たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

中国の防空識別圏は前代未聞

2013-12-29 13:35:02 | 日本の政治

<http://blog.goo.ne.jp/fuwa_toshiharu/e/42bbd80248de444a057848d88aed178f>

gooブログ「ネットde新党」の記事「半藤一利<昭和史>を読んでみよう 5」に、片山さつき議員のラジオでのインタビューが埋め込まれれているが、彼女の発言は、問題の核心をついており、ネットには他に例がない。それについて書く前に、前回私が書いたことに、認識不足な点があったので、それから始めます。

  私だけでなく、防空識別問題については正確に理解されていないように思います。ネットとyoutubeで、あれこれ読んだり聞いたりして、おおよそ理解できたような気がした時に、田母神元航空幕僚長の文章を読んで、面食らいました。なにか話が違うという感じです。

 その原因は、防空識別圏を領空の延長のように考えるからです。両者は本質的に違います。領空侵犯というということはありますが、防空識別圏侵犯ということはあり得ません。防空識別圏内は飛行自由です。基本的に公けの空です。したがって他国の航空機に対する規制は一切ありません。警察の職務尋問と同じで、間接的にさらりと質問する以上のことはできません。

 他国の航空機全般に対しては一切強制力がない。そういう条件下で、防衛する側は、攻撃の意図をもって領空に侵入してくる敵機を、的確に識別しなければなりません。

 だから、防空識別圏とは、有っても無いようなもので、防衛する側が工夫して敵性機を識別しなければなりません。自国の国土交通省から民間旅客機の飛行計画を手に入れて、とりあえず、無害な航空機を把握しておくというのも、その一つです。

 防空識別圏は、領空と違って、軽い意味しかありません。だから、一方的に設定できるのです。

  また、防空識別圏を公表していない国もあるということです。その場合、どの範囲が防空識別圏なのかわかりません。したがて、飛行する航空機には、自分が防空識別圏に侵入したかどうかもわかりません。防衛する側が勝手に設定して、偵察・監視活動活動をおこなっているだけです。

 田母神氏以外には、ヘーゲル米国防長官が同じこと言っています。「民間航空機が、海岸から遠く離れた外洋を飛ぶ場合、まして自国に向かうのでなく、ただ通り過ぎる場合、防空識別圏内であっても、関係ない。そのような民間機に対し、飛行計画を出せというのは変な話だ。」

 この点を予備知識として持っていないと、田最母神元幕僚長の文章が理解できません。

 以下、田最神元幕僚長のブログ「防空識別圏の設定」から引用します。

 [引用開始]--------------------------------

(前略)

 外国に対しウチの防空識別圏はこうなっていますから、許可なく飛んでもらっては困るというようなものではない。防空識別圏を設定することによって、そこを通過する航空機に何か報告義務を課すことは出来ないし、行動を制約することも出来ない。

 我が国では防衛省の訓令で防空識別圏を定めており、航空自衛隊は我が国の防空識別圏に飛来する全ての航空機の識別を24時間態勢で常時行っている。

識別は、航空自衛隊が国土交通省から入手した民間航空機の飛行計画との照合によって、また電波で航空機に対し応答信号の発信を求めることによって実施される。

国際線を飛ぶ民間航空機などは、国際民間航空機関(ICAO)が定めているコードによって常時応答信号を発信することが義務付けられている。不審機と認められる場合には、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進をして不審機に接近、国籍や飛行目的の確認を行っている。

 防空識別圏そのものは、どこに設定しようが各国の自由であり、それを日本のように公表している国もあれば、また公表していない国もある。

各国とも勝手に防空識別圏を設定しているのであり、中国が今回のように防空識別圏を設定すること自体は、何ら問題はない。

中国に対し防空識別圏を撤回させよという意見があるようだが、それは、おかしな話である。問題は中国が、防空識別圏の設定と同時に公告した公示内容である。

 今回の中国の公告によれば、「防空識別圏は中国国防省が管理する」とした上で「圏内を飛ぶ航空機は、中国国防省の指令に従わなければならない」とし、「指令を拒否したり、従わなかったりした航空機に対して中国軍は防御的緊急措置を講じる」と明記されたのである。

