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階級和解・クリメラ川の戦い

2021-05-30 19:41:09 | 世界史

 

==《リヴィウスのローマ史第2巻》=

Titus Livius   History of Rome

               translated by Canon Roberts

【46章】

両軍が対峙した。ヴェイイとその他のエトルリア兵は戦おうとしなかった。ローマ軍はアエクイ戦の時のように仲間割れして戦わないだろう、と彼らは思っていた。ローマ兵の真剣な様子を見ても、ローマ軍は分裂するとエトルリア兵は信じていた。しかしエトルリア兵の予想は裏切られた。敵から侮辱され、執政官の引き延ばし作戦の後、ついに戦闘が始まり、ローマ兵はしかめ面をして、死に物狂いで戦い抜く覚悟だった。エトルリア兵が戦列を整える間もなく、ローマ兵の槍が飛んできて、混乱の中で両軍は無秩序に衝突した。接近戦になり、両軍は互いに罵声を発しながら、激しく戦った。ローマ軍の最前線にファビウス家の兵士たちがいて、同国人に模範を示した。2年前執政官を務めたキントゥス・ファビウスは危険を顧みず、密集したヴェイイ兵に襲い掛かった。その時、立派に武装した巨漢のエトルリア兵がキントゥスの胸に剣を突き刺した。エトルリア兵が剣を抜くと、ファビウスは前のめりに地面に倒れた。両軍の兵士がこれを見ていた。ローマ兵はショックを受け、後ずさりした。その時、現在の執政官M....・ファビウスが、倒れたキントゥスに駆け寄り、丸盾を掲げて、叫んだ。

「君たちは誓いを忘れたのか。敗残兵となり、陣地に逃げ帰るつもりか。ユピテル神やマルス神より、敵が怖いのか。諸君は勝利しなければ戦死するのみと誓ったではないか」。

そこで昨年の執政官カエソ・ファビウスがM....・ファビウスに言った。

「わが兄弟よ、言葉によって彼らを戦わせようと考えているのか。それをできるのは神々だ。我々がファビウス家の名に恥じない人間でありたいなら、指揮官である我々がすべきことは演説することではなく、自ら戦って兵士の勇気を目覚めさせることだ」。

そして二人のファビウス家の人間は槍を水平に持ち、敵に向かって突進した。最前列の兵士が二人と同時に進んだ。

【47章】

ローマ軍の前列の一部が再び攻勢に転じると、最前列の右半分を指揮していた執政官マンリウスも奮闘し、戦況を好転させた。マンリウスがキントゥス・ファビウスと同様に敵に向かって突進すると、兵士たちが勢いよく彼に続いた。マンリウスは重症を負い、戦列を離れた。兵士たちはマンリウスが死んだと思い、後退し始めた。彼らはもう少しで敗走するところだった。この時、左翼を指揮していた執政官ファビウスが馬を走らせ、騎兵を連れてきて、動揺している兵たちに向かって叫んだ。

「マンリウスは生きている。私はエトルリア軍の右翼を壊滅させ、退却兵を追撃していたところだ」。

騎兵と共にマンリウスが姿を現し、兵たちを励ました。聞きなれた二人の執政官の声を聴き、兵士たちは勇気を取り戻した。そして敵は劣勢になった。ファビウスが駆け付けなかったら、ローマ軍の右翼は消滅したかもしれない。

戦闘開始の時点でエトルリア軍の兵数がはるかに上回ており、彼らは予備の部隊をローマ軍の陣地の攻撃に向かわせていた。予備の部隊はわずかな抵抗に会っただけだったので、エトルリア兵は攻略は容易と判断し、略奪のことを考えていた。ローマの留守部隊は抵抗しきれず、使者を送り、執政官に困難な状況を報告した。それから彼らは本部の幕屋に集結し、返事を待たずに戦いを続けた。執政官マンリウスはすぐに馬を走らせ、陣地にやって来ると、すべての門に兵士を配置し、敵兵が陣地から出られないようにした。退路を断たれたエトルリア兵は戦意を失い、恐怖でうろたえた。彼らは出口を探して逃げ回ったが、無駄だった。最後にエトルリアの小さな部隊がマンリウスに襲い掛かった。執政官マンリウスは立派な武器を持っていたので、指揮官だとわかった。執政官の近くにいたローマ兵が数人を打ち払ったが、すべての敵を追い払うことはできなかった。執政官は致命傷を負い、彼のそばにいたローマ兵たちは逃げ去った。エトルリア兵は勇気を取り戻し、ローマ兵は恐怖に襲われ、陣地の端から他の端まで逃げた。最悪の事態になろうとしていた時、マンリウスの親衛隊が急いでマンリウスの体を抱き上げ、門を開きエトルリア兵が外に出れるようにした。エトルリア兵は一斉にこの門から出て行った。その時、主戦場で勝利をもたらした執政官ファビウスが到着し、エトルリア兵を攻撃した。エトルリア兵は敗北し,四方に逃げて行った。ローマ軍は勝利した。しかしローマは二人の著名な指揮官を失い、勝利には悲しみが伴った。元老院は勝利の祝典を決定した。執政官ファビウスは言った。「私は祝典に参加しないが、勝利に貢献した兵士のために祝典を開催してほしい」。

