たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

シンジャルの故郷を追われたヤジディ教徒 8月

2015-02-28 18:20:12 | イラク

                          シンジャル山と村      2005年撮影 

                                                         

                                                                    Jacob Silberberg/ AP

4万人のヤジディ教徒が山中に孤立し、水と食料が得られず、生命の危険が迫っていた。半数は子供である。

13万人はすでに脱出に成功し、東方のドホーク(Dohuk)やアルビル(Erbil)に避難した。

          イスラム国の支配地(茶色)とクルドの支配地(緑色)

                   guardian

  (説明)                                       

    シンジャルの北東にドホーク(Dohuk)がある、 ドホークの南にアルビル(Irbil)がある。南東の無色がイラク政府軍の支配地。

          <周辺の都市がイスラム国の支配下に>

シンジャルの周辺はイスラム国が支配している。シンジャルはイスラム国によってとり囲まれた形になった。西のシリア国境方面だけが開いている。イスラム国が攻めてくるのは時間の問題だと考えた人は、西に向かって脱出した。

しかしこの地方の党の責任者が、「ペシュメルガ(イラクのクルド軍)が住民を守るから大丈夫だ」と言って、避難を思いとどまらせた。彼は常々「我々は最後の血の一滴まで、シンジャルのために戦う」と言っていた。

        <イスラム国の攻撃が始まる>

8月2日の夜、シンジャルの南端にある2つの村に迫撃砲が撃ち込まれた。8月3日の早朝、ヤジディの男たちは、応戦した。ペシュメルガが応援に来るまで踏みとどまろうと考えて、戦った。援軍は来ず、200人が戦死した。

迫撃砲の音がする頃には、党の地方責任者は町を抜け出し、山を越えようとしていた。イスラム国の兵がこちらに向かっているという情報を得て、彼は早々と逃げ出した。住民には知らせなかった。彼に続き、シンジャルの守備兵であるペシュメルガは一発も応戦せずに逃げた。

北側の住民は、南端の村が攻撃されたことを、党・役場・ペシュメルガ軍の誰からも知らされなかった。党員でさえ知らされなかった。党員のひとりは、党幹部からではなく、南側に住む叔母(おば)から知らされた。党の班長に電話すると、「うろたえるな。ペシュメルガが撤退するはずがない」。そう言われても安心できなかったので、その党員は党のシンジャルの責任者の護衛に電話した。すると「党の責任者は昨晩避難しました。党本部はすでに撤退しました。ペシュメルガも撤退しました」という返事だった。

闘いが始まって数時間後、午前10時になって、ようやく北側の町々の住民は避難し始めた。彼らはイスラム国が襲ってくる数分前に逃げだした。70歳の老人は「ちょうど町を出た時、後ろで銃声がした」と語っている。逃げる人々と一緒に、ペシュメルガ兵も走ったり、車で逃げていた。

 逃げる途中で、ときおり攻撃されるが、ぺシュメルガは決して反撃しない。反撃するのは、シリアのクルド兵(YPG)だけだ。目的地のドホーク(Dohuk)に近づくと、ペシュメルガの検問所があったが、人々は、無視して通り過ぎようとした。衛兵に警告されると、「その銃を、シリアのクルド兵(YPG)に渡してしまえ。どうせ撃たないんだろ」と言い返した。

ペシュメルガが戦わないと分っていたら、もっと早く逃げていた、と多くの人が思っていた。

How the U.S.-favored Kurds Abandoned the Yazidis when ISIS Attacked

  <http://www.thedailybeast.com/articles/2014/08/17/how-the-u-s-favored-kurds-abandoned-the-yazidis-when-isis-attacked.html>

                   

                                                                            Saed IRC

                     <逃げ遅れた人々>

逃げ遅れ、山中に取り残された人々について、アジアプレスの玉本英子が報告している。彼女は4日に、近くの山に身を潜めている住民に携帯電話をした。

ーーーーーーーーー

*「山には木や水がほとんどなく、すぐにイスラム民兵に見つかるだろう。ここで死ぬのを待つだけなのか」と男性は泣きながら訴えた。

*「昨晩、数人のイスラム国の民兵が山に入ってきて、ヤズディ教徒の女性たちを奪っていくのを見た」とケマルさんはいう。一部の世帯はイスラム教徒になれ、という命令を受け入れ、山を降りたという。ーーーーー

(引用元)北部シンジャルも「イスラム国」が制圧~多数のヤズディ教徒を殺害か

貼り付け元  <http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/08/05095752.php>

 

ケマルさんはイスラム教徒になる考えはなく、脱出しようとしたが、3日には幹線道路はすべてイスラム国の兵士に制圧され、付近の山々に歩いて逃げるしかなかったという。3日までに10万人以上が脱出している。