中国の発表は、防空識別圏に名を借りた空域の管轄権の主張であり、我が国などにとって受け入れられるものではない。

公海上空の飛行の自由は国際法上認められた各国の権利であり、これを侵されてはたまらない。

まして尖閣上空に防空識別圏が設定されて、その管轄権を主張されたのでは、尖閣諸島は中国のものであると言っていることになる。中国はそれを意図して今回の設定を行ったことは明らかであり、我が国が激しく反発したことは当然である。

 貼り付け元  <http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11715953977.html

 ---------------------------------[引用終了]

 中国が防空識別圏を新たに設定することは自由ですが、それを領空として適用していることが、前代未聞だというのです。

それだけでなく、本来の目的とは異なる目的のために防空識別圏を無理に利用したということです。その目的とは、大陸棚が中国の経済水域であると主張することと、尖閣諸島の領有です。

 そのことは、防空識別圏をどのように設定したかをみれば、明らかです。

新しく設定した中国の防空識別圏が日本のそれと重なることはやむを得ないとしても、問題なのはその重なり方です

。中国沿岸と沖縄の中間を境界とせず、沖縄の近くまで張り出してきています。それは、大陸棚は中国の経済水域であるという主張にあわせる形で、防空識別圏を設定したからです。

 また尖閣諸島が中国の領土あるという前提で、防空識別圏を設定しています。ヘーゲル国防長官は言っています。「中国による防空識別圏設定は、領有権の主張を目的としており、非常に特殊である。」

 ヘーゲル国防長官と田母神幕僚長外に、この点をはっきりと問題にしているのは、片山さつき議員です。

防空識別圏を設定することによって、中国は「尖閣諸島は中国が領有する。大陸棚は中国の経済水域である。」と宣言したのである。したがって日本政府は猛烈に反発した。

 マスコミとネットの多くは、聞きなれない防空識別圏という言葉に惑わされて、中国の露骨な策謀に気づかなかった。

 海で戦われている国境紛争が、空でも始まったということです。片山議員が言う「中国という国は黙っていたら、どんどん出っ張ってきますから、おしかえさなければ、だめです。」という状況です。

 

 <青線で囲まれた濃い青の部分が日本の防空識別圏。

赤線で囲まれた赤い部分が中国の防空識別圏>

  <CNN中国の防空識別圏設定で高まる緊張>から借用

貼り付け元  <http://www.cnn.co.jp/world/35040613-2.html>

 

 

 

 

 

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中国の防空識別圏を米が認めたという報道は真実か

2013-12-25 08:42:50 | 日本の政治

                                               Goo ブログ「インターネット新党」の「見識に欠ける片山さつき」から引用します。

 [引用開始]--------------------------------------------

 先日、自民党の片山さつきがラジオに出演していた。

メインテーマは彼女が深く関わっている「生活保護法改正」だったのだが、彼女が色めき立ったのは、その後の中国による「防空識別圏変更」の問題である。

 彼女自身「この問題は私の専門分野」とさえ言っていたのだが、そこから聞こえてくるのは「場合によってはドンパチ」とか「中国は一歩引いたら、百歩踏み込んでくる連中だ」といった、高校生レベルの単純な交戦論でしかない。

 貼り付け元  <http://blog.goo.ne.jp/fuwa_toshiharu/e/42bbd80248de444a057848d88aed178f>

 -------------------------------[引用終了]

 文章の終わりに、片山さつき氏の「国会演説」の音声が埋め込まれていたので、それを聞いて、「防空識別圏」問題の重要性について知った。「インターネット新党」の著者が再びこの問題を取り上げてくれるのを待つつもりでいたのですが、気になって、自分で調べてみました。

 「防空識別圏」問題はかなり深刻です。「防空識別圏」とは領海と同じような「領空」のようなものです。ただし、ジェット戦闘機・爆撃機はマッハ2というスピードなので、領海の上空まで敵機を侵入させてしまっては、次の瞬間には本土が攻撃されてしまう。それで「領空」は「領海」と一致させずに「経済水域」とほぼ一致したものにします。しかし、これを規定する国際法はなく、各国が勝手に設定し、敵機がそれを犯した場合空中戦になるということです。民間機がそれを犯すと、撃ち落されて終わりです。