指揮官不在の祝典は異例だった。執政官の兄弟キントゥスが死んだので、ファビウス家は喪に服していた。また国家も執政官マンリウスを失い、喪に服していたので、ファビウスは月桂冠を受け取る気になれなかった。勝利の栄冠は公・私の悲しみによって輝きを失っていた。栄冠を辞退したことで、ファビウスはかえって人々から称賛された。辞退された栄誉は輝きを増すのである。その後ファビウスは同僚執政官マンリウスと自分の兄弟キントゥスの葬式を主催し弔辞を読んだ。勝利の栄誉を、彼は二人に捧げたが、人々は彼を賞賛した。

M....・ファビウスは執政官に就任した時の目標を忘れていなかった。それは平民との和解である。これを推進するため、彼は負傷者の世話を貴族に分担させた。ファビウス家は最も多くの負傷者を引き受け、彼らを手厚く世話した。この時以来ファビウス家は人々から信頼されるようになり、彼らの人気は国家の安全に矛盾しない方法で得られた。

【48章】

その結果翌年の執政官にカエソ・ファビウスが選ばれた時、貴族と平民の両方が歓迎した。もう一人の執政官はティトゥス・ヴェルギニウスだった。貴族と平民の関係が良好になり、カエソ・ファビウスは早急に階級和解を実現しようとして、あらゆる軍事的事業を後回しにした。執政官に就任して間もなく、彼は元老院に提案した。

「護民官が土地法の制定を言い出す前に、元老院が先回りして自分たちの土地法を制定し、戦争の結果得られた土地をできるだけ公平に平民に分配すべきだ。これらの土地は兵士の血と汗によって獲得されたのであり、彼らに分配されるのは当然だ」。

しかし元老たちはこの提案をあざ笑った。数人の元老がカエソを酷評した。

「過度の栄誉が彼を駄目にした。かつて旺盛だった彼の精神は集中力を失い、軟弱になった」。

ローマの階級闘争は収終息した。ラテン人はアエクイ族の侵入によって悩まされていた。執政官カエソ・ファビウスが指揮するローマ軍が派遣された。ローマ軍はアエクイ族を罰するため、アエクイの領土に侵攻した。アエクイ族はそれぞれの町に戻り、城壁に拠って町を防衛した。(アエクイ族はローマの東に住む小部族)

 

 

これ以外に重要な戦争はなかった。しかしもう一人の執政官ヴェルギニウスは性急に行動し、ヴェイイに敗北した。この時カエソ・ファビウスが援軍を率いて駆けつけ、ローマ軍の全滅を防いだ。これ以後ヴェイイと戦争はなかったが、ヴェイイとローマの関係は険悪だった。ヴェイイはならず者のように行動した。ローマの軍隊が来ると、彼らは自分たちの都市に逃げ込み、ローマ軍が去ると再びローマの領土に侵入した。彼らはローマに戦争を仕掛けながら、戦争を避けたので、宙ぶらりんな状態が続いた。こうした中、別の国との戦争が迫っていた。アエクイとヴォルスキは敗戦の記憶が薄れたら再び戦争しようとしていたし、永遠の敵であるサビーニ、そしてエトルリア諸都市が行動を起こそうとしていた。これらの敵に比して、ヴェイイは恐れるほどではなかったが、執拗であり、ローマを苛立たせた。彼らを放置できず、彼らを無視したり、他の敵に注意を向けるのは危険だった。こうした状況で、ファビウス家の人々が元老院にやって来た。執政官カエソ・ファビウスは彼らを代表して述べた。

「皆様がご存じのように、ヴェイイとの戦争は現在彼らに対応している兵数だけで十分です。あなた方は他の敵について考えてください。ヴェイイへの対処は我々ファビウス家に任せてください。我々はヴェイイからローマを守ると約束します。ヴェイイ戦をファビウス家の私的な戦争とみなし、ファビウス家が戦費を負担します、国家は兵士と費用を他の戦争に用いてください」。

元老院はファビウス家に心から感謝し、提案を受け入れる議決をした。執政官は元老院を出て、自宅に向かおうとした。ファビウス家の人々は元老院の入り口で、元老院の決定を待っていた。彼らは執政官を出迎えた。執政官は「翌日武装して彼の家に集まるように」と彼らに指示した。ファビウス家の人々ははそれぞれの家に向かった。

