たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

米国は2001年にシリア攻撃を決定していた

2018-08-31 22:53:20 | シリア内戦

米国は2005年以来、アサド政権の転覆を画策しており、外国に亡命しているシリアの反体制派を支援してきた。これは米政府の外交通信から明らかである。2005年以来の米国の策謀については前回まで書いてきた。米国はアサド政権の転覆について、2001年9月に決定していた。9月11日貿易センタービルが倒壊したが、イラク攻撃はその10日後に決定された。米国は2003年3月にイラクを攻撃したが、これは1年半前に決定されていた。そして米国の計画はイラクだけを攻撃対象にしたものではなく、中東の敵性国家のすべてを攻撃することだった。ソ連崩壊後、米国に対抗できる軍事力を持つ国は存在せず、米国の新保守主義者はこの機会を逃さず米国に有利なように世界秩序を再編しようとしたのである。

2001年9月に決まった中東再編のための戦争計画で、イラク攻撃の次に予定されていたのはシリア攻撃である。しかしこの予定は狂ってしまった。米軍はバグダードを占領し戦争に勝利したが、戦後のイラクは武装ゲリラによるテロが頻発(ひんぱつ)し、安定しなかった。そのためシリア攻撃は延期された。しかし計画を放棄したわけでなく、チャンスをうかがっていたのである。

 2001年9月米国がイラク、シリア、リビア、イランへの攻撃を決定したことについて、ウェズリー・クラーク退役将軍が証言している。

     〈クラーク退役将軍の爆弾発言〉

米国は2003年3月米国はイラクを攻撃した。開戦理由としてイラクが生物・化学兵器を保有し、核兵器を開発していることがあげられた。開戦理由には多くの疑問があったが米国は開戦に踏み切った。2007年米軍の元陸軍大将がイラク戦争には差し迫った理由がなかった、と語った。地政学的に重要な中東の情勢を米国に有利な形で解決するため、ブッシュ政権は武力を行使することにしたのである。つまりイラク攻撃の理由は米国による中東支配の強化であり、そのための手段として米国は圧倒的な軍事力を持っていた。たとえて言うなら、米国はかなづちであり、米国に敵対する中東の国はくぎにすぎなかった。

1990年前半のユーゴ内戦の時、ウェズリー・クラークはユーゴスラビアへの攻撃を指揮した。彼は1997年から2000年までNATOの欧州最高連合司令官だった。米軍の中心を歩んできた彼は、2007年3月米国の独立系テレビ「デモクラシー・ナウ」に出演した。その番組でクラーク元大将が爆弾発言をし、この発言は有名になった。イラク戦争を決めたのはブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官であり、将軍たちに何の相談もなく、また戦争の理由についての説明すらしなかった。前例のない一方的な命令に、将軍たちは驚き、内心憤慨していたようである。クラーク元将軍の率直な話し方がその時の驚きを物語っており、インタビューの中で最も印象的な部分である。インタビューは公開の場でおこなわれており、この場面で観客から笑い声がもれた。このインタビュー はYouTubeに投稿され、拡散した。日本語字幕付きのものもある。その動画のリンクを張ればよいことであるが、資料として重要なので、クラーク将軍の話の内容を以下に書き写した。映像なしで文章だけを読む場合のことを考え、訳は一部変えた。

 

==《ウェスリー・クラーク元アメリカ陸軍大将が語る中東問題の真相》==

<https://www.youtube.com/watch?v=5ePR-KBvaX8>

            YouTube THINKERmovie

                 2011年4月14日投稿

それは2001年9月11日のテロから10日ほどたった日のことだ。私は国防総省(ペンタゴン)に行ったが、そこでラムズフェルド国防長官とウォルフォヴィッツ次官と顔を合わせた。それから下の階に行って私の部下たちに会った。すると、将軍のひとりが私を呼び、彼の部屋へ来いと言う。「ちょっと来てくれ。ぜひ話したいことがある。数分で終わるから、ともかく聞いてくれ」。

私は「あなたは忙しいのでは?」言った。

すると彼が答えた。

「いや、それほどでもない。実は、我々はイラクと戦争することになった」。

私は驚いて、彼に問いただした。「イラクと戦争だなんて! いったいどういう理由で?」

彼の答えはこうだ。「わからない」。

  (ここで聴衆が爆笑する)

彼は付け加えた。「たぶん他に方法がないのだろう」。

私は言った。「サダム・フセインとアルカイダの関係を示す証拠が見つかったのかな」。

彼が言った。「いや違う。新しいことは何もない。状況は今までと同じだ。ただ上のほうがイラクとの戦争を決めたのだ。彼らの考えはたぶん、こうだ。我々はテロ対策で行き詰まっている。しかし我々には強力な軍隊があり、不都合な政権を倒すことができる。我々はハンマーで、連中は釘(くぎ)だ」。

