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  たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

4巻58ー60章

2023-05-30 17:09:31 | 世界史

【58章】

この年ヴェイイとの停戦期間が終了した。停戦の終了を確認するために、大使と神官がヴェイイに派遣された。彼らが国境に着いた時、ヴェイイの代表団に出会った。代表団はヴェイイに来ないでくれと頼んだ。「最初に我々がローマに行き、元老たちと話がしたい」。

ローマの元老院は停戦終了の確認を求めないことにした。ヴェイイは国内の問題で苦しんでいた。ローマが困っている時、他国は良い機会とばかりに利益を得ようとしたが、ローマはヴェイイに対しそうしたことをしなかった。ローマにも災難が起きた。ヴェッルゴの駐屯部隊が壊滅した。ヴェッルゴはヴォルスキ地域にある町である。ヴォルスキ兵に包囲され、ローマ兵は数時間しか持ちこたえられず、助けを求めた。すぐに援軍が向かえば、彼らは救われただろう。やっと援軍が来てヴォルスキ兵を驚かしたものの、後の祭りだった。ヴォルスキ兵は既にローマ兵を殺害し、略奪に出かけていた。救援が遅れた責任は執政副司令官ではなく、元老院にあった。ヴェッルゴのローマ兵は勇敢に戦った。しかし人間の体力には限界があり、いかなる勇気もそれを超えることはできない。元老院はヴェッルゴの兵士がよく戦っていることを知って、油断してしまった。ヴェッルゴの勇敢な兵士は救援されなかっただけなく、死後も報賞されなかった。

翌年の執政副司令官は P・コルネリウス・コッスス、クナエウス・コルネリウス・コッスス、ヌメリウス・ファビウス・アンブストゥス、L・ヴァレリウス・ポティトゥスだった。ヴェイイの元老院の傲慢な態度により、ヴェイイとの関係が険悪になった。ローマの使節が停戦期間の終了の確認を求めにヴェイイに行くと、無礼な返答を受け取った。「直ちにヴェイイの地から去れ。国境を越えろ。さもなければ、以前我々の王ラルス・トルミウスがローマの使節を扱ったように、諸君は処分されるだろう」。

ローマの元老院は非常に怒り、執政副司令官に命令した。「できるだけ早く、ヴェイイに対する宣戦布告を市民集会に提案よ」。

市民集会で議論が始まると、従軍義務のある市民が戦争に反対した。ヴォルスキとの戦争が終了していない、と彼らは言った。「二つの砦の駐留兵が全滅した。この二つの砦はその後奪回できたが、防衛に苦労している。ローマは毎年戦争している。現在戦争中なのに、強大な隣国と新たな戦争を始めようとしている。ヴェイイはエトルリア諸都市を誘うだろう」。

平民の戦争に対する不満を、護民官が煽った。「最も深刻な戦争は平民と貴族の闘争だ。貴族は故意に平民を戦争に追いやり、平民は戦場で死んでいる。戦争は平民を故郷から遠い場所へ追いやる手段だ。戦争が終わり、平和になると、平民が過去に獲得された自由を思い出すからだ。平民が国有地を植民者に分配する方法話し合えないようにするためだ。自由と権利を獲得る方法につて話し合えないようにするためだ」。

続いて護民官は戦争における兵士の負傷について語り、退役兵の心を動かした。「もう国家のために流す血は残っていない」。

公共の場や私的な会話で、護民官はこれらの問題を取り上げ、ヴェイイとの戦争に反対する気運を盛り上げた。平民の反対により、ヴェイイとの戦争は当分見合わせることになった。多くの市民が戦争に反対していたので、強引に進めても拒否されるだけだった。

【59章】

一方で執政副司令官はヴォルスキの土地へ軍を進めることにした。クナエウス・コルネリウスが留守役となり、首都を管理することになった。三人の執政副司令官はヴォルスキの陣地がどこにもないことを確認した。これ以上敵を探すのをやめ、三人は軍隊を三つに分け、兵士に略奪させることにした。ヴァレリウスはアンティウム(沿岸部の都市)を略奪目標とした。コルネリウスはエケトラエを狙った。(日本訳注:エケトラエ=Ecetraeはヴォルスキの町であるが、紀元前495年ローマに征服され、その後独立。場所は不明)

ヴァレリウスとコルネリウスの部隊は広範囲に人家と作物を破壊したので、ヴォルスキ軍は対応に追われ分散した。

ファビウスはアンクスルに向かった。

アンクスル=Anxurはティレニア海沿岸にあり、キルケイの東)

 

 

