たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

デリゾール サクル島の攻防 2014年10月末

2016-03-30 00:35:08 | シリア内戦

 

============= al-Masdar News ==============

10月22日ー24日、第104空挺旅団はサクル島のISISを掃討した。ISISは多くの死者を出した。

24日、第104旅団はサクル島北部の数か所で、ISISを攻撃した。数十人のISISを殺害し、23m口径の機関銃をのせた車両2台を破壊した。政府軍の発表によれば、104旅団は3日間で60人のISISを殺害し、サクル島北部を制圧した。

        

ISISはシナーア工業地区に侵攻しようと、3度目の試みをした。しかし104旅団と国民防衛軍(民兵)に反撃され、攻撃は失敗に終わった。

ISISは防衛線を突破すため、重火器を使用したが、シリア空軍に爆撃され、目的を果たせなかった。この戦闘で50名のISISが死亡し、36名が負傷した。(政府軍の発表)

(原文)Over 175 ISIS Fighters Killed in Deir Ezzor; SAA Advances at Sakr Island By Leith Fadel - 25/10/2014

=====================Masdar News 終了)

10月26日、第104旅団はサクル島北端のアナファト橋に達した。ISISはこの橋を渡って本土と島の間を往来していた。

 

 サクル島の北東部に残存するISISとの戦闘がまだ続いているが、104旅団のサクル島掃討作戦は順調に進み、ISISは島の東端に追い込まれている。

 

==========--== al-Masdar News =============

10月28日の朝、ISISはサクル島の住宅地で自動車爆弾を爆破した。自爆ではなく、犯人は逃げた。大爆発により、3人の住民が死亡し、11人が負傷した。ザフレディン将軍が率いる104旅団はすかさずこれに対応した。島の北東端にあるISISの拠点を攻撃した。ISISが応戦し、これまでのサクル島での戦闘の中で最大規模の激戦となった。

この戦闘で40人以上のISISが死亡し、22人が捕虜となった。(政府軍発表)

40数名のISIS戦死者のうち、18人の身元が分かった。半数の9人がシリア人である。2名のレバノン人の他はアラブの各国からそれぞれ1名である。それらの国々は次の通り。

カタール・エジプト・イラク・モロッコ・チュニジア・サウジ・トルコ

 

28日シナーア工業地区でも戦闘があり、ISISの死者15名の身元が確認された。ソマリア人とイラク人各1名を除き、残りの13名はシリア人である。

28日ハウィーカ地区での戦闘で死亡したISISの死者のうち、11名の身元が確認された11名全員がシリア人である。

 

(原文)Violent Clashes Reported in Deir Ezzor; 44 ISIS Militants Identified Among the Dead By Leith Fadel - 28/10/2014  

======================(Masdar News 終了)

ハウィーカは川中島にあり、島の北側の本流は川幅が広いが、本土との間を流れる支流の川幅は狭い。つり橋とシヤシェ橋がすぐそばにある。(地図参照)

内戦前の平和だった2007年に、「亜細亜の街角」の筆者がデリゾールを訪問している。

     

     

     

     

アジアISIS戦闘員はほとんどが外国人志願兵と言われているが、意外にシリア人が多いのかもしれない。ただし、外国人志願兵の死者は身元が分からないことが多いのかもしれず、正確なところはわからない。残念である。

 

================ al-Masdar News ==============

26・27日に第104旅団は島内の各要所の検問所をISISから奪取した。28ー30日の3日間に、第104旅団はサクル島のISIS兵120名を殺害し、島の90%を制圧した。島と本土を結ぶ2つのつり橋が旅団の支配下にあるので、ISISは島の北部に援軍を送ることができない。

28ー30日の3日間のISISの死者のうち、25名の身元が確認された。1名のモロッコ人を除き、残り24名はシリア人である。シリア人の一人はアレッポの政府軍からの離反兵である。

(原文)ISIS Suffers Heavy Casualties in Deir Ezzor; Syrian Army Destroys 2 Tunnels By Leith Fadel - 31/10/2014

