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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

4巻7章

2022-10-07 03:12:41 | 世界史

【7章】

執政官に相当する地位が創設されたのは、平民も執政官になりたかったからである。数人の著者は執政副司令官が創設された経緯について別の説明をしている。「執政官の権威と記章を有する副司令官という地位が生まれたのは当時の執政官が無能だったからだ」と断言してから、当時の困難な状況を付け加えている。「国内が混乱している時にヴェイイとアエクイ、ヴォルスキの三国がローマに戦争を挑み、おまけにアルデアが同盟から離脱した。執政官はこうした困難な状況に対処する能力がなかった」。

(日本訳注:アルデアはティレニア海沿岸にあり、原住民ルトゥリ人の首都)

ローマの建国から310年後の紀元前444年に、執政官の権限を有する副司令官が統治を開始した。最初の執政副司令官はアウルス・センプロニウス・アトラティヌス、L・アティリウス、T・カエキリウスだった。彼らが統治を始めてしばらくは、二つの身分に調和が生まれ、対外関係も平和だった。

国内は安定していたものの、執政官相当の高官の地位はまだ固まっていなかった。就任から三か月後、選挙の不正が発覚し、占い師たちの決定により、執政副司令官は全員辞任した。選挙を管理した C・クルティウスは厳正中立な立場で仕事をしなかった。

ちょうどこの時アルデアの大使がローマに来て、侵略を受けたと訴えた。「もしローマが領土の返却を約束するなら、ローマとの条約を守り、友好国であり続けるだろう」。

元老院は次のように答えた。「元老院は国民が決定したことをくつ返すことはできない。そのような前例も法律もない。二つの身分の調和を破壊しかねないので、そのようなことはできない.。しかしアルデアの人々が待つことができるなら、領土問題の解決を我々に任せてほしい。我々を信頼すれば、必ず良い結果が得られるでしょう。アルデアに対し、いかなる不正もあってはならない、と我々は考えており、領土問題はできるだけ早く解決するつもりです」。

アルデアの大使たちは「この件について再び相談に参ります」と述べ、丁重に別れを告げて帰っていった。

ローマの最高官が不在になったので、貴族が集まり、一時的な最高官を任命することにした。次の最高官を執政官にするか、執政副司令官にするかについて意見が分かれたので、一時的な最高官は數日間間在任することになった。暫定的な最高官と元老院は執政官の選挙をしようと試みた。これに対し平民と護民官は執政副司令官の選挙を要求した。

結局元老院が勝利した。平民は執政副司令官の選挙になったとしても貴族に投票するつもりだったので、無益な争いをやめた。しかし護民官はあくまで執政副司令官の選挙を主張した。護民官も貴族が当選すると予想していたが、平民の立候補さえ禁止されている執政官の選挙よりましだと彼らは考えた。しかし最後に護民官も無益な争いをやめ、元老院に敬意を払った。

暫定最高官T・クインクティウス・バルバトぅスはルキウス・パピリリウス・ムギラヌスとセンプロニウス・アトゥラティヌスを執政官に選んだ。二人の任期中にアルデアとの友好条約が更新された。アルデアとの条約更新とその時の執政官の名前が伝えられていることから、この時期の最高官が執政官だったとされている。しかし昔の年代記に二人の名前はなく、歴代高官の公式なリストにも二人の名前はない。矛盾の原因は、年の初めに最高官になった者の名前だけが記録され、途中から最高官になった者の名前は省略されているいるからだろう。リキニウス・マケルによれば、執政副司令官に代わり執政官になった二人の名前はアルデアとの条約の写しに書かれているだけでなく、リネンの巻物にも記載されていたという。

(日本語訳注)リネン(亜麻布)の巻物はローマの役人が書き記した書物で、数巻からなっていた。これらの巻物には歴代高官の名前や主要な出来事が記録されていた。書かれたのは比紀元前3世紀前半である。リネンの巻物に言及しているリキニウス・マケルは紀元前73年の護民官である。リヴィウスが最初に述べた「昔の年代記や歴代高官の名前の公式な記録」はかなり古く、内容は簡潔である。これに対し、リネンの巻物は新しく編纂された公式の記録であり、情報が増えている。(日本訳注終了)