銃声があった2日深夜から翌3日の昼過ぎまでの短い時間が、脱出のチャンスだったようである。

              <イラク軍が空から救援>

         

 シンジャル山地はなだらかな高原で、ふだんは羊の群れが歩いている。今は、赤ん坊を抱いた母親や子供連れの家族が砂漠のような高原を歩いている。歩き疲れて、岩山の下で休んでいる家族もいる。村を出てから、一週間から10日になる。水と食料はとっくに尽きている。山中に井戸があるが、どこにでもあるわけではない。

イラク軍のヘリコプターが、山地で孤立する人々に食料・水・ミルクを届けた。CNNのリポーターがヘリコプターに同乗し、撮影した。8月10日に投稿された動画の内容は、以下のようなものである。

ーーイラク軍のヘリは、山地に向かう途中で、イスラム国の兵士に銃撃を浴びせた。間もなく、避難している人々の姿が見えた。高原一帯に、あちらこちらを歩いている。ヘリに向かって手を振り、合図していた。

輸送ヘリはそれらの人々に食料や水を投下した。脱水症状で命を落とす人も出ていたので、待ち望まれた援助だった。

物資をあちこちで投下し、積荷がなくなると、ヘリは着陸し、人々を乗せた。約20人がヘリに乗ることができた。ヘリの銃撃手は、帰りがけに、再びイスラム国の兵士たちに銃撃を浴びせた。救われた20人は、ヘリに乗った直後は恐怖で緊張していたが、しばらくするとほっとした表情になった。

http://youtu.be/188htwkPv1Y

 

ヘリコプターによる救援作戦は、数日間続けられた。一度、輸送ヘリが墜落し、パイロットが死亡した。行く時はできるだけ多くの水と食料を積み、帰りは、ひとりでも多くの人を乗せたいという心理が働くので、重量が制限を超え、操縦が難しくなっているという。

        

                                                                                                     CNN      

                   <クルド軍による救援 >                                                                       

8月9日に、地上での援助活動についての動画が投稿されている。

それによれば、地上では、トルコのクルド軍(PKK)とシリアのクルド軍(YPG)が救援に向かった。国境を超えることになるが、シンジャル山はシリア国境に近い。トルコとシリアのクルド人部隊は、大型の給水車と多数の小型トラックで、救援を行った。救出された人々は、山中では生きた心地がしなかったと語った。多くの人が死にかけていて、数百人の子供が死んだという。

http://youtu.be/rp8jwarDHVw

           難民キャンプがあるマリキーヤの位置

                                    

7000人がシリアに逃れた。マリキーヤの難民キャンプの人々に、VICEニュースがインタビューした。数人が次のように語った。

*「PKK(トルコのクルド軍)が来なかったら、我々は死んでいただろう。」

*「4台のトラックに乗ったイスラム国の武装兵が銃撃してきた。」

*「我々は武器を持たないので、どうしようもない。武器さえあれば、反撃できたのに」。

*「彼らは、3つのうちのいずれかをよこせと言った。『①お前の宗教(ヤジディ教)②お前の首③お前の女』」

*「もう村には帰れない。イスラム教徒徒以外は殺される」。

*「ペシュメルガ(イラクのクルド軍)は軍服を脱ぎ、武器を捨て、我々より先に逃げた。」

http://youtu.be/L8EdkH4blIA

 

一度は逃げたペシュメルガであるが、態勢を整えて戻ってきた。彼らは山地の一角を占領し、避難民の脱出路を確保した。その地域にたどり着けば、安全であり、水と食料を得られた。                 

              CNN

                <避難民について国連の報告>

UNHCR(国連難民高等弁務官)によれば、8月12日の時点でシリアには、1万5千人の避難民がいる。ドホークの避難民は3万5千人である。11日から12日の3日間にドホークに到着した数千の人々は、熱中症・脱水症状・極度の疲労の状態である。

8月12日の時点で、2~3万人がまだ山中に取り残されている。

トルコとの国境に近い町(Zakho)には、シンジャルとズマールから、合計10万人が避難している。

ドホークの避難民は、シンジャルからの3万5千人は一部に過ぎず、合計で40万人である。

  <http://www.unhcr.org/53e9ff869.html>

            <我々の宗教は地上から消えようとしている>

 「我々の宗教は地上から消えようとしている」とヤジディの指導者が語った。20万以上のヤジデイがなすすべなく祖国を追われた。祖国を守れなかったことが無念であり、おくればせながら軍隊を結成した。12月18日、声明を出した。「我々は、シンジャル防衛軍である。ペシュメルガと緊密な協力関係にあるが、自分たちはペシュメルガの一部ではない。故郷シンジャルを守るために結成された独立の軍隊である」。

         

                                   world hindu news

                   <、シェハンのヤジーディ教徒>

    シェハンにも ヤジーディ教徒が まとまって住んでいる。ヤズディの2大コミュニティーはシンジャルと、シェハンである。

                           