             《11月10日、サクル島掃討作戦、最終段階へ》 

104旅団のサクル島制圧作戦は、最終段階をむかえた。104旅団はISISの主要拠点がある中央公園に進んだ。

昼も夜も砲撃音と銃撃音が市内まで聞こえた。危険が迫っているにもかかわらず、多くの市民が市内にとどまっていた。

この数週間にISISは多数の死者を出していた。104旅団の砲撃と銃撃に加え、シリア空軍と有志連合の空爆がISISの頭上に爆弾を降らせた。

先週末(11月7日・8日)のISISの死者は40人である。20人のISISが降伏した。

(原文)The Republican Guard Advances to Central Park at Sakr Island; Scores of ISIS Fighters Killed By Leith Fadel - 10/11/2014

===================================== (Masdar News終了)

  多くの死者を出しながら、ISISは島内の本拠地である中央公園を捨て逃げる気配はない。近くの農業試験場も拠点としながら抵抗を続ける。

主戦場は中央公園であるが、第104旅団は他の小さなISISの拠点をも攻撃し、こちらは成功した。そのことが翌12日の記事に書かれている。

 ============== al-Masdar News ===============

             《ISISの隠れ家に偽造パスポート多数》

第104旅団はサクル島の戦略的に重要な地点に対する攻撃を続けている。ISISはサクル島で最後に残った区域に踏みとどまろうと必死に抵抗している。

11月12日の朝、ユーフラテス付近で4時間の戦闘の末、第104旅団はサクル島西岸の漁港を確保した。ISISはこの小さな港から船で本土との間を往来していた。

旅団兵はこの漁港に地下トンネルが張り巡らされているのを発見した。ISISが住民に掘らせたものである。旅団に包囲され、トンネルに潜んでいた6人のISISが降伏した時、住民も中にいた。

トンネルの一つに、イラクで盗んだ、大量の抗生物質と外科手術用の器具があった。それと一緒にトルコ政府のスタンプが押された偽造パスポートが収められた容器がいくつもあった。

          

ISIS Loses More Ground at Sakr Island; Civilian Executed for Apostasy in Deir Ezzor By Leith Fadel - 12/11/2014

 

 

 

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デリゾール 強者の対決 2014年9月・10月

2016-03-23 18:34:40 | シリア内戦

 

シリア政府は2012年にデリゾール県のほとんどを失った。しかしデリゾール市の一画だけは守り抜いた。デリゾール県を支配していたのは、自由シリア軍とヌスラ戦線である。2014年の7月、ISISはこれらの反政府軍をデリゾールから一掃した。ISISはデリゾール県の95%を支配するに至った。

2014年8月までのデリゾールの状況については、「ISIS、デリゾールを奪取 2014年7月」の題で書いた。今回は2014年の9月と10月について書く。 

     <政府軍、ISISを攻撃>

ISISは95%の支配に満足せず、アサド政府軍の一掃にとりかかった。

9月3日、ISISは政府軍の拠点、デリゾール軍事空港を攻撃した。しかし政府軍に撃退され、空港から3㎞のところまで退却した。さらにシリア空軍がデリゾール空港付近のISISの陣地を空爆した。ISIS兵47人が死亡した、とシリア空軍が発表した。

次の地図は2011年の勢力図である。デリゾール空港の位置が示されている。デリゾール市はユーフラテス川の西岸にある。

       

9月5日、空港防衛のためザフレディン将軍が、600人の共和国防衛隊と90台の装甲車両とともにデリゾール空軍基地に戻ってきた。

9月14日、政府軍はISISの強固な陣地を破壊した。ISIS戦闘員14人が死亡した。

翌日政府軍の特殊部隊と工兵が、シヤシェ橋を爆破した。爆破の瞬間黒煙が立ち上った。政府はその映像を公開した。橋の上にいたISIS戦闘員は全員死亡した。(橋の位置は上記地図参照)

これによりISISは市内に入る唯一の手段を失い、市内のISISは孤立した。

10月11日,政府軍はISISの本部に総攻撃をかけた。ISISの本部は爆破された橋に近い、ジュバイラ(Jubeileh)地区のバージーン学校にある。

      