 第二次大戦後、アメリカ軍が東シナ海の上空に設定した防空識別圏に挑戦する国はありませんでした。

 今回中国が初めてそれに挑戦しました。アメリカの防空識別圏の内側に食い込む形で、中国の防空識別圏を新たに設定したのです。陸上の話でいえば、国境線を勝手に引き直したのです。アメリカ空軍が黙っているはずがありません。尖閣諸島の場合、日本の島と経済水域に対する挑戦でしたが、今回は米空軍に対する挑戦でした。もちろん同時に日本の航空自衛隊に対する挑戦です。

 米空軍は南西諸島上空での訓練を、今までのようにはできなくなります。訓練のための空域のうち西端部分を失うことになります。

 また民間航空機は東寄りに航路を変更しなければなりません。今まで通りの航路で飛びたいのなら、日本にではなく中国に飛行許可を申請しなければなりません。

 米軍が設定した空の国境線を真っ向から否定することは、米軍に対する宣戦布告に等しい。米軍は認めるはずもなく、中国は引き下がるしかない。中国は、できるだけ面子を失わずに引き下がる方法を探すしかない。これが、米メディアの一般的な見方です。

 ところがです。Yahooニュースが,新華社のとんでもなない話を転載していました。

 [引用開始]--------------------------------------

  <新たな大国関係を模索する中米にとって、「反中興奮症」の日本の存在はさほど重要ではない>

 

 中国の防空識別圏問題で、「反中興奮症」にかかっている日本はホワイトハウスに対し、安倍政権との一致を保つよう強く求めた。中国に防空識別圏の撤回を求める共同声明の発表を迫ったのだ。

 日本は米国を対中抗争の最前線に立たせようとした。だが、日本の要求は米国に拒絶されてしまう。しかも、米政府は自国の航空会社に対し、中国当局への飛行計画提出を“助言”した。日本政府が自国の航空各社に「中国への飛行計画提出を拒否するよう」毅然と要求した直後である。

 貼り付け元  <http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131205-00000024-xinhua-cn>

 -------------------------------[引用終了]

 

超大国アメリカが認めるはずがないことを、現在のアメリカは認めてしまうのだろうか。私はこの記事を読んで愕然としてしまった。

ネットの一部では、最近、米中接近が語られている。それも、ニクソン・キッシンジャー時代の時よりもさらに密接な関係である。上記の引用文で、新華社が米中の信頼関係を誇らしげに語っているが、これが現実なのだろうか。アメリカという国に今地崩れが起きているというのは本当なのだろうか。

 もしそうなら、片山さつき議員が主張するように、航空自衛隊は中国空軍との空中戦を覚悟しなければならない。もちろん、戦略を練ってからの話であるが。空中戦の決断は、政治も含めた全戦略が決まってからで遅くない。

 

ただし、ロイターは新華社と正反対のことを伝えている。

 [引用開始]----------------------------------

 12月6日、副大統領ジョー・バイデンは、尖閣諸島上空に中国が新たに設定した防空識別圏を、合衆国政府は認めない、と語った。

 バイデンは北京での会談について触れて、言った。「私は、大統領に代わって、これ以上ないほどはっきりと言った。われわれは、今回中国が設定した防空識別圏を認めない。アメリカ空軍は完全にこれを無視する。完全にである。」

 -----------------------------[引用終了]

 

新華社がとんでもないデマの報道をしたようであるが、万一密約があり、バイデンの方が嘘をついているとしたら、空恐ろしい話である。政治・軍事・外交は何が起きてもおかしくない闇の世界である。

 

  

 

 

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<シスレー> 光の賛歌 印象派展から

2013-12-23 07:26:27 | 文化

gooブログ「ハロルド」の記事を紹介します。現在東京では、印象派の美術展が同時に三か所で開催されており、著者はその三つの展覧会をすべて見て回ったということです。どれも素晴らしかったが、特にシスレーを中心にした展覧会が一番印象に残ったと書いています。

 西洋絵画の愛好家にはよく知られているシスレーですが、一般的にはそれほど有名ではありません。知名度という点では、ルノアール・モネ・マネ・ドガにだいぶ遅れをとっています。