アンクスルは略奪の主な対象であり、すぐに略奪を開始した。ンクスルは現在テッラチナと呼ばれており、丘の上にあが、町の半分は傾斜地となっており、ふもとは湿地だった。C・セルヴィリウス・アハラが4個大隊を率いて町の反対側に向かった。彼らは急峻な丘を斜めに上った。丘の頂上に人家はなく、下方に街があった。彼らは叫びながら駆け下りて、アンクスルの町を攻撃した。アンクスルの市民は山の頂上を超えての襲撃を予想しておらず、無防備だった。町の低地側には城壁があり、アンクスルの兵士がファビウスの部隊に抵抗していた。しかし山側が攻撃されたことを知ると、守備兵は愕然とした。アンクスルの防衛兵が動揺し、注意が緩んだすきに、ローマ兵は城壁にはしごをかけることができた。すぐにローマ兵が町中に侵入た。ローマ兵はアンクスルの兵士だけでなく、逃げ惑う市民も容赦なく殺害した。アンクスルの兵士は降服しても殺されるだけだったので、戦い続けるしかなかった。間もなくファビウスがローマ兵に命令した。「武器を持たない捕虜を傷つけてはならぬ」。

ファビウスは同僚の副司令官が来るまで、略奪を禁止した。なぜなら、同僚が率いる部隊もアンクスルの占領に貢献したからである。彼らが他の場所でヴォルスキ軍と戦っていたために、ヴォルスキ兵はアンクスルを救援できなかったのである。ヴァレリウスとコルネリウスの部隊が到着し、ローマの三つの部隊が市内を略奪した。アンクスルは長年繁栄し、多くの富を蓄積していた。兵士に対するファビウスの寛大さは平民と元老院の和解を促した。また元老院も平民に贈恩恵を与えた。平民または護民官が提案する前に、元老院は国庫から兵士に給料を支払うことを決定した。これまで兵士は武具などの経費を自分で賄っていた。

【60章】

平民がこれほど満足したことはない、と記録されている。大勢の市民が元老院の建物の周りに集まり、元老たちが出てくると、彼らの手を握った。元老が父(長老)と呼ばれることは正当だ、と平民は思った。「元老たちのありがたい計らいを思うなら、我々は寛大な国家のために身体と血を惜しまない。最後の力を振り絞って貢献する」。

国家に徴兵された時や公共の仕事に従事する時、自分の家計に負担がかからずにすむのは平民にとって喜びだった。また平民が要求したからでなく、元老院が自発的に決定したことが平民の喜びと感謝の気持ちを強めた。しかし多くの人の幸福感から距離を取っている人々がいた。それは護民官である。彼らは言った。「このような恩恵を平民に与えることは元老院にとって良いことでない。また国民全体の利益にもならないだろう。最初は魅力的に見える政策も、実際に運用されると不都合な場合がある。そもそも財源はあるのか。国民に課税することにならないか。元老院の寛大な行為を誰かが負担することになる。兵役年齢を超えた市民には何の利点もない。彼らはこれまでの戦争を自費で戦ってきた。若い世代が好条件で従軍するなら、彼らは損をしたと感じるかもしれない。それだけではない。彼らは若い世代の戦費を負担することになるのだ」。

護民官の主張は一定の平民に支持された。護民官の予言が現実となり、国民は新しく戦争税を課された。すると護民官は「我々は新しい税金の支払いを拒否する者を保護する」と発表した。一方で元老たちは兵士に歓迎された政策を撤回するつもりはなかった。元老たちは真っ先に戦争税を払った。まだ硬貨は流通していなかったので、彼らは税額に相当する量の銅を馬車に積んで、国庫まで運んだ。これは一目につき、人々の注意を引いたので、元老たちが税を納めたことが知れ渡った。

(日本訳注)ここでリヴィウスは「ローマでは硬貨は流通していなかった」というのは、小円盤の形に成形された硬貨が存在しなかったという意味である。紀元前5-4世紀の青銅の小さな塊(かたまり)が発見されており、重さが一定である。これは初歩的な硬貨である。リヴィウスはこれまで罰金や税の額を1500アスとか、500アスと表現してきた。500アスは青銅の小さな塊(かたまり)500個を意味すると私は考えてきた。しかしこの章でリヴィウスが「ローマで硬貨は流通していなかった」と述べていることから、ローマでアスが少なく、あまり流通していなかったのかもしれない。アスとは小さなかたまりそのもを意味すると同時に、重量を意味していたのかもしれない。つまり

1500アスとは1500個のアスと同じ重量の青銅のかたまりということである。少なくとも、この章で「荷車に積んで運ばれた」と書かれている税金は、数千個、数万個のアスと同じ重さの青銅である。ついでに付け加えると、アスは複数形で、1アスと言わず、1アである。(日本訳注終了)

 