これは2013年の地図なので、北東からデリゾール市を攻めているのは、ヌスラ戦線と自由シリア軍であり、ISISも加わっている。

           《政府軍、サクル島のISISに圧勝》

============== al-Masdar News ==============

10月14日の朝、シリア共和国防衛隊の第104旅団がサクル島のISISを強襲した。この島はISISが支配しており、いくつかの拠点があった。

    

 (たぬき注;この地図では、はっきり見えないが、シヤシェ橋の近くでユーフラテス川が分岐している。本流がサクル島の北東を流れ、分流が南西を流れている。サクル島は川中島である。)

 シリア空軍が効果的な支援をし、ISISの増援部隊がサクル島に近づけないようにした。

同日の夜までに作戦は大幅に進み、ISISが司令部としていた隠れ家を攻め落とした。この時の戦闘で数十名のISISが死亡した。司令部の建物から逃げようとした4人の指揮官がその中に含まれる。政府軍の発表によれば、33名のISISが死亡し、14名が捕虜になった。

共和国防衛軍の側は、2人の将校を含む9名が死亡した。

サクル島の戦闘で、共和国防衛軍はISISののドゥーシュカ(重機関銃)3挺を車ごと破壊した。

(原文)The Syrian Arab Army’s 104th Brigade of Republican Guard  overwhelmed Islamic State of Iraq and Al-Sham

==========(MasdarNews終了)

 シリア内戦の最初の2年間は、ドゥーシュカと呼ばれるソ連製の重機関銃が反政府軍にとって唯一の重火器だった。トヨタの軽トラックの荷台に据え付けて走りまわる姿がたびたび放映された。ドゥーシュカは対空砲としても、地上の敵に対しても用いられる。

       

2013年の半ば以後、一部の反政府軍が対戦車ミサイルを手に入れ、2014年には一般的になった。対戦車ミサイルは望遠レンズにより、遠くかR正確に練ららいを定めることができる。対戦車ミサイルは戦車を無力なものにする。重機関銃では、戦車に対応できなかった。反政府軍は強力な武器を手に入れた。

戦車は出現当時から弱点があった。大きいので目標にされやすく、大砲や空からの爆弾で破壊できた。戦車の底は装甲が薄く、地雷で破壊できた。

             《ISIS、シナーア工業地区を攻撃》

============= al-Masdar News  ===== ======= 

10月21日の朝、ISISはシナーア工業地区のシリア軍第108空挺旅団を攻撃した。ISISは地区の東側に侵入しようとしたが、108旅団はこれを撃退した。

ISISは政府軍の防衛線を突破したと主張しているが、政府軍はISISの攻撃を退けたと述べている。政府軍の発表によれば23人のISISが死亡し、その中の一人は自由シリア軍のアンサール・イスラム旅団の元司令官ザカリア・アブーシュである。 

104空挺旅団は再びサクル島のISISを攻撃した。今回は、前回攻略したISISの拠点の南東にある、別の拠点を制圧した。   

サクル島の作戦を指揮しているザフレディン旅団長は作戦の目的について、旧空港にISISを近づけないための緩衝地帯をつくるためだと語った。

             

(原文)ISIS Launches an Attack on Al-Sina’a in Deir Ezzor By Leith Fadel - 21/10/2014

 ============================ (Masdar News  終了)

シナーア地区の戦闘で死んだISISの指揮官のひとりは、元アンサール・イスラム旅団の司令官だったという。アンサール・イスラムについて、英文ウイキペディアで調べてみた。

           <アンサール・イスラム>

アンサール・イスラムは2001年イラクラで結成されたスンニ派原理主義集団であり、マホメットの原初教団を理想としている。シリアで自由シリア軍に参加したのは、独立した集団でありたかったからだろう。自由シリア軍は中央から命令されされることがなく、自由だからである。実態はヌスラと同じくアルカイダである。国連、米国などの国が、アンサール・イスラムをテロリスト集団と規定している。

