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護民官と民会が無実の人間を有罪に

2021-12-03 23:18:55 | 世界史

==《リヴィウスのローマ史第巻》=

Titus Livius   History of Rome

    Benjamin Oliver Foster

【22章】

執政官に選ばれたのは、ファビウス・ヴィブラヌス とコルネリウス・マルギネンシスだった。ファビウスは過去に二度執政官を経験していた。この年人口調査がおこなわれたが、人口調査に関連した儀式は宗教的な理由で省略された。この儀式は全住民の不幸・不運を追い払うものであるが、カピトールの丘が占領され、執政官が戦死するという忌まわしい出来事があったので省略された。二人が執政官に就任して間もなく、事態が悪化した。護民官が平民を扇動し始めたのである。続いてラテン人とヘルニキ族が報告してきた。「ヴォルスキ族とアエクイ族が大掛かりな戦争を始めた」。

ヴォルスキの軍隊は既にアンティウムティレニア海沿岸の都市)にいるという。またアンティウムのローマ人植民者に反乱の動きがあると報告された。

 

護民官はしぶしぶ戦争の準備を優先させ、法律制定を後回しにすることを認めた。二人の執政官はそれぞれの受け持ちを決めた。ファビウスはアンティウムに軍をすすめ、コルネリウスはローマを守り、襲来する敵を撃退することになった。アエクイ兵はローマの郊外を略奪すると予想された。ローマは条約に基づきラテン人とヘルニキ族に部隊を派遣するよう命令した。同盟国の兵は決められた日に到着した。軍隊の三分の二はこれらの同盟国の兵士であり、残り三分の一がローマ兵だった。

執政官ファビウスの部隊はカペナ門の外に移動し、悪運を追い払う儀式をおこなってから、アンティウムに向かった。

(カペナ門は南東の門)

 

ファビウスの部隊はアンティウムの近くまで来て、停止した。アンティウムの近くに、敵の常設の陣地があった。ヴォルスキ軍はアエクイ軍の到着を 待っており、戦闘に備え陣地の守りを強化していた。翌日ファビウスはヴォルスキ軍を包囲した。ローマの同盟国のヘルニキ族とラテン人の部隊は独立した部隊だったので、ファビウスが直接指揮したのはローマ人の部隊だけだった。ローマ人の部隊は中央に配置されていた。ファビウスは自分が発する合図を見逃さないようにと命令した。「合図に従い一斉に攻撃し、そして後退の合図が出たらすぐにに後退せよ」。

騎兵はそれぞれの部隊の背後に配置された。ローマと二つの同盟軍から成る部隊は三方向からヴォルスキの陣地を攻撃した。ヴォルスキ兵は異なる方向からの同時攻撃に対応できず、陣地の胸壁を守り切れなかった。ファビウスの三部隊は陣地に突入し、混乱した群衆と化した敵兵を襲った。ヴォルスキ兵は我先にと陣地から逃げ出した。ファビウスの騎兵は胸壁を乗り越えられず、戦闘を見物するだけだったが、散り散りに平原を逃げていく敵兵を追いかけ、片っ端からなぎ倒した。こうして騎兵は勝利に貢献した。陣地においても、平原においても多くのヴォルスキ兵が死んだ。ファビウスの連合軍は輝かしい勝利をあげただけでなく、大量の戦利品を獲得した。敵兵は逃げるのに精いっぱいで、すべてを置いていった。彼らは武器さえ捨てて逃げた。

 

【23章】

アンティウムでこうしたことが起きている間、アエクイ族の精鋭部隊が夜陰に紛れトゥスクルム(アルバ湖の北)の要塞を急し、占領した。残りの部隊は、敵の注意を引き付ける目的で、城壁の手前で停止していた。トゥスクルムの要塞占領の情報はただちにローマに伝えられ、ローマからファビウスの陣地に伝えられた。ファビウス配下の兵士たちにとって、この話はローマのカピトールの丘が占領された時と同等の大事件だった。つい最近カピトールの丘は同じやり方で占領され、その時トゥスクルム軍がローマの救援に駆け付けた。今度はローマがトゥスクルムを助ける番だった。ファビウスはまずヴォルスキから獲得した戦利品をアンティウム市内に運び、一部の兵を保管のために残し、残りの兵を連れてトウスクルムへ向かった。兵士たちは全速力で走るよう命令された。彼らは武器と焼いたパン以外の物を置いていけと言われた。トゥスクルムの戦いは数か月続いた。コルネリウスは食糧をローマから運ばせた。ファビウスは部隊の一部を率いてアエクイの陣地を攻撃した。残りの部隊はトゥスクルムの部隊に合流し、要塞を奪還することになった。要塞は直接攻撃しても効果がなかった。しかし敵は食料が尽きて要塞から出てきた。敵の兵士たちは飢餓の苦しみから逃れるため降伏を受け入れた。彼らは武器と衣服を奪われ、軛(くびき)につながれた。このように惨めな状態で、彼らは故郷に帰った。一方アルギドゥスの丘の陣地を攻撃していたコルネリウスは敵を敗走させ、一人残らず倒した。(アルギドゥスの丘はトゥスクルムの南の丘。アルバ湖を取り囲む丘の一つで、湖の東端にある)。