シンジャル地方には、土漠地帯に広がる岩山を取り囲むようにヤズディの町や村があったが、8月、「イスラム国」によって制圧されたことで消滅する危機にさらされている。

以上、地図と文はアジアプレス ; イラクのヤズディ教徒たち(3)◆聖地ラリシュ

 <http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/09/03064140.php>

 

シェハンには聖地ラリシュがある

         <ラリシュのムサーフィル廟>          wikipedia

         

 

  入口の門にはクジャク(孔雀)が描かれている。            アジアプレス

       

ヤジディ教徒はイラクのクルド人であるが、自分達はクルド人である前にヤジディであると意識している。独自の宗教を持ち、非常に閉鎖的な集団で、アルビルのクルド人とは結婚しないという。秘教的な側面が誤解されて、外部からは悪魔教とみなされることもあった。

太ヤジディ教は、太陽と孔雀(くじゃく)を主神とする宗教である。その昔、くじゃくは人間に味方し、天の支配者に反逆したという。彼らは、4000年前からその地に住んでいる古い民族であり、土地と民族の由来に対する愛着が彼らを偏狭にしているだけである。近隣の先進文明の宗教をすべて取り入れながら、基本は自然宗教である。

               聖地での儀式

      BBC

 

 

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イスラム国の進撃 6月 モスル占領

2015-02-18 00:06:02 | イラク

シリアでは、イスラム国は数ある反政府勢力のひとつにすぎなかった。しかし20146月以降、イラクで目覚ましい戦果をあげ、北部と西部を制圧した。イラク北部はシリアのハサカ南部と一体になり、イラクとシリアの国境線は消滅した。この国境は第一次大戦後、英国とフランスが設定したものである。。

イスラム国によるイラク北部制圧の最大の出来事は「モスルの陥落」である。

 

モスルの下町で、爆弾を積んだ自動車が爆発し、大きな噴煙があがった。続いて、イスラム国の部隊が市内に入った。スンニ派の住民は、彼らを歓迎した。バグダードのシーア派政府がスンニ派を差別し、抗議すれば弾圧していたからである。スンニ派住民はモスル市内に駐留している政府軍を、シーア派のごろつきとみなし、嫌っていた。

政府軍は、一日中机に座って酒ばかり飲んでいる、月給泥棒だという評判だった。

こうした背景があり、イスラム国はスンニ派に手引きされ、モスルを制圧した。

                      イスラム国の支配地                     

   

                ameblo tasogarekinnosuke2

 3日間の戦闘の後、6月11日、イスラム国の強さが明らかになり、モスルの政府軍は敗走した。政府軍の全面的な敗北だった。勝利者となったイスラム国は、人口200万の大都市モスルを占領した。

モスルを攻撃したイスラム国の兵士は、たった800名である。これに対し、守る側の政府軍は2個師団3万名という大軍であった。少人数で大軍勢を破る、劇的な勝利である。

ある政府軍の将校は言った。「われわれは、勝てない。敵(イスラム国)は市街戦に熟練している。不意に現れて撃ってくる。そして消えてしまう。妖怪のようだ。彼らはプロで、我々は未経験だ。」

相手の強さがわかると、政府軍の兵士は、さっさと逃げ出した。銃を捨て、軍服を脱ぎ捨て、平服に着替えて逃げた。政府軍2個師団は敗れたというより、蒸発したごとく消えた。

イスラム国の兵士たちは、あっけない勝利に驚いていた。たった3日間の戦闘で、彼らはイラク第2の都市モスルの支配者となったのである。

               <正規軍の武器をそっくり手に入れたイスラム国> 

政府庁舎と警察署にイスラム国の黒旗が翻った。支配者となったイスラム国は軍事基地から武器を奪い、銀行から4憶8000万ドルを奪った。

巨額の現金を手に入れたうえに、イスラム国が2個師団分の武器をそっくり手に入れたことは、空恐ろしいことである。イスラム国の戦士たちは、正規軍用のの武器を倉庫ごと手に入れた。それらはソ連製と米国製である。彼らは多数の重砲とミサイルを手に入れた。さらに機関銃7万丁、装甲車2300台という、驚くべき数量の武器・装備を手に入れた。

とりわけ、旧式のソ連製T-55戦車を30台、最近まで最新鋭だったT-72戦車10台を手に入れたことは、脅威だ。イスラム国はもはや国家の軍隊並みだ。空軍と海軍は欠如しているが。

               T-55                                     Jacob H Smith /US Army

          

     

                   T-72                                               Jacob H Smith/US Army 

         

2012年、シリアの反政府軍は小銃だけで戦った。対戦車砲がまれにアサド政府軍の戦車に命中すると、大戦果をあげたように喜んだ。対戦車砲は射程距離の短いRPGであり、ミサイルではない。少人数の部隊は、RPGさえ持たず、文字通り小銃のみであった。