近隣の諸国で不穏な動きの兆候が多数見られたものの、執政官の治世は国内も対外関係も安定していた。この年の最高官は最初執政服司令官だったが、途中で執政官に代わったようである。しかしよくわからない点もある。翌年の最高官は間違いなく執政官だった。

【8章】

翌年の執政官はゲガニウス・マケリヌスと T・クインクティウス・カピトリヌスだった。この年新しく査察官が任命された。その地位は最初目立たなかったが、のちに重要な役割を持つようになり、市民と元老および騎士階級の道徳と行動を統制した。また査察官は名誉を与えたり、奪ったりする権力を持ち、公共の場所と私有地そして人々の収入に対し法的な権利を有し、ローマ市民を完全に支配した。

査察官が誕生した理由は単純だった。長年人口調査がなかったので、早急に人口調査をする必要があったが、執政官は複数の戦争に直面して、他の仕事をする余裕がなかった。人口調査は面倒で、労力を必要とするので、執政官の仕事にふさわしくなく、他の人物に任せるべきだ、と元老院で提案された。専門の行政官が登録と住民票および調査日の記録を保管する必要があると考えられた。また行政官は住民の所有する土地とそれ以外の財産を査定しなければならなかった。これは非常に重要な仕事であり、貴族の高官が増えることになるので、元老院は喜んでこれを承認した。しかし一方で元老たちは監察官の権限について懸念していたようであり、彼らの心配は現実となった。監察官になった人々は大きな影響力を持つようになり、彼らの権限と威厳が増した。護民官も査察官の必要性を認め、その危険性を過小評価した。また護民官は些細な事で厄介な問題を引き起こす存在と見られたくなかったこともあり、査察官の創設に反対しなかった。国家の重要人物が査察官への就任を辞退したので、市民による選挙となり、執政官だった時評判が悪かったパピリウスとセンプロニウスが監察官に選ばれた。二人は不完全だった執政官時代の評判をばん回する機会を得た。二人は、これまで執政官の仕事の一部だったものを引き継ぎ、最初の査察官になった。

【9章】

この時アルデアの大使がローマに来た。彼らは古くからの同盟関係と最近更新された条約に基づき、援助を求めた。彼らの都市が破壊され、再建が急務だった。大使は次のように述べた。

「ローマとの条約は平和を維持するための健全な政策でしたが、我が国の国内がもめたため、我々は平和を享受できませんでした。国内対立の原因は党派闘争と言われています。外国との戦争や飢饉・疫病など、神々の怒りの結果である最悪の災難は国家にとって耐えがたいものです。我々の国内紛争はそれ以上の災難だったし、今後もそうでしょう。二人の若者が平民の娘に恋心を抱き、対立しました。娘は美しいので評判だったからです。若者の一人は平民であり、娘の保護者に励まされました。もう一人の若者は仲間の貴族に応援されました。二人の若者の対立は娘の家族に影響し、家族が分裂してしまったのです。母は娘ができるだけ裕福な相手と結婚することを願い、貴族の若者を選んだ。しかし娘の保護者達はこのようなことにまで党派闘争を持ち込み、平民の若者を応援した。娘の結婚問題は家の壁の中におさまらず、裁判に持ち込まれました。裁判を担当した高官はそれぞれの言い分を聞いてから、娘の母の希望に従うべきである、と判決した。しかし判決に不服として、暴力事件が起きた。娘の保護者達は中央広場で多くの仲間に、判決は間違っていると訴えた。その後彼らは男たちを引き連れて、娘を家から連れ出した。この時勇ましい様子の貴族の集団が彼らの前に現れた。彼らは娘の保護者の暴挙に激怒した若者を応援するために集まったのだった。激しい乱闘となり、平民グループが完敗した。アルデアの平民の戦い方はローマの平民の戦い方と違っている。乱闘で敗北した平民は完全に武装して行進し、町を出て丘に登った。ここまではローマの平民と似ているが、アルデアの平民はここからが違う。彼らは貴族の土地を襲撃し、火を放ち、剣を振り回し、土地は荒廃した。略奪の機会を見て、平民の戦闘的な連中が群れを成して襲撃に参加した。彼らは町を包囲する準備をした。市内の住民は戦争の恐怖におびえた。娘と結婚するためなら町を廃墟にしてもよいという狂気が平民の男性全員に感染したようだった。貴族の側も黙っていず、両者は戦闘員の増加が必要だと感じた。我々貴族はローマの応援を得て、包囲された町を救うことにしました。一方平民はヴォルスキをアルデアの攻撃に誘いました。ヴォルスキの指導者はアエクイに勝利したクルイリウスです。ヴォルスキの軍隊がアルデアに来て、町の城壁の周囲に線を引きました」。

