【35章】
続いて別のガリア人が同じ道を通ってアルプスを越えた。彼らはチェノマンニ族で、指導者はエリトヴィウスだった。
(日本訳注)
ガリアにはチェノマンニという名前の部族が二つあった。一つはマルヌ県のチェノマンニ族である。マルヌ県の北隣のノルマンディーに住む部族とマルヌ県の東に住む部族が初回のアルプス越えに参加しており、チェノマンニ族が噂を聞いて、二回目のアルプス越えを企てたのかもしれない。なおノルマンディーのアウレルチとマルヌ県のチェノマンニは同族である。
もう一つはマルセイユのチェノマンニ族であり、名前は同じだが、マルヌ県のチェノマンニ族と無関係である。初回のアルプス越えをした集団はマルセイユに行ってから、アルプスに向かっており、フランス中央部・北部のケルト人がイタリアに向かったのを知って、自分たちもと思ったかもしれない。しかし温暖で快適なマルセイユに住む人々にとって、イタリアはそれほど魅力的ではなく、近隣の民族から逃げる必要でもなければ、動機は低い。
2回目のアルプス越えをしたのはマルヌ県のチェノマンニ族である可能性が高い、としか言えない。初回のアルプス越えはブールジュの部族が中心となり、彼らに6部族の人々が加わった。リヴィウスは「二回目の集団は初回と同じルートでアルプスを越えた」と書いているが、彼が語るアルプス越えの経路からは二回目の集団がフランスのどこからアルプスに向かったかはわからない。トリノ経由でアルプスを越えたことはわかるが、フラン側の起点はわからない。リヴィウスはフランス側の起点には関心がなく、彼にとってアルプス越えとは「トリノの峠道とその先の渓谷を通る」ことなのである。近代・現代において「アルプス越え」はフランス側の起点とイタリア側の終点が注目される。トリノは終点の一つである。リヴィウスがフランス側の起点に関心がないため、二回目の集団がマルヌ県から出発したか、マルセイユから出発したのかについてヒントは得られない。もっともカエサルのガリア遠征以後も、ローマ人の関心は北イタリアまでで、フランスについては関心が低かったので仕方がない。(日本訳注終了)
後続のガリア人が到着すると、最初にイタリアに来たガリア人の指導者は喜んで彼らを迎えた。新しく来た人々は、現在のブリクシア(現在のブレシア)とヴェローナに町を建設した。さらにリブイ族( Libui;居住地不明)とサルエス族(マルセイユ北東のリグリア人)がやって来て、古代のリグリア人であるラエビ族の近隣に住んだ。古代のラエビ族はチキヌス川流域に住んでいた。
(日本訳注)⓵チキヌス川はスイスを水源とし。ミラノの西を流れ、パヴィア付近でポー川に合流。
②リグリア人のラエビ族はチキヌム(現在のパビア)に町を建設した。パビアはミラノの南。(日本訳注終了)
さらにボイイ族とリンゴネス族がペンニン・アルプス(イタリア・アルプス=アオスタ渓谷とピエモンテ)を越えた。こうしてポー川とアルプスの間の地域はすべて新来の人々によって占拠された。
(日本訳注)⓵ボイイ族はオーストリアとハンガリーに住んでいたケルト人。
②リンゴネス族はブルゴーニュ地方のラングルに住んでいたケルト人。ラングルは現在高地マルヌ県の都市。高地マルヌ県にはマルヌ川の水源がある。(日本訳注終了)
移住者たちはいかだでポー川を越え、エトルリア人を追い払い、さらにウンブリア人をも追い払った。そこで彼らの侵攻は止まり、彼らはアペニン山脈の北に留まった。最後にセノンネ族(セーヌ盆地のケルト人、初回のアルプス越えに参加した)がやって来て、ウティス( Utis;場所不明)からアエシス(Aesis;ウンブリア州のアッシジ?)に至る地域を占拠した。クルシウム(現在のキウジ。トスカナ州南東部、ウンブリア州に近い)を攻撃したのはこのセノンネ族であるとわかった。セノンネ族はその後ローマに襲来した。彼らは単独でクルシウムに来たのか、ポー川以北のすべての部族と共に来たのか、わからない。クルシウムの人々はガリア人の異様な姿に恐れおののいた。またガリア人の人数はあまりに多く、見慣れない武器を持っていた。