たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

4巻40ー42章

2023-02-28 11:44:28 | 世界史

【40章】

ローマ軍の戦況が悪く、陣地を放棄したという噂がもたらされた。とりわけ騎兵の状況は嘆かわしく、ローマ市民は兵の損失を家族を失ったかのように悲しんだ。市民は敵が首都に来るかもしれないと感じた。遠くに騎兵が見えたので、執政官ファビウスは門に見張りの兵を配置した。騎兵の正体がわからなかったので、市民は不安だったが、すぐに味方とわかり、恐怖心は喜びに変った。騎兵が勝利し、無事に戻ったので、市民は感謝し、鐘を鳴らした。それまで兵士の損失を悲しんでいた市民は家から飛び出し、通りに集まった。息子の生死を心配していた母や、夫の運命を心配していた妻は礼儀を忘れて、騎兵の隊列に駆け寄った。彼女たちはお互いに抱き合って、心と体で喜びを表現した。

護民官は M・ポストゥミウスと T・クインクティウスを裁判にかけることにした。二人はヴェイイ戦で失敗した責任を問われるのである。護民官は次のように思惑した。

「今回の敗戦は平民に打撃を与え、彼らは執政官を憎んでいる。今ならヴェイイ戦の敗北を思い出させるのは容易だ。あの時の指導者に対する憎しみがよみがえるだろう」。

 

護民官は市民集会を開催し、怒りの演説をした。

「ヴェイイ戦の時、二人の将軍が共和国を裏切った。敗戦の

責任を追及されなかったために、今回のヴォルスキ戦でも執政官の怠慢により悪い結果を招いた。ローマの勇敢な騎兵が敗死に追い込まれ、不名誉にもローマ軍は陣地を放棄した」。護民官 C・ユニウスは騎兵長官テンパニウスを証人として裁判に呼び、次のように質問した。

「セクストゥス・テンパニウス。私はあなたに諮問したい。執政官センプロニウスが良いタイミングで戦闘を開始したと思うか。または戦列を適切に強化したと思うか。彼は執政官としての義務を果たしたと思うか。歩兵部隊が崩れた時、あなたは自分の意思で騎兵を馬から降りさせ、戦況を立て直したのか。あなたたち騎兵が歩兵部隊から切り離された時、執政官はあなたたちを助けたか。またはあなたたちに援軍を送ったか。翌日あなたは援軍を受け取ったか。あなたと騎兵中隊だけで陣地に向かったのは、あなたたちの大胆さによるのか。ローマ軍の陣地に、執政官はいましたか。兵士たちはいましたか。陣地は放棄され、負傷兵は見捨てられていましたか。この戦争ではあなたの名誉心と忠誠心だけが祖国を支えました。だからこそ質問に答えていただきたいのです。カイユス・センプロニウスはどこにいるのですか。ローマの歩兵部隊はどこにいるのですか。騎兵隊は見捨てられたのですか。それとも騎兵隊が逃げ出したのですか。結局ローマ軍は負けたのですか。それとも勝ったのですか」。

【41章】

テンパニウスの返事は粗野だったが、軍人らしい威厳があった。彼は虚栄心がなく、自慢もせず、他人を貶めることに興味がなかった。

「兵士の立場で司令官を批判することはできない。司令官の軍事的能力を評価するのは僭越だ。そのような判断は執政官を選ぶ時になされたはずだ。司令官がいかなる作戦をすべきか、私に質問されても困る。執政官の軍事的能力についても、同じだ。偉大な精神と優れた知性を持つ者であってもこのような評価をする際は慎重でなければならない。私が見たことについては、話してもよい。私が歩兵部隊から切り離された時、執政官は最前列で戦っていた。彼は軍旗と敵が放つ飛び道具の間を行ったり来たりして、兵士を励ましていた。私は主戦場から離れてしまい、戦闘の様子は見れなかったが、音や叫び声は聞こえた。戦闘は暗くなるまで続いていた。敵の人数が多かったので、歩兵部隊は私が逃げた場所に来れなかったと思う。歩兵部隊がどこへ行ったか、私は知ららない。私と騎兵が絶体絶命の時、自然の地形に逃げ場所を見出したように、執政官も有利な場所を見つけ、そこに兵士を守る陣地を設営したのではないか。ヴォルスキ軍もかなり疲弊していると思う。戦況の変化が激しい中で夜になり、敵も味方も誤った判断をした。私は戦闘で疲れており、負傷もしているので、質問はこれで終わりにしてほしい」。