大使の報告を聞くと、ローマは軍隊の派遣を決定し、執政官M・ゲガニウスは軍を率いてアルデアに向かった。ローマ軍はアルデアの5km手前に陣を敷いた。日が暮れようとしていたので、執政官は兵士を休ませた。翌朝4時に彼は兵を動かした。ローマ軍の動きが迅速で的確だったので、夜が明けるとヴォルスキ兵は自分たちが包囲されているのに気付いた。アルデアを包囲していたヴォルスキ軍より、ローマ軍の人数のほうが多かった。執政官は城壁の一か所を安全にを上り下りできるようにして、城内のアルデア人が出入りできるようにした。

【10章】

この時点でヴォルスキ軍は予備の食を持なかった。周囲の農地からトウモロコシを必要なだけ取ってくればよかったので、予備の食糧は必要なかった。しかし彼らは突然ローマ軍に包囲され、食料を得る手段を失った。ヴォルスキ軍の指揮官はローマ軍の執政官を交渉に誘い、次のように述べた。「ローマ軍の目的がアルデアの包囲を解くことなら、我々は自ら包囲を解く」。

これに対し、執政官は答えた。「敗者は勝者の出す条件に従わなければならない。敗者は条件を出す立場にない。ヴォルスキはローマの同盟国を勝手に荒らしまわった。自由に立ち去ることはできない。ヴォルスキ軍は武器を捨て、指揮官を引き渡し、敗北を受け入れたヴォルスキ兵はローマの執政官の命令に従わなければならない。それが嫌なら、ここに留まるなり、去るなりするがよい。諸君は敵であるから、我々は容赦なく戦う。我々は偽りの平和ではなく真の勝利をローマに持ち帰る」。

ヴォルスキ軍の指揮官は戦わず敗北を受け入れるつもりはなく、勝つ見込みの低い戦いを選んだ。戦うにしても、包囲されているヴォルスキ軍は不利であり、逃げるなら、さらに悪い結果になると思われた。彼らは四方から攻撃されて兵士を失い、許しを願った。しかし執政官は受け付けなかった。ヴォルスキ軍は指揮官を引き渡し、武器を捨て、くびきを付けられた。ヴォルスキ兵は多くの仲間を失い、不名誉な敗北を受け入れた。彼らは防具を捨て衣服だけで故郷に向かい、トゥスクルムの近くまで来ると一時休止した。すると彼らは突然トゥスクルムの市民に襲撃された。以前ヴォルスキ兵はトゥスクルムの郊外をたびたび略奪し、一度は町を占領したので、トゥスクルムの市民はヴォルスキ兵を恨んでいた。彼らにとって復讐のよい機会だった。ヴォルスキ兵は抵抗する手段がなかったので、大部分が死んだ。故郷に帰り悲惨な結末を知らせる兵もいかった。

