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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

12表法は平民の地位を向上させたが、身分闘争は終わらず

2022-07-28 09:24:49 | 世界史

【61章】

他方で、執政官は言った。「自由なローマとなって、最初の戦いである。諸君は自由なローマのために戦うのでる。それを忘れるな。自分たちの勝利のために戦うのであり、その戦果は10人委員の物ではない。戦争を指揮するのはアッピウスではなく、執政官ヴァレリウスである。私が所属するヴァレリウス家は昔からローマの人々の解放者であり、私もそうである。最近の戦争層でローマが敗れたのは、指揮官のせいであり、兵士が原因ではない、と諸君は証明しなければならない。国内の敵との戦いで勇気を示しながら、外国との戦闘で臆病なのは、不名誉である。異国で奴隷状態となるのを嫌いながら、外国で奴隷になるのは平気などというのは、恥ずかしいことである。平和な時代には、若い女性の純潔が犯されそうになるのは、ヴェルギニウスのむすめだけであり、暴君のやりたい放題が危険を及ぼすといっても、アッピウスだけである。もし外国との戦争に敗れたら、数千の敵兵によってすべての子供が危険になるだろう。私は悪い予感がする。ユピテルやローマの神マルスが決して許さないような悲劇がローマに起きるかもしれない。これらの神々の保護のもとにローマは建設されたのだ。数か月前、諸君はアヴェンティーヌの丘と聖山に立てこもり、自由の獲得に成功した。ローマの領土を守ることに成功し、諸君の記念すべき場所に勝利の帰還を果たすのだ。10人委員が追放され、ロマの軍隊は昔の栄光の時代に戻った、わからせるのだ。すべての市民に平等な法律が成立しても、ローマ兵の勇気に変化はない、と示すのだ」。

歩兵部隊対する訓令を終えると、執政官は騎兵に馬を走らせて、叫んだ。「さあ出発だ。諸君は歩兵よりより身分が高く、名誉心も勝っている。彼らより勇気があることを示せあることを示せ。歩兵部隊は最初の衝突で敵を突き崩した。諸君は歩兵と一緒に敵を戦場から追い払うつもりか。諸君が先に攻撃せよ。敵は諸君の攻撃に萎えられない。ローマの歩兵は強さを取り戻したとはいえ、敵は歩兵より諸君を恐れているのだ」。

ローマの騎兵は手綱を緩め、馬に拍車を当てて、敵に向かって行った。ヴォルスキ・アエクイ軍はローマの歩兵によって打撃をうけ、隊列が崩れていた。騎兵は敵兵をなぎ倒しながら、彼らの間を走り抜けた。数名は旧回転して戻ってきて、陣地に向かて一斉に逃げている敵兵の首を次々にはねた。執政官と歩兵も敵兵を追いかけ、敵の陣地に向かって行った。ヴォルスキとアエクイの多くの兵が死ローマ軍は彼らの陣地を占を占領した。ローマ兵は敵の死者の数より多い戦利品を獲得した。ローマ軍勝利の知らせはローマにつたわっただけでなく、別の戦場のサビーニ軍にも伝わった。ローマでは市民が喜びながら勝利を祝った。サビーニの戦場では、この知らせはローマ兵の競争心に火をつけた。対サビーニ戦の執政官ホラティウスは兵士を敵の領土に侵入をさせ、小競り合いをさせながら、かれらの勇気を試していた。ホラティウスは兵士に10人委員の指揮のもとでの敗北を忘れさせ、自分を信じるよう訓練した。彼の計画は成功し、ローマ兵は最後の勝利を確信するようになった。一方のサビーニ軍は昨年勝利したので大胆になり、絶えずローマ軍を挑発し、戦闘に持ち込もうとした。なぜローマ軍が山賊みたいにこそこそと侵入してはすぐに撤退し、何度か大きな衝突が起きても、決定的な戦闘を避けているのか、サビーニの兵士たちは理由を知りたかった。彼らはいらいらしながら思った。「なぜ彼らは本格的な戦闘を避けているのだろう。どうして一か八かの戦争に踏み切らないのだろう。