この話は2001年9月20日ごろのことだ。それから2ー3週間後、私は再び彼に会いに行った。この時アフガニスタンへの空爆は始まっていた。

私は彼に聞いた。「やっぱりイラクと戦争するんですか?」

彼は答えた。「疑問の余地なし。そしてさらに悪い」。そう言いながら、彼は机のほうに手を伸ばして、一枚の紙を手に取り、言った。「今日、上の階のラムズフェルド長官の部屋からまわってきたものだ。これに、こう書かれている。我々は今後5年間で7つの国を征服する予定だ。まずイラク。次にシリアとレバノン。それからリビヤ、ソマリア、スーダン。最後にイラン」。

================(YouTube終了)

米国が2001年にシリア攻撃を決定していたことは、ブッシュ大統領の発言からもわかる。

2002年1月29日ブッシュ米大統領は、イラク、イラン、北朝鮮の3国を、最も脅威となる国家として非難した。ブッシュは50年前に使用された言葉を復活させ、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだ。ブッシュが突然昔の言葉を持ち出したので、多くの人は戸惑った。第2次大戦に興味のある人はすぐわかった。第2次大戦においてドイツ・イタリア・日本は枢軸国と呼ばれた。枢(すう)はドアの回転軸(じく)であり、「支えとなるもの、中心」という意味でも用いられる。ドイツは西欧と東欧の中央に位置するので、ドイツとその同盟国を枢軸国と呼んだのだろう。

ブッシュ米大統領の「悪の枢軸」発言が1年後のイラク戦争の予告であると理解した人はほとんどいなかった。

1月末の「悪の枢軸」発言は有名になったが、3か月後(5月6日)ボルトン安全保障担当補佐官がキューバ、リビア、シリアを新たに「悪の枢軸」に加えたことはあまり知られていない。

2001年9月20日にシリア攻撃が決定されていたというウェズリー・クラーク将軍の発言に加え、ボルトン安全保障担当補佐官がシリアを「悪の枢軸」ひとつと呼んでいることを考え合わすなら、シリアがアメリカの攻撃対象だったことは疑いない。

イラク戦争の次に予定されていたシリアへの攻撃は延期されてしまったが、2005年レバノンの親欧米派首相ラフィク・ハリリが暗殺されると、米国は暗殺の背後にシリアがいると考え、アサド政権転覆の策謀を開始した。この時から米国の資金が亡命シリア人シリア人グループへ流れ始める。 

これに関連して桜井ジャーナルは次のように書いている。

「調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、

アメリカ、イスラエル、サウジアラビアは、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた」。

(桜井ジャーナルの本文のタイトル;

元欧州連合軍最高司令官がISを作り上げたのは米の友好国と同盟国だと発言、西側のテロ作戦に綻び

 

 

2001年9月の決定は一度挫折したとはいえ、アサド政権転覆の工作は続けられた。

また2007年イスラエルはシリアの核施設を攻撃しており、イスラエルとシリアとの関係は緊迫していた。

2007年のシリアの原子炉への空爆について、イスラエルはこれまで沈黙してきたが、2018年3月18日これを認めた。イスラエル情報相は今になって公表する理由を語った。「10年前の出来事はイランへの警告として役立つ」。                       

2007年9月6日、イスラエル空軍の4機のF-16戦闘機が数百マイル離れたデリゾールにある原子炉を爆撃した。原子炉は大部分完成していた。この一夜だけの航空攻撃について、シリアもイスラエルもこれまで沈黙してきた。噂が流れ、盛んに議論されてきた。

今回公表された文書により、イスラエルが数年にわたりデリゾールの原子炉を監視したことなど、作戦の全体が明らかになった。北朝鮮の技術援助により、シリアはプルトニウムを得るための原子炉を自国内に建設した。原子炉はほぼ完成しており、数か月以内に稼働すると予想された。

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シリア国民評議会と米国 2012年7月

2018-08-16 22:51:46 | シリア内戦

2012年11月、シリア反体制派の統一組織「シリア国民連合」が成立した。シリアの反体制派はいくつものグループに分裂していたが、何とか連合するに至ったのである。シリア内戦を発端から見ていくならば、「シリア国民連合」の成立はかなり遅い。デモが始まった2011年ではなく、翌年の11月である。もちろんその間反体制派を代表する組織は存在しており、活発に活動していた。それが「シリア国民評議会」である。そしてシリア内戦の原因を考えるとき、「シリア国民評議会」が果たした役割を見過ごすことができない。「シリア国民評議会」は2011年8月23日イスタンブールで成立したが、その母体となるグループは2005年以来、アサド政権の転覆を画策しており、アラブの春が始まった2011所と以後彼らの活動は活発になった。