アンサール・イスラムの結成2年後にイラク戦争が起き、戦後は反米闘争をおこなった。米軍の撤退後はイラク政府に対する反対闘争を続けた。シリアで内戦が起きると、一部のメンバーをシリアに送った。

2014年8月29日、アンサール・イスラムの50人の指導者がISISに合流すると発表し、アンサール・イスラムは消滅した。

 

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(コバニ戦) クルドの反攻 11月2014年

2016-03-09 16:39:49 | シリア内戦

     

11月12日、クルド軍はミスタヌールの丘をISISから奪回した。丘の上にYPGの姿が見えた、とネットに報告された。クルド軍の反撃の象徴となった勝利について、I.B.Timesが書いている。

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          《クルド、 ミスタヌールの丘を解放》

クルド軍がミスタヌールの丘とそのふもとを走る道路をISISから奪回した、とコバニの役人イドリス・ハッサンがロイターに電話で話した。「ISISはこの道路を通って、援軍と弾薬をコバニに運んでいる。ISISが市内を砲撃をできなくなくするように、我々の軍は市の外縁部にある敵の陣地を攻撃している」。

ミスタヌールの丘からは、市内にはりめぐらされている全ての道路を一望できる。ISISはこの丘の上から迫撃砲を市内に向けて撃っている。ミスタヌールの丘はコバニ制圧をめざすISISに、戦略的な利点を与えている。

米国主導の有志連合は9月以来コバニのISISを繰り返し空爆した。英国のシリア人権監視団の報告では、空爆による死者は865人であり、50人が民間人である。また死者の中に68人のヌスラ戦闘員がいた。

(全文) Kurdish YPG Fighters Liberate Strategic Mistanour Hill in Battle for Kobani/ By Jack Moore

November 12, 2014

=======================[引用終了]

10月19日米軍から武器・弾薬の補給があり、11月1日イラクのクルド部隊(ペシュメルガ)が重火器と共に到着し、クルド軍は抵抗を継続することが可能になった。ペシュメルガが持ってきた重火器の量はわずかであり、ISISの優勢は変わらない。米空軍の援護により、クルドは何とか持ちこたえるができるという程度にすぎない。しかしクルドは果敢であり、積極的に反撃に出た。11月16日にはISISの陣地に攻め込んで、ISISの武器と弾薬を手に入れた。 

ミスタヌールの丘の勝利の後、クルドは市内のISISに対しても攻勢をかけ、保安地区の近くにある6つの建物を奪取した。これらの建物はこの保安地区周辺を支配するISISの戦略的拠点となっていた。

10月10日に保安地区を失った時、クルドはもう終わりか、と思われた。保安地区にはクルド政府の役所が集中しており、またYPGの本部があった。保安地区の北に接する6つの建物の奪取によって、クルドは保安地区の支配を回復した。これもクルドの反撃を象徴する勝利だった。

勝利後、クルドの兵士はISISが残した大量のRPG、銃、機関銃の弾薬を獲得した。

    

             <ISIS、すかさず反撃>

11月半ばのクルドの反攻はめざましかったが、ISISは黙って引き下がらなかった。クルドはミスタヌールの丘を維持できず、4日後にISISに奪われてしまった。ただし丘の一角に踏みとどまり、丘の争奪戦は翌年の1月19日まで続く。

ISISは保安地区の拠点である6つの建物も取り戻そうとしたが、クルドに撃退された。 

この間、ISISは多くの戦死者を出した。クルドのネット・ニュースARAが11月17日に伝えている。

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          《ISISの司令官が死亡》

10月16日の戦闘で28名のISISが死亡した。その中には2名の指揮官が含まれる、とYPGが発表した。死亡したISISの2人の司令官はアブ・アリ・アスカリとアブ・モハメド・マスリである。この2名はコバニ作戦を計画した中心人物である。 

YPGは自由シリア軍に属するブルカン・フラト旅団とペシュメルガの重火器による支援があり、いくつかの地区の奪回に成功した。市内の接近戦で敗れたISISは、市内に向けて砲撃を開始した。

