《アテネとマケドニアの和平》
フォキスが戦いを放棄すると、アテネはすぐ政策を変えた。もしテルモピュラエを守れないなら、アテネの安全は保障されなかった。2月末、アテネはマケドニアに使節団を派遣し、ピリッポス2世と和平について話し合った。使節団にはフィロクラテス、デモステネス、アイスキネスが含まれていた。彼らはピリッポス2世と2回会談し、双方が和平の条件を提示した。使節団はアテネに帰り、マケドニアの条件を議会に伝えた。条約締結について全権を委任されたマケドニアの使節団が来ていた。4月23日、アテネはマケドニアの使節団に対し、和平の条項を守ることを誓った。
条約締結後、アテネの使節団は直接ピリッポス2世の口から平和の約束を聞くため、再びマケドニアに向かった。ピリッポス2世はトラキアの王ケルセブレンテスと戦争中だったので、使節団はゆっくりと首都ペラに向かって旅をした。ペラに着くと、神聖戦争のすべての関係国の使節が来ていたので、デモステネスやアイスキネスたちは非常に驚いた。関係国の使節たちは戦争の終結について話し合うために来ていたのだった。
トラキアから帰ると、ピリッポス2世は各国の使節団と会見した。テーベとテッサリアはピリッポス2世にギリシャの指導者になってほしいと述べ、フォキスの処罰を頼んだ。これに対し、アテネとスパルタの代表団に支持されていたフォキスは、ピリッポス2世に攻撃しないでくれと説得した。相反する要望に対し、ピリッポス2世は返答を引き延ばした。戦争終結の方法について、彼は自分の考えを知られないよう努めた。敵対してきた二つの陣営は戦争の中止を求める点では一致しており、それぞれが望む形での決着に希望を持った。アテネとマケドニアの和平についての終決定はあと一歩だったが、ピリッポス2世は返事を引き延ばした。
外交交渉の一方で、ピリッポス2世は戦争の準備をしていたが、「戦争はテッサリアの小都市ハルスに対するものだ」と言った。ハルス(パガサイ湾の北岸)はピリッポス2世に抵抗していた。ピリッポス2世はアテネの使節を宙ぶらりんの状態にしたままハルスに出発してしまったので、アテネの使節は彼と一緒にハルスに向かった。途中フェラエまで行った時、ピリッポス2世はアテネネに和平を確約したので、使節はアテネに帰った(7月9日)。
アテネに平和を約束したにもかかわらず、ピリッポス2世はアテネに裏切りの一撃を加えた。
彼は別の部隊をテルモピュラエに派遣した。ピリッポス2世がアテネの使節に平和を誓った時、マケドニア軍はテルモピュラエの近くまで来ていた。使節がアテネに帰った頃、マケドニア軍はテルモピュラエを占領していた。ピリッポス2世が返事を遅らせたのは、下心があったからであり、ハルスとの戦争は見せかけであり、彼の真の目的はテルモピュラエの占領だった。アテネは大きな危険が迫っているとは夢にも思わず、テルモピュラエの防衛を考えなかった。アテネはピリッポス2世に完全に欺かれた。
ピリッポス2世はギリシャの中央部を確保する用意ができており、アテネが戦争に訴えてフォキスを支援するなら、アテネの本土が占領される危険が高かった。7月9日前後、フォキスの使節がが軍事援助を求めてアテネに來るまで、アテネはテルモピュラエが占領されたことを知らなかった。アテネの議会はマケドニアとの平和条約を破棄し、ただちにテルモピュラエを占領し、フォキスを助けるべきだと提案した。ピリッポス2世とマケドニア軍はフェラエにいる、とアテネの議員たちは報告されており、マケドニアがすでにテルモピュラエを占領したことを知らなかった。7月12日、ピリッポス2世がアテネへの陸の入り口(テルモピュラエ)に来ているという知らせがアテネに届いた。アテネの人々はようやく絶望的な状況に気づいた。彼らはフォキスを援助することはできないと知り、マケドニアとの平和条約の維持を決議した。
(マケドニアとの平和条約は提唱者のアテネ人の名前にちなんでフィロクラテスの和平と呼ばれている。)
テルモピュラエを占領したピリッポス2世は神聖戦争終わらせることができた。彼はテッサリアの支配者であり、戦争の主要国テーべ、アテネ、フォキスに軍隊を差し向けることできたので、彼の決定に異を唱える国はなかった。ピリッポス2世はフォキスの指導者パライコスと和平について話し合い、パライコスはフォキスの支配権をピリッポスに引き渡し、傭兵を連れてフォキスを去った(7月19日)。紀元前346年パライコスはピリッポスのテルモピュラエの占領を承認し、その見返りに、アポロ神殿の財宝を奪った罪を許されたと言われている。ピリッポス2世がテルモピュラエの占領を宣言したは、パライコスの同意があり、敵対者がいなくなったからである。ボイティアはフォキスによって3つの都市を奪われていた、ピリッポス2世はこれらの都市をボイティアに返還した。ピリッポス2世は「フォキスの運命を決めるのは私ではないく、隣保同盟の会議である」と宣言した。この宣言はアテネにショックを与えた。フォキスが隣保同盟の言いなりになることなど、アテネは理解できなかった。フォキスの同盟国であるアテネはフォキスと同様、神殿を汚した犯罪者だった。しかしピリッポス2世は舞台裏で、フォキスに対す処罰について決定していた。そして彼は「隣保同盟の決定に干渉するのは今回だけである」と述べて、隣保同盟の自主性を保証した。
神聖戦争を終結させた功績により、マケドニアは隣保同盟の一員となり、会議における投票権2票を与えられた。フォキスは投票権を奪われた。隣保同盟に受け入れられたことはピリッポス2世にとって重要な意味があった。マケドニアは野蛮な国ではなくなったからである。
ピリッポス2世はフォキスに対する処罰を部分的に緩和したものの、全体として厳しい処罰だった。現実問題としてピリッポスはどうすることもできなかった。テッサリアはフォキスと敵対しており、ピリッポスはテッサリアの諸都市・諸地方の支持が必要だった。またピリッポスは宗教心に基づいて行動したので勝利したことで信頼されており、彼は高い評価を失いたくなかった。
ーーーー(Fourth Sacred War/wikipedia より)