執政官はアルデアの市内に入り、反乱の首謀者たちを斬首し、彼らの財産を没収し、アルデアの国庫に納めた。以前ローマはアルデアの領土の一部をローマ領としたことがあり、後に撤回されたものの、アルデアのローマに対する信頼は揺らいでいた。しかし今回のローマの行動により、アルデアの信頼は回復した。それでも元老院はローマの欲張りな決定を完全に消し去りたいと考えた。翌年の執政官がこの課題に取り組むことになった。

もう一人の執政官クインクティウスは軍事的な成功を収めた同僚に匹敵する、困難な任務を達成した。彼は国内の平和と身分間の調和を心がけ、最高の身分の者と最低の身分の者を平等に裁いたので、元老院は彼を厳格な執政官とみなし、平民は彼を温情のある執政官と考えた。彼は護民官と抗争せずに、精神的な威厳によって執政官の地位を守った。彼は執政官に5回就任し、一貫した姿勢で任務を果たし、全人生を執政官にふさわしい生き方をした。彼が執政官を複何度も経験したからではなく、彼の人柄が人々の尊敬を集めた。

クインクティウスとゲガニウスが執政官だった年は執政副司令官を待望する声はなかった。

【11章】

翌年の執政官はマルクス・ファビウス・ヴィブラヌスとポストゥミウス・アエブティウス・コルニキネンだった。前の年は破滅の危機にあるアルデアをローマが救援したことで記念すべき年だった。近隣諸国は、敵国でさえもローマを高く評価した。この年の執政官は内政においても対外戦争においても傑出した傑出していた。新しい執政官は前任者を強く意識しており、ローマの悪評高い決定を人々の記憶から消し去ろうと努めた。アルデアは内乱のため、人口が大きく減少し、ヴォルスキに対する防衛力が危ぶまれた。それで執政官は植民団を送ることにし、元老院に勅令を求めた。平民と護民官が執政官の意図を誤解しないよう、勅令の表現が工夫された。執政官と元老院は植民者の大部分をルトゥリ人(ラテン地域南部の原住民)にすることを内々に決めていた。評判の悪い決定によりローマ領とされた地域に、これらの入植者を移住させ、すべてのルトゥリ人に土地が分配されるまで、ローマ人は猫のひたいほどの土地も得られないようにする計画だった。もともとこの計画はアルデアに土地を返還することを目的としていた。

植民の監督官として、アグリッパ・メネニウス、T・クルイリウス・シクルス、Ⅿ・アエブティウス・ヘルバの三人が任名されたが、彼らは著しく評判が悪かった。かつてローマ領とされた地域に、ルトゥリ人が土地を与えられたので、ローマの平民は怒った。指導的な貴族たちは監督官の影響下に入るのが嫌だったので、土地を受け取らなかった。護民官は監督官を批判したが、怒れる平民と歩調を合わせるのを避け、罷免を求める手続きには踏み込まなかった。彼らは植民に応募し、土地を得た。かつて彼らがローマ領と宣言した、記念すべき地域に、彼らは定住した。

【12章】

前年同様、次の年も平和だった。この年の執政官はC・フリウス・パキルスと M・パピリウス・クラッススだった。神聖な祝祭として競技会が催された。平民が退去した際に元老院が競技会の主催を決定し、10人委員が実行を約束したのであるが、その後混乱が続き、ようやくこの年に実現したのである。

