彼女の父の霊を慰めた。

  【 60章】

ローマで起きていることがアルデア包囲中のローマ軍に伝わると、国王は事態の進展に驚き、反乱を鎮圧するために急いでローマに向かった。同じ道を逆にアルデアに向かっていたブルートゥスは国王の姿に気づき、国王に見つかるのを避け、別の道に入った。国王がローマに着いた時、ブルートゥスはアルデアに着いていた。国王がローマに着くと、すべての城門が閉ざされていた。城門に布告が張られていた。

「国王ルキウス・タルクイヌスを追放に処す」。

一方ブルートゥスがアルデアに着くと、兵士たちは喜んで彼を迎えた。そして彼らは国王の息子たちを追放した。2人の息子は父と一緒にエトルリア人の都市カエレに亡命した。末弟のセクストゥスはガビーに行った。彼はガビーの指導者だったからである。しかし彼はガビーにいた時、略奪と殺人をしていたので、彼を憎む人々によって殺された。

7代国王ルキウス・タルクィヌス・スペルブスは25年間統治した。建国以来、王政は244年続いた。

国王が追放され、共和制が成立すると、行政長官(prefect of Rome)が主宰する100人隊の集会で2人のコンスル(執政官)が選出された。コンスルの制度は第6代国王セルヴィウス・トゥリウスが定めたものだった。共和制最初のコンスルに選ばれたのは、ルキウス・ユニウス・ブルートゥスとルキウス・タルクィニウス・コラチヌスだった。

 

 

 

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