2012年7月18日ダマスカスの保安本部で爆発が起き、シリア軍最高幹部4人が死亡した。国防大臣、副国防大臣、国家安全保障局長、元国防大臣の4人である。
シリアの反政府デモは2011年3月に始まったが、5月になると、反対派のリーダーたちは無力感にとらわれた。チュニジア、エジプト、リビアの政権はデモ発生後短期間で倒れたが、シリアの政権は倒れそうもなかった。反対派の中でも政府軍から離脱した将校たちは、武装反乱を考えるようになった。デモをやっても犠牲者が出るだけで、政権は揺るがないと考えたからである。しかし武装反乱をするにしても、彼らには武器がなかった。連隊ごと脱走する場合は連隊の武器すべてを持ち去ることができただろうが、連隊は言うに及ばず中隊全部が脱走した例さえなかった。離反将校は部隊の宿舎からこっそり抜け出したのである。
2011年末反対派を支援する国々が本格的な武器援助を開始した。これにより反対派は念願の武装反乱を開始することができた。その後7日か月間反対派は着実に支配地を広げ、7月半ば首都でも武装反乱が始まった。反対派は首都の攻防を反乱の最終段階と見ていた。英国はシリアに臨時政府を樹立するため、国連の行動を求めた。保安本部爆破事件はシリアの反乱が頂点に達した時期に起きた。
バシャール・アサドは2000年に大統領に就任したが、その時まで彼は政治と軍事について未経験だった。彼は歯科医師になるための研修をしていたからである。大統領就任後の数年間彼には実権がなく、軍と情報機関の幹部が政権を支えた。ハフェズ・アサド前大統領の死後10年間シリアを指導してきたのは彼らだった。今回殺害された4人はその代表的な人物である。特に副国防大臣アセフ・シャウカトは影の大統領であるとみなされていた。実質的な大統領はシャウカトであり、バシャールは名目的な大統領に過ぎないという見方が一般的だった。2005年レバノンのハリリ前首相が暗殺された時アサド大統領の責任が追及されたが、実際に作戦を命令・指揮したのはシャウカトとイクティヤル安全保障局長だった。この2人は7月18日の爆破事件で死亡した。
大統領と共に政権を運営する4人が殺害されたのであり、アル・アラビヤは「アサド政権の終末が近い」と書いた。
===《シリアの国防相、大統領の義兄らが爆死》=====
Bomb kills Syria defense minister, Assad’s brother-in-law and key aides
Al Arabiya 2012年7月18日
反対派は政権の中枢を攻撃することに成功した。ダマスカスの保安本部を爆破し、政権の最高幹部たちを殺害した。ダマスカスの北西の地区ムハジリーンでも5発の爆破があった。そこは大統領の弟マヘルが指揮する第四機甲師団の基地に近い。
シリア国民会議は述べた。
「この事件はアサド政権の終末を早めるであろう」。
アブドル・セイダ(Abdul Basset Seyda )はカタールの首都ドーハで述べた。
反乱は最終段階にある。政権の終末は近い。今日はシリアの歴史の転換点だ。反対派はさらに攻勢を強めるだろう。政権は倒れる日は近い。数週間、遅くとも数か月以内だ」。
英国のヘイグ外相は次のように述べた。
「シリアは崩壊と混乱に向かっている。臨時政府を樹立するため、国連の安全保障理事会は確固とした立場をとらなければならない。シリアの状況は急速に悪化している。シリア全土で戦闘が激化しており、首都ダマスカスでも日々戦闘が報告されている。これを反映し、避難民の数が増えている」。
==================(アル・アラビア終了)
保安本部の爆破は反対派にとって大戦果だった。自由シリア軍とイスラム大隊が犯行声明を出したが、真相は謎のままである。イスラム大隊は小さな集団であり、これ以後の5年間成長することもなく、小集団にとどまった。保安本部は大統領官邸と並ぶが政権の本拠である。厳重に警備された保安本部に、無名の集団がどのように忍び込んだのだろうか。
高官暗殺の計画は今回が初めてではなく、一度失敗している。2か月前にシリア政府高官6人を殺害する試みがあったが、これは失敗した。今回死亡した4人はこの時もターゲットとなっている。シリアの政権は2か月前の未遂事件を教訓にしなかったのであるか。再発にいかに備えても、警備体制の欠陥を修復できなかったのだろうか。考えられるのは、大統領に近い位置にいる人間の裏切りである。ロイターによれば、犯人は高官のボディガードということだが、詳しくはわからない。今回の事件についてはこれ以上の手がかりはない。
2か月前の高官暗殺未遂事件は少しだけヒントになる。
同年5月19日サハバ大隊と名のるグループが「高官6名を殺害した」と発表した。チームのリーダーらしき人物の声明がネットに投稿された。もちろんアラビア語で話しているが、英訳がある。以下の通り(全文)である。
===《FSA Claims Assassination of Assef Shawket 》===
<https://www.youtube.com/watch?v=xCMEJijY-JE&feature=youtu.be>
syrian scenes 2012年5月19日
憐みと慈悲深き神の名において!