 ポエティリウスが領土の分割を再び主張し、護民官に選ばれた。彼は反乱を企てたが、実現しなかった。また彼は領土分割の問題を元老院に持ち込むよう執政官に要求したが、無駄だった。翌年は執政官にするか、それとも執政副司令官にするか、元老院で協議すべきだと主張して大いにもめた結果、彼の要求が認められた。元老院はこの問題について話し合い、翌年は執政官と決めた。ポエティリウスは徴兵を妨害すると言って脅したが、近隣諸国に戦争の動きがなく、ローマは戦争に備える必要がなかったので、彼の脅しは笑われた。平和だった年が終わり、プロクヌス・ゲガニウス・マケリヌスとルキウス・メネニウス・ラナトゥスが次の年の執政官になった。この年は異常な年であり、災難、危機、反乱、飢饉が繰り返し起きた。平民は買収され、専制的な支配者の奴隷となる危険を冒した。外国との戦争がないことが幸いだった。もし戦争によって現在の混乱がさらに深まったたら、神々の助けがあっても、ローマは立ち行かなかっただろう。この年の不幸の最初は飢饉だった。気候不順が原因かもしれないが、耕作者が政治的な集会や都市の生活の魅力に誘惑されて、耕作を放棄したためかもしれない。両方が原因だとされている。元老院は平民の怠惰を批判し、護民官は執政官が正直でないとか、職務怠慢だとか言った。護民官は平民をそそのかし、穀物市場の監督官に L・ミヌキウスを任命するよう求め、元老院の承認を得ることに成功した。ミヌキウスは最初本来の任務より、市民の自由の擁護において成功した。最後に彼は穀物市場の調整を通じて、穀物不足を解消し、市民から感謝され、名声を得た。ミヌキウスは多数の代理人を海路と陸路で周辺諸国へ派遣し、穀物の買い付けに成功した。唯一の例外はエトルリアであり、彼らはわずかな量しかローマに輸出せず、市場に何の影響も与えなかった。エトルリアの穀物業者は一か月分の穀物を備蓄し、残りだけをローマ政府に売った。

ミヌキウスは奴隷の食糧を半分に減らし、穀物商人を抑えつけ悪評を買い、市民に厳格な態度を取り、審問官のようなやり方をした。彼は庶民の不幸を緩和せず、かえって増大させた。多くの平民は希望を失い、惨めな生活に耐えられず、頭を覆ってテベレ川に飛び込んだ。

【13章】

その時スプリウス・マエリウスが有益な救済事業に参加したが、彼は不純な動機を持っており、彼の行為は悪い先例となった。マエリウスは騎士階級に属し、当時最も裕福な市民だった。彼は手下と外国の友人を使って、エトルリアで穀物を購入し、それらを無料で配布した。彼の行為は穀物の値段を下げようとするローマ政府の努力を妨害するように思われたが、マエリウスの寛大な行為は平民の心をつかみ、彼はどこへ行っても神のように崇められ、異常に大きな影響力を持つようになり、彼の周りに多くの平民が集まった。このような人気の中にあって、彼は執政官になることも夢ではないと思うようになった。しかし人間の心は幸運の兆しだけで満足しない。彼は実現不可能な遠大な目的を持つようになった。執政官になろうとすれば、貴族が猛反対するに違いないので、これを打破するには国王になるしかない、と彼は考えた。偉大な目的の実現方法をあれこれ考えたあげく、大きな報酬を得るには、大胆な行動が必要だと気付いた。執政官の選挙が迫っていたのに、彼の計画は完成しておらず、計画は失敗する運命にあった。革命を企てる者にとって障害となる人物、T・クインクティウス・カピトリヌスが執政官になった。彼が執政官になるのは六度目だった。もう一人の執政官はアグリッパ・メネニウスだった。彼はラナトゥス(羊のような人)と呼ばれていた。ルキウス・ミヌキウスは年が変わっても、穀物市場の監督官だった。再任されたのか、もともと穀物不足が解消される迄という任期だったのか、わからない。「リネン(亜麻の布)の巻物(文書)」にはこの二年間の執政官の名前と並び、穀物市場の監督官の名前が記されており、ミヌキウスがどちらの年も監督官だったことがわかるが、それ以外のことは書かれていない。

平民は穀物市場の監督官と無料で穀物を配ったマエリウスの両方に会いに行った。そのため、監督官は平民からマエリウスに関する話をあれこれ聞かされた。その結果、マエリウスが武器を集めていることを、監督官は知った。それだけなく、マエリウスが秘密の会合をしており、王政樹立の計画をしていることが、明らかになった。決起の日は未定だったが、それ以外以外ほとんど決まっていた。彼らは護民官を買収し、市民の自由を奪うつもりだった。決起の際、平民の指導者である護民官が様々な役割を果たすことになっていた。穀物市場監督官のミヌキウスはこれらすべてを知ったが、国家転覆のぎりぎりの瞬間まで、報告しないことにした。あいまいで根拠のない噂を広めたと言われるのを恐れたからである。