元老たちが査定された額をきちんと収めると、指導的平民や貴族と親交のある平民がこれに続いた。彼らは元老たちと前もって合意していた。上層平民が戦争税を納めると、元老たちは彼らを賞賛した。また兵役年齢の市民も、彼らを愛国的な市民として尊敬した。この様子を見た大勢の市民が、護民官に頼るのをやめ、先を争って税金を支払った。ヴェイイとの戦争が提案され、認可された。新たに選ばれた執政副司令官がヴェイイに向かった。兵士の多くが志願兵だった。

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4巻55ー57章

2023-05-19 18:48:44 | 世界史

 

【55章】

執政官は平民の運動を妨害する手段を取らなかったし、貴族から譲歩を勝ち取ろうとしている平民を助けもしなかった。貴族と平民の両方が一歩も引かぬという構えで争っていた時、まことに都合よく戦争の知らせが届いた。ヴォルスキとアエクイがラテン人とヘルニキ族の土地に侵入し、略奪を始めた。元老院が徴兵を命令し、執政官が徴兵を始めると、護民官が妨害した。護民官は宣言した。「我々護民官と平民にとって絶好のチャンスだ」。

頼りになる三人が平民の先頭に立っていた。三人は平民としては良い家族の出身だった。二人は執政官の動きを注意深く観察しており、もう一人は巧みな演説によって平民を煽動し、時には平民を抑制した。執政官は徴兵できなかった。護民官は勢いがあったものの、翌年の最高官を執政副司令官とすることはできなかった。最後に運命の女神は平民に味方した。カルヴェントゥムの砦を守っていたローマ兵が、略奪目的で分散した、と報告された。アエクイ兵が砦を攻撃し、わずかに残っていた守備兵を殺した。慌てて砦に戻ってきたローマ兵はアエクイ兵によって蹴散らされた。略奪を続けていたローマ兵は襲撃された。ローマにとって不幸なこの事件は護民官を有利にした。国家の危急時に徴兵を妨害しないよう、執政官は護民官を説得したが、無駄だった。国家に危険が迫っているにもかかわらず、護民官は徴兵に反対した。護民官は人々から憎まれたが、気にしなかった。その結果元老院が譲歩することになり、翌年の最高官を執政副司令官とした。しかし同時に元老院は現在の護民官は翌年の執政副司令官に立候補できないと制限を加えた。また現在の護民官は翌年の護民官にもなれないとした。元老院が立候補の資格を奪いたいたかったのは、間違いなく、イキリウス家の三人だった。三人は護民官として功績があり、報償として翌年は執政副司令官になり、その後執政官にさえなろうとしている、と元老院は疑っていた。このような制限条項はあったが、平民は徴兵を受け入れた。徴兵が完了し、戦争の準備が進められた。執政官二人がカルヴェントゥムの砦に向かうべきか、一人はローマに残って選挙を管理すべきか、政府は迷った。カルヴェントゥムの砦を奪われたローマの守備兵は砦を包囲したが、包囲が不完全なまま時間だけがが経っていたので、もうカルヴェントゥムの砦を放棄すべきだった。 ローマ兵はカルヴェントゥムの砦を奪われたものの、ヴォルスキとアエクイの土地を大規模に略奪し、大量の戦利品を獲得した。それだけでなく、彼らはヴェッルゴを奪回していた。

(日本訳注:ヴェッルゴはヴォルスキの町だったが、前445年にローマに征服されたが、422年ヴォルスキが奪回していた。前409年、再びローマがヴェッルゴを征服した。ここで述べられているのは409年の再征服である。ヴェッルゴはラテン地域とヴォルスキ地域の境界にあったことしかわからない。)

【56章】

この時ローマでは、平民がが翌年の最高官を執政副司令官とすることに成功したが、選挙の結果は元老院の勝利となった。多くの人の予想に反し、選ばれた三人は貴族だった。C・ユリウス・ユルス、P・コルネリウス・コッスス、C・セルヴィリウス・アハラが執政副司令官となった。貴族が巧妙な選挙戦術を使ったと言われている。貴族が卑劣なやり方をした、とイキリウス家の三人は批判した。貴族は不適格な平民を多数立候補させた。これらの候補者の中に、下劣な性格で悪名高い連中がいたので、人々はうんざりした。このことが、選ばれるにふさわしい立派な平民の候補者たちに悪影響を与えた。人々の心が平民の候補者から離れたのである。

選挙が終わった頃、ヴォルスキとアエクイが全力で戦争を準備している、という報告がもたらされた。カルヴェントゥムの砦を保持できていることで、彼らは自信を得たのかもしれなかった。また彼らはヴェッルゴで分遣隊隊を失ったので、復讐心に燃えているのかもしれなかった。ヴォルスキを戦争に向かって煽動していたのはアンティアテス家の人々だった。彼らはヴォルスキとアエクイの諸都市を回り、臆病な市民を責めた。「昨年諸君が城壁に隠れて、こそこそしてい