【62章】

ローマ兵は勇気を取り戻しただけでなく、怒っていた。「ヴァレリウスの部隊は勝利してローマに帰還しようとしているのに、我々は傲慢な敵のなすがままになっている。そろそろ面と向かって彼らと戦うべきだ」。

執政官は兵士の不満に気付き、兵士の集会を開き、次のように訓示した。アル義堂ぅス山の戦いの結果を、諸君は知っているだろう。ローマ軍は自由な国民として模範的に戦った。私の同僚の統率のもとで兵士は勇敢に戦い、ローマ軍は勝利した。我々の部隊はどうかと言えば、私は明確な作戦計画を持っている。諸君はそれに従って行動して勇敢に戦ってくれると信じている。戦争は我々に優勢な形で進むが、長引くか、すぐに終結するかは、わからない。もし長引くなら、諸君の士気と勇気を着実に強化するため、これまでの訓練を続けることになる。諸君が決着をつけたいと願うなら、やる気と勇気の証明として、ぜひ大声で戦闘の時の掛け声を叫んでくれ」。

兵士たちが腹の底から「ウォー」と叫んだのだので、執政官は言った。「わかった。諸君の要望に応える。天の加護のもとに、明日戦争だ」。

その日の残りを、兵士たちは武具と武器を準備して過ごした。翌朝になりローマ軍が戦列を組んでいるのを見ると、サビーニ軍はすぐ前進を始めた。彼らが待ち望んでいた戦争がや戦始まるのだった。両軍の士気が高かったので、激しい戦闘となった。ローマ兵は不滅の名声に恥じない戦いをしようと決心しており、サビーニ兵は前回勝利したので勢いがあった。サビーニ軍の作戦は巧妙だった。ローマ軍と同じ長さの戦列を組みながら、戦闘の決定的な場面で、2000の伏兵をローマ軍の左翼に対し投入し、敵を圧倒した。この側面攻撃により、ローマ軍は包囲されそうになり、左翼は崩れ始めた。この時ローマ騎兵の2隊、約600が馬から飛び降りて、あきらめかけていた歩兵のもとに駆け付けた。騎兵の介入により敵の攻勢は弱まり、騎兵が危険を共有したことで、歩兵の勇気を呼び起こした。騎兵は主に馬上で戦うのに対し、歩兵は地上で戦うよう訓練されているのである。下馬した騎兵に助けられたことに、歩兵は恥を感じ奮起したのである。

【63章】

絶望的だったローマの左翼は持ち直し、敵を押し返し始めた。そして間もなく、サビーニ軍が劣勢になり、後退し始めた。騎兵は馬に乗り、ローマ軍の右翼に駆けてゆき、左翼の立ち直りを伝えると、次にサビーニ軍に襲い掛かかった。サビーニ軍のもっとも強力な右翼が崩れてしまったので、サビーニ兵は戦意を失っており、勇敢に戦う兵士はいなかった。ローマ軍の指揮官は全軍に目を光らせ、勇敢な兵士を誉め、たるんだ戦いをしている戦列を叱った。叱責された兵士たちは恥を感じ、誉められた者たちと同じように奮戦した。ローマ軍が再び一斉に掛け声を上げ、サビーニ兵を押していくと、サビーニ兵は耐え切れず、あらゆる方向に逃げた。ローマ軍はサビーニの陣地にやってきて、戦利品を獲得した。ヴァレリウスの部隊がアルギドゥス山で獲得したのは、同盟国から奪われた品々だったが、ホラティウスの部隊がサビーニの陣地で獲得したのは、もともとローマ人の財産だった。それらはサビーニ兵がローマの郊外で略奪した物だった。

ローマはニつの戦場で勝利したので、元老院は二人の執政官に感謝する行事を決定したが、元老院は執政官を警戒しており、祝祭は一日だけとした。しかし人々は元老院の決定を無視し、二日目も群れを成して神殿に行った。この非公式で自発的な感謝の祝祭は初日よりも熱心に祝われた。二人の執政官はこの二日間に首都に帰還し、軍神マルスの広場で元老院を開催することに決めた。彼らが戦争についての報告をまとめていると、軍隊がいる場所での元老院の開催を、元老院が拒否してきた。軍隊の脅威のもとで会議はできない、というのだった。執政官は元老院からの批判を避けるため、会議の場所をフラミニウス草原に変更した。現在ここにアポロの神殿が建っている。アポロは当時アポッリナレと呼ばれていた。大部分の元老が執政官に勝利の栄誉を与えることを拒否した。これを批判して、 護民官 L・イキリウスは民衆に訴えた。すると多くの貴族が執政官と護民官を批判した。中でも C・クラウディウスは興奮して言った。