2014年秋の動画で、イスラム国の戦車10台が次から次と通り過ぎてゆく様子は、国家の軍隊に等しかった。

イスラム国が手に入れたのは、戦車だけでなく、野戦砲とスティンガー・ミサイルを手に入れた。

移動車両も軍隊にふさわしいものになった。悪路に耐える四輪駆動車で、厚い装甲でおおわれている。ハンヴィー( Humvee)という名前の軽装甲車である。これまでは中古の軽トラックを乗り回していた。

         Wikipedia

(参考)   As ISIS Routs The Iraqi Army, Here's A Look At What The Jihadists Have In Their Arsenal

  <http://www.businessinsider.com/isis-military-equipment-breakdown-2014-7?op=1>

          <戦禍から逃れる人々>

 イスラム国との戦闘が始まると、50万人の市民が逃げ出した。「モスルは地獄のようです。いたるところ炎と死体です」と子供を連れた母親が言った。路上には兵士と警官の遺体が散らばっていた。市民の多くはチグリス川を渡り、北方のクルド地域に向かった。数千の家族が家を失った。

 

モスルを制圧すると、イスラム国の戦闘員は監獄を開放した。1500人が服役中だったが、その中のシーア派600人を殺害し、残りのスンニ派とキリスト教徒の囚人を連れ去った。

イスラム国の戦闘員はトルコの領事館に押し入り、領事と24人のスタッフを連れ去った。地元の警察の大佐が問い質すと、戦闘員は「彼らは我々と一緒の方が危険がない。彼らを安全な場所に移す」と答えた。

            

                                                                                        Newsweek                                                                                                                                                     

バグダッドの政府高官はショックをうけていた。彼らは軍の裏切りを怒り、モスルの略奪と秩序の喪失が、北部国境地帯を不安定にすることを恐れた。

イラクは10年前の米軍よるイラク侵攻以来、最大の危機に直面した。イスラム国の電撃作戦はイラクとシリアの国境を消滅させ、地域全体に戦火を拡大する勢いを示している。イスラム国の次の目標は首都バグダッドの攻略である。マリキ首相は米国に、空爆による支援を要請した。

米国が10年を費やして訓練した、有能で統一された軍隊という評判は一瞬にして崩れた。イラク侵攻と占領の過程で、米国は1兆円を費やし、4500人の兵士の命を失った。イラク側の死者は10万人を超えた。

              <イラク軍敗北の衝撃>

 3万人のイラク軍が800人のイスラム国軍に敗れたことは、米国にとって衝撃だった。イラク軍は正規軍としての訓練を受けてきただけでなく、戦車と戦闘機を保有している。通常であれば、イラク軍が勝利して当たり前である。最悪の場合でも、軍事施設と銀行は守り切れるはずである。それさえも捨てて逃げた。イスラム国の兵士が熟練した強兵であることは事実だが、イラク軍は戦意が乏しかった。

イラク軍60万人がモスルの3万人と同じく「張子の虎」なら、話は深刻である。イラクという国家に軍隊が存在しないも同然である。イラクは国家消滅の危機にある。北部のクルド国家は事実上独立国であり、南部のシーア派もバグダッドと南部を守り抜く過程で、両地域の支配権を自覚するだろう。西部の貧しい地域はスンニ派の部族地域として捨て置かれる。

 米国は新生イラク国家の支えとして、15個師団からなる陸軍に加え、空軍と海軍を整備・訓練した。これに警察と国内治安部隊を加えた総数60万人は、国内の反乱と国外からの侵略に対処できるはずであった。イラク政府がこの兵力に費やす予算は、年間56億ドルである。

しかしこの予算は正当に使われなかった可能性がある。2004年に実際にあった話だが、軍の人件費のかなりの部分が消えていた。存在しない兵士に給与が払われていたのである。軍の名簿には登録されているが、出勤しなくてもよい兵士がいる。給与の7割を部隊の上官に渡し、3割を自分がもらい、まったく勤務しない。巧妙かつ破廉恥な、軍末端での汚職である。

軍の上部では、購入されなかった武器に対し、代金だけ支払われた可能性がある。武器は高額であり、国家予算の大きな部分を占める。常に汚職の温床である。

          <イラク軍が弱かった理由>

 モスルはサダムの将校の町と言われ、多数の旧軍将校と旧バース党員が住んでいる。彼らがイスラム国を招きいれたのかもしれない。

それ以外にも、イラク将兵の心理に問題があった。2006年にイラクの国家警察を訓練した経験がある人物が回想する。

「今回のことは予想された。ある時モスルの知事が、軍の部隊にある町へ行けと命令した。すると大隊長は、その町は危険だから行かない、と答えた。命令に従わないのは、一般的な風潮だった」。