たので、ローマ兵は至る所で諸君の農地を荒らし、ヴェッルゴの守備隊は全滅した。それだけでなく、ローマはヴェッルゴに植民者を送り始めている。ローマはフェレンティヌムのヘルニキ人にも土地を与えている」。

演説を聞いた諸都市の市民は戦争を決心した。多くの市民が兵士となった。彼らはアンティウムに集結し、基地を設営して敵が来るのを待った。こうした動きががローマに伝わと、市民は実際よりも大きな脅威を感じた。元老院は直ちに独裁官の任命を命令した。危険に直面したローマが最後に頼るのは独裁官だった。しかし執政副司令官のユリウスとコルネリウスは非常に怒った。元老院と執政副司令官は真っ向から対副司令官を批判した。彼らは「元老院と争っても無駄だ」とと自信くぉ持っていた。彼らは護民官に働きかけ、護民官の権限を用いて執政副司令官を抑え込むことにした。以前も元老院は護民官を利用して執政官を抑制したこことがあった。護民官は貴族の分裂に喜んだ。護民官は元老院を助けるつもりはなかった。元老院は平民をローマ市民とみなしていなかったし、人間とさえ見ていなかったからである。国家の名誉ある地位が平民にも開かれ、平民が政府に参加できるなら、傲慢な執政副司令官が元老院の決定を無効にするのを妨害してもよいだろう。法律を尊重しない元老院の指導者は護民官の援護なしに執政副司令官と戦わなければならない。

【57章】

元老院と執政副司令官の争いは最悪な時期に起きた。大きな戦争が迫っていた。ユリウスとコルネリウスは長い演説をした「我々にはは戦争を指揮する能力が充分ある。人々が我々に与えた任務を取り上げるのは不当である」。

三人目の執政副司令官アハラ・セルヴィリウスが議論に加わった。

「私はこれまで、同僚と元老院の論争にについて何も発言しなかったが、内心疑問を持っていた。自分の利益と国家の利益を区別できる者が真の愛国者であるが、どうすれば可能だろうか。私の同僚の二人が自発的に元老院の権威に屈するだろうと、私は期待していた。護民官をこの問題に干渉させるのは筋違いだった。事情が許せば、同僚たちが自ら引き下がるのをもう少し待つのがよいかもしれない。しかし戦争は我々の議論が終わるのを待ってくれない。私にとって大事なのは、同僚の善意より、国家の安全だ。それゆえ、元老院が決定を取り消すつもりがないなら、私は明日の夜、独裁官を指名する。もし元老院の決定に対し拒否権が行使されるなら、私は受けいれる用意がある」。

アハラ・セルヴィリウスの主張にすべての人が賛同し、P・コルネリウスが独裁官に任命された。アハラが騎兵長官に任命された。アハラの控え目な態度は、彼の同僚に良い教訓を与えた。高い地位と人々の賞賛は、時にそれを求めない者に与えられるのである。ローマ軍はアンティウムで簡単に勝利し、多くの敵兵が死んだ。ローマ軍はヴォルスキの領土を

略奪した。さらにローマ軍はフキヌス湖の近くの砦を襲撃し、ヴォルスキ兵三千人を捕虜とした。

日本訳注:フキヌス湖はヴォルスキ地域の北東端にあり、ローマからかなり遠く、アペニン山中にある。現在はアドリア海側の州、アブルッツォ州の湖となっている。)

残りのヴォルスキ兵はいくつかの城壁のある町へ逃げ込んだ。ローマ兵は彼らの農地を荒らした。独裁官は幸運を最大限に利用してから、ローマに帰った。容易な勝利だったので、栄光はなかったが、大きな勝利を獲得し、独裁官は辞任した。多くの元老が翌年の最高官を執政官にするよう要望したが、執政副司令官はこれを拒否し、翌年の執政副司令官の選挙を命令した。執政副司令官は独裁官の任命をまだ恨んでいたからに違いない。貴族階級に属する者が貴族の大義を裏切っているので、元老たちは不安になった。元老たちは昨年と同じように巧妙な選挙戦術を使い、平民の候補者を落選させることにした。品性の悪い平民を立候補させて、平民の候補者全般の印象を悪くする一方で、有力な元老が立候補した。元老の候補者はあらゆる方法で自分の優位を際立たせ、広範な影響力を行使した。その結果、平民は全員落選し、貴族だけが当選した。彼らは全員過去に最高官になったことがあった。執政副司令官になったは、C・ヴァレリウス・ポティトゥス、N・ファビウス・ヴィブラヌス、C・セルヴィリウス・アハラの四人である。セルヴィリウス・アハラは昨年執政副司令官として評判がよく、今年も選ばれた。彼の控え目な性格とその他の長所は人々の信頼を得ていた。

 

 

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