最後の瞬間に彼は恐るべき陰謀を執政官に報告した。すると元老院は穀物市場監督官が報告するまで何の対策も取らなず、反乱グループの秘密の会合を放置したとして、執政官を断罪した。また元老院は、首謀者マエリウスに穀物配布を許したことも問題視し、前年の今年の執政官を断罪した。非常に危険な計画が進行中だったので、執政官はもっと早く元老院に報告すべきだっただけでなく、陰謀に対し行動すべきだった。元老院の追求に対し、今年の執政官の一人クインクティウスは次のように弁明した。「我々執政官には断罪される理由がありません。全ての市民に救済を訴える権利があります。この法律は執政官の権限を制限する目的で制定されたのです。恐ろしい陰謀を企てた者は厳しく罰せられるべきですが、執政官にはそれを実行する権力がありません。執政官が強い強い人間であっても無力です。執政官は法律に縛られず、自由に権力を行使できなければなりません。それで私としては私の一族の一人、ルキウス・クインクティウスを独裁官に任命したいのです。彼は独裁官に必要な勇気と決断力を持っています」。

元老の全員が執政官の提案に賛成した。しかしルキウス・クインクティウスは最初辞退し、次のように言った。「人生を終えようとしている老人に困難な戦いを背負わせようとするのはなぜですか」。

元老院のあちこちから、それぞれが彼を独裁官に推薦する理由を述べた。「あなたの老いた肉体には他の全ての人に勝る知恵と勇気がある」。

執政官も自分の推薦を取り下げようとしなかったので、ルキウス・クインクティウス・キンキナトゥスは要請を受け入れた。彼は「このような危機にあって私がローマの人々に損害を与え、不名誉な結果にならないように」と祈ってから、 独裁官に就任した。彼はカイウス・セルヴィリウス・アハラを騎兵長官に任命した。

 【 14章】

翌日独裁官は市内の数か所に守備兵を配置し、中央広場に向かった。独裁官が現れると、平民の関心が集まった。マエリウスと彼の一味は国家の巨大な力が自分たちを標的にしていると感じた。陰謀について何も知らない人々は「何の騒ぎだ?」とか「戦争が始まるのか?」とか質問した。国家の最高権力者である独裁官が必要とされるのはただ事でないし、80歳を超えたクインクティウスが独裁官に就任したので、なおさら尋常ではなかった。独裁官は騎兵長官セルヴィリウスを派遣し、マエリウスを呼び出した。マエリウスは驚いて「どのような要件でしょうか」と質問した。騎兵長官は答えた。

「あなたは裁判にかけられます。ミヌキウスがあなたを元老院に訴えたので、あなたは弁明しなければならない」。

するとマエリウスは彼を信奉する人々の間に逃げ込み、周りを見ながらこそこそと逃げ出した。その時騎兵長官が彼を逮捕しろと命令し、騎兵がマエリウスを捕え、連れて行こうとした。その時周囲の人々が彼を奪い返し、マエリウスは再び逃げながら叫んだ。「私はローマの平民に保護を求める。私は平民に親切な行為をしたのが原因で、貴族の陰謀の標的にされた。どうか窮地にいる私を助けてほしい。私が殺されるのを、黙って見ていないでくれ」。

マエリウスが人々に訴えていた時、騎兵長官が彼に追いつき、斬りつけた。マエリウスは死に、騎兵長官は彼の血を浴びた。騎兵長官は若い貴族の集団に囲まれながら引きあげ、独裁官に報告した。「マエリウスは召喚に応じず、私の兵士を追い払い、暴動を起こそうとしたので、私は彼を処罰しました」。

独裁官は言った「わかった。セルヴィウス、君はローマの共和制を救った」。

 

 

 

 

 

 

 

 

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