戦争に勝利すると、コルネリウスは部隊をコルーメンと呼ばれる場所に連れて行き、そこに陣地を設営した。敵は敗れたので、ローマの城壁は安全になった。それで、もう一人の執政官も部隊を場外に連れ出した。二人の執政官は異なる道を通ってヴォルスキとアエクイの領土に侵入した。敵の土地を徹底的に略奪するにあたって、二人の執政官は互いに競い合った。以上述べたことに関連して、信頼できる著者の多くが次のように書いている。

「アンティウムは反乱したが、執政官コルネリウスが戦争を指揮し、町を奪還した」。

しかし昔の著者は「アンティウムが反乱した」とは書いていない。

 

【24章】

戦争が終結すると、護民官が国内で争いを始めたので、貴族階級は不安になった。護民官は次のように主張した。

「ありもしない戦争のために、兵士たちが国外に連れ出された。彼らの目的は平民のための法律制定を妨害することである。彼らは始めた仕事を最後までやるだろう」。

しかし市政長官ルクレティウスは護民官たちの活動を執政官の帰国まで中断させることに成功した。同時に新たに難しい問題が発生した。反逆罪審理官であるコルネリウス(執政官と別人)とセルヴィリウスが過去の判決をむしかえした。二人はカエソを告訴したヴォルスキウスの証言は完全な嘘だったと述べて、彼を告訴した。多くの人の証言から、以下のことが判明した。

「ヴォルスキウスの兄弟は最初に病気になってからずっと寝たきりで、一度も外出したことがなかった。彼が死んだのは数か月続いた病気の結果だった。カエソが彼に暴力をふるったとされる日に、カエソはローマにいなかかった。またカエソの部下の兵士たちの証言によれば、その日カエソは部隊にいて、外出しなかった。また、多くの人がヴォルスキウスにカエソを訴えるよう求めたが、ヴォルスキウスは応じなかった」。

多くの証言が一つの事実を語っている。ヴォルスキウスが虚偽の証言をしたのであり、カエソは無罪である。ヴォルスキウスは偽証罪により罰せられるべきある。しかし護民官はこの問題を後回しにするよう画策した。何よりも先に法案の審議をすべきであると主張し、彼らは反逆罪審理官に対しヴォルスキウスの裁判を後回しにするよう命令した。こうして二つの問題は執政管が帰るまで延期された。勝利した軍隊が誇らしげにローマに入場し、先頭を二人の執政官が堂々と行進すると、誰も護民官提案の法律を話題にしなかった。護民官は脅迫されているらしい、と多くの人は思った。しかしそうではなく、年末になっていたので、翌年の護民官の選挙が近づいており、護民官たちは四度度目の当選を果たす努力をしていただけだった。彼らは法律制定の仕事を中止し、選挙民の支持を集めるために駆けずり回っていた。護民官が提案する法律が成立すれば、執政官の権力が奪われるので、執政官は護民官の再選に強く反対していたが、護民官は優勢だった。

このような時、アエクイ族がローマに和平を求めてきた。ローマは和平を受け入れた。前年に始められた人口調査が完了した。全市民の幸福を願い、厄払いの儀式がおこなわれた。この宗教的な儀式は建国以来四回しか開催されておらず、今回が五目だった。(犠牲をささげる祭壇には扉があり、この扉は厄払いの時だけ開けられた)。

ローマの人口は17319だった。この年の執政官は戦争においても、国内統治においても高い評価を得た。二人は戦争に勝利し、平和をもたらした。国内の対立は続いていたが、深刻な事態に発展しなかった。

 

【25章】

新しい執政官はミヌキウスとナウティウスに決まった。二人は前年から持ち越された問題に対処しなければならなかった。これまでそうだったように、執政官は平民のための法律を妨害した。一方で護民官はヴォルスキウスに対する訴訟を妨害しようとしたが、新任の二人の反逆罪審理官はどちらも大物であり、裁判を積極的に推進した。反逆罪審理官に就任したのはクィンクティウスとヴァレリウスだった。クィンクティウスは過去に三回執政官に就任していた。ヴァレリウスは有名なヴァレリウスの息子であり、祖父はヴォレススだった。

カエソはクィンクティウス家に帰ることができず、同家の他の偉大な兵士たちも祖国に戻れない状態だったので、彼らを祖国に帰すtめに、クィンクティウスは裁判に没頭した。偽証によりカエソを有罪にした人物は、無実の人間に弁護する権利さえ認めなかった。一族への忠誠心からクィンクティウスは、偽証した人物を訴訟した。