 「ハロルド」の著者のように「シスレーが一番良かった」という人は少ないと思います。私自身好きな作品の数でいえば、圧倒的にモネの方が多いです。

 ただ東京に住んでいた時期、よく美術展に足を運んでいましたが、その時シスレーの絵の素晴らしさに気づいたことがあります。それで「ハロルド」の記事を紹介したくなりました。

 [引用開始]----------------------------------------

東京富士美術館

「光の賛歌 印象派展ーパリ、セーヌ、ノルマンディの水辺をたどる旅」

2013/10/22-2014/1/5

 

都内で行われている印象派関連の展覧会。(2013/12現在)いずれも大規模。それぞれに個性があり、また見応えがあった。さて一方で「光の賛歌」。会場は都心から離れた八王子の東京富士美術館です。ともすると埋没してしまう感があるかもしれません。

しかしながら会場へ足を運んで驚くばかり。まさかこれほど充実していたとは思いもよらない。それこそ上記の3つの展覧会と比べても遜色ない内容となっていました。

さて充実の「光の賛歌」、まず際立つ個性とは何か。それはシスレーです。本展はサブタイトルにもあるようにセーヌやノルマンディの景色、つまり印象派画家の描いた「水辺」に着目していますが、その中でも重要なのがシスレーの扱い。全80点弱中、シスレーが17点を占めている。近年の印象派展においてこれほどまとまって出ているのを見たことがありません。

 貼り付け元  <http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/eae3fb750565208a4a4ec3fc0d7d27b1>

-------------------------------------------[引用終了]

 著者はいくつか絵画の写真をのせ、解説をしているので、サイトを訪れて続きを是非読んでください。

 

 以下にウィキペディアから、シスレーの伝記のごく一部とかれの絵を一枚紹介します。

------------------------------------------------

 1868年、シスレーの作品はサロンに出展され入選を果たすが、あまり評価されなかった。

1870年、 普仏戦争勃発に伴い父親が破産し、経済的必要を満たすために作品を売るしかなくなる。しかしシスレーの作品はなかなか売れず、以後彼は死ぬまで困窮した中で生活することになる。

  

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アサド軍によるダマスカス周辺の敵一掃成功か

2013-12-19 08:30:19 | シリア内戦

 

シリアの最近の戦況がYouTubeで確認できた。1114日投稿のビデオの説明文によると、アレッポで、アルカイダ系の部隊が自由シリア軍の本部を襲撃した。

 

襲撃された自由シリア軍は地元の人間で構成されており、「バドル殉教者旅団」と名乗っている。名前からすると、イスラム系にも見えるが、実質はあくまで非アルカイダ・自由シリア軍だろう。結成当時は世俗的だったグループが、アルカイダ系組織の戦闘ぶりに刺激され、部隊名を宗教的ものに変えたのかもしれない。あるいは、食べ物と武器弾薬に事欠き、「ひげをはやすとカタールから援助が得られる」というのと同じ理屈で、部隊名を宗教的なものにしたのかもしれない。

 

襲撃した側のアルカイダ系とは、「イラク・レバントイスラム国」である。ヌスラ戦線ではない。シリア北部では最近「イラク・レバント」の動きが活発である。北部を自己の領土として固めようという動きが顕著である。

 

アルカイダ系部隊と地元出身者からなる自由シリア軍との対立が、あいかわらず激しいことを示す一例である。

 

 

また、1119日投稿の別のビデオの説明文によれば、政府軍はダマスカス北方100kmに位置する町を奪回した。

 

ダマスカスを取り巻く反政府軍にとってこの町は重要である。かれらに対する補給は、レバノンからこの町を通っておこなわれている。この町の名前はカラという。

   

 

クサイルを失うことによってホムスの反政府軍は敗北した。カラを失ったことで、ダマスカス周辺の反政府軍は窮するだろう。

  

カラ攻略に成功したアサド政府軍は、念願の「ダマスカス周辺の反乱軍を一掃」という目的に一歩近づいた。ホムスとダマスカスの中間に陣取っている敵を一掃することは、両都市の安全を確保することにつながる。

 

                      <反政府軍の支配地域=黄色の部分>

    

        地図はワシントン・ポストより 

[説明]