「シリア国民評議会」と英・米との密接な関係について、英紙ガーディアンが書いている。「シリア国民評議会」の成立過程についてはほとんど知られていなかったが、ガーディアンが光をあてた。

本文中で言及がある「シリア救国戦線」について前もって説明しておく。2005年レバノンのハリリ大統領の暗殺を批判して亡命したカッダム元副大統領を中心に集まったグループである。一時期反体制派の中で最大のグループとも言われた。

カッダム元副大統領はバニアスの出身であり、2011年3月・4月地中海沿岸部のデモが過激化したのは、彼の配下のグループの活動といわれている。

次に訳すガーディアンの記事には、2005年「救国戦線」と米政府との接触が最初に実現した、と書かれている。この記事は「シリア国民評議会」についての説明であるが、その主要構成グループである「正義と平和運動」についても言及されている。「正義と平和運動」については、私は前回の投稿で書いている。

 

==《シリア反体制派の広報官は誰を代弁しているのか》==

  The Syrian opposition: who's doing the talking?

                by Charlie Skelton

<https://www.theguardian.com/commentisfree/2012/jul/12/syrian-opposition-doing-the-talking

                  ガーディアン 2012年7月12日   

現在(2012年7月)、シリアでは町や村が破壊され、多くの市民の兵士が死んでおり、死者数は数千人となっている。これから書くのは、こうした内戦の血なまぐさい出来事についてではないが、重要なことである。シリアの内戦について報告しているのはどのような人々か、について書くのである。反体制派の広報官たちはシリアについての専門家や民主主義を求める活動家であり、シリアの反体制派を代表して発言している。彼らは欧米諸国によるシリアへの干渉を求め、早急の行動が必要であると警告している。これから書くのは、シリアの反体制派の中で最も注目されている人物についてであり、彼らと英・米の民主化運動プロジェクトとの関係についてである。反体制派を代表して発言する彼らの経歴について、欧米のメディアは多くを語らない。また彼らの発言内容を検証しようとしない。彼らがアサド大統領を憎んでいることは確かであり、その点についてどうこう言うつもりはない。問題なのは彼らの独立性である。

実際シリアの反体制派の代表的な人物の多くは古くからの亡命者であり、彼らは米国から資金を得ている。米国はアサド政権を倒す目的で彼らを支援してきたのである。米国の計画は2011年のアラブの春よりずっと前に始まった。

現在亡命グループは声高に外国の軍事介入をもとめているが、米国政府は現在の段階ではまだ、武力によるアサド政権の打倒を宣言していない。しかし米国のネオコン(新保守派)たちはシリアの亡命グループの長年の友人である。ネオコンはブッシュ大統領のイラク侵攻を熱心に支持したが、現在はシリアへ軍事介入するようオバマ大統領に圧力をかけている。シリアの反体制派を代表する人たちは米国の援助を得ており、米国とヨーロッパの好戦的なタカ派との密接な関係により利益を得てきた。ネオコンによるオバマ政権への圧力は成功しているようだ。4日前(7月8日)クリントン国務長官は「我々は重要な決断に近づいている」と述べた。シリアにおける戦闘が激しくなり、ロシアの戦艦がシリアのタルトゥス(地中海に面する港)に向かっている。このように緊迫した時期に、シリア国民を代表して発言している人々について知ることは、意味がある。    

      〈シリア国民評議会〉

昨年8月、シリアの反体制各派が結集し、「シリア国民評議会」が成立した。これに参加していないグループもあるが、「シリア国民評議会」は反体制派を代表する最大の組織である。ワシントン・タイムズは次のように書いている。

「互いに対立する亡命グループが、ともかくまとまる必要性から互いの意見を調整する場として『シリア国民評議会』をたちあげた」。

「シリア国民評議会」は欧米と親しく交渉することができ、早い時期から欧米によるシリアへ干渉を求めてきた。今年(2012年)2月、「シリアの友」諸国のサミットがチュニジアで開かれた。会議の冒頭で英国のヘイグ外相が述べた。