イラク軍将校のこのような傾向は、国民性によるかもしれない。イラク人は、命令に従わなければ即刻銃殺されるという状況でない限り、上官の命令を拒否するようだ。普通の軍隊では、ありえない。

 イラク軍がまれにみる弱軍になってしまったのは、政府が分裂していることにも原因がある。将校は、戦闘に対する気迫と能力を求められず、政党に対する忠誠度によって評価されるので、将校たちは、軍事のことを考えなくなった。シーア派政党の実力者と良好な関係にある将校は出世が約束され、金もうけに熱中し、軍事を忘れた。

 

            <シーア派独裁政権>

米軍の撤退後、マリキ政権は米軍が築き上げたスンニ派との協力体制を変更し、スンニ派を排除した。マリキ政権は、スンニ派の部族長を逮捕し、裁判所や中央銀行にシーア派を配置し、フセイン政権に代わる新たな独裁政権となった。軍隊についても同様で、スンニ派の軍人を粛清した。軍の上層部にとどまらず、連隊長以上をほとんどシーア派で固めた。2013年にスンニ派の不満は爆発寸前だった。マリキ退陣を要求する声は強く、国家は分裂に向かっていた。

したがって、モスルの将校と兵士の中のスンニ派は、最初から、戦う気がなかった。シーア派の政府のために自分の命を危険にさらすのは、まっぴらごめん、と考えていた。

       <モスルを陥落させたのはサウジアラビアだ >

イスラム国がイラク北部を制圧したことについて、マリキ首相は「サウジアラビアの陰謀だ」と発言した。イラン日本語放送が同様のことを伝えた。

ーーイラクのマリキ首相が、この数日、何度も明らかにしてきた陰謀には、一部の国が関与しています。このような見方を裏付けているのが、イラク北部のモスルにおける、サウジアラビアの情報関係者の存在です。

イラクのニュースサイトは、同国の治安筋の話として、「サウジアラビアの情報将校150人が、シリアとの国境からモスルに入った」と伝えました。この150人は、イラクの情勢を把握すると共に、イスラム国とも接触し、この組織を「革命的な」グループと呼んでいます。このような措置は、イラクの政府高官の強い反発に直面しました。様々な報道は、サウジアラビアの軍事・メディアの関係者が、イスラム国のテレビ局の開設に協力するため、モスルに派遣されたと伝えています。

こうした中、CIAおよびイスラエルの諜報機関とイスラム国とのつながりが明らかになりました。地域の軍事筋は、「イスラム国の指導者が、イスラエルで、諜報機関モサドのもとで軍事訓練を受けた」としています。また数々の証拠から、このテロ組織の指導者たちは、アメリカの諜報機関と常に連絡を取り合っていることが分かっています。イスラム国が使用している各種の武器は、地域や世界の国々の支持者から供与されています。

 

これらの事実は、このテロ組織の本質を示しています。このグループは、アメリカとサウジアラビアの資金によって創設され、現在、地域で陰謀を企てています。  

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ベイジ精油所をめぐる攻防

2015-02-06 04:30:05 | シリア内戦

湯川さんと後藤さんが殺害されたことで,イスラム国の残虐性は世界中の関心を集めたが、戦場では、すでにイスラム国は弱小集団になっている。半年前にめざましい躍進をしたイスラム国だが、今は見る影もない。さほど実力がない集団のプロパガンダに、2人の日本人が利用されてしまった。

しかも「イスラム国と戦う周辺諸国を支持する」という日本政府の明確な立場ゆえに。

イスラム国と戦っているはずの周辺諸国が、陰でイスラム国を助けている。

「サウジアラビアに向かって原油を運んでいたイスラム国のタンクローリー10台を空爆して破壊した」という報道がある。サウジは、イスラム国から原油を買い上げて、イスラム国を助けている。サウジが有志連合に参加するのは、世にも不思議なことだ。サウジとイスラム国は昔も今も、これからも友人だ。

 

        <イラクでイスラム国が躍進>

           イスラム国の支配地  2014年8月       

      

                             ameblo tasogarekinnosuke2

イスラム国は、2014年の夏、イラクの東部と西部を支配下に置いた。かなり広い領域を短期間に支配下に置いたので、「電撃戦」であった。軍の装備では、ナチス・ドイツと比べると、かなりお粗末であるが。

          4大精油所  アルビル・ベイジ・バグダッド・バスラ 

                             BBC

(説明)イラク北部にモスル(Mosul)があります。モスルの東にクルド人の首都アルビル(Irbil ) があります。モスルの南にベイジ(Baiji )があります。バグダッドの南東、チグリス・ユーフラテスの河口にバスラがあります。

 