          西側に南北に主要都市が連なって位置している。南から北へ順番に、ダラ・ダマスカス・ホムス・ハマ・イドリブ・アレッポの各都市がある。                  

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シリア内戦の現状と今後の予測

2013-12-15 23:27:47 | シリア内戦

 アメリカ軍によるシリア攻撃が回避され、アサド政府軍が優勢という現状は維持された。昨年(2012年)の暮れには、「アサド政権の崩壊は間近である」という報道がなされた。ちょうど一年になるが、予想はみごとにはずれた。ジャーナリズムの予想がはずれるのはともかく、シリアで戦況を視察してきた米国防総省の情報員も、「アサド政権は二か月ともたないだろう。下手をすれば、数週間で倒れるだろう。」と報告していた。

 

シリアのほぼ全土で武装反乱が起こり、国軍はすべての地域に対応できなかった。国軍の将兵は脱走し、反乱グループを組織した。

反政府軍の支配地が拡大し、アサド政権は国土の半分以上を失った。主要都市のほとんどが戦場となった。このような状況を見れば、「政権の命運は尽きた」と考えるのも当然である。アサド政権転覆を考えていたアメリカ政府は、目的達成も間近であると予測した。

 

2011年、トルコにアメリカ人が姿を現し、車を乗り回していた。トルコのニュースでは、CIAが動き回っていると報じられた。米国はアサド政権転覆に加担した。イラクからの撤退を決定した時であり、オバマ大統領はシリアで戦争を始める考えはなかったが、CIAは謀略を進めた。若干の武力衝突と、全国的な反政府デモによって、政変が起きるだろう。しかし政変は起きなかった。

 

2011年の6月、ダラアのデモの際、デモの一部と警官隊の間で武力衝突が起きた。この段階では偶発的な事件に思われた。しかしこの頃すでに、政権に不満な住民に武器を配る準備がなされた。警察官の一人が、「連中はいつの間にか、各自が銃を持っていいた」と語っている。住民に武器を配るだけでなく、アラブ諸国から募集したイスラム志願兵をシリアに送り込む準備もなされた。こうしたことは2012年に本格的になるが、2011年の後半から小規模に始まっていた。

 

2012年の反政府軍が成功したのは、アサド政府軍には戦闘の実戦経験がなく、初めての事態にとまどったからだ。戦場が全国各地にあるので、対応に苦慮した。「全国に展開するには兵数が足りない」と政府軍の将校が語っている。

 

反政府軍のそれぞれは、取るに足らない相手だったが、シリア各地に散らばっていた。反政府軍の数は1000を超えると言われる。シリア国軍はイスラエルなど外国との戦争のために存在していた。主力部隊と軍備はダマスカス周辺とホムス周辺に集中していた。いかなる反乱グループも政府軍の敵ではないが、反乱グループは全国に散らばっていたため、政府軍にとって、際限のないモグラたたきになった。

 シリアにかぎらず、国家の軍隊は主要な戦場を想定してつくられている。広大な地域に、分隊レベルの少人数の敵が散らばっている状態は、想定していない。

これまでの戦争は、一つの戦場で戦われてきた。決戦場で勝利することを目的に、国家の軍隊が編成された。軍事指導者は兵力を分散させることを嫌った。大兵力がまとまっていれば、有利である。2つの戦線があることは大きな負担となる。

このことは第一次大戦の原因になった。ドイツは東西の2つの敵を恐れたため、ロシア軍が強大になる前にこれを滅ぼそうと考えた。ドイツは東のロシアと西のフランスを同時に相手にするだけの戦力がなかった。それぞれ一か国を相手にするなら、ドイツに勝算があったが、フランスとロシアを同時に相手にする場合、ドイツは勝てる見込みがなかった。幸い日露戦争後、ロシア軍は弱体化していた。しかしその後ロシアは着々と軍の再建を進めており、ドイツにとって、露・仏同盟は脅威となった。ロシアが軍事力を充実させた時点では、ドイツは勝てる見込みがなかった。ドイツ軍参謀総長モルトケは、ロシアが弱いうちに戦うことを望んた。セルビア問題は露・仏を先制攻撃するチャンスとなった。 

 