「執政官は外国に対する勝利を祝いたいのではなく、元老院に対する勝利を祝いたいのだ。戦争に勝利したことはあまり重要ではなく、護民官に個人的に奉仕することが彼らの目的だ。誰かが栄誉に値するか否かをきめるのは元老院であり、民衆がそれを決めたことは一度もない。昔の国王でさえ、国家の最高の身分の権威を侵害したことはなかった。護民官は自分たちの権力を際限なく行使てはならない。国家の最高の会議の存在を危うくするなど、論外だ。それぞれの身分が権利と権力そして威厳を有するという前提のもとに、市民が自由であり、法律がすべての人に平等なのである」。

クラウディウス以外の指導的な元老たちもほぼ同じことを述べた。しかし部族会議は執政官の提案を支持した。元老院の裁可無し民衆の決定によって戦勝が祝われたのは、ローマの歴史で最初のことだった。

【64章】

護民官と平民の勝利は権力の乱用を招きかねなかった。護民官たちの間で、自分たち全員が再任されるようにしよう、という暗黙の了解がなされた。党派的な策謀が気付かれないよう、彼らは執政官も再任されるよう取り計らうことにした。その理由について、元老たちが一致して執政官を侮辱し、平民の権利を奪おうとしたからだ、と彼らは語った。

「市民の平等を基本とす法律律はまだ社会に根付いていない。このような時に、貴族が自分たちに忠実な執政官を通して新任の護民官を攻撃したらどうなるだろう。ヴァレリウスとホラティウスは自分が所属する身分の利益より、平民の自由を優先した。彼らのような人物が執政官であれば問題ないが、そうでないことが多いからだ」。

幸運なことに、選挙管理人は M・ドゥイッリウスだった。彼は聡明な人物だったので、現在の高官が来年も居座るなら、非難が巻き起こるだろうと予見していた。彼が「現在の護民官に対する投票は無効である」と宣言すると、彼の同僚の護民官たちは抗議した。「部族集会に自由に投票させるべきだ。それが嫌なら、君は選挙管理の仕事を他の護民官に譲べきだ。新しい選挙管理人は貴族の意向を考慮せずに、法律に従って選挙を実施するだろう」。同僚に反対されて、ドゥイッリウスは執政官に来てもらい、執政官の選挙をどうするつもりか尋ねた。執政官は「新しい人物を選ぶつもりだ」と答えた。ドゥイッリウスは平民派の執政官を味方にして、同僚の護民官たちに対抗することにした。彼は執政官を伴い、市民集会に向かった。執政官が人々の前に出て、次のように問いかけた。

「皆さんは市民の自由を回復し、戦争において祖国のために戦い、戦果をあげました。それなのに、現在執政官の再任を望むのはなぜでしょうか。我々は再び執政官になるつもりはありません」。

ドゥイッリウスは執政官の態度を称賛した。「執政官のお二人は最後まで厳正な態度を貫かれた。10人委員とは対照的だ」。それから彼は護民官の選挙を始めた。ドゥイッリウスを除く9人の護民官が熱心に応援していた5人が選ばれた。他の候補者は規定の票が集まらず、落選した。定員は10人なのに、5人選ばれないようにする作戦だったのである。ドゥイッリウスは選挙を終了し、集会を解散した。彼はもう一度選挙をすることもできたが、そうしなかった。その理由について彼は説明した。「法律の要求を満たしている。法律は護民官の定数を定めていない。法律には、護民官を空席にしてはならない、としか書かれていない」。

それからドゥイッリウスは選ばれた5人の護民官に残りの5人を選ぶよう命令した。その論拠を彼は述べた。「民会で10人選ばれることを期待したが、5人しか選ばれなかった。だから選ばれた5人が残りを選ぶのである」。