「私は数分後、シリア国民評議会の指導者たちと会う予定だ。我々はシリア国民評議会をシリア国民の正当な代表と認めるつもりである」。

シリア国民会議の広報官の代表的な人物は、パリ在住のシリア人学者バッサマ・コドマニである。

        〈バッサマ・コドマニ〉

コドマニはシリア国民会議の役員であり、外交部長でもある。コドマニはシリア国民会議の権力の中心に近いところに位置し、最も発言力のある広報官である。

「アサド政権とのいかなる交渉も無意味である。議論すべきは新政権をいかに打ち立てるかである。必要なのは国連の第7章決議である。現政権がこれに従わない場合、武器輸入の禁止が課せられ、最終的には武力による制裁が発動する」。コドマニの念頭にあったのは、国連軍による平和維持活動である。

大規模な国際的軍事行動が要求される時、厳密に誰がそれを要求しているのかを知ることは重要である。シリア国民会議の広報官ということはわかっているが、その人物について知る必要がある。

今年のビルダーバーグの会議にバッサマ・コドマニは参加した。ビルダーバーグ会議は米国など先進国の財界・政界の大物が集まる会議である。非公式の先進国サミットのようなものである。非公式な故に、米国を中心とする先進国の影の権力者たちが彼らの世界政策について本音で話し合う。コドマニがビルダーバーグ会議に参加するのは、2度目である。最初の参加は2008年である。この時はフランスの学識者として参加したが、今回は国際関係の専門家として参加している。7年前(2005年)、コドマニはカイロのフォード財団の役員であり、国際協力計画部長だった。フォード財団は世界中で様々な活動をしており、本部はニューヨークにある。彼女はフォード財団の重役だった。しかしフォード財団は彼女の出発点に過ぎず、その後彼女はさらに重要な地位についていく。

2005年2月米国とシリアの関係が決裂し、ブッシュ大統領はダマスカス駐在米大使を米国に帰国させた。シリアの反体制派のいくつもの計画がこの時始まった。ワシントンポストが書いている。

「2005年米国とシリアの外交関係が断絶すと同時に、米国の資金がシリアの反体制派に流れ始めた」。

2005年コドマニは「アラブ改革イニシアチブ」の常任理事に就任した。「アラブ改革イニシアチブ」は「外交問題評議会(CFR)」が主催する研究プログラムである。「外交問題評議会(CFR)」は米国最強の圧力団体である。CFRは米国外交部門のエリートが集まる頭脳集団(シンク・タンク)である。CFRのウエッブサイトには、「アラブ改革イニシアチブ」がCFRのプロジェクトであると書かれている。「アラブ改革イニシアチブ」はCFRの中東プロジェクトの一部門である。

中東プロジェクトには欧米の外交・情報官僚と銀行家が集まり、中東情勢を分析している。国際的なメンバーからなる理事会が彼らを指導している。理事長は退役将軍のブレント・スコウクロフトである。ブレント・スコウクロフトはキッシンジャーの後継者として安全保障担当補佐官を務めた。「中東プロジェクト」の理事には大物が並んでいる。スコウクロフトの後継者であるブレジンスキーやゴールドマン・サックスの会長ピーター・サザーランドである。

以上述べたことから、2005年コドマニが「アラブ改革イニシアチブ」の常任理事に就任したことの重要性がわかる。欧米の支配層の中心に位置する情報専門家と銀行家がコドマニを選び、中東政策研究を担当させたのである。

米国を中心とするCFR(外交問題評議会)はよく知られているが、実は欧州版CFRも存在する。コドマニは欧州CFRのメンバーでもあり、欧州CFRの「アラブ改革イニチアチブ」の常任理事である。

欧州CFRはヨーロッパの頭脳集団(シンクタンク)であり、外交官・ジャーナリスト・学者のほかにジョージ・ソロスのような銀行家も参加している。ソロスの「開かれた社会財団」は欧州CFRへの主要な資金提供者である。つまり欧州CFRは銀行家の資金提供により集まった政策集団なのである。そしてコドマニはそのメンバーのひとりである。

要するにコドマニは多くの民主主義活動家とは異なっており、偶然シリアの反体制派のスポークスマンに選ばれたわけではない。

欧州CFRのメンバーであるコドマニは、国際政治の専門家として評価が高い。彼女はフランスの国際外交学院の主任研究員であり、カーネギー国際平和基金・中東センターの研究員である。国際外交学院の院長はフランスの海外情報機関の元将校ジャン・クロード・クースランである。カーネギー国際平和基金は比較的中立で、優秀な研究員が多い。

コドマニは専門家として評価され、英・米による中東民主化政策の推進者となった。アサド政権の打倒を目的とするシリアの反体制派は英・米の介入を強く望んでいるが、コドマニは両国と緊密に結びついている。彼女以外の反体制派のスポークスマンも同様である。