アサド軍は戦場の多さにとまどった。軍を派遣すれば、武器の優越が歴然としているので、反乱軍を一掃したが、敵はあちこちにいる。

一方反政府軍はアサド軍と本格的な戦争をする力がない。ゲリラ戦しかできないので、決定的な勝利を得ることは不可能である。

 シリア北部の反政府軍は一大勢力ではあるが、まとまった一つの軍団ではない。中隊・小隊規模の部隊が1000以上あり、大隊規模の部隊は10個程度である。そしてこれらの部隊は互いに独立している。これらがひとつにまとまり、軍隊として本格的な軍事作戦を行なうのでないかぎり、反政府軍に勝利はない。

 

北部でイスラム過激派が行ってきたラタキア攻略の際、せめて北西部の反政府軍全部、一緒に戦うべきである。一か所に全軍が集まっても政府軍に勝てないが、陽動作戦を繰り返し、数か所を攻撃すれば、チャンスが生まれる。反政府軍がアレッポで成功したのは、兵数が多いからである。

 

ラタキア攻撃には戦略的な意味がある。トルコと接する国境地帯を、反政府軍の支配地にするためである。また、海路による補給の港をアサドから奪うことになり、自分たちが使用することができる。

     地中海に面するラタキア地方

   

[説明] 地図の左端が地中海です。地中海沿岸に、南から北に向かって順番に、トリポリ(レバノン領)・タルトゥース・ラタキアの三都市があります。

 

これだけ重要な意味を持つ作戦なのだから、北部の反政府軍全体で取り組むべきである。しかし北西部の数えきれない部隊は、自分の根拠地を守ることしか考えていない。また反政府軍は住民の支持がある地域にしか生まれていない。 アサドを支持する地域には、反政府軍は存在しない。ラタキアは大部分の地域がアサドを支持しており、反政府軍の地盤がない。反政府軍は支持者のいる地域に根を張っているのである。

アメリカが援助しようとしている世俗的自由シリア軍は、地域住民が武器を手にして戦っているのであり、地元で戦い、地元を守りぬく、という発想が強い。地元という観念を捨て、新しい信念のもとにまとまらない限り、一つの軍隊となることはできず、アサド正規軍を打ち負かすことはできない。

この点では、地域密着型ではないアルカイダ系のヌスラ戦線とイラク・レバント・イスラム国の方が将来性がある。彼らは戦略的発想ができる。しかし彼らだけでは、少人数であり、アサド軍に勝てない。全自由シリア軍が彼らの同盟者にならなければならない。しかしイラク・レバント・イスラム国と自由シリア軍の反目は修復しがたい。ヌスラ戦線は自由シリア軍との協力が可能である。ヌスラ戦線を中心にまとまらない限り、反政府軍に勝ち目はない。

 

短期間でアサド政権が倒れることはないとはいえ、このまま各地で戦闘が続けば、政権の体力は徐々に弱まる。戦死者と離脱者が続くことで、軍は動揺し、弱体化する。勝利したクサイルの戦いの時でさえ、政府軍から離脱者が出ている。今後、軍内部が分裂し、強硬派が勝利し、穏健派は粛清される事態も予想される。その場合、粛清をのがれようとして、多くの軍人が脱走するだろう。

 

また、政権を支持する住民が新たに殺され、あるいは難民となり、政権の基盤は崩れていく。これまで平穏だった地域でも戦闘が始まる。

 

現在、政府軍は優勢とはいえ、現在の状態を続ければ、一歩一歩自滅に近づく。2~3年後には、アサド政権は西部山岳地帯を根拠地とする地方政権に転落し、シリアは中央政府が存在しない国になるだろう。その時、シリア北部に割拠するのは、イスラム過激派政権イスラム国である。弟分のヌスラは兄貴分のイラク・レバントと合体したくはないだろうが、やむを得ず、同盟を結ぶだろう。ヌスラの中にはシリア人が多いので、国の名前にイラクが入るのを嫌うだろうから、北部地方政権の名前はレバント・イスラム国である。

 