ポー川の両岸でエトルリア軍が何度も敗北したという話がクルシウムの人々に伝わっていた。クルシウムは大使をローマに派遣し、元老院に助けを求めた。クルシウムはローマの同盟国ではなく、友好な関係にさえなく、ローマは彼らを助ける義務がなかった。もっともローマがヴェイイと戦っていた時、クルシウムは同族のヴェイイを助けなかったので、ローマの敵ではなかったかもしれない。そういうわけで、クルシウムの大使は積極的な援助を得られなかった。ファビウス・アンブストゥスの三人の息子が大使としてガリア人のもとに派遣された。三人の大使はクルシウムを攻撃しないようよう警告した。「クルシウムはガリア人に何の損害も与えていない。クルシウムはローマの友人であり、同盟国である。状況次第では、ローマ軍はクルシウムを防衛するだろう。ローマは戦争を避けたい。ローマは未知の相手との戦争を望まない。平和的にガリア人と知り合いになりたい」。
【36章】
ローマの大使が託された伝言は十分平和的だったが、残念ながら使節のニ人はガリア人に似ていて、気性が荒かった。元老院の意向を伝えると、ガリア人の指導部は次のように返答した。
「我々はローマという名前を初めて聞いたが、クルシウムの指導者が危機にあって助けを求めたのを見ると、ローマは勇敢な国民に違いない。武力によらず、話し合いでクルシウムを守りたいということであるが、我々も平和的に解決したい。そこで我々の要望を述べたい。我々は土地が不足しており、クルシウムの領土の一部を我々に譲渡してほしい。クルシウムは耕作できる範囲をはるかに越えて、土地を所有している。我々の要求が認められない限り、平和的な解決はない。あなた方の面前で、クルシウムに返答してもらいたい。土地が得られないなら、我々は諸君の面前でただちに戦闘を開始する。ガリア人の勇気がいかなる民族をも越えているを見てくれ。そしてローマの人々に報告してほしい」。
これに対し、ローマの大使は言った。「どんな権利があって他国の土地を要求するのか。戦争をちらつかせて、他国の土地を奪うつもりか。諸君はエトルリアと何の関係があるのか」。
するとガリア人は居丈高に答えた。「我々は武力で権利を獲得する。勇敢な者は何でも所有できる」。
双方の闘志に火が付き、ガリア人は武器を取りに行った。国際法に違反し、ローマの大使も武器を取った。運命が急速にローマを破滅に向かわせた。クルシウム軍の兵士たちは初めてローマ人を見た。勇敢で高邁な三人のローマ人を見て、彼らは圧倒された。ガリアの首長がエトルリアの旗手に襲い掛かかろうとした時、Q・ファビウスが首長に向かって馬を走らせ、首長の横腹に槍を突き刺し、なぎ倒した。彼が首長の首を取ろうとした時、これを見たガリア人が叫び、ガリアの兵士全員にファビウスの行為が伝わった。ガリア兵はクルシウムが敵であることを忘れ、ローマに対する怒りで頭に血が上った。ガリア人はクルシウムから去った。
ガリア人の一部はローマに向かって進軍すべきだと主張した。年配のガリア人はまずローマに大使を送り、正式に抗議し、国際法違反の代償としてファビウス兄弟を引き渡すよう要求すべきだと考えた。一方ローマに帰った大使たちは結果を元老院に報告した。元老院はファビウス兄弟の行動を間違いと考え、ガリア人の要求を正当であると認めたが、高い地位にある人間を犯罪者と正式に断罪することに、政治的にためらいを感じた。ガリア人との戦争に負けた場合、自分たちだけの責任にならないよう、元老院はガリア人の要求にどう対処すべきか、市民の判断に委ねた。ちょうど年末だったので、翌年の執政副司令官の選挙となった。選挙においては勇気があり、影響力のある人間が支持を得た。処罰されるべき三人が執政副司令官に選ばれた。選挙結果はガリア人の大使を怒らせ、これをローマの最終的な決断、つまり戦争の宣言と受け止めた。彼らは元老院を威嚇してから帰っていった。
ファビウス家の三人以外の執政副司令官は Q・スルピキウス・ロングス、Q・セルヴィリウス(4回目の就任)、P・コルネリウス・マルグネンシスだった。