【49章】

元老院の決定ガローマ中に伝わると、ファビウス家の名声は天に届くほどだった。人々は言った。

「国家が担うべき重荷を一つの家族が引き受けた。ヴェイイとの戦争は私的な問題となり、私的な争いになった。もしファビウス家と同じくらい強力な家族が他に二つ存在するなら、そしてそれぞれヴォルスキとアエクイを引き受けるなら、ローマに敵対する国家はすべて征服されるだろう。しかもこの間ローマ市民の多くが従軍せず平和に暮らせるのだ」。

翌日ファビウス家の人々は武装して約束の場所に集まった。執政官カエソ・ファビウスが軍用マントを着て玄関に出ると、一族全員が、隊列を組んで待っていた。執政官は中央に座り、行進を命令した。これまで市内を行進した部隊の中で、彼らは最も人数が少なく、最も名声が高く、最も多くの人から称賛された。彼らは総数306人であり、全員貴族で、同族であり、全員が指揮官にふさわしい人物だった。最後の点については、ローマ軍が最も強かった時代の元老院もこれを認めただろう。ファビウス家の部隊は一族の力でヴェイイを屈服させようと、出発した。ファビウス家の親戚や友人から成る群衆が後について言った。彼らは兵士を送り出す者が抱く希望や不安より気高い心遣いをしていた。何人かは民衆を恐れて自分の愛情と称賛を表現する言葉が見つけられなかったのかもしれない。彼らは叫んだ。

「出陣だ。雄々しい部隊よ。好運であれ。信頼にこたえて勝利を持ち帰れ」。

ファビウス家の部隊が要塞のそばを通り、カピトリーヌ丘のカピトル神殿や他の神殿を通った時、彼らの友人たちは神殿の神や像・建物に向かって祈り、勝利の兆候を出現させるよう願った。また部隊が無事に故郷に帰り、親族に再会できるようにと祈った。しかしこれらの祈りは無駄だった。部隊はカルメンタル門の右側の裏門から出て、不吉な運命に向かって進んだ。彼らはクリメラ(Cremera)川の土手に至った。そこは防御陣地に適しているように思われた。

(訳注:カルメンタル門はカピトリーヌ丘南端の門。クリメラ川はエトルリア地域を南下し、ヴェイイ付近で東に転じてから、テベレ川に合流する。)

 

 

 

L......・アエミリウスとC……・セルヴィリウスが次の執政官になった。ヴェイイ兵の襲撃と略奪に対しては、ファビウス家の部隊だけで十分であり、彼らは陣地を守るだけでなく、ローマとエトルリアの境界地帯を見張り、自軍の安全を確保しながら、敵を威嚇できた。一時的に敵の略奪は停止した。しかしヴェイイはエトルリア各地の軍隊を集めると、ファビウス家の部隊の防御を施された陣地を攻撃した。執政官アエミリウスは正規の軍隊を連れて、救援に向かった。ローマの正規軍とエトルリア連合軍の戦闘が始まった。しかしこの時ヴェイイ軍はまだ戦闘の陣形ができていなかった。多くの兵士は戦列を組み始めていたが、予備の部隊は戦場に着いたばかりだった。その時突然ローマの騎兵隊が横から彼らに襲いかかかった。ヴェイイ軍は戦闘態勢ができておらず、戦えなかった。彼らはサクサ・ルブラ(Saxa Rubra、テベレ川西岸。クリメラとテベレ川の合流点の北)の陣地に逃げ帰り、和平を求めた。ローマは彼らの願いを受け入れたが、ヴェイイ人は心が変わりやすく、ローマ軍がクリメラから撤退する前に、ヴェイイは敗北を認めたことを後悔した。