このような展開を何よりも恐れているのが、ロシアである。シリア北部に一大拠点を得たイスラム過激派は、隣接地域であるコーカサスに目を向ける。そこには、シリアでジハードに参加したチェチェン人の故郷がある。それだけでなく、北コーカサス一帯にはイスラム教徒が多い。北コーカサスはイスラム教徒の土地である。この地に「イスラム教国」を建設することが、シリア北部のイスラム過激派政権にとって、新たな目標になるだろう。

 

コーカサスが不安定になることは、ロシアにとって悪夢である。今年の春、アサド政府軍は、昨年中の劣勢からようやく回復し、攻勢に転じたが、その頃アサド大統領は、ロシアに感謝していると語った。そして付け加えて言った。「ロシアがシリアを援助するのは自分のためでもあるのです。」残念ながら詳しくは語らなかった。

 

しかし私なりに推察すると、シリアでテロリストをつぶさなければ、次はロシア国内でテロリストと戦うはめになる、とロシアは考えている。ちなみに、プーチンはイスラム過激派を「テロリスト」と呼ぶ。彼は「テロリスト」がロシアの周辺に政権を樹立すことなど絶対に認めない。

 

ロシアはチェチェンの独立派と戦っただけでなく、グルジアとも戦争をした。そもそも不安定なコーカサスに対して外国の陰謀が行われた時、コーカサス全体がロシアの敵となる危険がある。

 

コーカサス全部が失われた時、ロシアの南部全体が不安定になる。黒海北岸とカスピ海北岸はトルコ系民族の土地である。これらの地方はピョートルとエカテリーナ両帝が獲得したもである。もともとロシアはウラル以西の内陸国である。

プーチンは何度も言う。「シリアで、ロシアは何かの権益を守ろうとしているのではない。大国が国連の決議もなく、武力を用いて小国を勝手に処分することに反対しているのだ。」

もちろんロシアは権益は守りたい、しかし、それ以上に米帝国の危険な性質を問題にしているのだ。

 

実際、ブッシュ大統領は中東の反米諸国を制覇するだけでなく、同時にロシアを解体することを目標にしていた。政権内に、そのような考えを持つ戦略家がいた。

 

したがって、ロシアはアサド政権を今後も支えていくだろう。

 

シリア内戦の今後を左右するのは、ロシアに加え、イラン・イスラエル・アメリカ合衆国・トルコ・サウジアラビア・カタールである。シリアを舞台にこれらの国が戦っている。

 

                      

  

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独裁者スターリンを尊敬するプーチンの本心

2013-12-03 00:06:47 | ロシア

http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/d94185e8675733423c31730ae8977460

gooブログ「孤帆の遠影碧空に尽き」から引用します。

 

 [引用開始]------------------------------------------------

 

ロシアのスターリン、中国の毛沢東 “古き良き過去”を必要とする指導者

  <http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/>

(中略)

メドベージェフはスターリンに対しても、次のように批判する。

「戦争中にスターリンが果たした役割がどうあれ、現在のロシアから見ると、スターリンは当時の国民に対して山ほどの罪を犯した。彼がよく働き、彼の指導の下で国家が発展したことは事実だが、彼の国民に対する犯罪を容赦することはできない・・・スターリンへの評価は人それぞれであってもいいと思うが、ロシアとして、そしてロシア大統領としては否定的な評価をせざるを得ない」

----------------------------------------------[引用終了]

 

 スターリンに対しては、一般的に全面否定の厳しい評価があり、特にソ連崩壊時に出版された本では、肯定的な側面が語られることはありませんでした。それに対して、メドベージェフの評価はバランスが取れているので、冒頭に引用しました。

 

「スターリンが自国民に対して犯した山ほどの罪」のうちで、真っ先に挙げられるのは、「農業集団化」と「反ソ的個人・集団の粛清」だと思います。両方の犠牲者を合わせると1500万人を超えると言われています。太平洋戦争による日本の死者は兵士と民間人を合わせて310万人です。外国との戦争ではなく、国内問題での、1500万人の死者というのがいかに尋常ではないか、わかると思います。2000万人という統計もありますが、いずれが正確なものかはわかりません。

 

「集団化と粛清」による犠牲については、常に語られ、ロシア国民の心に残した傷の深さを感じさせます。ソ連崩壊の直接的な原因となった「ウクライナ独立」も、集団化を行った「ソ連」に対する怨念がその遠因になりました。