ドゥイッリウス以外の護民官の計画は選ば場れた5人に、任期が終了する10人を選ばせることだったが、ドゥイッリウスは護民官が15人になることに断固反対したのである。こうして彼は同僚の野望をくじき、貴族と平民の両方から好感を持たれて、選挙管理の仕事を終えた。

【65章】

部族会議で選ばれた5人の護民官は残りの5人を選ぶ際際、 元老院の意向を調べた。その結果彼らが選んだ5人のうち二人は執政官身分の人間、Sp・タルペイウスと A・アエテニウスだった。

新しい執政官はスプリウス・ヘルミニウスと T・ヴェルギニウス・カエリモンタヌスだった。二人は過激な貴族派でもなく、過激な平民派でもなかった。国内においても、外国との関係でも、彼らは平和を保った。護民官の L・トゥレボニウスは「残りの5人の護民官を選ぶことについて、自分は何も知らされなかった。私ははずされた」と言って、貴族に対して怒った。「護民官が5人しか当選しなかった場合、10人が選ばれるまで選挙を続けるべきだ」と彼は提案した。彼は護民官に在任した一年間貴族の批判を繰り返し、「怒りっぽい人」というあだ名をつけられた。

年が変わり、新しい執政官は M・ゲガニウス・マケリヌスと C・ユリウスだった。護民官と若い貴族と間で論争が起きた。執政官は護民官の権威を貶めず、また貴族の威厳を損なわずに、争いを調停した。ヴォルスキとアエクイとの戦争のために、元老院は徴兵を命令したが、平民をなだめるために、実施を遅らせ、声明を出した。「国内が安定していれば、外国との関係も平和である。しかし市民が互いに争っているなら、敵国は戦争しようと考える。我々は戦争を起こさないために、国内の調和をはかってきた。しかし一方の身分が抑制的なのに、別の身分が絶えず騒ぎを起こしている。平民が静かにしているのに、若い貴族が彼らに暴力を振るっている。護民官は弱い側を守ろうとしたが、彼ら自身が被害者となってしまった。特に年度末の数か月にこうしたことが起きている。このような無法状態の背後に強い党派の秘密の共謀がある。年度末には護民官の権威が衰えることもこれを助長している。平民にとって唯一の希望はイキリウスのような護民官を得ることである。最近二年間の護民官は名前だけで、実質が伴わなかった。他方で、年上の貴族は若い貴族はやりすぎだと感じているが、護民官や平民の無法行為よりましだと考えている。自由を守る際、自己抑制は非常に難しく、平等な社会においては、各人は他人を引き下げることによって自分を引き上げようとするので、自分が弱者になることへの恐怖から、自分を威圧的な存在と見せようとするのである。自分が被害者になるのを避けようとして、加害者になるのである。自分が加害者とならなけれ、必ず被害者になってしまうと考えるのである。

【66章】

翌年の執政官に選ばれたのは、T・クインクティウス・カピトリヌスとアグリッパ・フリウスだった。クインクティウスは四度目の執政官就任だった。二人の就任直後、国内も対外関係も、平穏に見えたが、危機は迫っていた。市民同士の争いは、誰も止められなかった。護民官と平民の両方が貴族に対し怒っていた。貴族の誰かが起訴されると、判決を下す場である市民会議で必ず騒動が持ち上がり、裁判が妨害された。このような騒動の噂が国外に伝わり、アエクイ族とヴォルスキ族は、まるで決まった合図を受け取ったかのように、戦争の準備をした。掠奪を欲している彼らの指導者たちは「今がチャンスだ」とそれぞれの市民に訴えた。

「ローマでは、二年前に出された徴兵命令は平民が拒否したので、実施できなかった。だからあの時ローマ軍は我々の前に現れなかった。兵士の不服従により、軍の規律が崩壊している。市民にとってローマは共通の祖国ではなくなった。外敵に向けられるはずの怒りが国内の敵に向けられている。お互いに対する憎しみのあまり、ローマは正気を失い、盲目の群れとなった。ローマというオオオカミは盲目である。今がローマを倒す良い機会だ」。