【50章】

ファビウス家とヴェイイとの戦争は双方が戦争の準備する時間もなく始まった。両者は互いに相手の領土を襲撃し、これを待ち伏せて反撃した。時々両軍は正面から衝突した。そしてファビウス家の306人の部隊が、強大なエトルリア都市であるヴェイイの軍隊にしばしば勝利した。これはヴェイイにとって恥辱だった。そこで彼らは敵に大胆な罠をかけることにし、待ち伏せた。ファビウス家はこれまで勝ち続けているので、罠にかかりやすい、とヴェイイ軍は考えた。彼らは牛の群れを放ち、略奪兵たちの牛が逃げたように見せた。農民は略奪兵が来たと思って、農地から逃げた。略奪兵を討伐するため、ヴェイイ軍が派遣されたが、彼らはファビウス隊を恐れて逃げ出した。これは策略だった。ファビウス部隊はヴェイイ兵が弱いことを知っていたので、いかなる時また場所においても必ず勝てると思っていた。彼らは広い平原の遠くに牛の群れを発見すると、それらの牛を捕まえるために、陣地を出て走り出した。少数の敵の姿が見えたが、ファビウス家の兵は彼らを危険な存在と思わず、隊列を組まずに、牛のほうに向かって走り続けた。道路の両側にヴェイイ兵が隠れていたが、ファビウス愛はこれに気づかず通り過ぎ、ばらばらになって牛を追いかけた。牛は怯えてあちこちに逃げ回った。その時ヴェイイ兵が姿を現し、四方からファビウス兵を攻撃した。周囲で叫び声が上がり、ファビウス兵が驚く間もなく、槍が四方から降ってきた。続いてエトルリア兵の大群が押し寄せてきた。ファビウス隊の四角形の陣形は次第に縮小した。包囲の輪がせばまるにつれ、エトルリア軍は厚みを増した。両軍の数の差がますます際立った。やがてファビウス部隊は、現在の陣形で戦うのは無理だと判断し、くさび形の陣形で包囲を突破することにした。筋力を最大限に使い剣を振るい、彼らは敵を押しのけ、徐々に道を開いていった。ゆるやかな坂を登り、彼らは丘の上で停止した。そこは見晴らしがよく、彼らは圧迫感と絶望から解放され、追いかけてきた敵を撃退した。有利な地形のおかげで、小さな部隊は勝利に向かっていた。その時丘の反対側からヴェイイ兵が現れた。彼らは丘を回り込んだのである。再びヴェイイ軍が有利になり、ファビウス家の兵士は最後の一人まで倒され、ヴェイイ兵は丘を占領した。この時ファビウス家の306人が死んだ、とすべての説が一致して述べている。ファビウス家は全ての男性を失い、女性だけとなったが、戦争に参加しなかった少年が一人いて、彼が名門ファビウス家を受け継ぎ、家系を存続させるだろう。国内問題と対外戦争の両面でローマが危機に陥った時、彼の家族が再びローマを救世うだろう。

 

【51章】

ファビウス家の部隊が全滅した時、執政官はC......・ホラティウスとT.....・・メネニウスだった。すぐに、メネニウスの指揮するローマ軍が派遣された。エトルリア軍はもう一つの勝利に沸いていた。かれらはヤニクルムの丘を占領したからである。(ヤニクルムの丘はアヴェンティーヌの丘の対岸)

 

エトルリア軍がテベレ川を渡って来たので、ローマは食糧不足に陥ってので、降服したかもしれなかった。しかしこの時までヴォルスキと戦っていた執政官ホラティウスの部隊が呼び戻された。エトルリア軍はローマの城壁の近くまで迫ってきて、スぺス(Spes)神殿の近くで最初の戦闘になったが、決着はつかなかった。しかしコリナ門(ローマの北端)が第二の戦場になると、ローマ軍がやや優勢となり、彼らは昔の勇気を取り戻し、次の戦闘に向けて積極的に準備した。

翌年の執政官は.A......・ヴェルギニウスとSp... ...・セルヴィリウスだった。コリナ門の戦闘で敗れたヴェイイ軍はその後戦いを避けた。そのかわり彼らは略奪をした。ヤニクルムの丘や要塞を拠点として、彼らはあらゆる方角に向かい、ローマ領内を荒らした。家畜や農民は危険にさらされた。彼らはファビウス隊と同じ運命になった。牛の群れが故意に追い立てられ、それぞれの群れが異なる方向に移動した。これは囮(おとり)作戦だった。農民が牛を追いかけると、待ち伏せていたヴェイイ兵に襲われた。少数の農民の犠牲ですむこともあったが、一度に多くの農民が犠牲になることもあった。

前回の戦争の敗北はヴェイイ兵を怒らせ、このことが前回より大きな戦争の原因となった。ヴェイイ兵はセルヴィリウスの部隊の陣地を攻撃したが、多くの死傷者を出した末に撃退され、やっとのことでヤニクルムの丘に逃げ帰った。執政官セルヴィリウスはテベレ川を渡り、ヤニクルムの丘のふもとに布陣した。前回の戦争で勝利したセルヴィリウスは自信を持っているだけでなく、食糧不足を解決したかったので、早急に敵を打ち負かそうと決心した。彼は夜明けに丘の上の敵陣に向かって軍を進めた。しかしヴェイイ軍の反撃により、ローマ軍は撃退された。これは前日の勝利を打ち消して余りある敗北だった。同僚の執政官が率いる部隊が救援に駆けつけ、やっとのことで、セルヴィリウスと彼の部隊は窮地を脱した。ヴェイイ軍はローマの二つの部隊に挟撃され、逃げることができず、全滅した。セルヴィリウスの速攻は結果的に成功し、ヴェイイとの戦争は突然終了した。

 

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