 

もっとも「ウクライナ独立」の直接の原因は、大戦後に新たにウクライナ領となった西部の人々の「西ヨーロッパへ復帰したい、または帰属したい」という願望でしたが。また、その願望を煽(あお)り、彼らに武力支援を約束した欧米の陰謀が、決定的な役割を果たしました。

 

このことは、ロシアの真に愛国的な軍人と政治家は決して忘れてはいません。ゴルバチョフでさえ、「ウクライナの独立」を認めていません。彼はウクライナの独立に関して、「戦争の危険があったので、引き下がるしかなかった。」と述べています。

 

ロシアにとって、ウクライナを失ったことは、心臓に次いで重要な肺を失ったに等しいのです。

 

ロシアの歴史はキエフ公国に始まります。ロシア人の原初国家であるキエフ公国が解体し、10~15の公国に分裂します。その中からモスクワ公国が新たに成長し、旧キエフ公国の領土を再統一します。

 

イワン三世(在位1462~1505)は「全ルーシ(=ロシアの旧称)の君主」と称し、かつてキエフ・ルーシ公国であった土地はすべて自分の土地であると主張しました。

 

全ルーシとは、現在のモスクワ周辺の地方とウクライナとベラルーシです。モスクワ公国が再統一した全ルーシが母体となって、後にロシア帝国へと発展します。

 

ソ連崩壊時に、ウクライナとベラルーシが独立したことは、ロシア帝国の中核が分裂したということです。ルーシの土地に関して言えば、イワン三世以前の、分裂状態に逆もどりしたのです。

 

プーチン大統領やマカーロフ前参謀長がロシア連邦解体の危機感を抱くのも当然です。彼らは必死です。

 

 

ウクライナに続いて、ロシアはバルト三国・コーカサス・中央アジアを失いました。しかも、ロシアの解体過程は停止したように見えますが、再開の危険はなくなっていません。そこに、プーチンの危機感があり、彼のファシスト的姿勢は、決して攻撃的なものではなく、必死の防御にほかなりません。

 

アメリカが安保理に提案したシリアに関する決議を、ロシアと中国が否決した時、アメリカの女性国務長官は、怒りに満ちた表情で、「ただでは済まない。」と威嚇しました。これは象徴的な場面です。彼女が言おうとしていることは「機会が来たら、ロシアと中国は解体してやる。」ということです。このことを本気で考えている一派は、ブッシュ時代だけでなく、現在の国務省内にも存在しています。

 

強気に見えるプーチンは、実は必死に防御しているのであり、「ただでは済まないからな。今に見ていろ。」と無礼な言葉を吐くアメリカの方が攻撃的なのです。ロシア側に核抑止力というものがなければ、ロシアは釘のようなもので、ハンマーであるアメリカにたたかれるだけです。

 

プーチンにとって敵国アメリカの中で、頭脳明晰なオバマだけが頼りなのです。プーチンはオバマに語りかけます。

 

   

「戦争に勝っても,欲したものは得られず、巨額の戦費と多くの人的損失に苦しむことになります。アフガンとイラクで経験したでしょう。シリアとイランを相手にしたら、大変なことになりますよ。我々ロシアに勢力拡大の野望などないことは、とうにご存知でしょう。貴国にとって我々は、湾岸の安定化に協力し合える相手ですよ。」

 

以上独裁者スターリンを尊敬するプーチンの苦境を説明しました。

 

スターリンについては、評価が難しく、調べなおしてから書きます。

 

 

< 地図の東半分の薄緑色の部分がロシア人の故地>

 

ロシアの歴史  vivonet.co.jp   より

 

 

 

 < キエフ公国分裂後のルーシ >

 

  

  キエフ公国の歴史  toride.com  より

 

[解説] 

 

1  西側リトアニアとの境界線と南側ポロヴェツとの境界線が太線

 

だとわかりやすいのですが。

 

 ポロヴェツは中央アジア由来の遊牧民です。

 

2 カルパチア山脈の北のガーリチ公国とヴォルィニ公国はルーシ

の国です。

 

3 北東のウラジミール=スーズダリ公国にとってかわったのが

 

モスクワ公国です。

 

 

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