テンパニウスへの質問は終了した。戦場で勇敢だった彼が謙虚であるのを知り、市民は声を出して賞賛した。この頃、執政官はラヴィクム街道まで来て、クイエス(休息)という名前の礼拝堂にいた。

(日本訳注)ラヴィクム街道はローマを起点とし、ラビクム(ローマの東20km)を経由し、南東に向かう道路で。大部分ラテン道と重なる。

 

 

兵士たちは戦闘と夜の行軍で疲れ切っていた。彼らををローマに運ぶために、馬車と運搬用の牛が派遣された。間もなく執政官がローマに帰った。彼は何よりもまず、テンパニウスに賞賛の言葉を述べたかった。テンパニウスの弁明により、執政官に対する責任追及が回避されたからである。しかし市民はローマ軍の敗北と戦死者を嘆き、将軍たちに対し怒っていた。ヴェイイ戦の時の執政副司令官 M・ポストゥミウスが裁判に呼び出され、4万アス(アスはローマの最初の硬貨)の罰金を言い渡された。同じく執政副司令官 T・クインクティウスは敗戦の全ての責任をポストゥミウスに負わせた。クインクティウスは独裁官ポストゥミウス・トゥベルトゥスの下僚としてヴォルスキと戦い、フィデナエ戦では別の独裁官の副指揮官として戦った。全部族が一致して彼を無罪と投票した。尊敬すべき彼の父キンキナトゥスの記憶が判決に有利に働いたと言われている。それだけでなく、年老いたカピトリヌス・キンンキナトゥスが次のように言って無罪を願ったといわれている。「老い先短い私が一族の一人の不名誉を背負って旅立つことがないよう、願いたい」。

【42章】

騎兵が帰還する前に、平民は4人の騎兵を護民官に選んだ。が彼らの名前は Sex・テンパニウス、A・セッリウス、セクストゥス・アンティステイウス、Sp・イキリウスである。4人は騎兵が歩兵になった時、百人隊長に選ばれたのだった。4人を選んだのは騎兵たちであるが、テンパニウスの推薦を受け入れたのである。センプロニウスに対する平民の怒りは執政官という役職に対する怒りに発展した。そのため元老院は翌年の最高官を執政副司令官に決めた。選ばれたのは L・マンリウス・カピトリヌス、Q・アントニウス・メレンダ、L・パピリウス・ムギラヌスだった。

年初に護民官 L・ホルテンシウスが前年の執政官センプロニウスの裁判の日を定めた。4人の護民官が市民を前にして裁判の中止をホルテンシウスに求めた。「センプロニウスは司令官として非はなく、運が悪かっただけである」。

ホルテンシウスは怒った。同僚たちは彼の決心を試している

か、あるいは護民官の公正さを演出しているだけだ、と彼はが考えた。昨年の執政官は護民官たちたちを信頼するはずがなく、彼らの拒否権に期待しているだけだ、と彼は確信していた。ホルテンシウスは裁判を開始し、センプロニウスに向かって言った。「あなたの貴族の誇りはどうなったのか。自分が無実でないと思っているので、勇気も消えてしまったようだ。元執政官が護民官の翼の下に逃げ込むとは、情けない」。

次にホルテンシウスは同僚たちに向かって言った。「私が裁判を最後まで進めたら、諸君はどうするつもりか。護民官の権利を否定するつもりですか。市民による裁判を廃止するつもりですか」。

同僚たちは答えた。「センプロニウスを裁く市民の権限は絶対です。彼だけでなく、誰に対しても、市民には裁判権があります。我々は市民による裁判を廃止するつもりはないし、そのようなことをする権限もありません。我々の父にも等しい司令官についての要望が認められないなら、裁判において我々は嘆願者の服を着て、彼の隣に立ちます」。

ホルテンシウスが答えた。「護民官が喪服を着て平民の前に現れてはならない。私は C・センプロニウスに対する訴訟を取り下げる。司令官であった彼が兵士に信頼されていたことがわかりました」。

4人の護民官が司令官に対し限りない忠誠心と愛情を持っていることを知り、平民と貴族の両方が喜んだ。また正当な批判を受けて、ホルテンシウスが自分の考えを変えたことも人々を満足させた。

 

 