国民の敵と戦え! 神に代わって彼らに罰を与えよ! 力の限り戦い、勝利せよ! 神を信ずる人たちをなぐさめよ! 私アフマド・タクタク中尉は、サハバ大隊(Sahabah Battalions)の野戦指揮官の一人でである。我々はダマスカスとその周辺で活動している。私はサハバ大隊を代表し、我々の特殊作戦中隊が決行した成果を報告する。この中隊は秘密作戦を実行した。中隊は政権の危機管理チームのメンバーを2か月間監視した。そして中隊のひとりが秘密作戦を実行した。彼は危機管理チームのメンバーを殺害した。殺害方法は秘密である。作戦の細部について明らかにすることは控えたい。神の助けにより、次の者たちを殺害した。
①アサド一族のひとりであり、情報総局長官アセフ・シャウカト
②内務大臣ムハンマド・シャー
③国防大臣ダウド・ラジハ
④副大統領代理ハッサン・トルクマニ
⑤バース党保安局長ヒシャム・ビクティヤル大将
⑥バース党副書記長ムハンマド・ビクティヤル
我々は明確に宣言する。「政権が倒れるまで戦い続ける」。
================(youtube終了)
サハバ大隊が6人の高官の死を発表したにもかかわらず、全員生きていた。
=====《ダマスカスの戦闘に伴い、高官暗殺か》=======
Syria: Damascus clashes prompt claims of high-level assassinations
Guardian 2012年5月20日
5月19日夜自由シリア軍が発表した。「アサド政権の高官6名を殺害した」。大統領の義理の兄アセフ・シャウカトも死亡者の一人であるという。その他の犠牲者は内務大臣ムハンマド・シャー、国防大臣ダウド・ラジハ、大統領代理ハッサン・トルクマニなどである。
シリア国営メディアは自由シリア軍の発表を全面的に否定した。死んだとされるシャー内務大臣八記者会見に姿を現し、生きていることを証明した。トルクマニ大統領代理は執務室で国営テレビのインタビューに答え、「自由シリア軍の発表はとんでもない嘘だ」と語った。
しかしシャウカトの生死に関する報道はなく、また彼がメディアに姿を現すこともなかった。
「ダマスカス革命議会」の女性報道官が次のように語った。
「殺害の方法は毒殺である。死者の人数については、確定できていないが、すでに発表されているリストの中の1ー2名が死んでいる。テレビに出演した者以外は死亡しているか、重傷者である。政権は死者が出た事実を隠し、重傷者については回復を待っている。
======================(ガーディアン終了)
反抗声明を出したサハバ大隊はダマスカス南部を拠点とする有力なイスラム主義グループである。
2か月後の7月18日ダマスカスの保安本部の爆破後、犯行声明を出したのは別のグループであり、こちらはイスラム大隊である。イスラム大隊もダマスカスを拠点としているが、かなり小さなグループである。