          <ラドワン・ツィアデ>

「シリア国民評議会」の外交委員長のラドワン・ツィアデも欧米の中東政策と深い関係がある。ツィアデの経歴は興味深い。彼は米国平和研究所の上級研究員である。米国平和研究所は国費によって設立された世界政策のためのシンクタンク(頭脳集団)である。平和研究所の理事の多くは元国防関係者や元安全保障関係者である。院長のリチャード・ソロモンはキッシンジャー安全保障担当補佐官の部下である。

今年(2012年)2月、ツィアデはワシントンのタカ派集団に加わり、オバマにシリアへの介入を求める書簡に署名した。書簡の署名者には、政治・軍事の実力者が名を連ねていた。

例えばブッシュ大統領に影響力があったカール・ローブや国防総省のイラン・シリア作戦の元責任者エリザベス・チェイニーなどである。ツィアデはワシントンの権力集団のメンバーであり、いくつかの由緒あるシンク・タンクと関係があった。

ツィアデはロンドンにも人脈があり、2009年チャタム・ハウスの客員研究員になった。また彼は昨年(2011年)6月のチャタム・ハウスの公開討論「シリアの政治的将来」に出席した。この討論には「シリア国民評議会」のメンバーであるナジブ・ガビアンも参加していた。ガビアンは早い時期にシリアの反体制亡命グループと米国政府を結びつけた人物である。ウオール・ストリート・ジャーナルは次のように書いている。

「アーカンソー大学の政治学者ガビアンはシリアの『救国戦線』と米政府との接触を最初に実現した」。それはシリアと米国の関係が険悪になった2005年のことだった。ガビアンは当時「シリア国民評議会」の書記局の一員だった。同時に彼はワシントンにある「政治・戦略研究シリアセンター」に所属していた。これは米政府に政策について助言をする政治団体だった。

ツィアデは長年米政府との接触を続けていた。2008年彼は米政府の建物内でシリアの反体制性グループの会合に参加した。この小さな会議のテーマは「変化に向かうシリア」だった。この会議の共同主催者は米国の「民主主義協議会」とロンドンをを拠点とする「正義と平和運動」だった。ワシントンでの会議は「正義と平和運動」にとって大きなチャンスだった。アナス・アブダ議長と広報部長はロンドンからワシントンに向かった。彼らのウエッブ・サイトには次のように書かれている。

「会議にはこれまでになく多くの人が出席した。会議室は下院議員、上院議員、研究所の代表、ジャーナリスト、亡命シリア人でいっぱいだった。討論の司会者は超タカ派のジョシュア・ムラフチクだった。彼は2006年に「イランを爆撃せよ」と言う記事を書いている。討論の議題は「反体制組織の誕生」だった。「正義と平和運動」のアナス・アブダ議長の隣には、広報部長のオサマ・モナジドが座っていた。2人は2011年夏に成立するシリア国民評議会で広報を担当することになる。

 

            〈オサマ・モナジド〉

コドマニとツィアデと並び、モナジドはシリア国民評議会の広報の最も重要なメンバーである。広報官はほかにもいる。シリア国民評議会はムスリム同胞団を含む大きな組織である。コドマニ、ツィアデ、モナジド以外の広報官の例として、シリア社会人民党のジョルジュ・サブラがいる。彼は抑圧的で全体主義的なアサド政権を批判し、投獄され、長年牢獄で暮らした。

シリアの反体制派の主要勢力の大部分が国民評議会に参加しているが、反体制派は多様であり、参加していない重要なグループもある。例えば、有名な反体制作家マイケル・キロ は国民評議会に参加していない。暴力が国家を引き裂いている現実について、彼は雄弁に語っている。

「シリアは破壊されている。多くの通りが、そして都市や村が破壊されている。このような解決をが受け入れる者がいるだろうか。少数のグループが権力に留まろうとするために、国家が破壊されるのだ」。 

国民評議会に参加していない反体制派もいるが、国民評議会が最大の連合組織であることは間違いない。そしてコドマニ、ツィアデ、モナジドはそれを代表する存在である。モナジドはしばしばテレビのニュース番組に登場し、シリアで起きていることについて伝えている。

「政権は毎日のように市民を虐殺している。子供まで殺され、女性は凌辱されている」。

しかしツィアデを含む国民評議会はシリアに住む普通の市民ではなく、現在シリアで起きていることを見る視点は一般市民のものではない。これまで述べてきたように彼らは最初から体制転換を目標とする革命派であり、しかも米国の援助によりこれを実現しようとしている。

============(ガーディアン終了)

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