               <ベイジ精油所をめぐる攻防>

イラク北部のキルクークには油田があり、イラク政府はあわてた。またべイジの精油所はイラクで最大であり、6月18日、イスラム国がべイジの町にせまると、イラクのマリキ政権はパニック状態に陥った。精油所はべイジの町から数マイル離れたところにある。イスラム国は精油所を包囲した。この製油所は莫大な富を生む。イスラム国がこれを手に入れれば、国家建設実現に一歩近づく。これまで資金源としてきたシリア東部の油田をはるかに超える、巨額の資金源を手にいれるからだ。ただし精油所があっても原油がなければ意味がない。北部のキルクークの油田はクルド人が守り、南部の油田はシーア派が守る。両者とも手ごわい敵である。原油の産出量は、南部の油田が9割を占め、北部のキルクーク油田は1割に過ぎない。

とりあえずは、イラク政府が製油をできなくなり、大打撃を受ける。     

 

               ベイジ精油所

                ZeroHedge

翌6月19日、すぐさまイラク軍の対テロ部隊が出動した。治安部隊や武装ヘリコプターの支援を受け、万全の態勢で臨んだが、イスラム国の抵抗は激しく、最後には精油所の隣の従業員宿舎に立てこもった。この日、精油所の敵を一掃できなかったので、マリキ首相は米国に空爆を要請した。

夜明け前に始まった戦闘により、燃料貯蔵タンク2基が炎上した

結局ベイジの攻防は11月8日まで続く。この日、政府軍が精油所の安全を確保し、町の大半を取り戻した。しかし、町の3分の1はまだイスラム国が占領している。

                        炎上するベイジ精油所の燃料タンク

         

                                       Reuters                                                                                                                        

米軍の空爆は、イスラム国の戦闘員を多数殺害し、イスラム国に大きな打撃を与えた。犠牲者には司令官も多く含まれていた。また空爆によって通信手段を破壊したので、イスラム国の兵士は命令を伝えたり、連絡を取り合うことができなくなった。地上では、政府軍とクルド人部隊が本格的な攻勢に出て、イスラム国の兵士は防戦するのがやっとになった。戦いの流れは完全に逆転した。

 夏の時点では、イスラム国を敗北に追い込むには3-4年かかるだろうと考えられていたが、現在では(2015年1月末)、今年中に決着がつくと考えられている。

  

しかし、これは楽観論だとする慎重論もある。イラクのアンバール県では、イスラム国は攻勢に出ている。また、現在は全般的に劣勢だが、再起の可能性もある。スンニ派の不満が解決する見通しが立っていないからである。

       

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先にカサスベ中尉を殺し、次に後藤さんのはず?

2015-02-03 14:27:58 | シリア内戦

      

                                         sadegh  ghorbani twitter

後藤健二さんは予告通り殺害されてしまった。イスラム国の脅しは口だけではない、と改めて相手の残忍性を思い知らされた。しかし、よく考えてみると、イスラム国は殺害予告の肝腎な部分を実行していない。

 

イスラム国は次のように予告した。ヨルダン政府がサジダ死刑囚を引き渡さなければ、「後藤健二さんよりも先に、ムアズ・カサスベ中尉を処刑する」。しかし、イスラム国は後藤さんを殺害しながら、カサスベ中尉については沈黙している。中尉は既に死んでいるのに、ヨルダン国内を混乱させるために、生きているかのような嘘をついただけかもしれない。あとは知らんふり、というわけである。

        

しかし、カサスベ中尉は生きていて、イスラム国は別の機会に彼を取引の材料にするつもりである、と考える専門家もいる。

後藤氏だけを予告通り殺害し、カサスベ中尉については知らんふりを決めこむのは何故か、イスラム国の意図を知りたい。

 

カサスベ中尉が生きていることの証明は簡単にできるのに、それをしないのは、彼が死んでいるからだ、という推測は自然であるが、別の理由も考えられる。現時点では彼を釈放するつもりがない。それでイスラム国は彼の生存を証明する必要を感じない。イスラム国は「サジダと後藤さんとの一対一の交換」と言っており、カサスベ中尉を渡すとは一言も言っていない。サジダを渡さなければ、カサスベ中尉と後藤さんを殺すと言っているだけである。

         AP

 

カサスベ中尉の釈放は、ヨルダン政府が勝手に言い出したものである。なぜか。ヨルダン国民60人を殺した人間を簡単には釈放できない。国民は死刑の執行を求めている。サジダ死刑囚を釈放するには、よほどの見返りがなければならない。外国人の後藤さんでは引き合わない。見返りにふさわしいのはカサスベ中尉だ。それでヨルダン側はカサスベ中尉を要求した。できれば後藤さんも釈放してほしいと付け加えたかもしれない。

ヨルダン側が出してきたカサスベ中尉の釈放という要求を、イスラム国は突っぱねた。中尉が死んでいたので無理だったのかもしれないが、サジダと中尉の交換は割に合わない、損だと考えたのかもしれない。