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4巻36ー39章

2023-02-21 20:11:09 | 世界史

【36章】

護民官のこのような考えは広く受け入れられた。しかし平民

の利益のための政策を実現するには、やはり平民が執政副司令官になる必要があり、翌年の選挙には数人の平民が立候補するつもりだった。国有地の分割と新しい植民地の設立が期待された。また兵士への支払いのための資金を国有地の占有者に対する課税でまかなう必要があった。

現在の執政副司令官は平民が市内を留守にし、護民官が不在の時に元老院を開いた。郊外に住んでいる元老は一人一人呼呼び出した。この時ヴォルスキ族がヘルニキ族の土地に侵入したという噂があり、しかるべき人物が現地に行って状況を確かめなければならなかった。元老院は執政副司令官の派遣を決定した。また元老院は来年の最高官は執政官にすると決定した。執政副司令官は出発に際し、アッピウス・クラウディウスにローマの市政を託した。アッピウス・クラウディウスは十人委員の息子で、活力にあふれた若者だった。彼は子供のころから平民と護民官に対する憎しみを教え込まれた。護民官はこのような人物の登用に反発しなかった。十人委員はすでに過去のことなので、委員の息子と争う理由はなかったし、ローマを留守にしている執政副司令官と争うつもりもなかった。

【37章】

執政官に選ばれたのは、C・センプロニウス・アトゥラティヌス、Q・ファビウス・ヴィブラヌスだった。この年(紀元前423年)については、外国で起きた事件が二つ記録されている。そのうちの一つが重要であり、エトルリア人の都市ヴォルトゥルヌスが陥落したことである。現在サムニウム人はこの都市をカプアm)と呼んでいる。サムニウムの将軍がこの都市をカプアと呼んだという説もあがあるが、この都市が草原に位置していたので、人々がそう呼んだのだろう。

(日本翻訳注)カプアはギリシャ語で農地または牧草地を意味する。カプアはエトルリア語で湿原を意味すという説があるが、エトルリア人はこの都市をヴォルトゥルヌスと呼んでいたのであり、エトルリア語のヴォルトゥルヌスは湿原を意味するのだろうか。カプアはナポリの北29km。カンパニア地方のエトルリ人は紀元前5世紀後半サムニウム人に征服された。リヴィウスが語るヴォルトゥルヌスの陥落とはこの事件に他ならない。紀元前423年のヴォルトゥルヌスの陥落について語っているのは、リヴィウスだけであり、彼のローマ史は史料として価値が高い。以下の本文でリヴィウスはこの事件について説明しているが、征服民族が誰であるか書いていない。サムニウム人であるに違いない。(日本翻訳注終了)

エトルリア人の敗北後、ヴォルトゥルヌスは戦乱が続き、衰退した。勝利した人々が移住してきて、エトルリア人が祭りを祝い、酒を飲んで眠っていると、新しく移住した人々が彼らを襲い、虐殺した。

この頃ローマでは、12月半ばに上述の執政官が就任した。ヴォルスキの動きについて、視察に向かった執政副司令官の報告があり、ヴォルスキはこれまでより真剣に将軍を選び、兵士を集めていることが分かった。ヘルニキ族とラテン人も同様な報告をしてきた。ヴォルスキ人は次のような考えで一致していた。「我々は戦争に自信をなくし永遠の隷従を受け入れるか、それとも勇気・忍耐・戦術によって覇権国家に対抗するかのか、どちらかである」。

このような報告は極めて正確だったにもかかわらず、元老院は無関心を示さなかった。また執政官センプロニウスもヴォルスキを脅威と考えなかった。ヴォルスキは何度も負けており、ローマの優位は変わらない、と彼は考えた。こうして性執政官は慎重さに欠け、思い込みだけで判断し、しかるべき対策を取らなかった。現在のヴォルスキ軍の規律はローマ軍よりしっかりしていた。戦場における運は不確かであり、次の戦闘で、運はヴォルスキに味方するかもしれなかった。ローマ軍とヴォルスキ軍が最初に衝突した時、執政官センプロニウスは作戦がなく、予測も立てずに軍団を押し出した。彼は戦線を強化する予備の部隊を用意していなかったし、効果的な場所に騎兵を配置していなかった。両軍の掛け声で戦闘が始まったが、ヴォルスキ兵の掛け声の方が力強く、迫力があった。ローマ兵の叫び声はバラバラに発せられ、繰り返すたびに弱くなり、彼らの勇気が次第に減っていたことをを示していた。ヴォルスキ兵はこれに気づき、激しく盾を押し付け、剣を振りかざし、ローマ兵を押していった。ローマ兵はヘルメットをずらし、助けを求めて周囲を見回した。彼らは動揺し、互いに寄り添って身を守ろうとした。最前列のローマ兵は踏みとどまるのが精一杯で、軍旗を放り出した。彼らは持ちこたえられず、背後の小隊の間に逃げ込んだ。ローマ兵は敗走してないし、勝敗は決まっていなかったとはいえ、ローマ軍は防戦一方だった。ヴォルスキ軍は前進し、ローマ軍は後退した。この段階で、死んだローマ兵が多く、逃げた兵士は少なかった。