アエクイとヴォルスキの連合軍はラテン人の地域を完全に荒廃させた。彼らを制止する勢力はなかったので、彼らはローマの城壁までやってきた。ローマには、これを喜ぶ人々がいた。略奪軍はエスキリン門(ローマの東の門)に迫ってきた。ローマの目の前で略奪を繰り返したのは、彼らが自信を持ち、傲慢になっていたからである。彼は誰にも邪魔されずに略奪を終えるとコルビオ(アルバ湖北東、トゥスクルムの東に隣接する小さな町)に帰っていった。略奪軍が去ると、執政官クインクティウスは市民集会を招集した。

【67章】

クインクティウスは集まった人々に次のように演説した、と書かれている。「市民の皆さん、私は良心にやましいことは何もありませんが、恥ずべき出来事があり、それを報告するために民会を招集しました。アエクイとヴォルスキの軍事力は最近向上しており、我々の同盟国ヘルニキは手が出ません。私が執政官に在任している時に彼らはローマの城壁にやってきました。ローマは何もできませんでした。このことは後代まで語り継がれるでしょう。我々の政治状況が最悪であり、私は何も期待できないとはいえ、よりによって今年このような事件が起きると知っていたら、私は他に手段がないなら、亡命か死によって、執政官に就任しなかったでしょう。ローマの門の前まで来たのがまともな軍隊だったら、ローマは占領されたでしょう。そしてその責任は私にあるのです。私は多くの栄誉を与えられ、十分生きてきました。三度目の執政官終了後に死んでいればよかったと思います。卑劣な敵はローマの執政官を見下しているのでしょうか、それともローマ市民を見下しているのでしょうか。もし執政官を見下しているのなら、我々はその地位にふさわしくないのですから、我々を罷免し、処罰して下さい。もしあなた方が悪い場合、誰も、神でさえも裁くことはできません。あなた方自身が反省するしかありません。アエクイとヴォルスキがローマを侮ったのはあなた方が臆病だからではないし、彼らは自分たちの勇敢さに自信を持ったのでもない。彼らは何度も敗北し、敗走し、根拠地から追い出された。彼らは自分の弱さとローマの強さををわきまえなかった。ローマの内部分裂、貴族と平民の抗争が国家を衰弱させ、アエクイとヴォルスキに自信を与えたのです。執政官が無制限に権力を行使し、平民が自由をはき違え、平民が貴族だけでなく平民派 の高官にまで腹を立てるなら、我々の敵は勇気を得るでしょう。あなた方はいったい何を望むのか。これ以上何が欲しいのか。あなた方が護民官を熱望したので、我々は国内平和のためにそれを与えた。あなた方が十人委員が必要だというので、我々は十人委員の任命に同意した。あなた方は十人委員を憎むようになったので、彼らを辞任させた。あなた方は彼らの私生活さえ容赦しなかった。あなた方を満足させるために、最も気高い、傑出した貴族たちを死や亡命に追いやった。あなた方は護民官の再任を望み、それを実現した。(日本訳注:護民官再任の計画はほぼ失敗。5人の新人が選ばれ、彼らが残りの5人を選んだが、そのうちの2人は新人であり、最後の3人が再選だったようである。)平民の利益のために献身的に働く人物が執政官になることは貴族の目にいかに不正なことと映るか、我々は知っていたが、本来貴族のための地位が平民の意向に沿う人物に与えられるのを容認した。平民を守る護民官の権力、人民に訴える権利、貴族を拘束する民会の決議、すべての市民に平等な法律という口実の下に奪われる貴族の権利と特権、これらのすべてを、我々は容認してきたし、これからもそうである。それでも身分闘争が終わらないのはなぜか。団結したローマが復活するのは何時か。我々の住む場所が共通の祖国となるのは何時か。敗者である貴族の方が勝者であるあなた方より精神が落ち着いて、安定している。あなた方は貴族を十分怯えさせたではないか。アヴェンティーヌの丘と聖山の占領は貴族に対する敵対行為だった。あなた方は貴族に対し、兵士として立ち向かい、武器を取った。これが直接の 原因となり、ヴォルスキ兵がエスキリンの丘の城壁をよじ登ろうとし、丘は占領されそうになった」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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