コバニの野戦病院で援助活動をしているフェラス・ハムザがARAニュースに電話で次のように伝えた。

ーーISISに勝利した後、YPG、ペシュメルガ、自由シリア軍の兵士たちは地区の街路を自由に歩きまわている。ISISは遠くから市内に砲撃しており、民家が破壊されている。 

YPGと親しい人が、コバニ戦を指揮してきたISISの司令官の3人目の死亡を、ARAニュースに知らせてきた。ーーセレカニエの郊外の村マブルーカを根拠地にしている司令官アブ・ハティブがYPGの待ち伏せにあって殺害された。殺された場所はセレカニエの南西30㎞にあるタル・バクルという村である。ハティブと一緒にいた仲間も殺された。

    

(原文)  Islamic State’s commanders killed in Kobane

=======================[引用終了]

アブ・ハティブ・クルディはイラクのハラブジャ出身のクルド人で、「クルドと戦うクルド人ISIS司令官」として注目された。ISIS系のサイトが彼にインタビューをしている。ARAニュースも殺された3人の司令官のうち、彼の写真だけを掲載している。彼はコバニ戦に参加していたが、根拠地のマブルーカ付近で、YPGに襲撃された。

  

9月末-10月上旬、クルドは防戦一方でじりじりと追いつめられていた。10月下旬になるとクルドは逆攻勢をかけるようになり、情勢は一変した。しかしクルドはISISを完全に押し返したわけではない。ISISはしぶとく支配地に踏みとどまろうとしており、戦闘が続いている。

次の地図で、ISISの支配地が戦場となっていることがわかる。

    

 これまでISISの支配地域だった部分(黒色)に、クルド支配地を示す黄色が重なっている。クルドが南部のISISを攻撃していることがわかる。

クルドは東部の奪回を後回しにした。南部の方が戦略的に重要だったからである。勝利が決定した1月24日の地図を見るとそれがはっきりする。南部を制圧することで、東部のISISは立ち枯れになった。

 

        <戦場では予測しないことが起きる>

戦線がISIS支配地に移り、クルドの方に勢いがあったが、戦場は予測がつかず、クルドの優勢も水の泡になりかねないことが起きた。コバニ包囲の輪は北側が開いており、ISISは輪を完全に閉じようと、これまで何度も越境地点を攻撃したが、すべて失敗した。今度はISISは新たな攻撃法を用いた。ドイツのシュピーゲル紙が書いている。

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          《ISIS、トルコ側からコバニを攻撃》

シリアの国境の町コバニは、この一週間激烈な戦場となった。イスラム過激派ISISはコバニ包囲を完全なものにしようと試みた。その際彼らは初めてトルコ側から攻撃した。

朝コバニの北側の国境付近でISISが自爆攻撃をした。それに続き今度は爆発物に点火した。2度の爆発とその後の戦闘により、30人以上が死亡したようだ。英国人権監視団はISISの死者21名、クルドの死者9名と報告している。

国境のシリア側はクルドが防衛しているので、ISISの自爆攻撃者たちはトルコ側から国境に近づいた。コバニのクルド政府の広報官のナワフ・ハリルは次のように述べた。「これまでISISは3方角から攻めてきたが、今日は4方角からせめてきた」。

周辺で観察しているジャーナリストたちは、コバニとムルシトピナル(トルコ側)の国境付近一帯で激しい銃撃戦の音がするのを聞いた。

ISISはムルシトピナルの穀物貯蔵庫(サイロ)を占拠し、そこから国境の向こうのクルド兵に向かって銃撃した。クルドのテレビ局は穀物貯蔵庫の周辺にいるISIS兵の姿を放映した。トルコ政府はこの件について、口を閉ざしている。

ISISがコバニ攻撃を開始してから、2か月になる。現在彼らは、コバニ市の東部と南部を占領している。YPGとイラクのクルド軍(ペシュメルガ)が市の北西部を守りぬいている。

トルコ側からクルド軍を攻撃することにより、ISISハコバニの北部に新しい戦線を開いた。

原文)Schlacht um syrische Grenzstadt: IS-Kämpfer greifen Kobane aus der Türkei an

==================[引用終了]

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