有志連合の空爆によって多くの仲間が死んだ。空爆を行った飛行隊の一員であるカサスベ中尉は死刑に値し、彼は生きることは本来許されない。余程の交換条件でなければ、釈放は考えられない。サジダ一人では、その条件を満たさなかった。

 

カサスベ中尉が非常に価値がある捕虜であることが、彼の殺害が予告されると、明らかになった。ヨルダン世論は沸騰した。これには同国人の死に対する心配というだけではない、別の理由がある。

 

   <ヨルダン国民は有志連合参加に反対>

そのひとつは、ヨルダン国民はイスラム国を空爆することに反対していたことである。有志連合はキリスト教国のアメリカを中心とする軍事同盟であり、イスラム教徒の土地を空爆することを目的としている。アメリカというキリスト教の帝国の戦略的判断に従い、隣国を攻撃することに、国民は反対した。カサスベ中尉の父親は「隣国の問題に軍事介入することは、祖国を守るという息子の任務を超えている」と述べ、有志連合に参加したこととを批判した。

湾岸諸国はシリアのアサド政権を敵とし、これまでイスラム国をはじめシリアの反政府勢力を支援してきた。いまさら「イスラム国は敵である」と言われても、なんのことかわからない。

 

ムアズ・カサスベ中尉の運命が世論を揺り動かした理由のもう一つは、彼がヨルダン国王を補佐する有力部族の一員であるということである。いくつかの有力部族が国王を支えており、これらの部族出身者が軍の中核を形成している。カサスベ中尉は将来ヨルダン軍の幹部となることが期待される、若きエリート将校である。彼の運命は国防軍にとって自分たちの問題であり、有志連合参加の是非を改めて考えざるを得ない。

 

ヨルダン政府は「イスラム国がカサスベ中尉を殺害するなら、サジダ死刑囚だけでなく、その他の捕虜も複数名、処刑する」と警告している。殺害候補の数名は、捕虜のなかでもリーダー格の戦闘員であり、イスラム国にとって、実際問題としてサジダ死刑囚よりも重要かもしれない。

 

カサスベ中尉が生きていればの話であるが、イスラム国は交渉の対価として中尉の価値を知り、最大限の取引をしようと、ずるい計算をしているのではないか。

 

イスラム国は残酷であり、日本の総理は「テロリストの要求には屈しない」という原則を貫いたので、後藤さんの死はやむを得ない結果だった、あきらめるのは誤りである。日本政府の対応は、原則をかかげ一本調子で、もう一歩の努力が欠けていた。

ヨルダン政府もイスラム国も、必死で情報収集をおこない、計算しつくして行動している。日本政府は「テロリストの要求には屈しない」という立場を決めて、それで終わり、としたのではないか。

 

  <周辺諸国はイスラム国を敵と思っていない>

安倍首相は「イスラム国と戦っている周辺諸国を支援する」ことを強調したが、周辺諸国は、本当はイスラム国の空爆に参加したくない。ヨルダン政府は米国から難しい選択を迫られ、やむなく受け入れた。サウジアラビヤとカタールはイスラム国の育ての親である。この2国の富裕層がヌスラ戦線とイスラム国に資金を援助したことは定説である。この2国の空軍がイスラム国を空爆するのは、味方を攻撃するようなもので、訳がわかからない。

 

    <サウジの天敵はイラン>

サウジアラビヤにとって不倶戴天の敵はイランである。イランはイラクのシーア派政府とシリアのアサド政権を支えている。イラン・イラク・シリアの堅固な同盟は、サウジアラビヤという人工的な国家を吹き飛ばす潜在力を持っている。イラン・イラク・シリアは古い伝統を持つ国であり、サウジ王国は100年前に誕生した新興国である。米国の支持と石油のおかげで地域大国の地位を保持しているが、国家の基盤は弱い。

 

サウジアラビヤの油田地帯にはシーア派住民が多く、彼らが「アラブの春」を起こしたら、サウジ王家はおしまいである。湾岸地域でシーア派の勢力が強まることを、サウジ王家は死ぬほど恐れている。

サウジは、シリア・イラン同盟をびくびくしながら注視している。2012年、シリアでは全国的に反政府軍が蜂起し、アサド政府軍は劣勢におい込まれた。しかしアサド軍は2013年に立ち直り、巻き返しに成功した。それでも米国は軍事介入をしない。この時のサウジ政府のうろたえぶりは記録に値する。

「米国は何を考えているのかわからない、頼りにならない」とサウジは痛切に感じた。米国と縁を切ることさえ考えた。自立外交の手始めに、ロシアに接近した。親米派で有名なバンダル王子がプーチンと会談し、ロシアと協力関係を築こうとした。しかし結局、具体的な成果には至らなかった。また米国の禁止を無視して、シリアのイスラム系反政府軍に武器と資金の援助をおこなった。ヌスラ戦線・イスラム国・その他のイスラム系諸派は、対戦車ミサイルを与えられ、資金援助を受け、自由シリア軍に替わる反政府勢力になった。シリア内戦はますます代理戦争の性格をおびた。