護民官たちは法律の制定に向けて人々を扇動していたが、中でもヴェルギニウスが最も熱心だった。この間、執政官たちは二か月かけて法案を検査した。この法律には隠された目的があり、法案を提出した者がいかにずる賢いかを人々に示すことができれば、採決の際に多くの市民が反対するだろう。この二か月間、市内は静かだった。しかしアエクイが平和を破った。昨年ローマと結んだ平和条約に違反し、彼らはラビクム(Lbicum,トゥスクルムの北の土地を略奪し、続いてトゥスクルムに侵入した。アエクイ兵を率いていたのはグラックス・クロエリウスだった。彼は当時最も優秀なアエクイ人だった。彼らは大量の略奪品を獲得すると、アルギドゥス山(アルバ湖の周囲は丘となっており、アルギドゥス山は東端の丘)に陣地を設営した。ローマは三人の使者を派遣し、アルバ軍の将軍クロエリウスに条約違反を責めた。使者に選ばれたのはファビウス、ヴォルムニウス、ポストゥミウスだった。将軍の本営は大きな樫の木の下にあった。将軍は使節たちに言った。「私は今忙しいので、元老院からの手紙は木の下に置いて行ってくれ」。

ローマの使節の一人が別れ際に言った。「この聖なる樫の木と侮辱された神々が見ておられる。アエクイの将軍は条約を破ったことを。神々はローマを助けるだろう。神々と人間に対する不正を罰するため、我々が武器を取るとき、神々はローマ軍を応援するだろう」。

使節がローマに戻って来ると、元老院は執政官の一人に命じた。「軍を率いてアルギドゥス山に向かい、グラックスと戦え」。

もう一人の執政官はアエクイの土地を略奪することになった。毎度のように護民官は徴兵を妨害し始めた。もし新たな脅威が発生しなかったら、護民官は目的を達成したかもしれない。

 

【26章】

大勢のサビーニ兵がローマの郊外を略奪してから、城壁の近くまで押し寄せた。農地がすっかり荒らされたので、市民は不安になった。平民は喜んで武器を取った。護民官は平民の武装に反対したが無駄だった。二つの大部隊が編制された。ナウティウスが一つの部隊を率いた。彼はサビーニの土地に向かった。彼は陣地を設営し、塹壕を張り巡らしてから、いくつもの小さなグループを派遣し、サビーニの土地を略奪させた。多くの場合これらの小隊は夜派遣された。略奪の規模は大きく、これとくらべれば、サビーニ兵よるローマ郊外の略奪は取るに足らないものだった。一方で、もう一人の執政官ミヌキウスは敗北したわけではなかったが、好運ではなかった。ローマ兵が勇気を欠いていたので、敵は大胆になり、ローマ軍の陣地に夜襲をかけた。しかし成果がなかったので、翌日彼らは再び攻撃した。ローマ軍の陣地は包囲されていたので、全ての出口が封鎖される前に、五人の騎兵が敵の目の前をすり抜けて、ローマに向かった。彼らはローマ軍が包囲されていることを報告した。予期しない知らせを受けて、ローマの人々は驚いた陣地ではなく、首都が包囲されたかのように、人々は衝撃を受け、うろたえた。執政官ナウティウスはローマに呼び戻された。ナウティウスは危機にふさわしい行動ができそうもないと判断された。そこで、新たに独裁官を任命し、危機的な状況を打開することになった。全員一致でクィンクティウス・キンキナトゥスが独裁官に選ばれた。富を唯一の価値とし、それ以外の人間の営みを軽蔑する人々にとって、また裕福な階級にしか名誉も徳も存在しないと考える人々にとって、以下の話は聞く価値がある。ローがすべての希望を託したクィンクティウスはテベレ川の対岸に住み、四エーカー(1エーカー=約4000平方メートル)の土地を耕していた。彼の土地は造船所と倉庫の向かいにあり、「クィンクティウスの牧草地」と呼ばれていた。元老院の代理人たちがクィンクティウスを訪ねて行った時、彼は溝を掘るか、土地を耕すかしていた。これについて、すべての著者が書いている。「クィンクティウスはいつものように農作業をしていた」。

あいさつをした後、代理人たちは彼にトーガ(裾まである衣服)を着て元老院から任命を受けるように、と彼に言った。「これはあなたにとっても、国家にとってもよい結果になると希望しています」。

彼は驚いて「そういうことなら、任命をお受けします」と言うと、妻ラキリアに向かって言った。「すぐに、小屋からトーガ(長衣)を持ってきてれ」。彼は体のほこりと汗をぬぐい、トーガを着ると、代理人たちのところに戻ってきた。代理人たちはクィンクティウスに独裁官就任の祝い述べ、彼を案内してローマに向かった。代理人たちはローマ軍が置かれている深刻な状況を彼に説明した。政府はテベレ川を渡る舟を用意していた。対岸に着くと三人の息子がクィンクティウスを迎えた。親戚や友人たちに加えて、大部分の元老も彼を出迎えた。護衛兵に先導されて、クィンクティウスは彼の家に向かった。彼を出迎えた一団が後に従った。大勢の平民が集ってきた。彼らはクィンクティウスを嫌っていた。

クィンクティウスに与えられた権力が大きすぎる。そして何より、彼自身が危険だ」と平民は感じていた。

その夜は首都を警備する以外、何もなされなかった。

 

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