【38章】

ローマ兵は浮足立ち、執政官センプロニウスが彼らを非難しても、勇気づけても無駄だった。執政官の権限も、彼自身の威厳も役に立たなかった。ローマ軍は敗北を前にしていたが、この時、勇敢で機敏な騎兵中隊長テンパニウスが絶望的な状態のローマ軍を立て直そうとした。彼は騎兵に対し、「馬から降りよ」と命令した。「共和国ローマのために戦うのだ!」。

騎兵全員が命令に従った。騎兵中隊長の命令には執政官に匹敵する重みがあった。騎兵中隊長は付け加えて言った。

「我々騎兵が小さな丸い盾でヴォルスキの進撃を止めるのだ。ローマの覇権が失われる瀬戸際だ。私の槍を軍旗と思って、ついて来い。ローマの騎兵は最強であり、歩兵としても最強であることを証明せよ」。

騎兵全員が同意の掛け声を上げた。騎兵中隊長は槍を直立に持って進んだ。歩兵となった騎兵はヴォルスキ軍に向かっていった。しかし彼らは人数が少なく、一度に敵の全軍を相手にすることはできなかった。

【39章】

これを見抜いたヴォルスキ軍の指揮官はローマの騎兵が近づ

いてくると、自軍の兵を後退させ、ローマの騎兵をやりすごした。衝動的に突き進んだ騎兵は歩兵本隊から切り離され、孤立してしまった。彼らは引き返そうとしたが、ヴォルスキの大軍が立ちはだかった。この時執政官とローマの歩兵部隊は騎兵の姿が見えないことに気づいた。騎兵は少し前まで歩兵たちを守るの盾の役目を果たしていた。間もなく彼らは、勇敢な騎兵が包囲され、全滅の危機にあるのを知った。執政官と歩兵はいかなる危険を冒してでも騎兵を救うことにした。その結果ヴォルスキ軍は二正面の敵を相手にすることになった。一方にローマの歩兵軍団、後方にテンパニウスの騎兵隊がいた。しかしヴォルスキ軍の勢いに変化はなかった。むしろローマの騎兵が窮地にあった。彼らはヴォルスキ軍を突破できずにいたが、小高い場所に集まり、円形陣を組んで防御態勢を取り、攻めてくる敵に損害を与えた。一方でローマの歩兵とヴォルスキ軍の戦いは夜になまで続いていた。執政官は薄暗くなっても攻撃をゆるめなかった。真っ暗になり、戦いが終了した。両軍はそれぞれの陣地に戻ったが、薄暗くなるまで戦ったので、最後の戦闘状況がわからず、どちらの軍も自分たちが敗北したと考え、負傷者とほとんどの戦備品を残して、近くの丘に避難した。 ローマ騎兵の戦いは夜になっても続いていたが、 やがてヴォルスキ兵は自分たちの陣地が放棄されたことを知り、自軍の本隊が敗北したと考えた。彼らはあわてて暗闇の中を逃げ出した。ローマの騎兵中隊長は罠を恐れて、夜が明けるまで防衛体制を維持した。明るくなると、彼は偵察兵を連れ出した。負傷した敵兵から、ヴォルスキの陣地が放棄されたことを、彼は知った。騎兵中隊長テンパニウスはこの情報に喜び、騎兵を率いてローマ軍の陣地に向かった。ローマ軍の陣地に兵士の姿はなく、ヴォルスキの陣地同様惨めな状態だった。ヴォルスキ軍が誤りに気付き、ローマの陣地を襲ってくるかもしれなかったので、テンパニウスは負傷兵を運び出すことにした。執政官がどこへ行ったのかわらなかったので、彼はローマに帰ることにした。

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