 

   有志連合による空爆  標的はコバニのイスラム国 

               Kutluhan Cucel - Hufington

イスラム国はアサド政権と戦っており、サウジにとって友軍である。サウジはヨルダン以上に迷いながら、有志連合に参加した。有志連合に参加する各国空軍がイスラム国を空爆する様子は壮観であり、成果もあった。空爆を受けたイスラム国の損害は大きく、空爆をおこなった国に対するイスラム国の憎しみは大きい。

しかも、空爆に参加した諸国は、内心迷っている。イスラム国を攻撃することの必要性を感じているのは米国だけである。

 

その米国も一枚岩ではない。マケインに代表される一派は、あくまでアサド政権打倒を主張している。彼らはイスラム国を弱体化させる結果、アサド政権が強化されては、本末転倒だと考えている。

 

  <トルコにとってイスラム国は敵でない>

トルコにとって敵はアサド政権とクルド人である。クルド人が独立すると、トルコは東部の大きな部分を失ってしまう。

 

シリアでイスラム国がクルド人を攻撃した時、トルコはクルド人を助けようとしなかった。敵を助ける必要はないので当然である。イスラム国がコバニを攻撃し、コバニは陥落寸前になった。コバニはクルド人の町である。トルコは知らんふりをしていた。イラクのクルド人がコバニのクルド人の応援に駆けつけようとした。するとトルコは自国領の通過を拒否した。米国にせっつかれて、しぶしぶ許可した。トルコがいかにクルド人を敵視しているか、その後再び明らかになった。有志連合の空爆に助けられ、コバニのクルド人が持ちこたえた。今度はイスラム国が劣勢になった。するとトルコはイスラム国に援軍を送った。

 

    <分裂要因があるイスラム国>

イスラム国を危険な敵と考えているのは、米国のみである。イスラム国は世界各地から集まった烏合の衆であり、まとまるのが難しい。土着性も無いので、シリアに根を張って、着実に地方政権へと成長できるか、疑問である。

          デリゾールの Kharta 油田     word bulletin

              

ただISISの支配下にある東部の県は石油を産出するので、石油の値段が上がれば、確実な資金源となり、烏合の衆が、時間と共にまとまっていくかもしれない。日本の自民党がお金の力でまとまっているのと同じように。ただし近くにクルド人がいるので、絶えず衝突が起きる。トルコはイスラム国の成長よりも、クルド人の成長を恐れている。

それにもかかわらず、日本の首相は「イスラム国と戦っている周辺諸国に支援を約束します」と宣言した。

誰が敵で誰が味方かわからない、混乱した状況の中に、軽率に飛び込むべきでない。

 

   <ヨルダン人パイロットは解放された>

一般に報道されていることを踏まえたうえで、最後に、とんでもない情報を紹介します。

イラン・日本語ラジオの29日夜8時の放送です。

ーートルコの複数のメディアは、ヨルダン政府がサージダ・リシャーウィを釈放したことと引き換えに、29日木曜、ヨルダン人パイロットは解放されたと報じています。

日本人の人質、後藤健二さんの安否は今も不明です。ヨルダンの政府関係者も、このパイロットの解放に関して正式な見解を表明していません。

これ以前、一部の情報筋は、「ヨルダンに収監されていたリシャーウィ死刑囚がシリアに入り、ISISのメンバーは日本人の人質と交換するために地域で待っている」と報じていました。  ーーーーー<http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/51717-%E3%A8%E3%AB%E3%80%E3%B3%E4%BA%BA%E3%91%E3%A4%E3%AD%E3%83%E3%88%E3%8C%E8%A7%A3%E6%BE%E3%8B>

 

   <ひょっとして、後藤さんは生きている?>

 

ヨルダンの新聞も、サジダ死刑囚は後藤さんと交換のために、イラクに向かった、と報道しました。トルコの報道が正しければ、ヨルダン政府は嘘をついており、事実をわかりにくくしています。ヨルダンが釈放したのはサジダだけでしょうか。イスラム国は後藤さんを釈放したのだろうか。殺害ビデオは合成でしょうか。政府が秘密取引をした場合、メディアは無力です。

安倍首相がトルコ政府に感謝しているので、変だなと思いました。トルコが黙ってサジダを渡せば、後藤さんは死なずに済んだ。トルコはカサスベ中尉の解放を持ちだし、彼の生存の確認を要求し、交渉を破壊し、後藤さんは予定通り殺されてしまった。日本人として感謝することなど何もない。ひょっとして、後藤さんは生きている?

 

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